第56話
応接間のドアノブが回ったのは、ダミオンとの協力が決定してから一時間ほど経った頃だ。扉が開くと、一人の少女が入ってくる。
「そっちから呼び出すなんて、一体どういうつもりよ」
挨拶代わりに不平を漏らす彼女を見るに、一分の警戒も抱いていないらしい。ただ面倒ごとが増えただけだと、楽天的に捉えていたのだろう。照明が消され少し部屋が暗いのも、全く意に介していないようだ。
「こっちは今忙しいんだから、さっさと用件を……」
少女はその場で静止する。その焦点は部屋のある一ヶ所で留まっていた。彼女の元々大きいつぶらな瞳は、著しく開いた瞼によって、皿のようにまん丸になる。
後ろの扉が閉まる音で、彼女は体をピンと伸ばした。
「え、なんで…… あんたたちがいるの…… ?」
未だ緊張が抜けきっていないらしく、口はあまり動かず、声は低くボソボソとしていた。
部屋の隅で待機していたアイルたちは何も答えない。リンシアはじれったく思ったようで、続いて非難のこもった鋭い視線を、ソファに腰掛けたダミオンに向ける。
「どういうこと…… ?」
「わからないか?」
ダミオンは静かに答えた。
「わからないかって、騙したの?」
「今は忙しいと言っていたな? それはウィリアムがギルドに戻らないことと関係あるのだろう?」
質問を無視し、ダミオンはさっさと話題を変える。
「なんで? そのことは私たちしか知らないはず……」
ここに来てようやく自分の失言に気づいたようで、口を真一文字に閉じるが、もう後の祭りだ。
「残念だが、ウィリアムはもう戻って来ないぞ」
「どうしてそんなこと、断言できるの? 何か知ってるの?」
「ああ。彼は死んだ」
「う、嘘よ…… あの男がーー ウィリアムが死ぬなんて、そんなことあり得ない」
「だが、現に昨日の昼から、彼はギルドに戻らないのだろう?」
正確な時まで言い当てられ、リンシアはとうとう訳が分からないと首を振る。だが、彼女は急に何かを察したようにダミオンを睨んだ。
「もしかして、あんたが…… ?」
ダミオンは無言のままだ。
それを肯定と取ったらしい。リンシアの顔から瞬く間に血の気が引いていった。肩の上下が激しくなっていく。
同胞を殺したかもしれない相手が目の前に控えているのだから無理もない。
「ま、待ってよ。私、殺されるの…… ?」
声が震えていた。
リンシアはちらりとこちらを見るが、アイルたちも無言を貫く。
「ねえ、嘘でしょ? いや。そんな事をしても意味なんてない……」
周りの反応は同じだった。
いよいよ彼女は自分の死を間近に見たらしい。急いで踵を返し、扉の方へと走る。
「きゃあ!」
悲鳴とともに、リンシアはその場で尻餅をついた。扉の前には真っ白な騎士が立ちはだかったのだ。
アイルの隣にいたライラが不安げにこちらを見るが、彼は大丈夫だと頷くしかできない。実のところ、彼もかなりハラハラしていた。
「いや、違うの…… 私はそんな…… ごめんなさい。お願いだから殺さないで……」
「そんなことはしない」
ここで初めてアイルが開口した。できるだけ優しい声を努める。この対応は、半分が段取りに従った演技だったが、もう半分は彼の良心の呵責から出た自然の産物と称して良い。
今の一連の流れは、ダミオンの指示によるものだ。
相手を心理的にどん底まで落とした後に、救いの手を差し伸べることで、その人は容易くそれに縋ろうとする。そういうカラクリだそうだ。協力を強制するだけなら、最後の工程ーー 救いの手は不要だったが、心を開かせた方が何かと都合が良いらしい。それにはアイルも賛成だった。だから、完全にこちら側に引き入れる必要があったのだ。
それでも、当初はウィリアムの死についてダミオンが説明する流れだった。それを省いて、いたずらにリンシアを脅かせたのは、妻を攫った者たちへのささやかな怒りの表れと言えるかもしれない。
「え…… 本当に…… ? でも、じゃあ…… 私をどうするつもりなの?」
はたして、リンシアは腰を抜かした状態のまま、助けを乞うような目を向けてくる。今や彼女が頼れる人はアイルだけだ。
「どうもしない。俺たちはリンシアを助けたいんだ」
「私を、助ける…… ?」
「その話をする前に、一つ確認しておきたいことがある」
「な、なに?」
リンシアはなすがままだった。主導権は完全にこちら側にある。
「リンシアは、好きでレイリーやウィリアムの下に着いていたのか?」
「え、それってどういう……」
「烈風焔刃がダミオンさんの奥さんを監禁していることは、当然知っていたんだろ? それを知った上で、快くギルドの仕事をこなしていたのか? 自分の意思で不正行為を重ねていたのか?」
リンシアは黙り込んでしまう。
まさか、本当に数々の卑劣な行為を楽しんでいたのか。
「もし、そうなら別にそれでも構わない。だが、俺たちは今から烈風焔刃に行って奇襲をかけるつもりだ。激しい戦いになるかもしれない。それで、レイリーに全てを白状させる」
リンシアは無言のままだ。
「だから、もし違うのならその前に助けたかった。同じ村の仲間として。でも、その感じだとやっぱりーー」
「そんなわけないじゃない…… ! 私だって性格悪いのは自覚してるけど、それでもあんなこと平気でできはわけない!」
リンシア必死に叫んだ。
