第5話 晩夏

「ここからは一人で帰れるね」


「あ、ああ」


 いつの間にか見慣れた景色に代わり、辺りはすっかり暗くなってしまった。


 日はとうに沈んでいるのに、体中から汗が湧き出るように蒸し暑い。


 にもかかわらず、夏葉の肌はさらさらとしていて、暗闇の中に白い肌だけが光ってい見えていた。


「じゃあ、私行くね」


 夏葉は一歩下がり、微笑みを浮かべた。


 周囲に広がる田んぼから夏の虫の音だけが聞こえてくる。


 その音が何となく寂しくて、夏葉に対する気持ちと重なり合う。


 黙り込む俺を不思議そうに見る夏葉は、無言のまま俺に手を振り、来た道を戻っていった。


「ちょっと待って!」


 俺はいつの間にか叫んでいた。


 急に上がった大声に驚き、夏葉は身体をビクッとさせ振り返った。


「どうしたの?」


「あっ、いや、その」


 引き留めたものの、なんて声を掛けたらいいのかわからず、まごついてしまう。


 数メートル進んでいた夏葉は再び俺の方に近づいてくる。


「ん?」


 首をかしげながら俺の顔を覗き込む夏葉だが、俺は恥ずかしくて視線をそらした。


 何か、何か言わなければ。


 こういう時にしっかりしない自分が腹立たしい。


 夏葉の目は完全に変人を見る目になっている。


「早くしないと、私、行っちゃうよ?」


 一歩ずつ後ろ歩きで下がっていく夏葉。


 早く、早く何か言って、引き留めないと。


 俺は一年間、この日を待っていたんじゃないのか。


 もう会えなくなるのは嫌だ。


 色んな感情がこみあげてきたのは、この暑さのせいだろうか、俺は自分でも驚くようなことを言っていた。


「お、俺と、付き合ってください!!!」


 え?


 自分で言っておきながら、心の中では自分で驚いていた。


 夏葉はもっと驚いただろう、俺は下を向いたまま顔を上げることができない。


 何を言ってるんだ俺は、こんなの、逆にもう会ってくれないかもしれないじゃないか。


 かつて自分の発言にこれほど後悔したことがあっただろうか。


 数秒後、少女の子供のような笑い声が聞こえてきた。


「あはは、ほんとに君は分からないな~。さっき名前を聞いた子にもう告白?」


 お腹を抱えて笑い出す夏葉。恥ずかしくて死にそうな俺。


「ご、ごめん。違うんだ。今のは何というか、寂しいから何か言わなきゃと思って、でもなんて言えばいいかわからないし、だから付き合ってっていうのは本心ではなくて。いやべつに付き合いたくないわけじゃないけどその・・・」


