第4話 蝉声

「久しぶりだね」


 少し首をかしげながら、俺の顔を見て少女が言った。


「えっ、あ、え?」


 色々なことが起こりすぎて頭の処理が追い付かない。


「なに慌ててるの?」 


 ふふっ、と笑う少女。その笑顔も懐かしいようで恋しく、つい見惚れてしまう。


 しかし今はそんな場合ではない。


 状況を整理する必要がある。


 俺はベンチに座ったまま両手で頭を抱え、そのまま目をつぶった。


(まず、俺はバスに乗ってそのまま寝てしまい、終点まで来てしまった。そしておそらく運転手さんか誰かが俺をここに降ろした? ということにしよう。じゃあ、目の前にいる少女は・・・)


 ふと、顔をあげると、目の前には少女の顔があった。


「うわあっっ!!」


「そんなに驚かなくてもいいんじゃない?」


 そのまま後ろに倒れ、頭から転げ落ちた俺だったが、何もなかったかのように座り直し、少女に質問した。


「君は、この前の・・・?」


「そうだよ、おぼえててくれたんだ」


 クルっと振り返って少女が答える。


「どうしてこんなとこに?」


 俺に背中を向けている少女にそう聞くと、再び長い黒髪をなびかせながら振り返り、


「それはこっちのセリフだよ?」と、いたずらっぽく言った。


「俺は・・・ちょっと寝過ごしちゃって」


 後頭部をポリポリ掻きながら俺は答える。


「ふーん。そういうドジなところは、あの時から変わらないね~」


 少女は悪そうな表情で俺をからかうが、その表情に意識を奪われ、からかわれていることに気付かない自分は、本当に前と変わっていないんだなと思う。


「それで、一人で帰れるの?」


 俺の目の前で前かがみになり、顔を近づける少女。


 夏風と共にいい匂いが俺の嗅覚を刺激する。


 再び少女に持っていかれそうな意識を何とか現実に保ち、辺りを見回す。


「ほんとに、見たこともない場所だしな・・・」


 今になって、事の重大さに気が付いた。


 幸い明日から部活がなく休日が続くが、部活帰りの俺の体は限界に近かった。


 目の前にいた少女はすっと身体を元に戻し、俺の左隣に腰かけた。


 隣に座っているだけで、俺の鼓動は、例のダッシュ100本の練習の時よりも早くなる。


 急に照れ臭くなり、恥ずかしく、視線を左に向けることができなくなった。


「じゃあ、私が途中まで送って行ってあげようか?」


 突然少女から出された提案。


「え、いいの?」


「うん、いいよ」


 あっさりと俺を送ってくれると言ってくれた少女に対して、これまでに感じたことのない高揚感と興奮を覚えた。


「ほら、早くしないと暗くなっちゃうよ」


 バスに乗った時はまだ明るかった空は、今はもう薄暗くなり、少女の顔もはっきりとは見えない。


 俺は重いバッグを持ち、少女の後についていった。






 薄暗い一本の道路の両側に田んぼだけがあり、辺りを見渡しても木が生い茂る山か、田んぼしか目に入らない。


「家はどこら辺?」


 軽い足取りで俺の先を歩く少女。


「えっと、木見駅の近く」


「わお、5つも乗り過ごしちゃったんだね」


 以前あった時よりも、その口調がなんだか少し明るい気がした。


 時刻はすでに8時頃だろうか、こんな時間にも限らずゼミの鳴き声はうるさくなっている。


 しばらく沈黙が続いていたが、少女が口を開いた。


「ねえ、セミの寿命って知ってる?」


「セミ? たしか1週間から2週間じゃなかったっけ?」


 突然何を聞き出すのかと驚いたが、少女はいたって真剣に聞いているようだった。


「そうだね、前まではそう言われてたの。でも今は違うんだよ?」


「え、そうなの?」


「そうだよ~。まあ個体差はあるんだけど、大体一か月はああやって鳴き続けるんだよ」


「へー・・・」


 セミが好きなのか、そんな豆知識を披露した少女はふと、俺の方を振り返り、後ろ向きで歩きながら俺を見て微笑む。


 顔が熱くなる感覚がして、俺は視線を田んぼに移す。


「お、俺も聞きたいことがあるんだけど・・・」


「んー、なあに?」


 そう、前会った時から疑問ばかり残していくこの少女には、聞きたいことが山ほどあった。


 テニス部なのはほんとなのか。本当にあの学校の生徒なのか。この前ファミレスで見ていたのは君なのか。どうして今ここで出会っているのか。


 そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っているが、一番最初に聞きたいことがあった。


「その、な、名前は?」


「え?」


「いや、だから、名前はなんていうんですか?」


 次第に小さくなる俺の声を聞いて、少女が笑いだす。


「ぷっ、あはははは! 何を言い出すのかと思えば、名前って」


 少女はこみあげてくる子供のような笑い声で、腹を抱えている。


 俺は恥ずかしくなって何も言えず、ただ道路を見つめていた。


「夏葉」


「え?」


「私の名前。夏の葉っぱって書いてなつは、だよ」


 まだ顔に笑みを残しながら、少女は言った。


「その、苗字は?」


「うーん、苗字は教えられないな~、まだ」


 再びいつものからかうような笑顔に戻る少女は、俺の隣まで来て並んで歩き始めた。


「普通、逆だと思うんだけど」


「呼び方に順番なんてないよー? 教えたんだから、次からは「君」じゃなくて名前でよんでね」


「うん、う、え?」


 相変わらずの独特な距離の詰め方に驚くが、少女の俺を見つめる瞳を見ると、否定の言葉なんて出なかった。


「わかったよ」


「ふふ、やったね」


 夏葉は後ろで手を組みながら、足音を一切立てずに隣を歩く。


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