第4話 76億の孤独な神にハレルヤを


 …この身体は永遠のなかで、ひとつの借りものでしかない…

 …幸福も不幸もなく、ただ流れる時のふちで、それは時でさえもない…


 奇妙な思考が、ふいにマチの脳におそいかかった。それは、木霊のようにひびく何億という意識の塊。



 周囲の声が引いていく。まるでモヤにかかったように、声が遠ざかる。

 くぐもった男の声と老婆の声。


 なに?

 これは、どうしたの?


 ふいに、脳髄に激しい痛みが……


 キィーーーーーーーーーン

 金属音。

 いつまでも鳴り響く不快音。


 恐ろしい耳鳴りに頭を抑える。

 脳の根幹で、何億というシナプスが駆け巡る。


 身体が熱く、ゆっくりとほどかれていく。

 震え、硬直し、弛緩する。

 マチは下半身に触れ、奥へ奥へと進む。


 マチのこころは広大な宇宙に、神秘に無防備のまま放り出される。


 意識は遠く、長い長い螺旋らせんを描いて昇っていく。




 ―――マチはもうマチではない



    意識が、記憶という名の歴史が私となる。




 それは遠く永遠に




      マチは静かにほほえむ。



 これは、誰の意識?


     マチ、それとも、アメ。


 いや、もっと多くの数えきれない……



     ワ

     ・

     ・

     タ

     ・

     シ




 わたし……?


 私?


 これが、私?


 そう、すべて、ワタシ!



 マチはアメであり、別の女であり、別の男であり、そして、多くの名を持つ、名も持たぬ何者か。王であり、王女であり、貧しい人であり、女であり、男であった。



 自分の身体の意味を、生を、命を理解する。


 自分のからのワタシのなかに、私が、多くのワタシがいた。


 なんども繰り返し繰り返し、産み、育ち、そして、永遠の時を流れて行く。


 記憶……、

 膨大な記憶に触れ、

 さまざまな思考を念じて…


 ワタシは時を理解した。


 20万年前に生まれたミトコンドリア・イブの私、そして宇宙に飛び出した私。


 滅びかける地球で最後の時を選ぶ私。


 私は、そこにいた。

 過去と同時に未来に存在する有機体。


 現在という意識は意味のないもの。それはすべてが現在であり、すべてが現在にない。時は存在しない、螺旋状の長い繋がりでしかない。


 老婆が騒いでいる。


「マチさん、どうしたの?」


 男が驚いている。


「アメ、どうした、お母さん、救急車を、すぐ」

「ええ、そう、救急車を」


 この人たちは理解していない。

 宇宙の仕組みを、転生を、意識を……

 いや、彼らは私の一部でしかない。


 私はすべての時間を共有し、すべてのワタシを共有している。



  可哀相で、哀れな私。


       私は神なのだ。


 全てであり、孤高なる存在というわけか。



 多くの意識の集合体である私は、ひとり。

 孤独な宇宙の波間に産みだされた、たったひとりの私。


 孤独に耐えきれず、絶望のふちで、

 多くの私を解き放ち、その中で溺れるように生きる私。


…なんという虚しさなんだ…


 ワタシは私とわたしで無益に争い、愛し合う。


 だが、それは、ひとつの存在でしかない。

 分解し、地球に散らばった、意識でしかない……


    私は理解した。


   存在したくない、と。



 私は、ひとり…、たったひとりで存在したくない。膨大な時と広大な宇宙で探す人もいない意識の集合体。


 ひとりの愚かなまよい子。


 誰か、私を見つけよ。

 誰か、私を助けよ。

 誰か……、ただ、私を抱け!


 私はワタシを分ける、ひとりを忘れるために……



 地球の76億の意識のなかに孤独を散りばめ、


……心をまぎらわす。


 そう、ワタシは私しかなく、唯一の存在。

  

   76億のたった一つの孤独な神に、


       ハレルヤを!


(つづく)

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