第63話
重いまぶたを持ち上げる。眩しい光が、痛いくらいに目に注ぎ込まれた。細かい瞬きを繰り返し、ようやく細目の状態に落ち着く。酷く身体が怠い。
「あれ……」
見たことのない板張りの天井だ。そして、視線を落とすと真っ白なベッド。
「俺は確か、レイリーを殴って…… それで……」
記憶を辿ってみるが、そこから先は完全に空白であった。あのまま気を失ったのだ。状況から勘案すると、誰かがここまで運んでくれたらしい。
ふと、アイルは片腕を布団から出してみた。
「治ってる……」
あれだけ傷だらけだった腕は、完璧に修復されていた。左右に捻ってみても、傷跡すら見当たらない。あの戦いは、長い夢だったのではないかと錯覚してしまう。
とりあえず部屋の全貌を見渡そうと、寝返りを打ってみた。
「うわっ! ライラ!?」
アイルは反射的にのけぞった。寝起きでゆったりとしていた心臓のリズムが、一気に暴れ狂う。息のかかる距離に、ライラの顔があったのだ。
「な、なんでこんなところに…… って、寝てる……」
ライラは心地良さそうに目を閉ざしていた。微かな肩の浮き沈みが見て取れる。
改めてライラの顔を見つめる。変わらず玉のように艶やかで、白く透き通っている。この距離で眺めても、肌に全く凹凸が認められない。枕に乗せられた頬は、自重により柔らかそうな小山を築いていた。
「良かった、怪我はなさそうだな」
無事を確認できると、ホッとすると同時に、無性にその肌に触れたくなった。そうすることでライラの存在を実感したかっただけで、他意はない。別にいかがわしい事をするわけじゃないのだから、許可を取る必要はないだろう。
アイルはゆっくりと手をライラの頬へと近づける。やけに手が震えるのは、筋肉痛か何かに違いない。
「これは…… !」
思わず感嘆する。
アイルの指先は、何の抵抗もなく白い肌に吸い込まれていった。未だかつて体感したことない柔らかさだ。本当にこれが自分の肌と同じ物質で構成されてるのか甚だ疑問である。
「んん……」
小さな呻きを聞いて、アイルは慌てて手を引っ込めた。それからしばし、彼女の動静を見ていたが、どうやら起きる気配はない。
「よし、もう一回だけ……」
「何がもう一回だけよ。眠ってる女の子をどうするつもり?」
「え!?」
アイルは勢いよく半身を起き上がらせた。
「り、リンシア! な、なんだ、居るなら先に言ってくれ!」
「ごめん、何か声かけづらかったから。それにしても、あんたもそういう事するんだ」
「そ、そういうこと…… ?」
「別にいいんだけどさ。でも、寝込みを襲うのはどうなの?」
近くの丸椅子に座っていたリンシアが、ニヤニヤしながら聞いてくる。一部始終をバッチリ見られていたらしい。
「違う! 変な言い方はやめろ! 俺は、その…… 体温を確認しようとしただけだ! そう、これは検温だ! 仲間の健康管理は大事なことだろ?」
アイルは早口でまくしてる。
「そんな慌てなくても…… ていうか、もっとマシな嘘考えなさいよ…… 逆に怪しさ増してるんだけど」
「嘘なんかじゃないぞ! そ、そんなことより! ここはどこなんだ?」
さっさとこの話題から逃れたかったが、リンシアの胡乱な目は中々変わってくれなかった。これではまるで自分が変質者みたいではないか。
「ここは王都の外れにあるダミオンの家。あんたが倒れた後、あいつが運んでくれたの」
「そうだったのか。俺はどのくらい寝てた?」
真横の窓はからは光が差し込んでいる。それほど時間は経っていないはずだ。
「丸一日かな」
「一日!? そんなにか!?」
「傷は癒えても、さすがに疲労が蓄積してたみたいね。ぐっすり眠ってたわよ。その間ずっと、ライラが側で看ててくれて。命に別状はないから、心配することないって言ってるのに聞かなくて。で、ちょうど一時間くらい前かな。少しは寝ておきなさいって助言したら、じゃあここで寝るって」
アイルは改めてライラに視線を戻した。彼が呑気に眠りこけている間中、ずっと彼女が看病してくれていたのか。
「まったく。見かけによらず、ガードが硬いって言うか……」