「じゃあ、仕方なくあいつらの下で働いていたんだな?」
「そうよ。私だって、逃げ出せるならとっくにそうしてたわよ!」
「そうか…… それなら、俺たちを手伝ってくれないか? 烈風焔刃を止めたいんだ。あれのせいで、多くの人が不幸になってる」
リンシアは視線を彷徨わせる。
「私もそうしたい。でも、そんなことしたら、レイリーに何されるかわかんないから……」
片腕を抑えながら、リンシアはか細い声で言った。ついさっきまでの威勢が嘘のようだ。
「大丈夫だ。あいつには何もさせない。俺がちゃんと言い聞かせる。今後一切、ふざけた真似をしないように」
「そんなの無理よ。あいつは前と比べものにならないくらい強くなってる。魔法の使えないあんたが太刀打ちできる相手じゃない……」
そういえば、リンシアのアイルに対する記憶は半年前で止まっているのだった。夢幻魔法を使えるようになった事も、当然彼女は知らない。
「そんなことはない。俺だって、魔法の適性はある。それは知ってるだろ?」
「え、それってもしかして……」
リンシアは次の句を継ごうとしたが、途中で押し止まった。
アイルが首を横に振った理由に気づいてくれたようだ。夢幻魔法のことはダミオンには聞かれてはならない。
「本当なの…… ? 本当に、負けたりしない?」
「ああ。俺を信じてくれ。絶対にレイリーには手出しさせない。リンシアはこれ以上辛い思いをする必要ないんだ」
リンシアはしばらくぽかんとした後、「うん、信じる……」と小さく答えた。
いつしか、彼女の頬には一筋の涙が流れていた。涙の勢いは増し、ついには嗚咽が漏れる。
アイルたちは、彼女の気が済むまでその場で静観していた。彼女もまた被害者の一人なのだ。
「ダミオンさんの奥さんが囚われている場所はわかるか?」
「わかる」
瞼はまだ腫れているし、声も少し上ずっている。しかし、一頻り泣き終えたリンシアは、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
四人はソファに向かい合って座っている。彼女はダミオンの隣で居心地が悪そうだが、仕方がない。
「それは…… それは一体どこなんだ?」
顔色には出さないが、ダミオンにしては少々早口だった。
「エフスロスの拠点よ」
「エフスロス!?」
予想だにしなかった言葉に、皆が一驚を喫することになった。
「今日はそこにレイリーもいる。今後の作戦会議があるとかで。本当はウィリアムと一緒に行くはずだったんだけど」
「では、烈風焔刃はエフスロスと繋がっていたということか?」
「そうね。ウィリアムがいつの間にか手懐けていたみたいなの。お金で釣ったのか、もしくは脅したのか、それはよくわかんないけど。それで、そいつらを使って色んな悪事をさせてた。昨日、薔薇園を襲ったのもエフスロスの仕業」
アイルは開いた口が塞がらなかった。
「そうだったのか…… でも、何のために?」
「手紙を回収するためとか、ウィリアムが言ってたのを覚えてる」
「協力を強要させる手紙は、私も同じ内容を書いてソフィアに渡した。お互いそれを持っていれば、一方が下手に悪用する気は起きないからと言って。おそらく、それを回収させたのだろう」
「なるほど……」
ダミオンが説明を補填したことで、ようやくアイルも理解が追いつく。同時に、ウィリアムの恐ろしい手腕の良さを痛感した。彼がまだ生きていたら、この計画も容易に看破されていたかもしれない。やはり、彼の死は烈風焔刃を瓦解せしめるための糸口になったと言って良いだろう。
「これで奥さんの場所はわかった。おまけに、同じ場所にレイリーもいる」
「みんなを助けるチャンス?」
ライラが尋ねる。アイルは拳を強く握りしめた。
「ああ。もう、烈風焔刃の好きにはさせない」
「早速、今後の方針を固めよう。必ずこの戦い、勝たねばならん」
ダミオンの言葉に、皆が頷く。
会議の最後の最後で彼は、自分はウィリアム殺しの犯人ではなく、全ては演技だったと種明かしをした。「あんたも大概性格悪わいわね」とリンシアは渋い顔をして答えた。それでも、二人の間の険悪そうな雰囲気はだいぶ取り払われたようだ。
話し合いが終わると、ダミオンを先頭に部屋を出ていく。
「ねえ、アイル……」
アイルが扉を開ける寸前、最後尾のリンシアに声をかけられた。
「どうした?」
「あ、あのさ…… えっと……」
なんだか言いづらそうにもじもじしている。どうしたのだろう。
もう一度声をかけようと思った矢先、扉がガチャリと開いた。隙間からひょこっと顔だけ覗かせたのはライラだ。
「アイル? どうしたの? ダミオンが先行っちゃうよ?」
「ああ、悪い。今行く」
ライラはアイルとリンシアを交互に見て、はてと首を傾げる。アイルはリンシアの方に向き直って、それに倣った。
「う、ううん、何でもない!」
リンシアがぶんぶんと首を振る。
なんだか要領を得ないが、今は急がなくては。アイルは彼女に背を向け、歩き出そうとする。
「そうじゃなくて…… その、ありがと。こんな私を助けてくれて」
「…… 気にするな」
少々気恥ずかしくて、素っ気なく答えた。
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