第2話 緊急オペ

 さて緊急オペだ。前処理はハゲにまかせ、とっととボクは外来を閉めてこよう。

 外来に病理診察がある病院は少ない。通常、病理医は顕微鏡を覗いて、異常のあるなしを他のドクターに報告するのが仕事だ。たいてい検査室の奥にいて、患者と向き合うことはしない。


『うちで働かないか?』

『病理医が直接患者に説明するのがいい』


 そんな戯言を言って、ボクをこの病院に雇ったのがハゲこと大村副院長だ。だからボクは彼に逆らえない。

 と、言いつつも逆らいまくってるが。院内でハゲ呼ばわりするのはボクだけだ。ハゲのほうが妙になれなれしくしてくるから、気持ち悪い。ボクは女扱いされるのが大嫌いだしな。


 診察室に入ったら、バカがもう一人いた。


「よう、サーヤせんせ。お帰り」

「ほらどけよ、クソ加藤。これからお楽しみなんだから」

「お楽しみ? ああ、手術ですね。『人間より臓器が好き』なんて、目をハートにして言う変態なんだから」

「ああん? クソ忙しいのにケンカ売ってるのか? その変態に助けられたのは誰だ!」


 実際のところ、ボクはこいつを助けた。助けたからっていつまでも金魚のフンみたいに付いて回りやがって。


「そりゃあ、この目と右腕を付けてくれたから助かったさ。感謝してる」

「ふん、そんなの作り物の目と腕じゃないか。生体を直したわけじゃないぞ」


 事故で運ばれてきたこのバカは目と右腕が潰れていた。どうしようもない状態だったから、ボクは人工眼球と義手を選択した。人工知能と生体工学が進んだとはいえ、医者としては負けた気分だ。


「しかたなかったじゃない。愛してるぜ、サーヤせんせ」

「きもい。用事があるから残ってたんだろ? さっさと要件をいえよ」

「来たんでしょ? 腹に孔が空いた救急患者さん」


 そら見たことかと得意気な表情の加藤を見てると、腹が立ってくる。どうして知ってるんだ? ここで動揺したら負けた気分だ。それはくやしい。認められない。


「ふん、だからどうした? これからそいつのオペだ。遅くなるから帰れよ!」

「そのオペ、ちょっと見学させてもらっていいかなあ」

「はあ? また警察権限で口出すつもりじゃないだろうなあ」


 昨今のケーサツはめんどくさい。何らかの事件の可能性のある重傷者の手術まで口を出すようになりやがって。


「そうだよ、もう大村先生には話通してあるから」

「……ちっ。勝手にしろ」


 もういいや。めんどくせ。

 わざと加藤に肩をぶつけると、ボクはオペ室へ急いだ。


 ※  ※  ※


 オペ室に着くなり、機器たちのアラーム音が聞こえてきた。

 ボクの心臓もドクン、と跳ねる。


「おお、加藤くんはこなかったのか?」

「話、通してるとかなんとかって言ってましたが……」


 こちらの方を見ることなく、黙々と処置をすすめていくハゲ。メスさばきといい、針さばきといい、いつもながらスゲー。これで内科医なんだからもったいない。

 ハゲの手技に見とれていると、全身黒づくめの男が入ってきた。


「切らないの? サーヤせんせ」

「か、加藤! どうしてここに?」


 オペ中にもかかわらず、素っ頓狂な声を上げてしまった。看護師たちの視線が痛い。さすがにオペ中だからな。


「どうしてって、依頼した案件だし」

「依頼? ボクは受けた覚えはないぞ」

「お願いしたのは副院長のほうさ。サーヤせんせ、うん、って言ってくれないから」

「……ちっ」

「ほら、集中しろ、集中!」


 卑怯だぞ、って言いかけたところを、ハゲに止められた。

 見ればハゲの手が止まっている。


「先生こそどうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも……。これを見てくれ、沙也加君」


 ハゲが指差した場所。

 それは”空虚”だった。本来なら肝臓やら血管からモロモロが詰まっている場所。本来あるべきものの代わりにあったものは”空虚”としか表現できないような漆黒だった。


「この黒いのはなんだ? 肝臓はどこに行ったんだ」

「なんでしょうね、これ。臓器ではないですね。きゃっ!」


 ソレを鉗子で触ろうと手を伸ばしたとき、非常に強い力を感じた。鉗子ごと、腕まで持っていかれそうな力だ。


「どうした? 君らしくもない。いつもの曲をかけようか?」

「い、いえ。結構です」

「そうか、気持ちが落ち着くのに……」


 ハゲは手術中にレクイエムかけやがるからな。きもい。

 オペ中に集中するために音楽流す御仁は多いけど、さすがにレクイエム死者のためのミサ曲はまずいだろ?

