第69話

 アイルとライラは堂々と王都の門をくぐり、外へと出た。もちろん、守衛に止められることはない。

 それから、しばらくは馬車の往来が多かったものの、道を一本森の方へ逸れると、その数は途端に激減した。道幅はだいぶ細く、頭上にまで枝が伸びているため、日光も届きづらい。


 「アイル、もっとシャキッとしないとだめだよ?」

 

 ライラは歩みを止めず、首だけをこちらに傾けてくる。


 「そうは言われてもな……」


 「心が弱え奴は大事なところでヘマをするもんだぜ。ってタイロンも言ってたよ」


 「また、あいつのよく分からない自作の格言を……」


 だが、確かに今回のは正しいかもしれない。


 「そんな心配しなくても大丈夫だよ。私も一緒だから」


 「その自信はどこから湧いてくるんだ…… ?」


 得意そうな顔をするライラに、アイルは少し呆れてしまう。よもや、彼女が取り持ち役を演じてくれるとは思えない。

 烈風焔刃を壊滅させた日から、なんだか彼女は妙に自信がついたように見える。その事について何度か尋ねてみたが、彼女は華奢な肩をそびやかすだけで一向に答はもらえない。


 「ライラなら心配ないと思うが、村に着いてもあんまり騒いじゃだめだぞ? 俺が帰ってくるのを、快く思わない奴が大半なんだ」


 「うん。私もアイルの家族の人に会ったみたいだけだから」


 「義理の、な。それに俺はもうーー」


 「アイル」


 見てみると、ライラは不満そうに目を細めていた。


 「わかってるよ。俺は今でもリビエール家のみんなが大好きだ。まあ、あっちはどう思ってるかわからないがーー」


 「アイル」


 「そうだな…… あっちも、たぶん俺のことを心配してるかもしれない」


 それで、ようやくライラは満足したようだ。

 本当は徒歩で二時間以上を想定していたが、途中で通りかかった馬車に乗せてもらい、村のすぐ近くまで運んでもらった。馬車に揺られている間、まるで自分の心まで揺れ動かされてる感じがしていた。

 二人は一体どんな反応をするだろうか。自分が会いに行って迷惑じゃないだろうか。

 そのうち、村の入り口に設けられた、木でできた粗末な門が目に入る。開けっぱなしで、辺りに兵士らしき姿も見えない。


 「相変わらず平和というか無用心というか」


 「壊されたところ、全部元どおりだね」


 「まあ、あれからかなり経ってるからな」


 アーテルの群れによって、村は半壊するまで追い込まれていたが、魔法があれば修繕など容易い。威力の高い魔法で木を切り倒し、具現化魔法なんかで色々な道具なども即席で作れる。

 ちなみに、具現化魔法で作られた物は、形状維持にも多少のマナを使う。だから、建物をそのままポンと建てて、そこに住まうというのは無理な話だ。

 そういえば、リビエール家がどうなったか確認していなかった。


 「アイル?」


 「わかってる。こんなところで立ち止まってたら、それこそ怪しまれるからな。さっさと行ってしまおう」


 アイルは例の黒いフードを被ると、ライラもそれに倣った。

 二人はかなり人目を引いていた。

 この村は規模が小さく、外部との関わり合いも少ない。だから、余所者には敏感なのだ。まあ、アイル本人だとバレるよりは数倍マシである。彼らはそのまま村人の奇異の目をくぐって行った。

 辿り着いたのは、この村にしては大きな家屋だ。横には小さな庭もついてある。アイルは躊躇することなく、扉をノックした。

 まもなく錠が外れる音が聞こえる。彼は咄嗟に下を向いた。フードの端から、扉が開くのが見える。


 「どちら様でしょうか?」


 しわがれた男の声が聞こえてくる。

 久しぶりに聞いたが、記憶にあった彼の声よりも随分弱ったようだ。


 「あ、あの……」

 

 アイルはそれきり言葉がでない。相手に自分のことを認識されるのが、急に空恐ろしくなってきたのだ。


 「す、すみません、間違えました」


 早口に言って、踵を返そうとした時、フードがめくられた。


 「お、おい! ライラ、お前…… !」


 フードをめくったのは、頬を膨らませたライラだった。


 「アイル…… !?」


 男の驚嘆。アイルは観念して、彼の方に向き直った。義父のヘイゼルは、大きく開いた目でこちらをじっと見つめていた。


 「えっと…… お久しぶりです、ヘイゼルさん。あの、なんというか、ちょっとだけ二人の顔を見たくなって…… その、自分がどういう立場かわかっていたつもりなんですけど……」


