第二章
第66話
アイルは、この家に滞在してから通算して三十回目になるサンドイッチを頬張った。朝食はいつもこれだ。時々具材が変わるが、味はどれも大同小異で、残念ながらダミオンの精一杯の工夫はあまり意味を成していない。
「本当に今日発つのか?」
紅茶を机に置くと、ダミオンがそう切り出した。
「はい。一ヶ月経ちましたが、王都内にこれといった動きもありませんでしたし。何より、このままダミオンさんの厄介になり続けるのも良くないので」
ダミオンに対する位置に座るアイルはゆっくりと頷く。
「確かに、危険は無さそうだが…… 別にそんなに早まらなくとも、私は少しも迷惑に思っていないぞ?」
「いえ。さすがに何もしないで毎日を過ごすのは、自分のためにもならないですから」
「えー。毎日お昼過ぎまで寝て、一日中ぐうたらできるのに……」
紅茶のカップに視線を落とし、さも一大事のような声音を響かせるのはライラだ。横の髪が中程から重力に反し、天に向かって逆立ちしてしまっている。
「お前は少し重症だ……」
「そうかな?」
「ああ。明日からはそんな生温い生活はさせないから、覚悟しておけ」
「え……」
ライラの顔から血の気が引いていった。
ダミオンの家に滞在してから一ヶ月。アイルの懸念は良い意味で裏切られていた。数日毎に、白翼の剣の人員(アイルたちの魔法ことは知らない)が、王都での動きを逐一知らせてくれたのだが、特段目立った動きはなかったらしいのだ。一つ挙げるとすればプセマ遺跡には今でも、王都が編成した調査部隊が出入りしているとのこと。ただ、王都からはこれといった発表もないため、めぼしいものは見つかっていないのかもしれない。死体すら見つかっていないのが、不気味であるが。
そして、結局リントヴルム王国からの手紙に記されていた場所には一度も行かなかった。手紙によれば、後二ヶ月の間は王国からの迎えが来るらしいが、今のところ出向くつもりはない。
白状すると、アイルたちは途中から自堕落な生活を満喫していた。当初は、いつ誰がこの家を襲ってくるかもしれないとビクビクしていたが、慣れとは恐ろしいものだ。一、二週間もすると、緊張の糸は緩み、平気で近くの出店へお使いにも行った。
平和でゆったりとした日々。それが終わるとなると、少し寂しい気もする。だが、同時に今日という日をどれだけ待ちわびたことか。
「何かあれば、いつでも私を頼りなさい。できる限りのことはしよう」
玄関前で、ダミオンが言う。
「そう言ってもらえると嬉しいです。一ヶ月の間、何から何までありがとうございました」
「ありがとうございました」とライラが続く。
「ああ。いってらっしゃい」
多少憂いを帯びた声に背中を押され、アイルたちは一ヶ月ぶりに氷晶の薔薇へと向かった。
大通りは相変わらず人の往来が激しく、活気で満ち溢れている。
「みんな元気にしてるかな?」
「どうだろうな。何せ氷晶の薔薇の情報はほとんど入ってこなかったから、さっぱりだ」
あの日以来、氷晶の薔薇との接触は避けていた。だから、一ヶ月の空白がある状態だ。
「タイロン、食べ過ぎて太ってるかもしれないね」
「あり得る話だ。あいつは食事中、ほとんど食べ物を飲んでるようなものだからな」
「ノエルはタイロンと上手くやれてるかな?」
「良く言い合ったりしてるが、別に仲が悪いわけじゃないぞ? あのコンビは永遠不滅だろう」
「アイルくんはこの一ヶ月の間、ライラさんとイチャイチャして過ごして、それはそれは夢のような日々を送ってたんだろうね」
「そうだな。俺はライラと毎日ーー は!?」
アイルは慌てて声のした方を向く。
「ノエル…… それにタイロンも……」
「よお」とタイロンが、「やあ」とノエルが同時に気さくな挨拶をする。あまりに急だったので、アイルは数秒の間思考停止に陥っていた。
「えっと、なんでここに…… ?」
「なんでって、お前。俺たちは王都に住んでるんだから、街中をうろついてるのは当然だろ?」
確かにそれは当然の話だ。
「ていうか、否定しないんだね、アイルくん…… 僕がこの一ヶ月、このむさ苦しい男と毎日どんな思いで依頼を……」
「いや、あれは流れでそう言っただけで、そんなつもりじゃーー」
「なんだ? 俺と依頼をやることに不満でもあるってか?」
タイロンの不穏な声色が、アイルの弁解に割り込む。
「うん、当たり前だよ。一昨日だって、護衛対象が乗ってる馬車を半壊させたよね? どうして、そう何でもかんでも壊しちゃうのかな? 少しは学んで欲しいね」
「ほう…… 言うじゃねえか」
早速、恒例の喧嘩が始まろうとしている。まあ、諺が示す通り、二人の行為も裏を返すと仲の良い印なのだが。
「二人とも久しぶり」
なぜかライラはこういう時、順応能力が高く、物怖じしない。
「おう。ライラも元気そうじゃねえか。ちゃんと食うもん食ってたか? 強くなるには、まず何においても飯からだ」
「うん、たくさん食べたよ」
「朝食はダミオンさんが作るって言ってたけど、あの人の料理はどうだった?」
ノエルが興味津々に聞いてくる。
「えーっとね…… 野菜てんこ盛りサンドイッチに、チーズと野菜のサンドイッチ、お肉と野菜のサンドイッチ、それから……」
「おいおい、全部サンドイッチじゃねえか……」
タイロンが顔を引きつらせる。
