第64話

 「リンシアが戻って来たのかな…… ?」


 ライラは気持ち声を潜めて聞く。


 「そんなまさか…… だって、ついさっき出て行ったばかりだぞ?」


 「彼女ならノックなどせず入ってくるはずだ」

 

 ダミオンはそう断言すると、廊下の奥を覗いた。

 ノックの音はまだ止んでいない。中に誰かいると見当がついているのか、もしくは彼によっぽど火急の用事があるのか。

 

 「絶対に音を立てないように」


 アイルとライラはコクリと頷くと、念のためベッドから降りた。ダミオンは廊下に出ると、音を立てないよう慎重に扉を閉める。

 その後を、アイルたちは扉の前まで抜き足で近く。耳を当てると、外の音がくぐもって聞こえてきた。


 「あ、玄関開いた」


 アイルの少し下で、ライラは小さく、多少興奮した様子で外の様子を連絡する。


 「ああ」


 「あ、何か話してる。男の人だ」


 「そうだな」


 「あ、えっと…… 何て言ってるのかな? 聞き取れない」


 「なあライラ」

 

 アイルは堪らず声をかける。


 「なに?」


 ライラは一音も聞き逃すまいと耳を吸盤のように張り付け、こちらを見向きもしない。


 「あ、他にも人がいる。この声ーー」


 「それは俺にも聞こえてるから、少し静かに」


 「ごめん…… 役に立ちたくて」


 ライラはしょんぼりとして謝った。

 アイルは衝動的に胸を抑える。なんだか小さな子供をいじめているような罪悪感が、彼の良心に突き刺さったのだ。途端に自分が卑小な人間に思えてきた。自分はなんて事をしでかしてしまったのだろう。


 「いや、俺が悪かった。続けてくれ」


 ライラが戸惑ったような眼差しを向けてくる。アイルの意見が、こうも一瞬で百八十度回転したのだから当然だ。

 そんなやり取りの内に、外が騒がしくなっていた。


 「待ちなさい! そっちには客人が来ているんだ!」


 はっきり聞こえた。ダミオンだ。かなり焦っている。

 続いて、ドタドタと床を踏み鳴らす音が複数接近してくる。


 「まずい! ライラ、逃げないと!」


 アイルはライラの手を取る。


 「え? ま、待ってアイル! わっ!?」


 アイルが走ると、ライラは足をもつれさせながらも、なんとか後ろについてくる。

 窓はベッドに面した壁に設置されていた。アイルはベッドに飛び乗ると、すぐさま窓を開け放つ。

 すぐ後ろに何か危険が迫っている。そう考えると、気が気でなかった。


 「ライラ、早く!」


 アイルはベッドの前に立ち尽くしていたライラの手を引く。だが、そこに引っ張る方とは逆の力が働いた。


 「待ってアイル! 違うの!」


 「違うって、どういうことーー あっ」


 アイルの身体が一気に傾いていく。枕とシーツの間にあった段差に、運悪く足を乗せてしまったのだ。そのまま彼は、ライラを巻き込んで盛大にベッドに転げた。

 ガチャリ。ノブが回り、扉が開く。

 まずい。こんな無防備な状態では、逃げられない。

 しかし、その緊張は見覚えのある薄紫の髪により打ち消された。その人は、アイルたちを視界に収めるや否や顔をしかめる。


 「な、何をしているんだ…… ?」


 「おお…… これは、邪魔しちまったみてえだな」


 「レナードさん、タイロン……」


 「ど、どうしたの? もしかして二人の状態が危ないとかじゃ……」


 遅れて、ノエルがおもむろに顔を出す。彼もレナードと同じ表情を作った。


 「ノエルも…… みんな、どうしてここに?」


 「どうしてって、顔を見に来たんだ」

 

