第68話
王国一番のギルド、烈風焔刃が瓦解してから数日後。王都の興味はそんな些事からは早々に離れ、より大きな事柄へと向いていた。
プセマ遺跡の一部陥落事故。
それだけなら、ここまで大事にはなっていなかっただろう。しかし、氷晶の薔薇への聴取によって発見された新たな事実。それは王都を血眼にたらしめる重大なものだったのだ。
遺跡内部の安全が確認されると、王都は直ちに騎士と専門家で編成された調査部隊を派遣し、プセマ遺跡内を隈なく捜索することとなった。
「それにしても、遺跡の地下にこれほど巨大な空間が広がっていたなんて、びっくりですね」
広大な部屋を見渡してサミュエルが感想を漏らす。
陥落によって、ポッカリ空いた天井からは日の光が臨めるが、落下したであろう地層はほとんど見当たらない。全てが、奈落の底へと消えていったのだろう。
「ここまで広ければ探知魔法の類で容易に分かっただろうに。ここを調査した奴はよっぽど無能だったのか?」
対するルークはかなり辛辣だ。
黒い短髪で、平均的な身長のサミュエルよりもかなり上背がある。鎧に隠れているが、中には鍛え抜かれた見事な筋肉が覆っている。偉そうにするだけあって、その実力はサンクトゥス騎士団の中で一二を争うほどだ。
「ルークさんは手厳しいですね。以前の計十回に渡る大規模調査では、王都でも選りすぐりの人員が調査に当たりましたが、それでも何もでなかったんですよ。おそらく、ここは何らかの魔法によって探知されないよう細工されていたのでしょう」
「それはつまり、ここを作った術者に、王都側が敗北したということだろう? やはり、無能ではないか」
こうなっては、どんなに頑丈なてこを差し込んでも、ルークの考えをねじ曲げることはできない。サミュエルも苦笑で応じるだけだ。
「それで、今更この古ぼけた遺跡の地下が現れたのは、お前の言う、例のガキが関係していることで間違いないんだな?」
「はあ…… ルークさん、あんまり大きな声でそのことを喋らないでください。一応それ、上の一部の人間しか知らない機密事項なんですから」
この調査には合わせて百名ほどの調査員がいる参加している。
本当は厳重に注意しておくべきだが、サミュエルはのんびりした口調を崩さない。強く言ったところで、頑固なルークを反省させる見込みは少ないからだ。
当の彼はそれを聞くと、すぐに周囲に目を光らせた。
「おい貴様」
声をかけられたのは、一番近くにいた調査部隊の男だ。
「は、はい…… あの、どうされました?」
「今の話を聞いていたか?」
「今の話…… ?」
「とぼけるな。死にたくなければ本当のことを言え。もし、聞いていたらお前を殺す」
「え!? そ、それってどういう……」
隣で聞いていたサミュエルは可笑しくて仕方なかった。
これではまるで誘導尋問だ。しかも、タチが悪いことに、知らないと答えれば嘘と見なされる。つまり、どう答えようが死は免れない。
いきなり死の淵に立たされた哀れな調査員は、あたふたしてしまっている。
「あの、私は本当に何も……」
「証拠があるのか? 貴様が聞いてないという証拠が。あるのなら、今すぐ俺に差し出せ。無ければ殺す」
「そ、そんなこと言われましても……」
いつまでも見ていられるが、この辺にしておこう。
「もう行って大丈夫ですよ。あなたは何も聞いてません」
ようやくサミュエルが助け舟を出してやる。調査員は「ありがとうございます」と一礼すると、逃げるように自分の任務に戻っていった。
「なぜ行かせた?」
「何も聞いてないと僕が判断したからです。それと、あんまり無闇に仲間を脅すものじゃありませんよ」
サミュエルは笑いながらも、一応注意しておく。
「さっきの話の続きですが、その通りです。氷晶の薔薇の連中にどうこうできる仕掛けじゃないですからね。この地下は、"彼ら"の祖先が創り上げたものですから」
「千年以上前に滅んだはずの種族が、本当に生きているとはな。殺すのか? ここまで騒ぎを起こせば、他の奴が勘付くのも時間の問題だと思うが」
「さあ、どうしましょうかね…… それより、今はここの調査が優先です」
