第54話
「見つけた。あれだ」
王都のかなり中心部のところ。周りに立ち並ぶ家々はどれも広大だった。
しかし、白翼の剣の拠点は他のどの建物より一層大きく、いかにも格式高そうにどっしりと鎮座していた。シミ一つない真っ白な壁の四階建てで、日の光を鈍く反射する黒い急勾配の屋根とも、あまり飾り気がないように見える。しかし、返ってそれが侵しがたい神聖な雰囲気を醸成していた。建物の中心部分には、切っ先を下に向けた剣の両側から二つの翼が包み込んでいる、という白翼の剣のシンボルが彫られている。
さすがは現在三位のギルドだ。氷晶の薔薇が創設される数年前から活動しているらしく、かなりの蓄えがあるのだろう。
アイルたちは何気なくその前を通って見た。鉄格子の向こうには警備兵らしき姿ちらほら。
「すごい大きい……」
声は潜めてはいるものの、視線を遠慮なく建物内に向けるライラ。
「これは、さすがに正面から堂々と…… というわけにはいかなさそうだな。というか、少し見すぎだライラ。怪しまれる」
即座に前方に戻ったライラの顔は、今度はゆっくりとこちらに向く。白いフードの中に見えるその顔は、焦りを隠しているのか少し引きつっていた。
「そうかな? お話したいです、って言えば通してくれるかも。ソフィアさんと仲が良いんでしょ?」
「相手はソフィアさんの手紙を騎士に提出したかもしれない奴らだ。もしかしたら、表面上では仲が良くても…… ってこともある」
「そっか」と淡白な返事が来る。アイルたちは再び暗い路地の奥へと潜った。
「じゃあ…… どこかから侵入?」
「どうだろう…… 見たところ、通りに人は多いし、警備してる奴もいる。簡単には入れなさそうだ」
「じゃあ、どうするの?」
「…… ちょっと考えさせてくれ」
ここまでノープランであったことを暗に白状する。
中へ入るだけなら、適当に身分を偽って「依頼がある」と頼み込めば簡単だったであろう。実際、個人が依頼を持ち込むという例も多いらしい。
しかし、どうしても白翼の剣と騎士との繋がりを否定できないのだ。彼らの狙いがアイルたちならどうしよう。やはり、あの建物はアイルたちのためにこしらえられた、大きな罠なのではないか。正攻法ではだめだ。
「アイル! アイル!」
気づくと、ライラは大通りの方を覗き見ていた。
「どうした?」
「あの人! ダミオンじゃない!?」
「な、なんだって!?」
慌ててライラの方へ駆け寄る。
壁から顔だけ出してみると、確かに彼はいた。後ろで一つにまとめた長い白髪、顎には整った髭が見える。それは予め聞いていたダミオンの人相と変わらない。
彼は警備兵に礼で見送られ、敷地を出て行くところだ。しかも、付き添う者はいない。彼一人だ。
「間違いないな」
「どうしよう? 今ならお話できるかな?」
「ああ……」
ダミオンはなぜか早足で、中心部とは反対の方面へと進んでいく。
「ライラ、少し別行動になるが大丈夫だな?」
「え?」
アイルは手短に説明を始めた。
できるだけ自然に歩く。人の往来は先ほどに比べて随分と落ち着いてきた。すぐ二、三メートル先にはダミオンの背中が見えている。こちらに気づく様子はない。
アイルは既に息苦しさを感じていた。もちろん、歩き疲れたというわけではない。
彼は一度息を整えると、勢いよく走り出した。そして、ダミオンを追い抜く。
「あっ」
アイルの手から一枚の金貨が滑り落ちた。チャリンという音がして、彼は少し遅れて振り向く。金貨はダミオンとアイルのちょうど中間地点に落ちていた。
ダミオンは足を止め怪訝な表情を浮かべる。しかし、すぐに金貨の方まで歩き、片膝を立ててそれを摘みあげた。
ここまでは計画通りだ。
すかさずアイルが接近する。
「気をつけなさい。あまり走り回ると、転んで怪我をするぞーー」