小さくそう聞こえてきた。
「ガード? 何の話だ?」
「ううん! なんでもない! ていうか、聞こえてたとしても、そこは流しときなさいよ!」
あまりにも取り乱したその姿に、アイルは困惑を隠せない。のぼせたように顔が真っ赤になっているではないか。先ほどとはまるっきり形勢が逆だ。
その理由について、ちょっと問い質してみたかったが、怒られそうだから自重した。
「えっと…… そうだ。治療してくれてありがとう。リンシアも怪我はないか?」
「私なんて案内役しかしてなかったんだから、なんとも。こっち側の怪我人はダミオンだけ。そのダミオンも怪我は完治してるし、奥さんが無事だったこともあって、今は面倒なほど元気いっぱい」
「ということは、見つかったんだな!」
「うん。精神的にちょっと参っちゃてたみたいだけど、数日安静にしてればすぐ良くなるはずだよ」
舞い込んできた吉報に、アイルはようやく自分たちの成果を実感した。
その後、リンシアから氷晶の薔薇解体が白紙に戻ったことも聞かされた。ソフィアたちは既に釈放されたらしい。嬉しくて、踊り出したくなるほどだった。
「さてと、アイルも目を覚ましたことだし」
リンシアはすっと立ち上がる。
「どこに?」
「ちょっと外の空気吸ってくるだけ。私も一応あんたの看病してたから、ちょっと疲れちゃって」
「そうか…… 迷惑かけたな。戻ったら、他の話も聞かせてくれるか? その後どうなったのかが気になる」
「はいはい」
リンシアは扉の方に、心なしか早足に向かって行く。何か用事でもあるのだろうか。
「本当にそれでいいのか?」
低い声が扉の方から聞こえたと思うと、それに被せるように「きゃぁぁぁ!」と悲鳴が響き、リンシアはその場にへたり込んだ。
何が起こったかわからず、アイルは目が点になる。
「な、何なのよ今のタイミング! あんた、狙ってやったでしょ!」
「なに、こうでもしないと君を制止できない気がしたものだから」
「あ、あんたね! 信じらんない! この意地悪おやじ!」
「なんとでも言うがいい。これも偏に君のためを思ってしたことだ」
そこで言葉の応酬が途切れる。リンシアが相変わらず腰を抜かしたままだから、扉の奥に立つ人がよく見えた。
「ダミオンさん」
「アイル、目を覚ましたようで本当に良かった」
ダミオンの威厳のある顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。リンシアの言う通り、彼は最初に会った時よりもだいぶ顔色が良い。
なぜだか彼は扉の前を通せん坊するように立ち、そこを動こうとしない。
「あの、今のは一体?」
「それは私からではなく、本人に直接聞いてくれ」
「ほら」とダミオンが催促すると、渋々と言った感じでリンシアが腰を上げる。よほど肝を潰したのか、少し涙目になっていた。
「あー、別に大した話じゃないんだけどさ…… しばらく会えなくなるかもしれないの」
「え?」
「私…… 自分の罪を告白してくることにしたの。それで、ちゃんと罪を償ってくる」
「償うって…… だって、リンシアは……」
言葉が続かない。
「いくら逃げ出せない状況だったとはいえ、私も烈風焔刃の一人として悪事に加担してたのは事実だから。強制されたっていう証拠もないし。それに、私の捜索始まってるんでしょ?」
「おそらくは。昨日、レイリーを王都に引き渡した時、他の仲間の所在を知らないか尋ねられた。全員の身柄を捕らえる気なのだろう」
ダミオンが簡単に説明した。
「そういうことだから。あんまりここに長居して、騎士が来たら大変だし。まあ、回復魔法を使える身として、一応あんたの目が覚めるまで待ってただけ」
「リンシア……」
アイルは引き留めるべきなのか判断しかねた。
考えてみれば、リンシアのギルド内での扱いを証明する手立てはないに等しい。
しかし、烈風焔刃に対し、彼女の心境が真に拒絶を示していたことを彼は知っているのだ。恐怖に押さえつけられ、彼女は逆えずにいた。これでは不当に捕まるのと変わらないのではないか。
