第61話


 鼓膜を刺すような高い風切音を放ちながら、燦爛たる灼熱の輪が飛来する。なんという速度だろう。それはおそらく不可視の刃を凌駕するほどだ。隠すことを辞め、その分凶暴性は数段上がっている。

 アイルが身体を逸らすと、半身に焼けつくような熱が通過していく。あわや大火傷を負うところだった。光輪は地面を深く削っていき、その姿は見えなくなった。


 「確かに速いが、見ることができれば大したことはない!」


 「馬鹿が。そんな単純なことだと思ったか?」


 「なんだと?」


 眉をひそめたアイルの視界の端から、突然強い光が走った。それは、今しがた魔法が着弾したところだ。


 「まさか!」


 彼は慌てて飛び退く。

 直後、大きな爆発が起こった。


 「うわっ!」


 アイルは爆風に巻き込まれながらも、どうにか地面に着地する。


 「危なかったな。俺が教えてやんなかったら死んでたぜ?」


 「調子に乗っていられるのも、今のうちだ…… !」


 「また、言葉だけか? もう聞き飽きたよ。さっさと俺をぶん殴ってみろよ、雑魚アイル!」


 レイリーの周りでまた幾つもの、回転する炎の刃が発生した。それらは奇怪な軌道を描きながら、アイルを取り囲んでいく。


 「言葉だけじゃない…… !」


 燃え盛る利刃が一斉に襲いかかってくる。

 視覚強化。アイルは忙しなく視線を動かし、常に全ての位置を把握する。

 彼は身を曲げ、回転しながら空中を飛んだ。見えてさえいれば、このくらい造作もない。

 そう思っていた矢先、頬の辺りに鋭い痛みが走った。


 「いっ…… !」


 目に見えてるものは全てかわしたはずだ。ということは。

 

 「炎に紛れて、見えない魔法を!」


 ようやくレイリーの魂胆が理解できた。

 可視の刃の対処に没入しているところを、不可視の刃で不意打ちする。彼も単一の魔法だけでは、アイルを仕留められないと分かっているらしい。


 「今頃気づいたって遅えんだよ! ほら、肉塊になるか灰になるか選べよ!」


 周りに敷かれた黒炎のセンサーが次々に反応を示す。さすがに見る箇所が多すぎる。


 「この数、避けられるか…… ?」


 不安が重くのしかかる。正直、これらに当たらず生還するビジョンが見えて来ない。

 それでも、アイルはすぐに首を横に振った。

 

 「何を弱気になっている…… !」


 アイルの頭には、多くの見知った顔が浮かんでいた。リンシアが、ライラが、ダミオンが、氷晶の薔薇の皆が。全員が痛切な顔でこちら見ている。皆助けを求めている。


 「今もみんなが頑張ってるんだ。俺があいつに負けたら全てが台無しになる。賭かってるのは俺だけの命じゃない!」


 「ふっ、本当に口だけはよく動くな! だが、どれだけ意気込もうが、結局全ては力なんだよ! お前は俺には勝てねえ!」


 アイルの周りには夥しい数の焔刃が乱舞していた。これで終わらせるつもりだ。

 

 「確かに、俺一人じゃお前には勝てないかもしれない! だけどな…… !」


 赤と黒の炎の動きを脳内で処理し、最適な避け方を瞬時に導き出す。少しでも反応が遅れたり、判断を誤ればそれで終わりだ。

 頭から指の一本に至るまでを、慎重に、しかし迅速に動かしていく。それはまるで、幾重にも重なる網目にできたごく僅かな隙間を、極小の針が縫っていくようだった。

 腹のすぐ横を、不可視の刃が掠め、服が引き裂ける。頭の上を、鋭い一撃が通り、髪の一部を切り取っていく。だが、どれも肉までには至らない。

 地面に沈み込んだ炎の刃が、次々に爆破していく。だが、それすらも間一髪のところで逃れる。完璧な回避だった。


 「こいつ、まじでかわしやがった…… !」


 レイリーの顔から明らかな焦りの色が見て取れる。

 アイルは体勢を立て直すと、レイリーを真っ直ぐに見据えた。


 「俺は一人じゃないんだ! みんなが助けてくれた! みんなの力があってここにいる! だから、お前には負けない!」


 「なんだよそれ、気持ち悪りい! 反吐が出るぜ! 何が"みんな"だ! どうせ、黒魔術のことを知りもしねえ、上辺だけの関係だろうが! お前だって他の奴を利用してるだけだ! 俺と何も変わんねえんだよ!」