 何とか恥ずかしい気持ちを抑えて、俺は言い訳を畳みかけた。


 いつまでも早口で畳みかける俺の言葉を遮り、少女は一言、俺に言った。


「いいよ」


「そうだよね、うん、迷惑だったよね。ごめん。じゃあおれもう・・・え?」


 自分の耳を疑い、なんて言った?と聞き返したが、答えは同じだった。


「付き合うんでしょ? いいよ」


 時が止まったように硬直する俺。


 数秒間、沈黙が流れた。が、夏葉が近づいてきて言った。


「なに? もしかして本当に間違っていったの? だったら悲しいな~」


「いや、間違いじゃないです! ほんとです」


「そう? じゃあなんでそんな顔してるの?」


「いや、その、信じられなくて・・・・」


 いまだに事実を受け入れられない。


 しかし俺は、とある事実を思い出した。


「じゃあさ、明日、どこかいかないか?」


「どうしたの? 今日はやけに積極的じゃん」


 夏葉は笑いながら言う。


 そう、俺は明日から長い部活はいったん中断、三連休なのだ。


「だ、だめかな?」


「うーん、どうしよっかな~」


 俺の周りをぐるぐると回りながらからかうように言う。


「ちゃんと誘ってくれたら、行くよ」


「ちゃんと?」


「そう、ちゃんとね」


 さっきまで笑っていた少女の顔に、今は笑顔が消えている。


 俺は勇気を振り絞って、声を出した。


「明日、一緒にどこか行こう、夏葉!」


 途端に少女の顔に、満面の笑みが浮かぶ。


「うん、いいよ!」


 その後俺たちは、明日の待ち合わせをして、たまにからかわれながらも、暗い夜道で解散した。


 ほんの数時間で色んな事が起こりすぎて、いまだにこれが現実なのかわからないが、とりあえず今やるべきことは一つだ。


「京介に、遊べないって言わないと」








 次の日の朝、俺はいつもより眠気を感じながら朝を迎えた。


 起きてすぐ、スマホのカレンダーを確認する。


 そこにはデートと書かれていた。


 昨日の出来事は夢ではなかったのかと、しばらく放心状態になったが、これからデートに行くと考えると、自然と身体は洗面所に向かっていた。


 昨夜、京介に連絡したがどうやらあいつなりに夏休みを満喫しているようで、落ち込んでいる様子はなかった。


 ふと思ったが、夏葉の連絡先を知らない。今日絶対聞こう。


 俺はいつもより長めの準備を終え、強い日差しが照り付ける道路に出た。




 家から歩いて20分ほどの距離に、福田公園という大きな公園がある。


 田舎のあり余った土地を最大限活用したこの公園は、遊具や広大な芝生、人口の川なんかが流れていて、この辺で公園と言ったらここのことを指す。


 待ち合わせより10分ほど早く着いたが、すでに木の下のベンチで夏葉が座っているのが見え、小走りで近づいていった。


「ごめん、待った?」


「うん、すごく待った」


 いつも通りの笑顔を浮かべ、立ち上がる夏葉。


「ごめん」


「ほんとにそう思ってる? 顔にやけてるよ」


 焦って後ろを向く俺。美少女を目の前にして、無意識ににやけていたのか。


 改めて向き直し、夏葉の目を見る。


 今は俺の彼女だと思うだけで、なんだかめまいがしてくる。


「じゃあ、いこっか」


 夏葉は俺の手を引っ張って、看板の矢印の方に進み始めた。


 福田公園は散歩コースのようなものがあり、最長のコースを回ると小一時間はかかる。


 俺たちはその道を歩いていた。


 途中川に足を付けてみたり、木陰で雑談したり、だれもいない遊具で遊んだりもした。


 夏葉といると時間はあっという間に過ぎていき、さっき会ったばかりなのに、もう日は沈み始めていた。


 本当に不思議な感覚だった。




「そろそろ帰ろっか」


 芝生に座る夏葉は、赤く染まる空を見ながら言った。


「そうだな」


 初めてのデートだが、夏葉とは昔から知り合いであったかのような感じがした。


「おれらって、前に一度会わなかったか?」


「えー、会ってないと思うよ?」


 空を見つめたまま夏葉が答えた。


 そっかと言い、俺は芝生にそのまま寝そべった。


 芝生から生暖かい熱が背中に伝わってくる。


 それから俺達は明日も会う予定を立て、夏葉がスマホを持っていないことがわかりショックを受けつつも、公園をあとにした。


 今日もセミが元気に鳴いていた。






 つかの間の幸福も終わり、八月後半、部活が始まった。


 上を見上げられないほど激しく照らしつける太陽で、肌が焦げる感覚がする。


 サッカー部は秋の大会に向けて、追い込みの時期だった。


 グラウンドにはサッカー部だけが練習していて、隣のテニスコートも、後者の中にも人影はない。


 練習の合間の昼休憩で、同じ二年生の小林が俺に話しかけてきた。


「おい海斗、お前いつの間に彼女できたんだ?」


「え、なんでお前知ってんの?」


 小林は周りをきょろきょろしながら、


「お前、三連休公園にいたろ」


「あ、ああ」


「あとショッピングモールにもいたよな」


「なんだよ、お前もしかして俺のこと好きなの?」


「ちげーよ、こんな田舎だ。偶然会うこともあんだろ」


 ふーん、と返事をしたが内心結構驚いている。


「それで、あの美少女は彼女なのか?!」


 俺は少し間をおいてから小林を見て、うなずいた。


「おいまじかよ?! あの海斗に彼女か?!」


「おま、声がでけーよ!」


 いつの間にか部員が集まってきている。


 これは面倒なことになりそうだ。




 結局部活が終わるまでいじられ続けた俺だったが、いやな気はしなかった。


 むしろ可愛い彼女がいることが認知されて、ちょっと嬉しかった。


 学校が始まったら京介にも自慢しよう。


「じゃあな海斗、彼女と幸せにな~」


「田舎だからって乱暴するなよ」


「しねーよ」


 校門を自転車で颯爽と出ていく小林達。


 三日間まるまるデートに使った俺と夏葉は、お互い都合が合わず、次に会うのは夏休みの最後、8月31日になった。


 不思議と寂しいとか、早く会いたいといった感情は出てこなかった。