 レナードがキッパリと言う。


 「こっちは心配してたってのに。なんだよアイル、元気が有り余ってるじゃねえか」


 タイロンに囃され、アイルは改めて自分の状況を確認する。

 大いに乱れたベッドの上に、アイルが。その上に被せるようにライラが乗っかっている。その構図は、瞬時に彼の羞恥心を刺激した。


 「いや! これは違うんだ…… !」


 アイルは急いでライラを起き上がらせ、自分はそこから不自然に離れた位置に座る。


 「中々やる男だったんだな。見直したぜ」


 「これは誤解だ…… 窓から逃げ出そうとしたら倒れて…… これはライラのためで、下心なんて断じてないんだ……」


 「みんな、久しぶり」


 アイルがボソボソ言い訳する側で、ライラは無邪気なものだ。


 「たったの二日しか経っていないんだがな。確かに久しぶりに会ったような気分だよ。二人とも、無事で何よりだ」


 レナードはホッとしたように答える。


 「まったく、飯も食わずに探し回って来たってのに。心配して損したぜ」


 「タイロン君…… アイルくんとライラさんは、氷晶の薔薇の命の恩人なんだよ。それをわかってるの? 助けてもらった人に対して、そんな態度は見過ごせないな」


 「わかってねえな、ノエルはよ。男心ってのはな、常に勇猛に真っ直ぐってわけじゃねえんだよ。時には本心を見せないよう、嘘の後ろに隠れたくなるもんなんだ」


 いつもの如くタイロンは意味のわからぬ自論を展開する。


 「なに男心って…… もう、今回だけはしっかりと言わせてもらうよ。その表現はなんか気持ち悪い!」


 「ほう、言うじゃねえかノエル。仕方ねえな。お前には、真の男心ってやつを余すとこなく見せてやる。覚悟しろよ」


 「男心を見せる…… ? 何するつもり……? ちょっと待って、冗談だよ。僕が悪かったです……」


 「今更逃げられると思うなよ!」


 お馴染みの騒がしい寸劇がすぐ前で始まる。「これが男心だ!」と聞こえ、なんだか見ない方が良い気がして目を背けた。レナードはそんな騒ぎに、首を揺らしながら大息した。


 「見ての通り、こちらは皆いつも通りだ……」


 「そうみたいですね……」


 「すまないな。君たちも疲れてるだろうに、騒がしくしてしまって。もう少し配慮するよう、事前にあれだけ釘を打っていたのに」


 「いえ、大丈夫ですよ」


 アイルは混じり気のない純粋な意味の笑みを浮かべる。

 いつもは煩わしいだけのタイロンたちの言い合いが、こんなにも心を和ませるとは。これなら、いつまでも聞いていたい。


 「なんだか、お家に戻って来たみたいだね」


 「まったくだな」


 少し感動に欠けるが、こういう再会の果たし方も悪くない。


 「あれ…… ソフィアさんは?」


 ライラは頭を斜めにし、廊下の方を見やる。確かに、この三人がいるならソフィアが来ていてもおかしくない。


 「ああ、それは……」


 レナードは何か言いにくそうだ。

 悪い妄想が膨らむ。


 「もしかして、何かあったんじゃ……」


 「いや、別に大したことじゃないんだが……」


 全て知っているようだが、肝心の部分だけなぜか明かしてくれない。


 「人の制止を振り切り、果敢に侵入してきたまでは良かったが。この期に及んで、気持ちが揺らぐのは感心しないな。もう観念するんだ」


 廊下から、ダミオンの説得とも諭しともつかぬ、柔和な声色が近づいてくる。誰と話しているかは、大方見当がついた。

 なんだ、やはり一緒に来ていたのか。

 アイルは人知れず気もそぞろになっていった。なんと声をかけようか。

 しかし、やがて姿を現したのはダミオン一人だけだった。


 「二人ともすまない。氷晶の薔薇との接触は控えろと言った矢先なのに、易々と侵入を許してしまった」


 「いえ、気にしないでください。ここまで来てくれたのなら、俺たちも顔を合わせるぐらいはしてたと思いますし。何よりみんなに再会できて、すごく嬉しいんです」


 アイルは本心からそう言う。

 それに小さく頷くと、ダミオンは真横を向いた。壁の向こう側に誰かいるらしい。


 「いつまでそこで立っているんだ? 早くこっちに来なさい」


 角という角を削ぎ落とした、まん丸な物言いだった。それはまるで、愛する我が子に言い聞かせるような光景を彷彿とさせる。

 しかし、相手の反応はない。しばらくの静寂が訪れた。アイルはライラと顔を見合わせる。どうしたのだろうか。

 それから少し間が空いて、ようやく足音が聞こえて来た。


 「ソフィアさん!」


 誰よりも先んじてライラが声を上げる。

 だが、対するソフィアは足元と睨めっこしたまま、微動だにしない。スカイブルーの長い髪に、表情を隠していた。いつしかタイロンたちの言い争いも終結し、室内は七人がいるとは思えぬ静けさに包まれる。