サミュエルは曖昧に答えると、大半が崩れ落ちてしまった橋へ向かった。当然、向こう側にいくための足場はない。
しかし、彼が近づくと、壊れた橋の先端から同じ色形をした延長部分が伸びてきた。それは一気に部屋の中央部まで伸びると、途中で三つに分かれそれぞれの入り口に向かって繋がった。
この部屋の原型を見たことはないが、大方こんなものだろう。
「具現化魔法。中々に便利だな」
「どうも」
サミュエルはたった今出来上がったばかりの橋を、一番乗りで渡っていく。だが、途中でふと思い至って振り向いた。
「何度も言ってますが、立場的には僕の方が上なんですよ? それ、わかっています?」
「俺は細かいことには拘らん」
「まったく、子どもじゃないんですから……」
呆れたように言うが、前に向き直ったサミュエルの顔はその正反対を示していた。一国の王子にすら敬意を払わず、ひたすらに我を通す人間は生まれてこの方見たことがない。
プセマ遺跡の地下構造はかなり複雑だった。
最初の層には、簡単な住居スペースがあり、だいぶ昔に誰かが暮らしていた形跡もあった。陶器の数からして、かなり多くの人が生活していたらしい。
そこから最奥の螺旋階段で二層、三層と調べていく。層の間がかなり空いていて、一つ下へ行くのにかなりの時間を要した。しかし、これらの層には大した収穫は無かった。用途不明の、似たような四角い部屋がいくつか存在するだけ。
大きな変化があったのは、四階層目だ。
「なんだこれは」
「ここが氷晶の薔薇のリーダーの証言にあった、巨大な黒い魔物に襲われた階層ですね」
「アーテルのことか。それが無理矢理この狭い通路に身体をねじ込ませた、ということか?」
ルークの指摘通り、この一本道だけは上下左右の壁が綺麗に削れ、奥の方までまっすぐ円筒の形を成していた。見比べてみると、ここは元の通路の二倍くらいまで縦横が拡張されている。さらに奇怪なのは、壁の表面は、ヤスリがけでもされたように滑らかななのだ。
「いえ、これはおそらく何らかの魔法によるものでしょう」
「魔法だと? これ程の威力を使える者など、この国には……」
ルークの声は尻すぼみになっていく。それから、簡単なことでは動じない彼の顔に、小さな驚きが現れる。
「黒魔術か」
「ええ」
「まさか、一人のガキにここまでの力があるとは。野放しにできないわけだ。お前の祖先が戦争を起こした理由が良くわかる」
「わかってないですね、ルークさん。こんなのまだ序の口ですよ。まだ彼らは何もわかっていない。自分たちがどれほどの強大な力を有しているか」
サミュエルたちが奥まで足を進めると、途中で一つの部屋を発見した。
「生贄か、もしくは何かの実験か」
「どちらにしても、あまり趣味の良いものではありませんね」
二人の前に転がっていたのは大量の骸。そのどれもが、頭蓋骨の上半分が切り取られてしまっている。
気になる点はそれだけではない。
「血、ですか……」
「それも、かなり新しいものだ。少なくとも、ここ数日の間に付着したものだろう。出血量からして、相当深傷を負っていたと見える」
片膝を立てて、ルークが血の状態を調べる。
「そして、この黒い物体はアーテルの一部と見て間違い無いでしょうね」
血痕のすぐ側には、拳大の真っ暗な塊が無造作に落ちていた。その内の一つは、先端に赤黒いものがこびりついている。
床に点在するその二つ。しかし、ここにあるべきもう一つの物体はどこにもない。
「これは別部隊と合流した方が良いかもしれませんね」
サミュエルが言うと、ルークは小さく首肯した。
と、警告した側から、背後に何かの気配を感じる。どうやら靴音のようだ。
「サミュエル、報告」
入り口の方から静かな声が聞こえ、サミュエルはゆっくり振り返る。
「おや、アネモネ。どうしたんですか?」
サミュエルは努めて優しい声で尋ねた。
だが、対するアネモネは、無言のまま彼にどんどん接近する。ついには両者の息が届きそうなほど至近距離に。
赤い髪から覗く、物憂げに映るその垂れ下がった力のない目は、ただ一心にサミュエルを見つめていた。そこに宿るのは、不均衡なほど強い光だ。それは単なる異性への情念だとか、目上の人間への畏敬の念とか、そういうものを全く超越したところから来る光である。