 レイリーが激昂するのに合わせて、空気がより一層ざわめきを増す。近くに散らばっていた木の残骸が、ゆっくりと転がり、段々と渦を巻き始めた。そして、それらは螺旋を描きながら、高く高く昇っていく。

 見たことのない規模の竜巻。それが眼前に広がっていた。それだけではない。吹き付けてくる強風はかなりの温度だ。しかも、それはどんどん上がってきている。


 「くっ…… !」


 熱風の渦はついに炎を纏った。あまりの眩しさに、アイルは目を半分閉じる。

 周囲の木々は狂ったように揺れていた。


 「お前の言う通りだ。俺は黒魔術のことを偽って今までみんなを利用していた。これからどう説明するかさえも考えてない。だけどな!」


 アイルは燃え盛る旋風に手を向ける。

 対象が人間でないなら、容赦する必要はない。強大な力を頭に浮かべる。


 「みんなと一緒に生きていたい! みんなを助けたい! この思いだけは本物なんだ!」

 

 大規模な竜巻の前に、巨大な黒い火柱が立ち塞がる。眩い炎と、暗黒の炎。それらの間を境界として、昼夜が同時に訪れたようだ。

 強大な力がぶつかり合い、二つは直ちに相殺された。


 「なに!?」


 巻き上げられた砂ぼこりや木片が、アイルとレイリーの間に降り注ぐ。それが両者の視界を遮った。

 アイルは飛び上がる。


 「くそ、どこに行きやがった!」


 レイリーは首を左右に振り、必死にアイルを探す。だが、下ばかり探していては、彼を見つけられる訳がない。彼の影が真下にいるレイリーに被さる。驚きに満ちたレイリーの顔が、ようやくこちらを向いた。


 「いつの間に上に…… !」


 「他のギルドを敵に回して、リンシアまで失望させた! それがどういう意味かわかるか!」


 「そんなこと知りたくもねえ! 弱え奴は、強え奴に隷属する。そう決まってんだろ!」


 「まだそんなことを! お前だって、ここまで一人で来れたわけじゃないだろ! 仲間がいなくちゃ、強くはなれなかった! なんでそれがわからない!」


 アイルは躊躇なく腕を伸ばす。拳の先がレイリーの魔法圏内に入った。既に傷だらけの皮膚に、さらに傷が増えていく。至る所から霧状の血飛沫が出て、空気を赤く染め上げる。

 レイリーがにやりと笑う。


 「馬鹿な奴め! 俺の魔法の事を忘れたのか?」


 「ぐっ!」


 痛い。脳内にその念だけが席巻し、他の思考を排除していく。意識が混濁として、視界がぼやけていく。この痛みから一刻も早く逃れたい。これ以上は危険だ。すぐに拳を戻せ。

 しかし、アイルは前進する。

 皆が彼に望みを託している。今まで碌な友人もおらず、家族とも引き剥がされた自分の周りには、たくさんの人がいるのだ。それを腕の一本や二本程度の事で、無下にしてたまるものか。

 彼を突き動かしているのは、皆の強い思いだ。

 

