第65話

 夜はすっかりふけ、家の皆が寝静まった頃。

 アイルは隣で眠るライラを起こさぬよう静かにベッドから這い出ると、ポケットから一枚の白い封書を取り出した。

 彼は出窓の天板を机代わりにそれを置くと、手で軽く平した。月明かりに照らされた、クシャクシャになった紙屑同然のそれの中央には、存在感のある朱色の封蝋が。これがリンドヴルム王国の王室のみが使用するものだというのは確認済みだ。裏返して見ると、左上に差出人の名が。そして、右下には『古の種族、急ぎ目を通すべし』と達筆な字で書かれていた。


 「古の種族……」


 小さく繰り返してみる。

 その名称は、プセマ遺跡でウィリアムも使っていた。夢幻魔法の適性者を表す言葉に違いない。


 「洗濯しようとしたら、ズボンの中にこれが入っているのを見つけた」


 ソフィアたちが家を立った後、そう言ってダミオンがこれとプセマ遺跡で拾った手帳を手渡してきた。ずっとズボンに入れっぱなしだった二つだが、ここに運ばれて来た時には、アイルの服は上下とも新しい物に着替えさせられていたのだ。

 今は誰が下着まで変えてくれたかという件は気にしない。昼のうちにそれについて散々頭を抱えたが、答えを教えてくれる者はおらず、自分から聞く勇気もないから迷宮入りだ。

 彼は封蝋と紙面の間に爪を入れ、剥がそうと試みる。

 

 「あっ……」

 

 ヒビが入ったかと思うと、封蝋は小枝が折れるような悲しげな音を発し、無惨に割れてしまう。粉々に散らばった欠片を払い、ようやく中身を取り出す。三つ折りにされた便箋が二枚。

 一体何が記されているのか。

 アイルはそれを広げようとするが、うまくいかない。手が震えているのだ。いつのまにか息も乱れ、鼓膜はドクドクと脈打つ音で支配されていた。

 一度気持ちを整理するために深呼吸しようとすると、ふいに背中を何かが触れた。


 「アイルぅ……」


 アイルは思わず叫び出しそうになる。

 後ろに頭を回らせた。ライラは目を閉ざし、その白い腕はだらりとベッドに置かれている。


 「私、頑張った……」


 「なんだ、寝言か……」


 思わずため息をつく。

 ライラには無用な心配をさせたくなかった。少なくとも、手紙の中身が判然とするまでは。

 アイルは改めて手紙を広げる。震えは止まっていた。奇しくも、ライラの寝言が彼の心を落ち着けてくれたらしい。

 


 「それで、例の子供はどうなんだ? お前の見立ては当たっていたのか?」


 皮張りのソファに足を組んで座る老人が言う。いかにも高価そうなローブを羽織っているが、生憎サミュエルはそういうものに一切興味がないのでその本質はわからない。だだっ広い老人の私室は、そういう類のもので埋め尽くされている。

 国王という地位は、日々退屈な政治に縛られているから、奢侈品に囲まれることでしか愉しみを見出せないのだろう。憐れな生き物だと、サミュエルは心の中で冷笑した。


 「間違いないと言っていいでしょう」


 「まさか…… 歴史上の遺物だとばかり思っていたが、本当に実在するとは……」


 国王はテーブルに置かれたワイングラスに手をつけたが、すぐにそれを戻した。


 「では、明日にでも伝令隊を送り、教皇様にお伝えせねば。併せて、お前の指揮する部隊を向かわせる。子供の潜伏場所は把握しているのだな?」


 「ええ、もちろん。白翼の剣リーダー、ダミオンが自宅の一つに匿っていることは調査済みです」


 「よし、ならばーー」


 「そのことなんですが、もうしばしお時間を頂けませんか?」


 言下に、サミュエルは進言する。

 国王の目が鋭くなった。途端にその血のように赤い虹彩が輝きを増す。まるで心の内を見透かされるのではと錯覚するほどだ。こうする事で、彼は自分の思い通りにならない相手の全てを従わせてきた。彼にはそういう力があるのだ。

 だが、サミュエルだけは例外である。彼にとってそんなものは虚仮威しの域を出ない。

 国王の方も、表情一つ変えないサミュエルに対しては、嘆息するしかできなかった。


 「何を言っておるのだ。政治に無関心なお前でも、アリスフィア法のなんたるかくらい知っているだろう。黒魔術の適性者は、アリスフィア教皇国に移管後、即刻死刑されると。事態は一刻を争うのだ」


 「落ち着いてください。僕だってそこまで馬鹿じゃありません。これには深い訳があるんですよ。そう…… サンクトゥス王国の行末を決めるほどの」


 「また、お前の好きな戯言か?」


 あまり信用されてないようだ。日頃の行いが原因だが、今更直すつもりもない。


 「僕はいつだって真面目です。それで、その深い訳なんですが、適性者は二人の子供。ですが、その片割れ、男の方が歴史書の記述とは異なる性質を持っている可能性があります」


 「異なる性質だと…… ?」


 サミュエルの狙い通り、国王は関心を持ったようだ。


 「ええ。まだ断言するには至りませんが、それは調査を続ければ自ずとわかるはず。もし、確認できれば、それは我らサンクトゥス王国の功績となるやもしれません。仮定では不十分なのです。微に入り細を穿った説明をすれば、教皇様は必ずや激賞なさってくれるでしょう」