「ほ、他には? まさか、一ヶ月毎朝サンドイッチってわけじゃ……」
「毎朝サンドイッチだよ」
「もう少し手の込んだ料理を振る舞ってるのかと思ってたのに…… ダミオンさんのイメージが……」
「まあ、ダミオンさんも色々と多忙な中作ってくれてたから、仕方ないさ。それに味は良かった」
アイルの咄嗟のフォローに、「そうだね」とライラは無邪気に賛同する。しかし、ノエルたちに植え付けられた、料理が苦手なダミオンの像を完全に打ち消すことはできないだろう。まあ、実際、彼は正真正銘の料理下手なのだが。
そんな最中、偶然、道端で熱っぽく会話している、男たちの声が耳に入ってきた。
「聞いたか? ついにアリスフィア教皇様が、劣等種の原因究明に乗り出してくださったらしい」
「なんと有難い話だ。これで、街に平等が戻るというもの。あのお方には感謝してもしきれない」
「まったくだ。世界の隅々にまで目を向けられ、弱者を救おうとしてくださるその御心には、頭が上がらないよ」
アイルの意識は完全に男たちの会話に向いていた。
アリスフィアと聞くと、否応なしにウィリアムの姿と結びつく。一ヶ月前、プセマ遺跡でアイルたちを襲った男。彼は自分がアリスフィアの関係者であるような事を言っていた。
だが、やはりあれは説得力を増すための、耳触りの良い虚言だったのだろうと、アイルは結論付けている。第一、アリスフィア法で死刑とされる夢幻魔法の適性者を、生きて持ち帰るというのは辻褄が合わない。それに、同行させたいだけなら、もっと穏便な方法もあったはずだ。ウィリアムがエフスロスとの繋がっていたことから、彼はそこの回し者だったのかもしれない。アイルを欲した理由まではわからないが。
「アイルくんたちは、まだ聞いてないのかな? 今朝方、アリスフィア教皇様が声明を発表したんだよ。ここ数年で、重度の劣等種の数が激増してるらしくて、それの原因を突き止めて、優劣の差を無くすんだって。そのために、各国にも協力を仰いでいるんだ」
アイルの微妙な表情を、ノエルは真新しい情報を前にした純粋な興味と解釈したらしい。確かにこれは初耳だった。
「そうだったのか」
「劣等種って?」
ライラが首を傾げる。
それを聞くと、俄然アイルの心に火がついた。彼はは一度大きく息を吸い込む。
「マナは親から遺伝するものなんだが、親のマナよりも明らかに力の弱い子どもが劣等種と呼ばれているんだ。それがここ最近急増してるらしい。原因は全くの謎だが、俺の読んだ学術書の中では、どうやら人々はこれからマナの衰弱化が進んで、数年後には魔法が使えなくなってるという突飛な説も出ている。だが、その意見は極めて少数派で、大多数は単なる偶然が重なった、それこそ不作のようなものだとーー」
「はいストップ!」
慣れた感じでノエルに静止を促され、アイルはハッとする。
「悪い、また俺……」
「へっ、相変わらずだな。それだけ元気なら、明日から依頼をバンバンこなせるな」
「え、明日から…… ?」
一人絶句するライラに、他の皆は苦笑いを浮かべた。
「それにしても、アリスフィア教皇国が他の国を巻き込んで、こんな大々的な宣言をするなんてな」
アイルが驚きを示す。
「今までは不干渉の姿勢を貫いてたからね。それだけ今回の問題が大きくなったということじゃないかな。薔薇園にいる子たちも、大半が劣等種という理由で親から捨てられた子だし」
「最近、捨て子の数も増えて来ちまってるしな。まったく、どんな理由があっても自分の子を捨てるなんて、ふざけてやがるぜ」
タイロンのセリフはもっともだ。それに、他人事とは思えない。
アイルもリビエール家に拾われた時は、劣等種だから捨てられたのではないかと囁かれていた。彼自身、啓示式の前まではその噂が真実だと信じていたが、その日を境に真相は藪の中である。
魔法の適性は、例外なく親のものを受け継ぐ。この基本原則に則れば、アイルの親は夢幻魔法の適性者ということになるが、なぜ彼を捨てたのだろう。
「まあでも、教皇国が問題解決に乗り出してくれたのは朗報だよ。薔薇園で子どもを受け入れるだけじゃ、根本的な解決にはならないから」
「俺たちも教皇には感謝しないといけないな」
「様をつけなさい、様を……」
ノエルはうんざりしたように息を吐いた。
そうこうしている内に、見覚えのある建物に到着した。
「一ヶ月ぶりだね」
建物を見上げるライラが言う。
氷晶の薔薇の本部は、変わらずそこにあった。
「ああ。少し緊張するな……」
まごついていたアイルに、「何言ってんだ」とタイロンが背中を叩いてくる。少し痛い。
「自分の家に帰るのに、なんで緊張なんかするんだよ。もっと堂々としろ」
アイルは口をぽかんと開け、タイロンの顔を見た。「俺なんか変な事言ったか?」と言いたげな顔だ。
「今ソフィア様もレナードも中にいるから、早く顔を見せてあげな。絶対喜ぶよ」
ノエルが優しくそう言う。
アイルは頷くと、ゆっくりノブに手をかけた。不思議と心臓が高鳴っていく。そこへ、ふいに白い手が重なる。細い腕を辿ると、微笑を浮かべたライラの顔が。
「一緒に」
「ああ」
ようやく決心がついた。ノブを回す。
帰って来れたのだ。自分たちを迎え入れてくれる、新たな家に。
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