「ダミオンさんですね? 少し話があります。俺の言う通りにしてください」
膝立ちのまま、ダミオンは眉をひそめる。その眼光は、相手を竦みあがらせるような凄みがあった。
「なんだ…… 誰の差し金だ?」
「下手な動きをすれば、俺の仲間があなたを攻撃します。大人しくあっちまで移動してください」
ダミオンが近くの路地裏を見やる。そこにはライラを立たせてあった。
「…… わかった」
ダミオンはゆっくりと立ち上がると、ライラが覗いていた路地裏まで歩く。この状況下でも、彼の挙動からは一切の怯みを感じなかった。むしろ、彼の後ろに続くアイルの方が挙動不審だっただろう。
「先ほどの気弱そうな少女はどうした? 私に魔法を行使するつもりは無さそうだったが。いや、遠距離魔法は使えない者だったと見た方が良いか? だとすると、これは場当たり的なものか、それとも戦力に余裕がない中での強行か」
アイルは心の中で驚いた。小柄なライラとはいえ、ほんの数秒、しかもフードを被った状態でそこまでわかるとは。
彼女は今、通路の角に隠れている手筈だ。仮にアイルがしくじっても、彼女だけは無事に逃したかった。
「…… 教える必要はありません」
「そうか。それで、一体私に何のようだ?」
「質問があります。真実を話してくれれば、危害は加えません」
「質問だと? それだけの理由で、私を脅したのか。よっぽど急いていたのか、それとも……」
アイルは真後ろから急に何かの気配を察知した。何度か背後は確認していたが、その時にはつけてくる者はいなかったのに。
振り返る時間はない。アイルはそのまま横に飛んだ。その際、真横を通り過ぎたものは、彼を驚愕させた。鉄製の手甲だ。
「騎士…… !?」
見ると、真っ白な鎧を着た一人の騎士が立っている。
「私を単なる老いぼれだと思って油断したか?」
ダミオンは軽快なステップでアイルとの距離を取る。
そして、彼の前を塞ぐように数体の騎士が現れた。いや、地面の魔法陣から這い出てきたという方が正しい。
「召喚術……」
「何者だ? こんな素人同然の手ぬかりをするところを見ると、奴らの仲間とは思えんが」
奴らとは、誰のことだろう。
「くっ…… 手荒な真似はしたくありませんでしたが、すみません。力づくでも話を聞かせてもらいます!」
アイルが身をかがめる。後から、頭上を剣の柄頭が通り抜けた。
彼はその体勢のまま片手を地面につけ、足を騎士の顎目掛けて突き上げた。身体強化は発動済だ。
質量のある騎士は壁の高さギリギリまで打ち上げられる。そこで、微粒子となって消え失せた。
前に視線を戻す。既に二体の騎士が迫っていた。
一体は左右の壁を蹴り、俊敏な身のこなしでこちらを翻弄する。もう一体は正面からの突進だ。
「速い。だが……」
突然、相手の動きが鈍る。視覚強化だ。
正面の騎士が先に仕掛けてくる。彼は迎撃の構えを取る。だが、それはアイルの間合いに入る直前に、急停止して後ろへ下がった。代わりに壁から、もう一体が飛んでくる。タイミングをずらす作戦か。
「俺にとってはこの程度、大したスピードじゃない」
アイルは迷うことなく、飛んできた騎士を一発殴り飛ばす。飛ばされた騎士はもう一体に衝突すると、金属音を響かせた後、共に消え失せた。
「ほう…… 私も少し甘く見ていたようだ。貴様、ただものではないな?」
狭い通路に、大量の魔法陣が展開される。そこからは同じ数の騎士が生まれる。二十体はいるだろうか。ダミオンの姿が見えなくなるほどだ。
「まさか、逃げる気か…… ? させるか!」
騎士の波が押し寄せる。
そのどれもが、熟練兵の予測不能な動きをしていた。
召喚術は一体だけでも、相当のマナを消費するというのにこの芸当。おそらく耐久面を捨てる事で、量産できるほどのマナを節約したのだろう。だとしても、かなりの荒技と言っていい。