 「あ、あの、えっと……」


 ソフィアは口をもごもごさせる。どうやら彼女も言うべき文句を考えていないらしい。

 アイルはベッドから立ち上がると、一歩前に進んだ。


 「もう会えないかと思ってました。またソフィアさんに会えて、本当に嬉しいです」


 「え?」


 ソフィアは勢いよく顔を上げてから、しまったという表情をする。だが、既にアイルと視線が合ってしまったためか、彼女は目を逸らせずにいた。目元にはクマができ、少しやつれたと思うほどだ。半開きのまま固定された口が、ゆっくりと動く。


 「私のこと、怒ってないの…… ? 失望してないの…… ?」


 「何を言っているんですか。怒ったり失望していたら、こうやって会っていませんよ」


 「でも、私は二人のことを騙して……」


 「騙していたのはお互い様です。しかも、俺は最後までそのことを打ち明けようとしなかった。俺たちの方が謝らないと」


 ライラの方を見ると、彼女は満足そうに「うん」と頷いてみせた。


 「今まで、自分の素性を隠していてすみませんでした」


 「すみませんでした」


 アイルとライラが揃って頭を下げたことで、益々ソフィアの動揺を誘ってしまう。


 「え…… ? どうしてそうなるの…… ?」


 「こんな重要な事を隠していたんだから、当然です。その上で、差し出がましいんですが、一つだけお願いがあります」


 「お願い?」


 「俺たちを…… 氷晶の薔薇に残しておいて欲しいんです」


 「え?」


 「正直に打ち明けると、俺たちは最初、利己的な判断から氷晶の薔薇に入りました。ギルドの人たちと仲良くする気なんて一切無かったと思います。それはもちろん、俺たちの事を詮索されないようにするためです」


 この際だから、アイルは自分の腹づもりをさらけ出すことにした。そうでなければ、我がままを言う権利などない。

 ソフィアを始め、皆が静かに聞き入っていた。


 「でも、短い間でしたが、一緒に過ごしていく内に考えが変わりました。俺もライラも今ではあなたたちを信頼しています。いつの間にか、氷晶の薔薇が俺たちの居場所になっていたんです。俺たちには他に居場所なんてないから…… だから、また前みたいに迎え入れてくれたら……」


