第2話

 金村は、倉下が住むアパートの、隣県に住んでいた。ネットで調べて彼の大よその住所まで電車を乗り継いだ倉下は、7月の蒸した空気を吸い込んだ。そもそも会えるともあまり思っていない。その町には小さな観光スポットはいくつか点在していたし、概ね小旅行の心地である。そう考えていた倉下だったが、金村の邸宅は予想外に早く見つかった。


 昔ながらの茶屋の老婦は言う。

「あの山に見える大きな家が、あの何とかっていう将棋指しの家さね。勝手に教えて大丈夫かって?なに、ここらの人は皆知ってることだからね。名前を聞いたのは大分久しぶりだけど。迷惑なら向こうで追っ払われるだけだろう」


 礼を言う倉下に、老婦は続ける。

「しかし、あの人にもファンがいたんだね。テレビに出てるのは知ってたけどさ」


 茶屋を出た倉下が言われた家を見上げると、家が、ぐらりと揺れたように見えた。



 舗装のはがれかけた道を数分上ると、その家には辿り着いた。玄関口に貼る蜘蛛の巣に、人が住んでいるのかと不安になった倉下だったが、インターホンを鳴らすと聞き覚えのある声が聞こえた。


「はいはい、今行きますよ」


 出てきた金村の姿に、倉下はたじろぐ。フケの乗った頭に伸びた無精髭、黄ばんだTシャツとだぼっとしたズボンからは、生乾きの臭いが鼻を突いた。和装をしていたときの身綺麗な印象は欠片も無い。


 倉下の視線に気付いた金村は、にこっと笑って言う。

「ごめんなさいね、こんな格好で」


 テレビで見ていた通りの笑みに、倉下は慌てて頭を下げた。そも倉下は不意の訪問者である。相手の格好に難癖を付けられるような立場でも無い。


「安心して、取材なら受けるから」

 そう言って招き入れようとする金村に、倉下は少し思案した。すなわち、ここで下手に目的を訂正して追い返されるよりは、流れに任せて入れてもらった方が、目的を達成しやすいと。


 玄関に上がった倉下は、ふと足元にビニール袋が落ちているのに気が付いた。金村も気が付いたようで、ああ、こんなところにあったのか、とそれを拾い上げる。その瞬間、先に感じたものとは違う悪臭を、倉下の鼻は確かに嗅いだ。


 物音一つ立てずに、廊下を進む棋士の姿は自分の目と鼻の先にいる筈なのにひどく小さく見える。ふと、先刻の彼の言葉が脳裏に浮かんだ。「天才などともてはやされても、そんなものです」


 通された居間のテーブルは、埃を被っていた。


「お茶でも入れますね」

 金村は、居間から出て行った。その際に無造作に、手に持っていたビニール袋を部屋の隅に置かれたゴミ箱に投げ入れたのを、倉下は何気無しに目で追った。

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