第55話

 「あれって、本物の騎士!?」


 「ライラ!」


 アイルはライラの身体を引き戻すと、人差し指を口の前に立てた。彼女は「あ」と開けた口を、慌てて手で覆う。

 幸運にも、眼下にいる騎士は話し合いに夢中なようで、こちらに気づいた素振りは見せない。ホッと息を吐きたいところだが、まだ安心はできない。

 騎士はダミオンよりも背が高く、聞こえてくる低い声から男だと断定できる。しかし、肝心の会話の内容は不明瞭で聞き取れない状態だ。それでも、なんだか剣呑な雰囲気が静電気のように肌身に伝わる。


 「いつの間にあそこに来てたんだろう? さっきまで騎士なんて見えなかったよね?」


 これなら下に聞こえないだろうと、ライラは極小さな声で囁いてくる。


 「そうだな。騎士の中でもかなり上の奴なのかもしれない」


 「ダミオン、私たちを逃してくれたのかな?」


 「そうも考えられるが、油断しちゃだめだ。何か魂胆があるのかもしれない」


 アイルはこの場から離れるべきか迷った。

 ダミオンがアイルたちを屋上へと逃してくれたのは事実だが、まだ信用するにたる確証はない。元より、白翼の剣は騎士と共謀しているという嫌疑がかかっている。ダミオンが何か告げ口している可能性だって捨てきれないのだ。

 しかし、今日を逃せば、二度とダミオンから真実を聞き出せなってしまう。それが何を意味するかは言うまでもない。氷晶の薔薇の命運がかかっているのだ。

 結局、アイルは息を殺してこの場に留まることを決意した。


 「あ、お話終わったみたい……」


 五分ほどして、騎士はダミオンに背を向け歩き出していた。話は円満に済んだらしい。それでも、ダミオンは騎士の姿が見えなくなるまでその場から微動だにしなかった。

 やがて、彼の顔がこちらを向く。もう大丈夫だとでもいう風に、一度小さく頭を振る。


 「今の騎士とは何を?」


 下に降りたアイルは早速問う。


 「案ずるな。騒ぎについて聞かれたから、適当に誤魔化しただけだ。あの大岩については、少々言い逃れるのに骨が折れたが」


 路地の向こうには、クロが投げた岩が道の半分を埋め尽くしている。あれをどうやって誤魔化したのか。


 「あの、あなたは騎士と繋がっていないんですか…… ?」


 「馬鹿を言え。そんなわけがないだろう」


 ダミオンはいとも簡単に、アイルの抱いていた疑惑を一蹴する。


 「それより、君たちは氷晶の薔薇の一員ということで相違ないな?」


 「うん」とライラが頷く。


 「ならば…… 少し話がしたい。拠点までついてきてはくれないか?」


 意外な申し出だった。

 どうするべきか。その前に、アイルはおやと思った。


 「でも、あなたはどこかに向かう途中だったのではないですか? それも、かなり急いでいたように見えましたが……」


 「それについても向こうで。じきにここへ応援が駆けつけてくる。それに、こんなところで氷晶の薔薇と密会していることが奴らに知られれば、それこそお終いだ」


 いい加減、「奴ら」の正体について教えて欲しかったが、大通りの方に顔を向けるダミオンを見るに、ここではまだお預けらしい。

 半信半疑だったが、アイルは渋々申し出を受け入れることにした。

 ダミオンとは一定の間隔を空けて、細い路地を迂回して大通りへと出た。前者は他人に自分たちの関係を悟られないため、後者はクロの投石によって目の前の大通りは半ばパニックになっていて、そこを避けるためだ。

 やがて、白翼の剣の大きな屋敷へとたどり着いた。階段で三階まで上がり、長い廊下の中ほどでダミオンは止まる。そこで、近くにいた男と何か一言二言交わすと、彼は扉を開けた。応接間のようだ。

 彼はアイルたちを、部屋の奥側のソファへと勧めた。


 「それで、話してくれるんですよね? ソフィアさんの手紙に細工をしたのはあなたなんですか?」


 我慢できず、アイルは早々に質問を始める。

 ダミオンは長いため息をついた。心を落ち着けているようだ。


 「ああ、そうだ。私はソフィアに、我がギルドに協力を強要させる旨の手紙を書かせた」


 あっさりと白状したことに、アイルはいささか拍子抜けした。


 「書かせたって、どうやって?」


 「あの子を騙したのだ。ギルド間の協力という不法行為をするからには、何か安全を担保できるものが欲しいと。私は昔からの縁故を利用した。あの子の、私を信頼する心につけ込んだのだ」