 なんだかいつも俺の隣にいるような、そんな感じがしたからだ。


 実際そんなことを小林に言ったら、はいはいと流されてしまったが・・・


 でも会えるなら会いたい。


 俺は夏休み最後に楽しみを残した効果で、部活も何とか頑張れた。






 8月31日。


 一か月に4回デートするのは、一般的には多いのだろうかと疑問に思いながらも、朝の支度をした。


 夏休み最後の日は、午前中だけ部活があり、午後はオフになっている。


 夏休み最終日、半日の部活、終わっていない課題、夏葉とのデート。


 早くなる鼓動に心当たりが多すぎるが、俺は学校までの長い道のりを進みだした。


 その日の部活は普段に比べて緩い感じで始まり、次の大会に向けたミーティングをして終わった。


 太陽が真上に来る頃にはグラウンドを整備して、片付けまで終わっていた。


 小林やほかの部員は、最後の夏休みを満喫しに、海やゲームセンターに行った。


 俺も誘われたが、今日はデートと言うと、一言二言俺を罵倒し去っていった。


 青い空に、ほうきで掃いたような雲が広がっている。


 俺は軽い足取りでバス停に向かい、夏葉のことを考えていた。


 バス停につくと、ベンチに老人が座っていた。


 俺は何となく隣に座るのを遠慮し、それほど疲れていなかったので隣に立っていた。


 数分後、バスがやってきて老人が乗るのを待ち、俺は後ろから二列目の窓際の席に座った。


 中途半端に冷えた車内には、俺と老人がいるだけで、がらんとしていた。


 なんだかこの感じ。前に覚えがあるような。


 そんなことを思いながら、窓の外を見つめていた。


 ガタガタと揺れるバス。小さなエアコンの穴から噴き出す冷たい風。


 それらは俺に眠気を感じさせるには十分だった。


 やばいやばい、こんなとこで寝たら、また前みたいになってしまう。


 自分で自分の頬を叩き、眠気を覚ます。


 が、その努力もあっけなく、俺は再びバスで寝てしまった。








 それから俺が目を覚ましたのは数時間後だった。


 あまりの暑さに目を覚ましたのだ。


「うぅ、あっちぃ~」


 屋根も何もない場所に、ベンチと看板だけがあり、そこに俺は寝そべっていた。


「やば! また寝てしまった!」


 俺は急いでバッグからスマホを取り出し、時刻を確認する。


「18時43分・・・・」


 いくら何でも時間がたちすぎていると感じ、スマホを何度も確認するが、時計の数字は変わらない。


 あたりを見回す。


「また、知らないとこだ」


 夕焼けに照らされる稲が風に揺れている。


 後ろを振り返ると林があり、木々が生い茂っている。


 またやってしまった。


 俺は頭を抱え、下を向く。


「いや、そんな場合じゃない。早く夏葉のところに!」


 俺は重いバッグを持ち上げ、急いで立ち上がり、走り出そうとした。


 しかし、誰かが俺の腕をつかんだ感覚がした。


 咄嗟に振り返り、俺の腕をつかんだ主を見た。


「どこに行くの?」


「な、なつは!?!?」


 そこにはいつも通りの笑顔を浮かべる夏葉がいた。


「ど、どうしてこんなところに、今日は駅で待ち合わせって」


「それはこっちのセリフだよ?」


「あ、・・・」


 夏葉は俺をベンチに座らせ、自分も隣に座った。


「なんだか、前もこんな会話したな」


「ふふ、ほんとだよ。変わらないな~君は」


 申し訳ない気持ちと、うれしい気持ちが入り交ざり複雑な気持ちになる。


「あの、ごめん。寝過ごしちゃって」


「うん、知ってる」


「それで、夏葉はなんでここに?」


「さあ、なんでだろう」


 ミーンミーン ジリジリジリ


 セミの鳴き声だけが、二人の間に流れる。


「これで最後なの」


 夏葉は優しい口調で言った。


「最後って?」


 俺はいつものようにからかっているんだと思った。


「もう、君とは会えない」


 先ほどまでの陽気な表情とは打って変わって、真剣な眼差しで俺を見る。


「どういうこと・・・?」


「そのままの意味だよ」


「え、いや、何言ってんの? まあついさっき遅刻しかけた俺が言えたことじゃないけど、何かいやなことがあったなら言ってよ」


 早口でしゃべる俺に対して、夏葉はゆっくり落ち着いた口調で話す。


「違うの、君は悪くない」


「それじゃあ、なんで!」


 つい大きな声を上げてしまった。


 しかし夏葉は踊りた様子もなく、俺を見つめる。


 夕日に照らされて、少女の白い肌はオレンジに染まっている。


 しばらくの間、お互いを見つめあっていた。


「君なら、もしかしたら・・・」


 そこまで言ったところで、夏葉は黙った。


「もしかしたら?」


 おれがそう聞くと、夏葉は首を振って、


「ううん、何でもない」


 と言い、ベンチから立ち上がって、俺の前に立った。


 夕日と少女が重なって、陰になった。


「夏葉?」


 陰でよく見えないが、少女の表情は悲しそうにも、清々しようにも見えた。


「私、きみと出会えて楽しかったよ」


「ほんとに言ってるの? 冗談だろ? なあ・・・・」


 そんな俺の声を無視して、夏葉はしゃべる続ける。


「君が君でいる限り、また会えるかもね」


「いや、何を言って・・」


 目の前にいるはずの少女は、なぜか遠くにいるような感じがした。


「じゃあね」


 ここに来てやっと、夏葉はからかっているわけじゃなく、本当にもう会えないんだとわかった。


「ま、まって!!」


 俺はとっさに手を伸ばした。


 しかし俺の手は空気だけをつかみ、少女の柔らかい感触はなかった。


 重なっていたはずの陰が消え、夕日が俺の顔を照らす。


 ミーンミーン ジリジリジ・・・


 少女と共に、セミの鳴き声も去っていった。


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時に人はエゴすらも愛と呼ぶ 夜凪ナギ @yonagi0298

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