 アイルは中々視線を合わせられない。頭の中は真っ白だ。


 「すみません。顔を見れただけでもう満足なので、俺帰ります……」


 「早く」


 「え?」


 「入りなさい。そちらの子も」


 アイルたちはヘイゼルに促されるまま、家の中へと入った。玄関から奥の階段まで、灯りは一つも付いていなく薄暗い。


 「本当にアイルなのか…… ?」


 「はい……」


 突然ヘイゼルがこちらに詰め寄って来た。

 何をするのかと思ったら、彼はアイルの右腕を持ち何やらじっくり観察している。同じような要領で、手足を調べられ、終いには額に手を添えられた。


 「あの、ヘイゼルさん…… ?」


 「何か病気は? 腹が減っていたりはしないか? 最近、ご飯を食べたのはいつ頃だ? 何を食べた?」


 「俺は至って健康です。ご飯は、今朝パンと目玉焼きと、それから野菜を少し」


 「家は? しっかりと雨風を凌げるところがあるのか? お金は足りているのか?」


 「どっちも大丈夫です」


 「そうか……」


 ようやくヘイゼルは数歩後退した。未だアイルの肩に手をかけたままだが。

 影のせいだろうか。そのぽかんとした顔は幾分痩せ細り、血色があまり良くないように見える。


 「良かった……」


 ヘイゼルは膝から崩れ落ちた。


 「どうしたんですか…… ?」


 「もう二度と会えないと思っていた…… お前は正義感が強くて優しい人間だから、悪い人間につけ込まれていないか。危険なことに首を突っ込んでいないか。毎日不安だった。半年ほど前に、お前がいるはずの村に行ったが全然見つからなくて…… 何かあったのだと……」


 ちょうどアイルたちが王都へ行った頃だ。


 「……」


 「帰って来てくれてたんだな……」


 ヘイゼルは立ち上がると、両腕を広げた。しかし、そこで停止してしまう。


 「私にお前を抱きしめる権利など……」


 ヘイゼルがそう迷っている間に、アイルの方から腕を回した。ヘイゼルは一瞬固まったが、すぐに抱きしめ返してきた。ゴツゴツとしていて、服から懐かしい匂いがした。

 しばらくの間、二人は静かに泣いていた。


 「なに!? あの氷晶の薔薇に籍をおいているのか!?」


 向こうに座るヘイゼルは、軽くテーブルに身を乗り出した。


 「はい……」


 「だが、魔法のことはどうしているのだ?」


 「バレないように使っていましたけど、今は何人かに知られています」


 「そ、その人たちは大丈夫なのか? もし王都に通報されたりしたら、お前は……」


 「大丈夫ですよ、ヘイゼルさん。誰もそんなことしません。みんな信用できる人たちなので」


 ヘイゼルはアイルの顔を覗き込んだ。


 「そうか…… 信頼できる人たちができたんだな」


 「はい」とアイルは自信を持って答えた。


 「ところで、シエラはいないんですか? できれば、あいつにも会っておきたいんですけど」


 「ああ…… あの子は今色々と準備で忙しくてな」


 「準備?」


 「そうだ。結婚のな」


 「そうですか、シエラが結婚…… 結婚!?」


 驚きのあまり声が上ずる。声に出してからも、しばらくはその意味を噛み砕くのに手こずった。


 「シエラ、結婚するんですか? だ、誰と?」


 「この村の領主、オルディナリオ家のご次男、ロミオ様とだ」


 「オルディナリオ家…… あの子爵の……」


 直接話したことはないが、アイルもその顔は知っている。

 整った顔をした、いかにも生真面目そうな青年だ。父と一緒に何度か村に顔を出したことがあるが、彼の村人を見る目は冷淡で蔑みのような色が浮かんでいたのをよく覚えている。

 一応言及しておくと、結婚もまた啓示式を迎えた日から可能になる。


 「でも、子爵がどうしてシエラを…… 貴族が平民と結婚するなんて……」


 ほとんどの場合、貴族は貴族としか結婚しない。

 それは体面を保つためでもあるし、血筋を希薄にしないためでもある。血筋とは、取りも直さずマナの遺伝のことで、劣等種が生まれるのは平民の間だけだという説もあるくらいだ。だから、こういう例は聞いたことがない。


 「あの子の魔法の才を買われたのだ。あの魔法を小さな村に留めておくのはもったいない。是非、サンクトゥス騎士団に入れようと。ほら、オルディナリオ家は近頃だいぶ力が衰えていただろう?」


 「そういえば…… それじゃあ、貴族の名誉回復のために……」


 サンクトゥス騎士団にいるのは大半が貴族出身だ。それ以外は、相当な実力があり、貴族から推薦をもらう位にしか入れる方法はない。

 騎士団の仔細な内情は知り得ないが、おそらくシエラを活躍させ、その手柄を頂こうという算段なのだろう。


 「でも、あいつはそれを断らなかったんですか? あいつ、結構頑固なところがあるし、そういう押しつけが大嫌いだったはず……」


 「貴族の願いは、我々にとって命令も同然だからな。それでも、私も最初はシエラがそう易々と了承するとは思っていなかった。ロミオ様のこともあまり好いていなかったから。だが、あの子は二つ返事でそれを引き受けた」


