第8話 マイクロブラックホール

「ありえないだろう! そんなブラックホールが人体に入るなんて」

「加速器を使った分析だと、黒い物体自体が微小なブラックホールだ」

「そんなの存在するはずないだろ。そもそもブラックホールって宇宙にあるんだろ?」

「そりゃそうだけど」

「なんで宇宙にあるもんが、体ん中に入り込んだんだ? いろいろおかしいだろ」


 ボクは加藤のバカに詰め寄った。専門外のボクにだって、あんなバカでかい天体が人の体に入るなんて荒唐無稽だってわかる。


「……理論上は非常に小さなブラックホールがあってもおかしくないんだ」

「それは理論だろ? ボクは現実を話しているんだ」

「一般相対性理論では小さなブラックホールの存在を否定してないよ。観察されているブラックホールができるまでの過程は、ある程度わかっている」

「恒星が死んで中性子星になって、さらに圧縮が進むんだろ? そのくらい知ってるぞ」

「ああ。それは現在、観測されている範囲でだね」

「つまりわかってる範囲ってことだろ? 回りくどい言い方だな」

「しょうがないじゃない。俺の専門だとそう言うんだ」


 バカ加藤の専門は理論物理だったな。めんどくせ。こいつ、自分の専門となると滔々と話し始めるからな。長くなるぞ。


「でも量子サイズのごく小さいブラックホールは存在するんだ」

「あるわけない。現実に観測されていないだろ?」

「いや。ビックバン直後には多くのマイクロブラックホールがあったんだ」

「なんでだよ」

「ビックバンっていうのは知っての通り、宇宙の始まりだ。すごい高エネルギー状態だったおかげでマイクロブラックホールが生まれたんだ」

「ビックバンなんて百三十八億年前じゃねえか! どうしてそれが今あるんだよ」

「サーヤせんせ、最後まで聞いてよ。ほんとせっかちだなあ」

「うっさい、よけいなお世話だ」

「はいはい。ビックバン直後のマイクロブラックホールは自然消滅したって考えられてるんだ」

「どうしてだ? ブラックホールの寿命はえらい長いと聞いたことがあるが」

「そう、ブラックホールには寿命がある。自然と熱を出してるからね。簡単にいえばブラックホールは大きいほど寿命が長い」

「じゃ、小さいほど寿命は短いってことか? バカ加藤」

「そういうこと。だから今、見れないのさ」

「その観察されていないマイクロブラックホールが、どうしてあるんだ? もうなくなったんだろ?」

「超ひも理論、つってもサーヤちんにはわからんよね?」

「なんじゃそりゃ?」

「世界は大元はひもが振動してできてるって考え方さ。ま、数学的なモデルだね。それだとマイクロブラックホールなんてありふれたものだって説明できる」

「数学的な遊びだろ? ただのモデルじゃないか!」

「重力をふくめてちゃんと説明できるモデルだよ。サーヤちん、ちゃんと説明できるほうが好きだろ?」

「そ、そりゃあ、まあな」


 おのれ、バカ加藤にボクの好みを知られてるなんて屈辱だ。顔に血がのぼっていくのがわかる。


「あれ? どうしたのサーヤせんせ。顔が赤いよ? 俺の知性に惚れた?」

「あ、頭に血がのぼっただけだ、バカ加藤。それより超短ひもなんとかモデルと、黒いブツがどう関係してるんだ?」

「なに、その超短ひもって……なんかエロいんだけど。溜まってるの。サーヤちん」

「あ――うるさいうるさい。揚げ足とるな。だから説明しろって言ってる」


 どうしたんだ、今日のボクは。こいつからのツッコミを楽しんでいるなんて。どうしてこのバカと話してると楽しいんだ?

 ええい、そんなことはどうでもいい! 今は黒いブツの正体を知ることが一番大切だ。


「う〜んと具体的な話をしよう」

「最初っからそうしろよ、バカ加藤」

「この黒い物体が超マイクロブラックホールだと思うのには理由が三つある。まず第一点、通常の体組織を巻き込んで消してしまうこと。第二点、大きさによって引きつける力が違うこと。そして最後に表面が硬くて刃物じゃ傷つかないことだ。だから最初にこの黒い物体を見たとき、マイクロブラックホールかなっと思った」

「なんで話してくれなかった?」

「知ってるだろう? サーヤちん。俺は物理屋だぜ。確証がないんなら実験してみるだけさ」

「それで加速器を使ったわけか。で、なにかわかったか」

「加速器を使って試してみたのは対消滅さ」

「しょうめつ?」

「ああ。ビックバン直後にはマイクロブラックホールが一杯あったけど、自然消滅したって話したじゃない。それと同じように黒い物体を消滅させてみたんだ」

「け、消せるのか!」

「可能だよ。ブラックホールにも寿命があるって話をしたよね。ブラックホールの周りには膨大なエネルギーが集まるから、そのエネルギーを糧に粒子と反粒子が生まれたり消えたりするんだ。粒子が消えるときにブラックホール本体に引きこまれるものと、反対に出ていくものがあるんだけど、そいつがブラックホールの力を奪っていくんだ」

「待て、ということは宇宙にあるブラックホールはほんとは光ってるってことか?」

「サーヤちん、いい質問だね。そのとおり。ごくごくわずかに光を放ってるんだ。ホーキング放射っていう」

「ところでなぜ光ってることが、ブラックホールの力を奪うことになるんだ」

「『エネルギーは質量に変えられる』アインシュタインの発見した法則さ。光ることで徐々にエネルギーを失っていくのさ。天体だとエライ時間かかるけれども」

「じゃあ……」

「黒い物体の対生成を促進した、つまり反粒子と粒子を大量にぶっつけてみたのさ」


 う〜む。壮大な話だ。ほんとバカ加藤は専門分野にかけては一級だな。


「どうだった? 消えたのか?」と、期待をもって尋ねてみる。

「消えたよ、だから確証が持てた」

「やったね! さっそく臨床に……」

「サーヤせんせ、あせりすぎだろ。いいか、加速器のなかは特殊な環境だぞ。とても人体に加速器のビームをあてたいと思わん」

「ちっ……」

「舌打ちすんなよ。なんだよ口とんがらかして。拗ねてるのか?」

「そりゃあ残念だからな」


 わかったのは黒いブツがマイクロブラックホールらしいこと、消せることだ。実験室でできても、臨床の現場で使えなきゃ意味がない。ただ黒いブツの正体がわかったことで、少し安心した。


「まあまあ、これからどう対応していくつもりだ?」

「う〜ん。これから考えてみる。まさかブラックホールだとは思わなかったし」

「そうか」

「こっちも考えなきゃならんことがあるんだよ、サーヤせんせ」

「まだなんかあるのか? バカ加藤」

「これがブラックホールなら、どこから来たか調べなきゃ。もし消すことができても、何度でも繰り返して来るようなら問題でしょ?」

「あ〜。元から絶たなきゃダメか……」

「そうだよ」


 マイクロブラックホールに驚いてばかりいられない。切りまくるのは楽しいけど、解決にはならない。どうしてくれようか。


 加藤は何やらブツブツ言ってるし、ボクはボクで机をとんとんと叩いて考え事に浸る。


「ふぅ」と、自然とため息が出た。


「沙也加くん、いるかー」


 沈黙を破ったのはハゲだ。

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