第14話 パンデミックのなかで

 ようやく国際保健機関が、黒い物体に対する緊急事態宣言を出した。いわゆるパンデミック宣言だ。ボクが知る限り都内では三万人ほど、国内では十五万人ほどの患者がいるから、宣言を出されても今さらだった。

 発表のタイミングが一番悪かったのは政府だ。特に感染する可能性があること、感染経路がわからないことを伝えたのはまずかった。


 それ以来、少なくとも都内のようすは様変わりした。


 一番変わったのは街の様子。ちょうど五年前のコロナ渦のときとよく似た雰囲気だ。普段よく行く繁華街やお店が全て閉まった。『空気感染するかも』などというデマも流れたため、台風が来たときのように窓を打ちつけてしまって完全封鎖する家庭も多い。


 病院として困ったのはパッシングだ。


『最初の患者はあそこから出た』という噂はあっという間に広がった。


 ボクらとしては事実のことだったし、あえて否定しなかったんだ。それが悪かったのか職員のなかには見知らぬ人に暴言を吐かれたり、投石されたケガをした看護師だっている。


 クッソ! 苦しんでる人たちを助けて何が悪いだって言うんだっ!


 冷たい世間のことはとりあえずおいておく。

 それよりもボクと加藤の当面の課題がある。

 診療データを解析し、犯人の手がかりをゲットすることだ。


 『何かの光』や『なんか突き抜けた』と患者がよく言っていた。その方角さえわかればいい。

 データは問診のやりとりを記録した音声データと、電子カルテ、患者や家族が書いた問診票の三種類あるんだけど……。


「ところでなんでボクがいちいち一枚一枚、目でチェックしてるわけ?」


 ボクが見てるのは問診票とカルテ。かたや加藤がチェックしてるのは音声データだ。


「え? だってカルテも問診票も患者さんの個人情報満載でしょ? 部外者の俺が見れるわけないし」

「はあ? 何寝ぼけたことを……。用もないのに出入りしてる癖にさ」

「用があるから来てるのに……」

「あんたの治療は終わったでしょう? メンテは整形外科の先生がやることになってるし」


 コイツが来ると調子狂うんだ。来なきゃ来ないでイライラするし。


「えー? いいじゃないか。どうせ患者さんいじめてるんだろ?」

「ボクは事実を伝えてるだけだぞ。他のドクターが言えないことを伝えなきゃならんし」


 病の告知。これ、難しいんだ。特にガンや難病の告知はね。

 ドクターの中にははぐらかしてしまう人だっている。それじゃイカンと思う。だって患者が病に向き合えんじゃないか! 病と闘うという気にならなかったらダメだ。ボクらができることは治るのを手助けするだけ。あくまでも患者自身の力が大切。

 病理検査の結果として、ボクはありのままを伝えている。病気と戦う決心を持ってもらうためにな。


「熱くなるなよ、サーヤせんせ。治療を受けたんだからわかる」

「ちっ、わざと話をそらしたろ。どうして加藤が音声データの検索で、ボクがカルテと問診票目視なんだよ! 音声データっていってもテキスト化したデータを検索するだけの簡単なお仕事じゃねえか」