 「どうしてですか?」


 ヘイゼルは一度窓の方を見やった。その横顔からは鬱々としたものが感じられる。


 「おそらく、私から早く離れたかったのだろうな」


 「そんな…… だって二人はあんなに仲が良かったのに……」


 言いながら、アイルは一つのことに思い至った。


 「もしかして、あの日のせいで…… ?」


 あの日ーー アイルが村を追放された日。

 シエラを上に行かせたまま、逃げるようにしてこの家を出た。彼女のことだから、そのことを根に持っているのかもしれない。そうだとすると、この家族の仲を引き裂いたのは、他でもない自分ではないか。

 アイルは身体から力が抜けていくのを感じた。


 「違う。ただ、あの子も反抗期に入ったのだ。私も親の存在が疎ましいことはあった。だから、あの日のことは関係ない」


 アイルは返答に窮した。ヘイゼルの気遣うような口ぶりは、暗にアイルの考えが正しいと示しているようなものだ。


 「だが、本当に良かった。生きている内に、子どもの結婚を二度も見れるなんて、私は幸せ者だ」


 アイルは眉をひそめる。


 「二度って…… ?」


 「何を惚けているんだ。そんな可愛らしい子を連れて。君、名は?」


 ヘイゼルの焦点がライラへと移る。


 「ライラ」


 「そうか。良い名だ…… 自己紹介が遅れてしまったな。私はヘイゼル。アイルの義父だ。これからは君の義父にも当たるのか…… 不甲斐ない義父だがよろしく頼む」


 ヘイゼルは手を差し出してくる。無邪気な「よろしく」と共に、ライラは彼の手に自分の手を重ねた。


 「ちょ、ちょっと待ってください! 俺は別にライラと結婚なんてしませんよ!?」


 「私の目をごまかそうとしたって無駄だぞ? 二人の親密な感じは、婚約を交わした者のそれと同じだ。式は挙げるのか? 金銭的に困っているなら、私がどうにかする。だから、しっかりとーー」


 「いや…… ! だから、そんなことは…… !」


 「アイルは私と結婚しないの?」


 「は!?」


 ライラの強烈な一言は、アイルにとって脳震盪でも起こすような衝撃だった。ついぞ恋人すらできたことのない彼には、結婚という単語は途方もないほど茫漠としていて、いきなり眼前に現れれば手に余ってしまう。


 「いや、だってお前…… けっ、結婚って、意味わかってるのか……?」


 「うん。家族になることでしょ?」


 「いや、そうだけど、そうじゃないというか…… !」


 ライラは平然として首を傾けるばかりである。しっかりと意味がわかっているのかいないのか。是非、そのことについて追究したかったが、アイルにはそんな勇気はなかった。


 「そうだ、アイル」


 ようやく地獄のような時間が終わると、ヘイゼルは奥の棚へと向かった。そこで小さな木箱を取り出し、蓋を開けるとアイルの前に近づけた。


 「これって……」


 「髪飾り?」


 ライラが不思議そうに聞く。

 箱の中に、クッションに包まれ大事そうに入っていたのは、銀色の髪留めだ。片端が小さく盛り上がっていて、それが蝶の形を成している。派手な感じは一切せず、ただ凛としている。


 「そうだ。アイルを拾った時に、これを一緒に握っていたのだ。あの日、渡しそびれてしまっていた。すまない。これはお前が持っておくべきものだ」


 アイルは恐る恐る髪留めを摘んだ。ひんやりとしていて、重量感がある。

 ヘイゼルの見立てでは、アイルの母親のものだろうとのことだが、彼は全く覚えていない。あの時はまだ、三歳だった。


 「きれいだね」


 横からライラが興味津々に見つめる。


 「ああ」


 「その子に似合うのではないか?」


 「え……」


 アイルが視線を上げると、そこにはヘイゼルのちょっと悪い笑みが。付けてやれ、という意味だ。

 横を向く。すると、ライラが顔を近づけて来た。ニコニコしている。


 「ど、どこにつければ良いんだ……」

 

 アイルはライラの銀色の髪を見回した。だが、どこにつけるべきか皆目見当もつかない。


 「ここら辺か…… ?」


 「アイル……」


 落胆したような声が聞こえたので、ヘイゼルを見ると、彼は顔に手を当て首を振っていた。

 どうやら違っていたらしい。額にかかっていた髪を一つにまとめて、中間辺りで留めてみたのだが。見返してみると、少し不格好な気もする。

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