 「お前なんかに……」


 「ほら、腕をぐちゃぐちゃにされないうちに、さっさと引っ込めちまーー」


 「俺の大切な人たちを傷つけさせてたまるかぁぁぁぁぁ!」


 アイルは最後の気力を振り絞り、レイリーへの感情を声にしてぶちまけた。

 拳に、柔らかな感触が伝わる。殺してはいけない。しかし、手加減はするな。この一発で終わらせろ。思い描いた夢を、幻だと思っていた光景を、今現実にするのだ。

 アイルは今出せる力の限りを尽くして、拳を振り下ろした。


 「ぐがっっっ!」


 レイリーの身体が急降下していく。彼の浮力は戻らず、そのまま地面へと激突した。地面にできた、大きなクレーターがその衝撃を物語っている。

 心なしか空気の流れが穏やかになった。


 「やった……」


 続いてアイルも下へと落ちていく。

 緊張の糸がぷつりと切れ、身体に力が入らない。意識が目の前の光景から後退していく。どうやら、これ以上魔法は使えそうにない。"力"がいくら無尽蔵でも、それを注ぎ込むためのイメージが作れないのだ。頭の中がふわふわする。


 「よかった…… これで、みんな……」


 一瞬、ズタズタになった腕が目に入ったが、すぐに目を背けた。取れてないだけましだ。それに、今だけは余計なことなど考えたくなかった。とても気分が良い。

 身体はいつのまにか上を向いている。空は雲一つない快晴だった。終わったのだ、やっと。

 やがて、背中から硬い地面に激突した。真っ青だった景色が一気に暗転する。


 「アイル!」


 どのくらい経ったのか。リンシアの声が微かに耳に入った。続いて足音が近づいてくる。

 皆無事だったのか。起き上がろうとするが、身体は石のようにびくともせず、まぶたすら上がらない。それどころか、身体の感覚もなんだか希薄だ。もしかしたら夢か幻なのかもしれない。


 「酷い怪我…… どうしよう、アイルが…… !」


 ライラだ。

 ぜひ、その顔を見て安心したかったが、やはりまぶたは開かない。


 「大丈夫! すぐに治療すれば、まだ間に合うから!」


 声の後、身体全身が心地よい温かさに包まれた。


 「治る…… ?」


 「もちろん。私だって、このくらいは役に立てる」


 「よかった……」


 「おい、リンシア…… !」


 苦しげな男の声がした。やけに掠れているが、ダミオンのものではないのはわかる。


 「俺を…… 俺を治療しろ…… !」


 「レイリー……」


 リンシアの一言でようやくわかった。まだ意識があったのか。


 「今なら、お前の裏切りを水に流してやる…… だから、さっさと治療しろ……」


 「だめだ、リンシア……」


 アイルはどうにか声を発する。だが、自分でも驚くほどの小さな声だった。リンシアに届いただろうか。

 できることなら、彼が直々にレイリーの口を塞いでやりたい。しかし、それはできない。


 「何してんだ、早くーー」

 

 「決めたの、レイリー。私はもうあんたの言いなりにはならない」


 「てめえ…… 自分が何言ってるか、わかってんのか…… ? 散々悪事を働いて、今更善人づらしたって遅せえんだよ…… てめえは罪人だ」


 「わかってる。このギルドを抜けたって、私の罪が消えることはない。私は取り返しのつかない事をした」


 「なら…… !」


 「でも、これ以上他の人を傷つけるのは嫌だから。それに、こんな私に手を差し伸べてくれた人もいるの。すごく嬉しかった。私はその人の手を取りたい」


 「ふざけるな…… ! 覚えてろよ…… ! 絶対後悔させてやるからな…… ! このクソおんーー」


 何か鈍い音が聞こえて、それきりレイリーの声がぴたりと止んだ。巨大な生き物の荒い息遣いのようなものも聞こえる。


 「静かにしてて」


 「ライラ……」


 「もうあんな話聞く必要ないよ。うるさいだけ。それに、アイルが起きてたら同じことをしてたはず。私はアイルの気持ちを代弁しただけ」


 最後はライラの手を煩わせてしまった。結局自分一人ではレイリーを倒せなかったのだ。

 彼女には申し訳が立たないと思う一方で、感謝の念に堪えない。確かに自分の気持ちを代弁してくれた。やはり、彼女は自分の師匠だ。

 安心すると、急に眠気が差してきた。


 「ありがとね。あんたも、アイルも、みんな……」


 頬に生暖かい滴が当たった。それを最後にアイルの意識は遠のいていった。

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