第5話 病理検査

「うむ、どうしたものか」


 と、ひとりごちた。目の前にあるブツをどう料理しようかと悩んでいた。

 体組織を顕微鏡でみるためには、薄くスライスしなくてはならないんだが、メスを近づけることさえできないからな。うんうん、と考えたあげく、ボクが思いついたのが、これ。


スライサーだ。ま、平たく言えばカンナだな。


 本来は細かく分割した組織から標本を作るために使うんだが、メスが支えなきゃどうしようもない。ちょいと調整して、ザクザク削れるようにしてみてる。


「せんせ、サーヤせんせ、いる〜?」

「ああん、なんだ? 加藤。明日だって言ってただろう」


 こっちはまだ標本すらできてないつーの。


「汗だくになって何してるの?」

「うっさい! 見ればわかるだろ、切ってるんだ」

「切ってるって……。標本作ってるんじゃないんだ」

「しかたないだろう。メスなんかじゃブツに吸い寄せられちゃうんだから」

「ブツって……ああ、この黒い奴か」


 加藤のバカ、指さしたのはいいが危うくブツに触りそうに。


「バカ! 触れるな。検体が汚染されるだろ」

「ひどいなあ、サーヤせんせ。俺の方が汚染されたらどうするんだよ」

「知らん、そんなの。自己責任だろ」


 脇でゴチャゴチャとうるさいな。


「あのさ、こっちは忙しいんだ。あんたみたいに暇じゃないんだよ」

「今日は外来ないんじゃないの?」

「ないけど、それが何か? 患者の相手ばかりしていたら、標本作れないじゃないか」

「標本って……。そこにマシンあるじゃないか」


 いや、使いたくない。あんなマシンなんか。

 脇でホコリをかぶっている標本作成マシンをチラリとみる。


  各種センサや人工臓器、制御のための人工知能が発達したこのご時世に、ボクは頑なに手作業での標本作りを続けている。なぜって意地だ。機材を買ってくれたハゲには悪いけど、ボクは自分の手でプレパラートを作らないと気が済まないんだ。


「マシンなんかに頼るヤツなんてひ弱だ」

「何、前時代的なことを言ってるの。俺に最先端の義手と目をつけたせんせの癖に」

「ふん、千切れた腕と潰れた眼球でボロボロだったからな。どうしようもないから義手と人工眼球つけただけだ」


 組織をスライスしながら、バカ加藤の相手をしてると疲れる。


「ほら、どけ。あとは染色するだけだ」


 顕微鏡で観察できるようにするには、薄くするだけじゃダメだ。何も見えやしない。染色してはじめてプレパラートが完成する。ボクは染色マシンのところへ行き、プレパラートをセットする。


「で、明日の何時くらいに結果出るかな?」

「しつこい! できあがったらこっちから連絡する」

「じゃ、こっちで」


 加藤のバカが紙切れを渡してくる。ん? なんじゃこれは。


「おい、なんだこれは」

「あ、それ俺のケータイの番号。じゃ、連絡待ってるから」

「てめえの個人情報なんていらねえぇええ!」


 紙切れを投げつけようとした時には、加藤のバカはもう検査室から出ていっていた。

 

 ※  ※  ※


『これ、扱いに困るな』


 患者の腹の中に残っていたブツを組織まるごとスライスしたのはいい。

 黒い粒が無数にあるぞ。かなり前に流行ったタピオカっぽくなっている。きもい。

 粒を切ろうとしても、メスにくっついてしまう。しょうがない。久々に実体顕微鏡を使うか。こいつならブツを見ることができるはず。


 おもむろに顕微鏡を覗く。


 そこには見たことがないものが拡がっていた。

 ほぼ球体で光沢があるように見える。球体の内部には時々、光るものがある。手術や検査で使うような医療用ナノマシンとはかなり違う。普段、ボクらが使っているものは、体組織になじむように人工細胞を表面に貼りつけてる。

 