「加藤? 誰それ?」


 ちくしょー。揚げ足とりやがって。今に見てろ。

 悔しさ半分と気恥ずかしさ半分でボクの体感温度が上がる。


「……テツロー」

「はい、よくできました、サーヤちん」


 ボクは子どもか? あんたに頭を撫でられても何も出ないぞ。

 ……その、なんだ、意外と気分がいいけどな。


「で、サーヤちんは俺が自分より楽な仕事をしてるから頭に来てるんだろ?」

「ああ、そうだ。何枚あると思ってるんだ? 黒いブツにやられた患者は四百人はいるのに」

「四百枚程度のチェックなら半日あれば終わるって」

「……適当なことを言うな。自分は人工知能使ってるくせに」


 と、口を尖らせる。目視だって疲れるんだ。


「ん? このプログラムはサーヤちんが書いたものを流用してるだけだけど? 俺は都合に合わせて調整しただけ」


 くっそ! 確かに学生時代に音声データからテキストを起こすプログラム書いたよ! 研究結果をまとめるのが面倒くさかったからな。どうしてそいつを加藤が持ってるんだ。


「お! あったあった。で、サーヤせんせの方はまだかな?」

「くっ……。まだだ」


 おのれ! 煽ってくるし。イラついたボクは鬼のように書類を漁る。


「そうそう、最初からそのペースでやればいいのに」

「ふん、少し黙ってろ。必ず見つけ出してやる」


 チェックしている書類から、『光』や『突き抜けた』などのキーワードがあるものをブックマークしてしていく。紙の場合は付箋だ。細かいことは後で確認すればいい。とにかく数をこなすことだけを考えて、ボクは書類を見まくった。


 ※  ※  ※


「……疲れた」


 終わったのは病棟の消灯時間近くになってからだ。何が半日で終わるだ。もうヘトヘトだぜ。


「燃え尽きてる場合じゃない、サーヤせんせ」


 薄情にも次の仕事を言いつけようとする加藤のバカ。おのれ、あとで報復しちゃる。人工眼球に悪夢のデータでも入れてやろうか。


「もう疲れた。帰る」

「そんな時間はないんじゃないかな、サーヤせんせ。こうしてる間にも患者は増える一方だし」

「ちぇ、お腹減ったのに……」


 実際、まるっと十三時間は食べてない。腹に入れたのはコーヒーだけ。


「まあまあ、終わったらおごるから」

「なんでもいいんだな!」

「ああ、いいぞ」


 タダ飯! それもなんでも食えるっ。


「よし! 約束だぞ、加藤」

「ブー」


 細かい奴だなあ。いいじゃん、ここまで徹底しなくてもさ。

 しょうがないタダ飯のためだ。


「て、テツロー、約束だ」

「いいだろう、ちゃんとやってくれ」

「言われなくたってやる! やってやる!」


 ボクが調べている間、加藤も手を動かしていた。その辺は真面目。自分だけのんきにコーヒーを飲んでたりでもしたら、怒って帰るつもりだったんだけどな。


 二時間ほどかかってようやく共通点を見つけた。


「……これ、全員方角が一緒だ」と、ボクが問いかけると、

「そうだな、真上からだと思ってたけれど、これ海上からだ」


 意外な返事が加藤から返ってきた。

 真上ってことは、最後まで天文現象かもって、思っていたのか。


「どうして真上からだと思ってたんだ?」

「観察できないところで、そんな大イベントが起きてたら面白いかなって。それはそれで発見だからね」


 ……。こいつ、内心ワクワクしながら作業してたのか。

 どおりで静かに集中してたわけだ。仮説を立てながら作業するのは楽しいからな。


 半分呆れながらも、ボクは少し安心した。


 患者が倒れた時の位置情報や救急の情報からわかったことがある。

 まだ感染がはじまる初期の頃、この病院で治療した患者のすべては、東京湾方面から得体の知れない光を浴びているという事実だ。


 患者のいうところの『何かの光』が直撃したのは十二名。

 これがうちの病院の初期の患者。その後増えていった患者は初期の患者の関係者、つまり接触者ばかりだ。その接触者からねずみ算のように感染していった。


 ようやく一部が見えてきた感じ。感染源に近づけたんだ。

 感染源が叩くことができれば、これ以上の被害を出さなくて済む。


 ただ切って、取り出しての繰り返しではらちがあかない。


「これ時刻も同じくらいじゃないのか」


 ボクのメモを手に取りながら、加藤が言う。


「そうだね。確かに二十三時頃だ」


 最初の患者が来た日。

 その前日の夜、何があったかもう一度確認する必要がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る