第20話 清宮優香

 清宮優香は、舞台女優になりたかった。


 小さいころ、両親の付き添いで舞台を観に行った日。


 まだ十歳にも満たない少女は、舞台の上に立つ演者、舞台の雰囲気を作り出す演出

に僅か数分ほどで魅了された。


 家族で旅行などの遠出するときは、たいてい移動が多かったり歴史的な建造物や観

光地にはいつもこれといって興味がなかった優香は、舞台だけは欠伸ひとつ掻かず、

ただそれに見入った。


 それは憧れにも近い世界。テレビで目にするドラマやアニメのお芝居なんかより

も、そこに演者がいるという臨場感と、一度でも失敗できない緊張感に惹かれたのだ

と、十四歳のころにはっきりと分かった。


 学校の部活はもちろん演劇部に所属した。容姿がいいということで一年生のころか

ら舞台上に立つことが出来た。小さいころからレンタルショップで借りてきた舞台の

映像を見よう見まねで演じていたためか、芝居の方も褒められた。


 クラスでも人気者で、容姿、芝居ともに賞賛される彼女は、しかしながら決して自

分におごれることなく、誰にでも優しく接し、誰にも恨まれることなく過ごしてき

た。


 しかし、そんなことは無かった。


 そんな人間など、最初から存在しなかったのだ。


 ただ、楽しそうにしている人間を見ているだけで、恨みを持つ人間は一定数存在す

る。この世の中、そういう風にできている。


 そう、優香は、そういった人間たちに、理不尽な報復を受けることとなる。


 「おはよ!」


 同じ二年生の女の子に声をかけたところで定刻となり、土曜日の朝から芝居の稽古

が始まる。


 「優香、もう少しそこ、声張ろうか!」


 顧問の女の先生の、厳しさを湛えた指導。大学では何度も公演を行っている演劇部

に所属していた経験をもつ先生は、才能に恵まれた優香であっても褒めることはほと

んどなく、あくまで経験者としての視点で叱咤する。


 前向きな優香は、先生の熱のこもった姿勢が好きだった。


 厳しく教えてくれることが、指導者としての思いやりなんだと改めて彼女を通して

思い知った。


 優香は助言が苦手だった。自分が出来ていることを偉そうに振りかざしているよう

で、それがどうしても憚られる。


 一度、同じ部員に助言した時も、あからさまに不機嫌になられたこともあって、そ

の時も少しだけ胸が痛かった。


 誰かの愚痴を聞くのは得意だった。優香は、助言が苦手な性質から相手の言うこと

にいちいち口を挟まずに、程よく相槌を打ちながら静聴することが出来るから。正

直、自分の意見など、誰にも言えずに生きていけたらいいのにな、と思っていた。


 自分に持っていないものを先生は持っている。だからこそ、優香はそんな彼女に惹

かれるのかもしれない。


 もし、先生みたいに、捌けたような性格で自分の意見をハッキリということが出来

たら、この先、これから何年先もの未来で、抱えきれないくらいの大きな後悔を背負

うことなどなかっただろうに。


 この年の秋、優香に不幸が訪れる。


 「俺と、付き合ってくれないか?」


 そう言われて交際を始めたのは大学生の樫木健次郎。大学生との交流もある優香の

部活では、よく親睦会をしていて、彼とはそこで知り合った。目つきが悪く恰幅のあ

る彼を最初は恐れていたが、そのお調子者で言いたいことはハッキリという性格は、

優香にとっては魅力的に映った。


 幸せだった。


 優香の演劇の日は、自分の部活を無理に休み、市民会館までよく来てくれた。その

晩には必ず褒めてくれた。


 いい男だった。


 それだけに、彼に対するショックは大きかった。


 いつものように、公演を終えた夜。


 呼び出された公園で、樫木に突然を手を引かれ、


 ファーストキスをした。


 そして、その場にいた他の男子たちに、身包みをはがされ、身体の自由を奪われ

て…。


 最低最悪の転機が、優香に訪れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る