「最下層で調査隊が大きな扉を……」
ようやく再開したと思ったアネモネの口の動きが止まる。その宝石のような紫の瞳は、冷たい光に変わって真横に向いた。
「なんだ」
視線を向けられたルークは、半ばうんざりしたように尋ねる。
「邪魔、消えて」
「なぜだ。俺の立ち位置は、お前の小さな報告を辛うじて耳にでき、かつ、お前の動作を全く阻害しない最適な位置だ。俺はここを動くつもりはない。さっさと報告を済ませろ」
「私の視界に入ってる。男臭い」
あまりに酷い理由に、サミュエルは吹き出しそうになる。
「ならば、俺に背を向けて鼻を摘めば良い。その程度のこともわからないか?」
ルークは平然としている。
「十秒あげる。その内にここから消えないなら……」
「消えないなら、どうするんだ?」
「私がお前を消す」
アネモネは身体を完全にルークの方へ向ける。これは冗談などてはなく、本気だ。相手が仲間だろうが、彼女ならやりかねない。
対するルークもそこから離れる気配を見せない。彼もまた冗談を知らぬ男だ。このまま放っておけば、どちらかが死ぬ可能性も出てくる。
サミュエルは嘆息すると、二人の間に入る。
「はい、そこまで」
サミュエルは軽い口調で言った。
「アネモネ。報告の続きを」
「最下層で調査隊が大きな扉を見つけた。あの紋章が刻まれているって」
「わかりました。すぐ、そちらに向かいましょう」
サミュエルたちは最下層へと向かった。
高さ十メートルはあろうかという巨大な扉の前では、多くの騎士たちがあれこれ作業を行っていた。
「開きそうですか?」
サミュエルに聞かれ、手近にいた一人の騎士が素早く回れ右した。
「サミュエル殿下。いえ、残念ながらびくともしません。探知魔法による内部構造の把握にも失敗しました」
「そうですか」
今のやり取りによって王子の来訪が皆に伝わり、他の騎士たちがキビキビとした動作で道を開けた。サミュエルは扉に近づく。
「地上にあったものと同じ」
アネモネが言っているのは、扉に彫られた直径二メートルほどの円の中にある奇怪な紋章である。
「ええ。おそらくあれと同じ仕掛けでしょう」
「ふっ。この程度の岩塊、俺の魔法で粉微塵にしてやろう」
そう言って、ルークが一歩前に出る。
「試してみてもいいですが、おそらくマナの無駄遣いでしょう」
「俺には無理だと?」
どうやらルークは不満らしい。
「勘違いしないでください。あなたの魔法のことは、僕も一目置いているんですよ? それでも、あれは我々にどうこうできる代物ではありません。古の種族とはそういうものです」
「なんだ、最初からそう言え」
「野蛮人」
ごく小さな音量で、アネモネが小言を言う。
「おい、聞こえているぞ」
「口を開けるな。空気が汚れる」
「貴様…… 少し調子に乗りすぎだ」
「寄るな。臭いが移る」
「くっ、いい加減に…… !」
男の悲鳴が聞こえてきたのは、サミュエルが二人のことを名コンビであると再確認した時だった。皆の視線が通路の奥に向く。
「なんの騒ぎですか?」
「わ、わかまりません……」
騎士は力なく首を振る。
奥の騒ぎが大きくなってきた。徐々に何と言っているか判別できるようになる。どうも穏やかでない。
「敵か?」
「そのようです」
「そこを止まれ!」という怒号が消え、奥に見えた騎士の一人が倒れた。背中から、黒い線のようなものが貫通していたのを、サミュエルははっきり捉えていた。
倒れた騎士の奥から、誰かがこちらに向かってくる。頭髪のない男だ。ふらふらとした歩き方を見るに、よほどの大怪我を負っているらしい。
「やはり、生きていましたか」
「待て、俺がやる」
魔法を発動しようとしていたサミュエルの前に出てきたのはルークだ。これは止めても聞かないだろう。
「お任せします。でも、くれぐれも殺さないように」
「ああ」
男は何か呻き声を上げながら、無数の黒い糸をこちらに伸ばしてくる。だが、それらの一つもルークに届くことはなかった。
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