 国王の目に迷いの色が現れた。

 目の前に吊るされたエサの良し悪しを吟味しているようだ。彼がご執心中のアリスフィアの名前を出されれば当然である。食いつくまで、もう一押し。


 「確かに…… だが、それまで野放しにしておいて、どこかに逃亡されたらどうする? それが世に知られれば、それこそ我が国の威信に関わる」


 「ご心配には及びません。監視は慎重に慎重を重ねて、徹底的に行わせていただきます。それに、相手がどれほどの戦力を有しているかも見極めなければ。子供とはいえ、黒魔術は未知の魔法。油断は禁物です」


 国王はグラスに溜まった赤い液体を睨む。その目にはもう先ほどの力強さはない。そして、観念したようにため息をついた。


 「わかった、お前を信じよう。だが、期限を設けさせてもらう。それまでに対処できなければ、当初の予定通りにさせてもらうぞ」


 「構いません。ご賢明な判断です」


 サミュエルは満足そうに微笑んだ。


 「生意気なことを。これで結果が伴わなければ、お前とて容赦しないぞ?」


 「承知しております。必ずや吉報を届けて見せますので、しばしお待ちを」


 「期待しておこう。もう下がって良いぞ」

 

 「はい。では、おやすみなさい、父上」


 深く礼をしてから、サミュエルは後ろを向いた。

 歯を強く食いしばる。今はまずい。せめて部屋を出るまでは我慢しなくては。だが、腹の底から湧き上がる感情には打ち勝てない。とうとう彼の顔は、邪悪な笑みへと変貌した。

 部屋を後にして、長い廊下を渡る時には声が漏れてきた。愉快で仕方がない。


 「もうすぐ再会できるよ、アイル」


 サミュエルは舌舐めずりした。

 ようやくこの退屈な日々が終わる。全ては自分の思い通りに進んでいた。



 アイルは手紙を折り畳むと、ベッドに寝転がった。まだ頭が混乱している。

 手紙の内容は色々と予想に反していた。

 一枚目の書き出しは、自分がリンドヴルム王国国王だという簡単な説明。王の名はレミエルと言うらしい。ここは大した情報は記載されていなかった。

 問題はこの後の文だ。

 まず簡潔にまとめると、その手紙の主意は、アイルを保護したいというものだった。

 『汝が古の種族であるのなら、一刻も早くサンクトゥス王国を立ち、我が国へと向かいなさい。

 未だにどの国にも感知されていないようだが、汝の存在が世に知れ渡れば、各国が汝を捕らえようと死に物狂いになるだろう。汝の周囲は瞬く間に戦火に包まれることになる。

 我は純粋に汝を救いたいのだ。我は古の種族について、その委細を承知している。汝の仲間が如何様な運命を辿ったのかも。汝の助けになれるはずだ。

 これから定期的に、我が使いを送る。それに乗れば比較的安全に、我が国へと到達できるだろう。時と場所については、もう一枚を参照して欲しい。どうか正しい選択を取ってくれることを祈る』

 そして、二枚目には使いが現れる時間と場所が、何行にも渡り書き連なっていた。同じ所に居座っていると、サンクトゥス王国に目をつけられかねないという用心から、毎度場所を変更しているらしい。その期間は三ヶ月にも及ぶ。


 「ライラ……」


 ライラは今も心地良さそうに眠っている。何か良い夢でも見てるのかもしれない。

 正直、リンドヴルム王国を信頼することはできなかった。プセマ遺跡では、手紙を運んできた竜種に助けられたことは事実だ。しかし、相手は昔から鎖国を続けている、謎多き国。おいそれとそんな甘言に従うのはあまりに不用心だ。

 ただただ、一つの国に自分の存在を知られてしまったという、言いようのない不安が積もるばかり。

 いや、それだけではない。今日、ソフィアにプセマ遺跡の依頼をしてきた人物について尋ねた時のことだ。

 

 「プセマ遺跡の依頼? あれは依頼じゃなくて、私の独断で行ったのよ?」


 「え…… ?」


 自分が聞き間違いをしたとは思えない。それで、レナードたちにも同じ質問をしたが、全員がソフィアと同じ内容の事を口を揃えて言った。ソフィアの発言を覚えていたのはライラだけだ。

 何かが起こっている。

 もしかすると、既にどこからか魔の手が忍び寄ってらのかもしれない。だが、逃げ出そうにも、何から逃げて、どこへ向かえばいいのか。せっかく見つけた居場所を去りたくないというのが本音だ。相手の正体が漠然としているだけに、こちらも手の出しようがなく、また実感もあまり湧いてこない。

 結局、ここに留まる以上の良案は出てこなかった。


 「もっと褒めて……」


 今日はやけにライラの寝言が多い。


 「まったく、どんな夢を見てるんだか」


 アイルは小さく笑った。

 

 「何があっても、お前だけは守るからな……」


 ライラの寝顔を眺めながらそう言う。同時に心に強く誓った。

 まぶたが重くなってきた。段々とその重さに耐えられなくなる。彼女の寝顔を最後に、アイルの意識は深い闇の中へと沈んでいった。

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