笑う水道

もくたん

第1話

「負けられない戦いの前にはですね、水道が笑うんですよ、がくがくって」


 付けっぱなしの画面の向こうでそう語るのは、記者に囲まれた初老の棋士。サイドテロップには「稀代の天才棋士」との文字があり、そう評される通り、画面の中の彼は今正に、分水嶺となる戦いを制して連勝中の身であった。


「それは、水道局にでも相談した方がいいんじゃないですか?」

 記者の呆れたような問いに、棋士はニコニコと笑顔を崩さずに答える。


「いやいや、違うんですよ。つまり、ボクの気の迷い。それくらい、対局の前は平常心ではいられない、天才などともてはやされても、そんなものです」


 ニュースは、そんな常人には計り知れないプレッシャーの中で戦いを続ける棋士に対する賞賛の言葉で締めくくられていた。



「ふうん」


 テレビを片耳で聞いていた女性、倉下は携帯ゲームの電源を切ると、散らかりきっていた部屋の中で起き上がった。


 性は倉下、名を彼岸花。この女性、珍妙なのは名前だけでなく、霊能力者であった。


 霊能力者、と言っても、彼女がその能力で生計を立てている訳ではない。夜な夜な悪事に勤しんでいる訳でもなければ、襲い来る怪奇現象に悩まされている訳でもない。要は自分の能力を何に活かすでもなく、殺すでもなく、ごくごく普通に―少なくとも本人の主観では―暮らしていた。

 

 彼女にとって、幽霊とは視えるものではなく見えるものであり、霊魂とは当たり前に世にあるものだった。中学時代に首吊り自殺をした先輩に言い寄られたときはうんざりしたし、修学旅行で蠅の霊の大群に襲われたときは流石にその力を呪ったけれど、だからと言って自身の力について深く考えることはせずに生きてきた。


 補足すると、彼女は達観していたのではなく、そうならざるを得なかっただけである。空の青さを疑問に思う子どもは多かれど、原理を説明されて理解している者は大人でも少ない。彼女は納得も理解もしないままに、そういうものなのだ、とそれらの事象を是認していただけである。それほどまでに彼女の世界に心霊現象はありふれていたし、他人とその特異性について論じあえるような関係になることも今日まで無かった。



 倉下は、先のテレビに出ていた棋士、金村が好きだった。と、言っても一度彼の対局を画面越しに見ただけであったが。彼は本当に楽しそうに将棋を指す。それが見ていて気持ちよかった。それだけの理由だしそれだけの感情だったが、他者と深い関係にならずに生きてきた倉下にとっては、珍しい対象である。


 だから、先の番組で目に入った金村が良くないものと関わっている、と気付いたとき、倉下は思ったのだ。たまの遠出も悪くは無いかな、と。

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