 心にダメージを受けたので、反撃しちゃる。まずは目の前の意味不明な物体Xをハゲに始末させよう。ここは上手くおだてなきゃ。


「大村先生、ここは先生におまかせします。ボクは周囲の血管を処理しますから」

「いや、ここは加藤君が沙也加くんに切ってもらいたいようだから、君に任せるよ」

「ちっ……」


 こっちの舌打ちを聞いてないふりをして、ハゲはメスをこっちに渡した。

 場所を入れ替わって、改めて漆黒のブツをみる。表面上はツルンとしている。大きさは五センチくらいで球体状をしている。メスを近づけると、さっきのようにやはりひっぱられる。磁性があるんだろうか? 今度は指先を近づけてみる。これもひっぱられる。この調子で周辺の組織を食っていったんだろう。でもこれは新生物がんなんかじゃないな。きっと外から取り込んだもんに違いない。

 そう判断したボクはブツを除去することにした。


「これ、外からの異物だと思うので切除しますよ。こいつが諸悪の根源だと思うんで」

「おお! 沙也加くんの見立てだと外部のものか」

「組織検査しないとはっきりわかりませんけどね。とりあえず切ります」


 ブツに近づくものはひっぱられる。しかたないので周辺の組織も一緒に切除だ。


「ちょ、ちょっと。沙也加君?」

「はあ、うっさいよ。ハゲ」


 こっちは動脈ぎりぎりで絶賛切除中だっつーの。


「健康な組織まで切り取るつもりか」

「そうです、こいつの正体もわからんし。だいたい直接触れそうにないので」


 直接触れることができない、ってセリフが気になったのか、ハゲのやつ直接指で触れようと手を伸ばす。


「わっ、な、なんだこれ」


 と、慌てて手をひっこめた。

 邪魔だよ、ハゲ。視界にきもいもの出すなよ。


「ほら、取れましたよ。収穫終わり」


 ハゲがびびってたおかげで、血管を痛めずにすんだ。肝臓周辺は肝動脈や下大静脈がすぐそばにある。肝臓や周辺組織をほとんど失ったとはいえ、大きな血管は幸いにも無事だった。それらを傷つけると大出血になっちまう。だから手早く処置した。


 トレイに載せたのは黒いブツと巻き込まれていた周辺組織。

 これからこいつを病理の組織検査にかけちゃる。覗いてやる!


「ほら、ハゲ。ホルマリン持ってきて」


 突っ立てる目の前の上司をこき使う。

 『ナマ』は組織検査できない。ホルマリンに二十四時間、組織を浸す必要がある。なぜってナマだと染色がうまくできないからだ。植物と違って動物の細胞はナマだとあまり見えないからな。


 切れる範囲で適当に分割して、ハゲが持ってきたホルマリンを注ぐ。よし! これで今日は終わりだ。


「大村先生、これ、肝臓の他にも組織とってるからよけいに請求していいですよね」


 ブツをタッパに詰め込みながら、ボクはおねだりをしてみる。できるだけ可愛い声を出して。


「あー。いいんじゃないか。沙也加君はあいかわらず手技が巧みだなあ」


 やった! 単価アップ! たまには可愛い声出してみるもんだ。心の中でガッツポーズ。

 病理検査では臓器数によって単価がぜんぜん違うからな。三臓器分、とっちゃえ。


 と、ルンルン気分でいると、脇から嫌な奴が口出ししてきやがった。


「サーヤせんせ、さすがです。で、結果はいつわかります?」


 ちっ。現実に引き戻されたじゃねーか。


「うっせ、加藤。いつも最低でも三日待てって、前々から言ってるじゃないか」

「え〜。三日も待つんですか? 俺も現場報告書が……」

「てめえの都合なんて知ったことかよ! ほら、三日後に来い」

「ひどいなあ、サーヤせんせは」


 シッシッ、とオペ室から加藤を追い出すと、ボクは病理検査室へ今日の収穫物を持っていった。

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