第3話 急変

 ブツを取り出した翌日。

 ボクは執刀医っぽく、患者の様子を見に行くことにした。正直、顕微鏡を覗くのも疲れたからな。そろそろ目を覚ましたころだろうし。


 病室に入るとまっさきにボクの視界に入ったのが、救急処置室にいた女と見つめあってニヤニヤしてる患者だ。珍しく気を利かせて様子でも……と思って来てみればこれだ! 腹たつ! 昨夜、こいつのために寝ずに文献漁りしていたボクがバカみたいじゃないか。


「ほら、そこどけ。姉ちゃん」


 イチャついてる女を排除する。


「ちょ、ちょっと何するんですか」

「何をするもなにも、診察しにきたんだが。そうやってイチャついてると邪魔だ」


 ふん、言ってやったぜ。マジうぜえ。


「何よ、あんた。それでも医者なの?」

「そうだが?」

「医者がそんな乱暴な言葉遣いや態度でいいと思ってるの?」

「ふん、付き添いはいろいろ口出しするもんじゃないがな」


『ボクはこうしないといけないんだ』、と心のどこか叫ぶ。


「……。はやく診てあげてよ」

「……ふん。ほら、自分で腹をみせろ」


 ベットサイドにある各種装置をみる。それぞれが指し示すこのチャラ男のバイタルは……。ん? 収縮期血圧が八十後半だが、オペ後だからな。ま、そのうち回復するだろう。

 ついでオペの傷口の様子をみる。昨日、切ったばかりだから生々しいのは当たり前。化膿の兆候はない。


「よし、あとなにかあったら看護師に言え」

「はあ、ありがとうございます」


 チャラい髪をしているが姉ちゃんより丁寧だな。後ろ手で手を振りながら、ボクは病室を出た。


 ※  ※  ※


「あ〜。これで本日分は終わり。目が疲れたぜ」


 日常業務を終えて、いざ帰ろうとした時、業務用ピッチが胸元で鳴る。


『よかった、まだいたか』


 ちっ。またハゲだ。今日は帰って海外ドラマでもって思ってたのによ。


『はい。どうされました?』

『昨日、緊急オペしたやつがまずい状況になってるんだ。ちょっと病室まで来てくれないか』

『わかりました』


 あれ? 午後いったときは何でもなかったのに! つい、即答しちゃったじゃないか。ボクは泣く泣く私服から白衣姿に戻った。


 病室に行くと看護師やハゲがあわてていた。部屋にある機器からはけたたましくアラームが鳴っている。


「大村先生、どういうことです? 午後は問題なかったんですよ」

「ああ、夕食後、急に容態が悪化したんだ。ほら! pVT無脈性心室頻拍だな。電気ショックするぞ。アドレナリン準備しておけ!」


 やばっ! 心肺停止じゃねーか。ザワッと全身に寒気がくる。

 原因はさておき、まずは蘇生だ。


「電気ショック、準備できました」 


 胸骨を圧迫していたハゲに変わって、ボクがショックをかます。ショックをかますたびにチャラ男の体がベッドで跳ねる。何度目かのショックの後、どんなに電撃をくらわせても動かなくなった。蘇生のためアドレナリンが投与される。その間も胸骨圧迫と電撃を繰り返すが、応答がなくなった。機器が示す数値も絶望的となった。


「もういい、沙也加くん」


 ハゲに言われてボクはハッとした。気がつけばボクだけが蘇生させようと必死に処置を続けていたんだ。白衣と下着が汗だくできもい。そして助けられなかった脱力感がハンパない。


 昼間、ボクに喧嘩をふっかけてきた姉ちゃんの顔が涙でグチャグチャだ。

 やめろ! そんな顔は見たくない。思い出したくもない!

 その場にいることがいたたまれなくって、ボクは病室から出た。


 気がついたら病理検査室にいた。

 人の気配がした。

 ハッとしてボクはドアのほうをみると、男が立っていた。


 加藤だ。


「サーヤせんせ、どうしたの? 顔がなんだか濡れてるよ」


 ああ、そうか。ボクは泣いたんだ。


「うっせ、バカ加藤……」


 か細い声でそう言い返すのがやっとだった。


「サーヤせんせ、患者さんはどうなった?」

「明日、遺体解剖する……」

「遺体解剖? 死んだの?」


 黙ってボクは頷く。


「だからか元気ないのは……。それはさておき、明日の解剖、立ち会ってもいいかな?」

「どうせ断われないんだろ」

「当然! 察しがいいね」


 あっそ。もうこいつの相手をするのも疲れたわ。帰りたい。


「というわけで、今日のところは帰る。そこをどけ!」

「まあまあ、サーヤせんせ。たまにはメシでも」

「うっさい!」


 あー。マジうぜえ。メスぶっさしてえぇえ。

 クスっと押し殺したような笑い声がした。


「なんだよ、加藤。気持わりぃ」

「いや、ほら。元に戻ったよ……よかった」

「なんだよ、ため息なんかついて気持ち悪い。ボクはもう帰るんだ」

「はいはい。サーヤちゃん」


 なんか言ったようだが、ボクはもう廊下に出てしまっていた。もう頭は明日の解剖のことでいっぱいだ。

 ボクの予想だと患者の中にいたブツはまだあった。全部取り切れていなかったんだろう。


 ミスだ。その場しのぎに処置したボクを殴りたい。


 ふり返って夕日に染まる病院をみた。妙に白く輝いていて墓標のように見えてしまった。

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