 う〜ん。これは新型のナノマシンだろうか。ガンや寄生虫などではない。


「おおい、サーヤせんせ、いる〜?」


 ちっ。うっさいヤツが来た。集中が切れた。


「なんだ、加藤。何の用事だ」

「ちっとも電話くれないから、俺、がまんできずに来ちゃったよ」

「電話も何もこっちは忙しいつーの」

「まあまあ、サーヤちん。ところで例のブツはこれ?」


 と、おもむろにボクの顕微鏡を覗こうとするバカ加藤。


「やめろ、ボクのを覗くな! スケベ」


 大切なボクの顕微鏡をこわされちゃたまらん。加藤と顕微鏡の間に割って入った。と、その時、看護師が入ってきた。ボクと加藤は至近距離で向かい合っている。


「高橋先生、検体お持ち……お、お取り込み中、失礼いたしましたー」


 あわてた様子でそのまま看護師は検査室から出ていく。


「ちょ、ちょっと待て! 誤解だ! 検体置いていけー」


 ちくしょー。妄想たくましい看護師たちのことだ。勝手に『検査室で男を連れ込んでた』なんて噂話をでっちあげられかねない。あせるボクを尻目に加藤のヤツ、勝手に顕微鏡を覗いている。


「こ、こらー」

「いいからいいから。ん? これって人工物じゃないよね」

「たぶん違う。ナノマシンかと思ったが、センサらしいもんがないからな。自然界にもそんなブツはないから困ってるんだ」

「へえ。凄腕で知られるサーヤせんせもお手上げかあ」

「はあ、ボクが凄腕? 他の先生方がいるだろう。わからんもんはわからん」


 ブツの中身さえ見れればわかりそうなのだが、くやしい。


「これ、中、見ないの?」

「はあ? バカか。そもそも切れないんだ。ボケ」

「……これ、重さを測ってみた?」

「いいや」


 珍しく加藤が黙りこむ。さっきまでヘラヘラしていたが、真剣な顔つきになった。


「……どうした? マジメくさった顔をして。ボクのミスでも見つけたか」

「いや、サーヤせんせはミスってないよ。ただ気になることがあってさ」

「気になること? なんだ周りくどいな」

「う〜ん、そうだな。これ、ちょっとうちのラボで調べてみたいから、ひとつ借りていっていい?」


 ん? 加藤のヤツ、このブツについて何か考えがあるようだな、


「ラボ? どっちだ。ケーサツか」


 加藤が所属するラボは二つある。大学と、もう一方がケーサツだ。いちお大学院生だが、訳あってケーサツの科学捜査もしている。頭は切れるんだろうが、性格が気にくわん。


「ん〜。大学のほうかな」

「あっそ、こわすなよ。ハゲに報告しなきゃならんし」

「どうだろ。こわしたらゴメンゴメン」

「はあ? 一応、事件として捜査してるんだろ? 証拠をぶっこわしてどうする」

「記録だけとっておいてよ。サーヤちん。お願い」


 こういう時だけ手を合わせて必死にお願いされても……。


「ちっ。しょうがない。記録は取っておくから、持っていけ」

「サンキュー、愛してるぜサーヤちん」 

「ウインクなんかしやがってきもっ! ちんちん言うなって、何度言ったらわかるんだ」

「へいへい」

「ほら、記録はとったから、持ってけ」


 検体移送用ケースにブツを入れ、バカ加藤に押しつけた。


「じゃ、借りるわ。サーヤせんせ」

「ああ、結果はいつわかる?」

「加速器の空き具合によるかな。最短で二週間ほどかな」

「加速器? 加藤んとこのあの高エネルギー円形加速器を使うっていうのか」

「そういうこと」

「ちょっと待て! バカ加藤、何を考えてる」

「じゃ、俺、急ぐんで」


 こっちの質問には答えずに、あのバカは出ていってしまった。いったい何を考えてるのだ? あのバカ……。

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