きみと闇を覗く〜病理医沙也加と科学捜査官哲朗の事件簿〜
なあかん
第1話 病理診察室の女
「あんたは死ぬ」
「え? ど、どうしてですか? 外科の先生は大したことないって……」
目の前にいる白髪の患者に、ボクはいつものように告げる。
瞳孔が開き、膝が震えているのがここからでもわかる。
それはそうだろうさ。誰だって『死』は怖いさ。
じゃまな茶髪の髪をかきあげると、この善良そうな患者にボクは現実を突きつけた。
全体がピンク色に染まった顕微鏡写真だ。
「これがあんたの胃の組織だ。先週、内視鏡をやっただろ? その結果がこれだ」
年配の患者が見せられたのは、全体がピンク色に染まった顕微鏡写真だ。写真には他と違う色に染まっている部分があった。
「ほら、ここだけ色が違うだろ? この染色はガンにだけ反応するんだ」
「つまり私は胃ガンってことですか? 高橋先生」
「そうだ。こっちが断面写真。胃壁までガンが来てる。即入院だ」
「そ、そんな……
「ああ、先のコロナ禍では感染しなかったんだね?」
「はい……」
五年前、中国からはじまったコロナ渦は、国内の三割が亡くなった。感染しなかった人は稀だ。
この人は免疫学的にも貴重だ。だったらなおのこと、ガン如きで死んでもらっちゃこまる。
面倒だがしかたない。あの女に頭下げるか。
「よし! それじゃ帰りに入院手続きをしとけ。ぼくからも梅田に話しておくから」
「……わかりました、高橋先生」
すっかり肩を落とし、フラフラと診察室を出ていく患者。
彼と入れ替わりに面倒なヤツの気配がする。とりあえずスルーだ。
そうだ! 梅田のとこへ文句つけに行こう。そう思い、席を立つと、ロン毛のキモい奴に鉢合わせ。
「やあ、サーヤせんせ。ちょっとまた診てくれよ」
「はあ? 誰がサーヤだよ誰が。ほらどけよ、ボクは暇じゃないんだ」
こいつは元・患者だ。
加藤哲郎三十歳独身。ボクよりも
わざと彼の正面からぶつかる。
「ちょ……ひどい医者だなあ。義手や目のこともあるけど、おりいって相談したいことがあったからきたのに」
「相談? ふん。どうせまた警察の仕事なんだろ。国家の犬どもの尻拭いなんてイヤだね」
「まあそう言わないでよ。サーヤせんせ。お金は弾むそうだよ。あっちこっちの食い物屋に借金あるんだろ?」
「つ、つまらんことを……。ボクの個人情報をどこで入手しやがった! マジ帰れよ」
「つまらなくはないねえ。いろいろ楽しんでるようじゃないか。たとえば……」
うぜええ。つか、そんなことまでコイツに知られたくねえええ。
しっしっ、と手のひらで追いかえそうとする。
「あのさ……。加藤! あたし、これから梅みんのとこ行って説明しなきゃならないの! 帰ってくれないかな」
「あはは。やっと俺の方を見てくれたよ」
「ちっ、マジ帰れよ! つか、用事があるんだったら五秒で話せ」
「あいかわらずだねぇ。で、アルバイトのご紹介。何も体を売れって言ってるわけじゃないよ」
どうしようもねえヤツだ。いつもいつも一言多い! で、ボクを苛立たせるし。
「で、今回はわけあり死体の解剖を手伝ってほしいわけ」
「はん! 病理解剖か? そんなもんおたくどもでやれば済む。じゃ、そういうことで」
マジ、やってらんねえよ……。病理解剖だけで丸一日、さらに通常業務しながら報告書作るのに一週間かかる。しかも借金のカタにだあ。
「そんな事言わずにさあ、ね? サーヤちん」
「加藤! 帰れ! 今すぐだ。守衛呼ぶぞっ!」
守衛を呼ぼうと電話に手を伸ばす。
その時、逆に電話が鳴った。
ち、イヤな予感。
『あー、もしもし。高橋くんかね?』
げ、ハゲ。
『あ、はい。大村部長、なんでしょう?』
あくまでも丁寧に応対しちゃる。どうせ文句だ。
『ちょっと救急室へ来てくれないか? 見たことがない症例なんだ』
くわしいことを尋ねようとする前に電話が切れた。
「ち、仕事だ。じゃあな、加藤。整形の先生に見てもらえよ」
「え? まだ診てもらってないじゃん、オレ」
「そんなの知らねえよ、甘えんな」
責任とれ、とかなんとか後ろで何かほざいてるが、ボクは救急処置室へ急いだ。
「ほら、ビクついてないでストレッチャーにのせるわよ! いち、にい、の、さん」
看護部長の号令で四人がかりで移乗。
なんの変哲もない日常だ。ところがストレッチャーにのせられた救急患者の状況が異常だった。
きれいに。
きれいに胴部に穴が空いている。
それも血の一滴もなく、皮膚も内蔵もない状態で。
あり得なかった。傷口ではなく、ストレッチャーのマットが透けて見えてる。なんてこった!
「よ、沙也加くん。この状況、どう考える?」と、馴れ馴れしく声をかけてきたのは、ボクを救急室へ呼びつけた張本人・大村功だ。近寄んな! このハゲ! とはさすがに言わない。
言われなくても奇妙すぎるから、さっきから考えている。
最初に考えたのは砲弾による損傷。よく考えてみたらそれはない。戦争状態じゃあるまいし。それに砲弾によるドス穴だったら、出血してるし中身も出てるわ!
「……わかりませんね。解剖してみないことには」
「おいおい、まだ患者さんは生きてるぞ。さすがに生きたまま解剖はできんだろう?」
「まだこの状態で生きてるんですね。不思議だ」
「……」
さすがに言いすぎたか。
どてっぱらにドス穴だぞ。通常は死んでしまうレベル。
それなのにこの患者は生きているんだぜ。まったくわからん。
生きてることは生きているが、意識は朦朧としている。本人がこの状態だ。しかたないから付き添いで来た女に状況を聞こう。
「おい! そこの姉ちゃん」
ビクン、と全身を震わせる姉ちゃん。
「何があった? いつからこいつはこうなった?」
「あ、あ、あの……」
おおっといけね。ついいつもの調子で尋ねてしまった。ハゲも見てることだし、ここはマニュアルどおりにやるか。
めんどくせえけど。
「こいつ、あ、いや。あなたがこの患者さんのご家族ですか?」
「か、家族? い、いえ。そうなりたいですけど……。信也は助かるんでしょうか?」
家族じゃない? はあん、恋人ってことか。ちっ。こっちとらボクの仕事じゃないけど身元保証とかめんどうくせえ。
ぎろり、と大村部長に睨まれたので、定型文を唱えておくか。
「状況は逼迫しておりますが、最善の努力はいたします」
セリフ硬えぇよ…。とりあえず噛まずに言えたぜ。って、あれ? マジに逼迫してるぞ!
ボクは患者の腹部の孔が拡がっていることに気がついた。
「ハゲ! 大至急、オペっ!」
一瞬、ハゲはぎょとしたが、すぐさまマジ顔になった。患者の容態が変わったのがわかったから。
「よし! 緊急オペだ。沙也加くんもお願いできるか?」
「え? ボクもですか?」
「そうだ。なんのために呼んだと思ってる?」
「デスヨネー」
梅田のところに行って、
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