 アイルは再び頭を下げた。先ほどよりも、深く長く。


 「身勝手なお願いだということはわかっています。それでも……」


 「何を言ってるの!」


 急に大声を出され、アイルはキョトンとする。


 「私のせいで、あなたたちは死ぬかもしれなかったのに。悪いのは私の方なのに。どうしてあなたたちが謝るの…… ! どうしてそんなに優しくするの!」


 ソフィアの瞳から大粒の涙が流れ、ポタポタと地面に垂れていく。

 一瞬にして、この場にる全員が凍り付いた。


 「ソフィアさん……」


 「もう私のことなんて見限られて、一生恨まれるんだと思ってた…… ! 私から頼んでも、絶対拒絶されると思ってた…… !」 


 呂律が回らなくなり、時々鼻をすする音が混じっていた。それでもソフィアは懸命に続ける。


 「私は、それだけの事をしてしまったのに……」


 ソフィアの潤んだ瞳がこちらを向く。


 「それでも、許して、くれるの…… ?」


 「はい」


 「本当に…… 本当に戻ってきてくれるの? また一緒にいてくれるの?」


 「はい」


 たった一言。だが、そこにはアイルの思いがしっかりと込められていた。


 「ありがとう…… ! それと、ごめんなさい…… ! もう絶対に騙すようなことはしないから…… !」


 ソフィアはその場で膝から崩れ落ちた。それから、子供のように泣きじゃくる。

 傍らにいたダミオンが、彼女の背中をさする。


 「だから、心配ねえって。アイルたちなら絶対戻ってきてくれるって、言ったじゃねえか。俺は最初から二人を信じてたぜ」


 タイロンが調子の良い事を言う。


 「わっ、なんでタイロンくんまで泣いてるの……」


 ノエルの指摘通り、タイロンは目頭を指で抑えていた。鼻の辺りも少し赤くなっている。


 「俺の鋼の男心も、情に弱いもんなんだよ!」


 「は、はあ……」


 タイロンの男泣きに、ノエルはすっかり気を呑まれたようだ。なんだか収拾がつかなくなってきた。

 そんな状況の中、レナードがアイルたちに近づいてくる。そして、ゆっくりと二人の肩に手を置いた。


 「ありがとうアイル、ライラ。君たちのおかげで、氷晶の薔薇が、そして薔薇園が救われた」


 「お礼を言いたいのはこっちの方です。氷晶の薔薇に居させてくれて、ありがとうございます」


 続けてライラが「ありがとうございます」と頭を下げた。


 「今はリーダーがあんな様子だし、代わりに私が言うことにしよう。おかえり、二人とも」


 「ただいま」


 アイルとライラは同時に言う。

 なんだか妙にしっくりくる響きだった。

 だが、再会できたと言っても、まだ氷晶の薔薇に戻るわけにはいかない。

 ダミオンの指示に従い、アイルたちは無期限で彼の家に留まる旨をソフィアたちに伝えた。彼女たちは、アイルたちの安全が第一だと、それを了承してくれた。それに、彼女たちも後始末を残してここに来たらしい。

 そういうわけで、ダミオンの用意した一人分のサンドイッチを小分けにして食べ終えると、すぐに帰ることになった。その頃にはソフィアもタイロンもだいぶ落ち着いていた。彼女のよそよそしい感じはまだ抜けきっていなかったが。


 「ダミオンさん。二人をどうかよろしくお願いします」


 「ああ、任せなさい」


 玄関前でソフィアとダミオンが挨拶を済ませる。


 「じゃあねアイル、ライラ」


 「ライラちゃん」


 出し抜けにそう言ったのはライラ本人だった。


 「え?」


 「前みたいにライラちゃんって呼んでくれないの?」


 ソフィアは目を見開いて、ライラを見つめる。そういえば、いつからかソフィアはちゃん付けを辞めていた。


 「そうね…… ライラちゃん。戻って来たら毎日撫でてあげるから、覚悟してね」


 「毎日はいや……」


 ライラは大変素直だった。

 それで、とうとう皆が帰るという時になって、タイロンが思い出したように振り返った。


 「あ、そうだった。言い忘れるところだったぜ、あの時の答え」


 「答え?」


 「なんだよ、もう忘れたのか? 騎士から逃げてた時だよ。お前、俺たちに自分の事をどう思うかって聞いただろ」


 「あ、そういえば……」


 一昨日から色々なことが連続して起こり、そんなこと思い返す暇もなかった。


 「知りたいか?」


 「知りたい」


 手を挙げたのはライラだ。


 「仕方ねえ。そこまで言うなら教えてやろう。それはな……」


 あの時同様、アイルは固唾を飲んで続きを待つ。どんな答えが出てくるのだろう。

 そんな彼を見て、タイロンはニヤリと笑った。


 「二人とも中々強ええが、俺と比べたらまだまだ。鍛錬が足りねえな。第一もっと食わねえと、俺に追いつくなんて無理だぜ。って感じだ」


 「へ…… ?」


 「じゃあ次は僕だね。んー…… 毎日毎日二人で夫婦みたいにイチャイチャして、タイロンくんと毎日一緒にいる僕への当て付けか! って感じかな」


 ノエルは真面目腐った言い方をする。


 「いや…… 俺が求めてたのは、何というか、そういうのじゃなくて……」


 「ったく。お前は何もわかってねえ」


 「ど、どういうことだ?」


 さっぱりわからない。


 「お前の知りたがってる答えなんざ、わざわざ言うまでもねえってことだよ。お前がどこにいるか、探し出すのに何時間かかったことか」


 「たぶんタイロンくんが一番熱心だったよね、探すの」


 「ノエル、お前!」


 ノエルの横槍に、タイロンは声を荒らげた。

 アイルはそんな様子をぼんやりと眺めることしかできない。


 「まあ、そういうわけだ。さっさと戻ってこいよ」


 ぶっきらぼうに言い放つとタイロンはそそくさと玄関へ向かう。

 扉が開き、四人が順々に出て行く。その間、アイルは結局何も言うことができなかった。


 「氷晶の薔薇は皆いい子たちだ。君たちのことをとても大事に思っている」


 ダミオンはがらんとした玄関を見ながら呟く。それで、ようやくアイルは胸の辺りに滲んでいく温かさに心づいた。


 「…… そうですね」


 「ねえアイル?」


 ライラが声をかける。


 「ん?」


 「イチャイチャって?」


 「知らないし誰にも意味を聞いたりするんじゃないぞ」

 

 アイルはライラと目を合わせることなく、素早く言い放った。

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