 ダミオンは、さもそれが苦渋の決断だったかのように言う。なぜ諸悪の根源たる彼がそんな態度を取れるのか。

 アイルは一発ぶん殴ってやりたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。


 「なぜーー」


 「なんでそんなことをしたの? ソフィアさんは…… ソフィアさんはあなたを信用してたから、お願いしに来たのに」


 アイルに代わって、ライラが沈痛な面持ちで訴える。


 「私だって、あの子を騙すことなどしたくはなかった。あの子は私にとって娘当然だったのだから」


 「それなら、なおさらどうして? ソフィアさんたちを裏切って、あなたに何の利益があったんですか?」


 アイルが再び尋ねる。


 「利益などないさ。ただ、こちらは人質を取られていたのだ……」


 「人質…… ?」


 「奴らが…… 烈風焔刃が、私の妻を人質に取った。従わなければ、妻を殺すと。それから、私は奴らの言いなりとなっていた。手紙を騎士に提出したのも、奴らに命令されて仕方なくだ……」


 それはまさに雷に脳天を貫かれたような衝撃だった。


 「烈風焔刃…… レイリーたちが…… ?」


 レイリーの冷たい笑みが頭に浮かぶ。

 今まで騎士の方にばかり気を取られ、無意識のうちに除外していた可能性。まさか、烈風焔刃が全ての黒幕だったというのか。


 「いや、あそこのリーダーだけなら、ここまで大胆な事はできなかっただろう。彼は自分の意思で動いていると思い込んでいるようだが、所詮は彼も単なる傀儡に過ぎん。あのギルドは裏で操られているのだ。ウィリアムという男に。奴が全ての元凶なのだ」


 「あいつが……」


 「私を脅してきたのはウィリアムだった。ある日、私の私室で待ち伏せていたのだ。警備の目があちこちで光っているというのに。こんなことが露見すれば、烈風焔刃は解体されるぞと、私は言った。だが、奴はそれを一笑に付した。奴は狡猾で抜け目のない男だ。妻の私物を私の目の前にちらつかせ、いつでも命を奪える状況にあると、そう脅してきた。自宅に妻の姿はなかった。部下に妻の居所を探させたが、今までなんの痕跡も見つかっていない。奴に従う以外、道はなかった」


 事件の輪郭が次第にはっきりと、アイルの目の前に現れてくる。


 「だが、落ちぶれた私とて、ソフィアとあの子の仲間を自らの手で牢獄に入れることになった時は、断腸の思いだったのだ。自分はこの上なく陋劣な行為に手を染めてしまった。もうこれ以上、自分を看過できない。それで、烈風焔刃へ直談判することを決意したのだ」


 「じゃあ、今日は……」


 ダミオンは静かに頷く。


 「烈風焔刃の拠点に向かうところだった。どうしても説得できなければ、私は王国に自らの罪を告白し、併せて奴らのしてきた所業を告発するつもりだった。死なば諸共。策はある。数日に一回、ここに依頼を運んでくる女がいる」


 「女……」


 おそらくリンシアのことだ。運び屋が云々と、ソフィアたちが言っていたのを思い出す。


 「そ奴を捕らえて騎士に差し出せば、それが動かぬ証拠となり、烈風焔刃もただでは済まないはず。妻は…… もしかすると騎士が助け出してくれるかもしれない」


 その望みは薄いと、暗い影の落ちたダミオンの顔が語っていた。


 「すまなかった。私のせいで、氷晶の薔薇には多大な迷惑をかけてしまった。今頃、氷晶の薔薇は大変混乱しているはずだろう。だから、君たちにはこの真実を伝えて、皆を安心させて欲しい。必ず、あの子たちの無罪を証明して見せる。こんなことで、自らの罪を贖えるとは思っていないが」