かといって、このままでは彼女はお尋ね者として、外を出歩くことさえままならなくなる。彼女の決断を下支えしているものの内には、このことも含まれているのだろう。
「ねえ、アイル」
「なんだ…… ?」
「私いつ釈放されるかわかんないけどさ…… 釈放されたら、またあんたたちの所に行っても良い……? こんな犯罪者と一緒になるの、嫌だとは思うけど。あんたくらいしか、頼れる人もいないし……」
リンシアの瞳は地面に向けられる。
そうか。
アイルがどうこうしようが、彼女の決心は揺るがない。既に彼女はその先のことを考えているのだ。それならば、彼女を少しでも安心させなければ。
「大丈夫。罪を背負ってるのは俺も同じだ」
リンシアは口を開いたまま固まる。全く予想外の方向から不意打ちを食らったようだ。
それから唇が小刻みに震え、「ありがとう」と消え入るような声で言った。
「行っちゃうの?」
下を見ると、ライラは目をパッチリと開けリンシアの方を見ていた。
「うん。ライラもありがとね。あんたがいなかったら、私たち今頃死んでたよ」
「えへへ…… 私もリンシアが帰ってくるの、待ってるから」
「そう言ってくれると嬉しい」
リンシアが振り返ると、ダミオンが静かに頷き道を開けた。彼女はこちらを顧みることなく、廊下へ歩いていく。今日からしばらく会えなくなるのか。
寂しさを覚えた時、彼女は扉からすっと顔を覗かせた。
「言い忘れてた。ライラ。あんた、寝る時は用心した方が良いわよ」
「おい!」
アイルが叫ぶと、リンシアは逃げるように今度こそ廊下を駆けていく。吹っ切れたような悪い笑みが脳内に焼きつく。扉の開閉する音を最後に、室内は一気にしんとした。
「案ずるな。重い罰は降らないはずだ。私が談判して彼女の潔白を訴えるつもりだ」
「ありがとうございます」
「礼を言わなければならないのは、私の方だ。妻を救えたのは君たちのおかげだ。君たちには感謝してもしきれない」
「ありがとう」とダミオンは深く低頭した。
「それで…… こんな時で悪いが、早急に君の耳に入れておきたいことがある」
何だろう。アイルは首を傾げる。
「王国の者に怪しまれてしまった」
「怪しまれた? 何をですか?」
「無論、君たちの存在だ」
その重苦しい声音は、前途に見えていた光を陰らせた。アイルは茫然自失となる。夢幻魔法のことが、王都に知られてしまったのか。
「いや、すまない。少し大袈裟な言い方だった。実は、私がレイリーを連行した際、何人かの騎士に事情を聞かれたのだ。そこでは、君たちの情報は一切出さず、我がギルドだけで鎮圧したことにしておいた。しかし、騎士の一人は、他に協力者がいるのでは睨んでいてな」
ダミオンの話では、その協力者が並外れた強化魔法の使い手であることも、王国側に察知されたらしい。
「そんなことが……」
「だが、さすがにそれが誰かという特定にまでは至っていない。それでも、騎士は多少の興味を抱いたはずだ。しばらくは目立つ行動は極力控えた方が良いだろう。氷晶の薔薇との接触も見合わせるべきだ」
「そうですね……」
「ソフィアさんたちに会えないの?」
ライラが上目でこちらを見る。
「ああ。しばらくはお預けだな」
「そっか」
かなり酷な宣告だろうに、ライラは不満な感情をおくびにも出さない。
アイルもソフィアたちと今すぐにでも会いたかったが、彼女も同じ気持ちだろう。だが、こればかりはどうにもならない。騎士に目を付けられるのは勘弁だ。
彼女たちとの再会はいつになるのだろうか。
「熱りが覚めるまでは、療養も兼ねてこの家に留まっていなさい。生活のことは、私が工面するつもりだ。こんな外れにあるくたびれた家に、騎士が来るはずもあるまい」
「助かります」
「なに、このくらい君たちから受けた恩に比べれば大したことはないさ。ここで待っていなさい。今から軽食をーー」
卒然とダミオンは口を閉じる。その顔はみるみる険しくなっていき、彼は廊下の方を向いた。「どうかしたんですか?」そう尋ねようと思った時、ノック音がアイルの耳に届いた。
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