第2話 実家の母が来た!


 実母は間の悪いときに、見事に我が家を訪れる習性を持っている。


 今回でいえば、たまたま私と意識を交換したマチが、私の家で混乱の極みにあったとき、母が玄関のドアを開けたのだ。


 この組み合わせは非常にまずい。


 だって、うちの母は生まれながらの天然。

 まさしくナチュラルボーン天然。


 可愛いいといえば可愛い母だが、どうにもこうにも、いい意味でも悪い意味で世間ずれしていない。箱入り娘がそのまま婆さんになった。


 その上に私の父が母を甘やかしすぎたこともある。なんせ、父と母とはひと回り年齢が離れていたから。何事も自ら解決すること鼻から捨てている母が、その日、我が家の玄関を開けたのだ。


 中にいるのは意識だけ転生してきた戦国時代のマチで、455年の時をいっきに飛び越して混乱の極みで佇んでいた。


 母はおっとりと玄関のドアを開けた。


「ねぇ、アメちゃん、います? 今日ね、お母さん、とっても大変だったの。お水ちょうだいね」


 母の人生7割方は、どうしようもない大変なことで満たされている。

 母は、トコトコとリビングに入り、冷蔵庫のドアを自由に開けて水を取り出した。


「あら? いないの? アメちゃん」

「お前は誰だ!」


 たとえば、これが私の姑オババだったら、マチは警戒しただろう。オババは身体も大きいし迫力がある。しかし、母ときたら、どんなヘボ詐欺師でも、こりゃカモだと思うような女なのだ。


 で、マチは母を侮った。それに、戦国に生まれた女だ。まず先制攻撃を試みた。この見知らぬ人の良さそうな老女にすごんだのだ。


「お前は誰だ!」と。

「あら、アメちゃん、やっぱりいたじゃないの。お母さんね」という言葉に、

「お前は誰だ!」と、マチが再び声を荒げた!


 母は目をしばたき、それから、自分のシワの多い手を見て、もう一度、マチを見た。そこに自分の娘がいると確認したようだ。このとき、おそらく想像だが、母のなかに一抹の疑念はわいた。だが、しかし、まだ娘であることは90%信じていた。


「アメちゃん」

「私は、そ、そ、その、アメとかじゃない!」

「え? アメちゃんじゃないの」


 私は母を、よ〜〜〜く知っている。ものすごく知っている。いや、母以上に母の行動が読める。


 そして、まさに、私の母は、私の母らしい行動をした。

 なにせ、世界の名だたる詐欺師からヘッポコ詐欺師までカモ認定するお人好しなのだ。


「あらあらあら」と、母は言って、そして、床に正座すると、丁寧に頭を下げたのだ。


 この瞬間、目の前にいる女が娘である確率90%から50%に低下した。だから、一応、疑問に思いながらも、ちょっと考えたようだ。


「これは失礼いたしました。あなた様は娘に瓜二つでございまして。本当に失礼を。わたくしはこの家の娘の母でございます」


 いや、娘だから。

 そこに立って怒鳴っている女は顔と身体は間違いなく私だから。その上、娘なら当然、それは母親であって、あらためて紹介するものでもない。


「それで、あなた様はどちら様でございましょうか」

「わたしか」

「そうでございます」

「マチだ」


 マチは警戒心を少し解いた。ともかく、奇妙な格好をしているが老婆だ。恐れることはないと思った。


 彼女は戦国時代の女性教育を受けた素直な女だった。それに、母のその姿に、もしかすると、庶民ではなく偉い人かもしれないと思ったのだ。母の姿は奇妙だが、戦国庶民が着る汚れた着物じゃない。いや、むしろ派手。ついでに言うと、最近の母の洋服は色がカラフルだ。


『お婆さんが灰色の服を着ていたら、それこそ老けますでしょ』ってのが母の意見。きっと、誰かの受け売りにちがいない。


 だから、マチも正座して頭を下げた。


 丁寧に正座し挨拶しあう母と娘。他のものがみれば、実にシュールな状況であったろう。


 さて、母の挨拶は長い。年をとって時間が長くなったのか、行動がゆったりだ。

 マチといえば、かってがわからず、年上を尊重することが染み込んだ戦国の女、だから、頭を先にはあげれない。


 そうして、二人は、長い間、お互いを伺いながら頭を下げ続けた。


「それで、あなた様はマチ様ですか」


 マチは正座のまま、手をついてうなづいた。


「あらあら、お茶も出さずに。ちょっとお待ちくださいね」


 母さん、ちっとは驚け。どう見ても娘でしょうが。しかし、母はいそいそと立ち上がるとお茶の準備をはじめた。


 水道口から水をだして、ヤカンに水を並々と注いでいる。それをみてマチは腰を抜かした。


 そして、ヤカンを乗せるとガスレンジに火をつけた。


 パチっという音とともに火がついたのだ。マチの驚愕は頂点に達しようとしていた。


「そ、それは、火が、火が」

「お湯をわかしてるんです」

「火が……」


 マチは言葉を失った。母はヤカンを持ち上げると、引き出しを開けて急須と湯のみを取り出した。

 一連の動作はなれたもので、この人の良さそうな女はまったく動じていない。この環境を不思議と思わないのかと、マチは混乱の極みにある。


 わかる、そう、今の私ならマチの混乱は理解できる。戦国時代に水道はない、ましてガスレンジなど見たこともないだろう。


 今日、唯一といっていい幸いなことは、子どもはその日、友人宅に泊まる予定が入ったことだ。その連絡を何度もラインにいれたが、母親から返事がこないことを軽く訝しんだ。が、いつも通りに何も考えず放っておいた。


 そして、夫が帰ってきた。


 自宅では、妻とその実母がテーブルを使わずフロアに正座して、お茶とお菓子を食べている姿を見た。ちょっとだけ、夫は帰ってきたことを後悔した。


(つづく)

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