 言い終えると、ダミオンは自分の足元に視線を落とした。

 そうか。

 彼も烈風焔刃に翻弄された一人の被害者だったのだ。最愛の人の命と、氷晶の薔薇の命。両者を前にして、どちらかを選択せねばならない。それはどれほど辛いことだったのだろう。そして、彼は償いのため、自分の妻を見殺しにするリスクを背負ってまでソフィアたちを助けようとしている。

 これは言い換えれば、彼もアイルたちと同じ目的を持った同志ということ。そして、彼の力を借りられれば、あるいはこの最悪の状況を。


 「今のは、全部本当のことなんですね?」


 「ああ。全て真だ。全て私の責任だ」


 ダミオンは頭をうなだれた。


 「ダミオンさん。まだ可能性はあります」


 「なに?」


 「一つ、良い…… と言ったら不謹慎ですね。重要な事を伝えなければなりません。烈風焔刃の元凶ーー ウィリアムは死にました」


 「死んだ…… ?」


 ダミオンはそれきり瞬き以外の動作を完全に停止する。顔面の筋肉が緊張し、それこそ石像のように動かない。だが、彼の瞳の奥では、様々な感情が嵐の如く吹き荒んでいるのがわかった。

 十秒以上経過しただろうか。彼はようやく口を開けた。


 「なぜ、君がそんなことを知っている?」


 「この目で見たんです。あいつが、魔物にやられるところを」


 話を潤滑に進めるため、アーテルのことを魔物と称した。


 「魔物ごときに、奴が殺されたというのか…… ? いや待て。いつどこで、そんなことが? なぜ君が奴の最期を見る事になったんだ?」


 「それは」


 アイルはプセマ遺跡での一連の事件を、必要な部分だけを掻い摘んで説明した。

 遺跡の地下に下りたこと。そこで、突然ウィリアムが現れたこと。最後に巨大な魔物に腹を貫かれ、助かる見込みは限りなく低かったこと。

 ダミオンは終始黙って耳を傾けていたが、胸中では多様な思いが渦巻いていたに違いない。


 「では、本当に……」


 「はい、間違いないです」


 「そうか……」


 宿敵の死に、ダミオンもどう反応すれば良いか迷っているようだった。


 「だから、今が攻勢に出るチャンスだと思うんです。ダミオンさんの奥さんを助けて、ソフィアさんたちを救って、烈風焔刃を倒す。今ならそれができるかもしれません」


 「そんなことができるだろうか……」


 「諦めちゃだめ」


 ライラが席を立ち上がる。


 「奥さんも、ソフィアさんたちも、みんな大事な人なんでしょ? その人たちを助けられるなら、頑張らないと。私も一緒に頑張るよ」


 ライラの誠心誠意の激励。ダミオンは呆気に取られた顔で彼女を見ていた。


 「俺もライラも、ソフィアさんたちを助けるためにここまで危険を冒してきました。どんなに困難な道のりに見えても、前進し続けた今、突破口が見えてきそうなんです。あなたの力があれば、みんなを助け出せる確率は大きく上がります。お願いです、力を貸してください」


 「そうだな…… 何もしなければ、何も手に入れることはできない。力に屈しないためには、こちらが抗える程の力をつけるしかない。私がソフィアに教えたことだった」


 ダミオンは小さく口角を上げた。笑うというには、なんとも心細いものだった。だが、確実に彼の目には活力の種火が灯った。


 「だが、一番の危険因子がなくなったとはいえ、状況にあまり変化はない。妻の居場所はわからないままだ。少なくとも今日中に全てを終わらせなければ、氷晶の薔薇が終わってしまう。どうすればいいだろうか?」


 「それに関しては一つだけ、俺に考えがあります。百パーセント成功するとは言えませんが……」


 「だが、その表情、可能性は低くはないのだな?」


 アイルは首肯した。


 「ならば、私はそれに賭けよう。皆を助けられるなら」


 そう言うと、次はダミオンが立ち上がる。それから、彼は深く頭を下げた。


 「どうか、私に君たちの力を貸して欲しい」


 「うん。こちらこそ」


 ライラが答える。彼女の顔がこちらに向く。アイルは彼女を見返してから、軽く頷いた。


 「もちろん、最初からそのつもりです」


 「ありがとう。恩に着るよ」


 「それで、早速ですが、ここに一人呼んで来て欲しい人がいます」


 内容を聞いたダミオンはすぐに準備に取り掛かった。

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