「はあああっ!」
アイルはその激流に逆らうように、前へと進んでいく。
瞬時に八体、九体をなぎ払う。思った通り、各々の耐久力はさほど高くない。相手の攻撃もギリギリで凌げる。これなら、ダミオンの元へたどり着くのも時間の問題。
順々に騎士を倒していき、ついに波を形成する者はいなくなった。正面には、驚愕の表情をしたダミオンだけが残る。
「うっ!?」
急に両足を掴まれ、体勢が崩れる。アイルはそのまま前方へと倒れてしまった。
「新しい騎士だと…… ?」
アイルの足を掴んでいたのは、二体の騎士の手だった。腕と頭だけだったそれらは、ゆっくりと全身を出していき、彼の身体を取り押さえた。
「かなりの強化魔法を駆使できるようだな。単純な力比べなら、貴様に軍配が上がっていただろう」
アイルは必死にもがく。だが、彼を押さえつける騎士はびくともしない。たったの二体だが、込められたマナの量は先ほどのものと段違いだ。
「しかし」とダミオンは悠然と続ける。
「戦闘経験がまだまだ浅い。相手の思惑を読み取り、戦闘に工夫を凝らすことも、強さの一つ。それをよく覚えておくことだな」
アイルは顔を上げ、ダミオンを睨みつける。とうにフードは外れていた。
「ふむ、見ない顔だな」
ダミオンはアイル顔をしばらくしげしげと見つめていたが、不意に奥のほうに目をやった。大通りの方が騒がしい。
「聞こえるか? 少し派手にやりすぎたらしい。もうすぐ騎士やらが駆けつけてくる。何をしたかったかは知らんが、私は貴様を見逃すつもりはない。ここで、しばらくーー」
「アイル! 避けて!」
ダミオンの後方から、ライラの警告が響く。
「なんだ!?」
見ると、巨大な岩の塊りがこちらに飛来していた。姿は見えないが、これはクロが投げたものだとすぐに直感する。
その時、一瞬だが騎士たちの力が弱まった。
「離せ!」
身体を強引に捻り、拘束から抜け出す。
ダミオンがこちらの異変に気付いた。だが、もう遅い。
アイルは即座に周りの騎士を片付け、振り向くダミオンに飛びかかった。
ちょうどその時、彼らのかなり上を岩塊が通った。おそらく立っていても当たらなかっただろう。やがて、それは地面に衝突したらしく、後ろから騒々しい音が聞こえてくる。
「なんと…… あの少女にあんな力技が…… 先に捕らえておくべきだったか……」
組み敷かれた形のダミオンは、悔しそうに顔を歪める。
「はあはあ…… 質問は一つです。絶対に嘘はつかないでください」
「…… 言ってみるがいい」
「ソフィアさんが白翼の剣当てに送った手紙に、何か細工をしましたか?」
ダミオンの目が大きく見開かれた。初めて示した反応だ。
「貴様、氷晶の薔薇の…… ?」
「何か知ってるみたいですね。早く答えてください」
「そ、それは……」
ダミオンは視線を彷徨わせる。半開きになった唇は、何か言おうか言わまいか小さく震えていた。
これでアイルは確信した。この男は手紙の件について何か隠している。しかも、それは彼にとって不利な情報に違いない。
希望が見えてきたと思い始めたのと、ダミオンが顔を上げたのはほぼ同時だった。アイルはギョッとしたが、ダミオンの血走った瞳を見て、その感はさらに増大した。
「どうしたんですか? この期に及んで、言い逃れはーー」
「まずい……」
ダミオンは掠れた声で呟く。
「まずいって、何のことーー うわっ!」
アイルの身体は宙に浮いていた。いつ召喚したのか、彼は騎士に担がれ、壁の上へと上がっていたのだ。騎士は彼をどこかの民家の屋根へ下ろすと、そのまま消えていった。
「アイル!」
ライラの声は真横から聞こえた。
「ライラ! お前もここに運ばれたのか?」
「うん。別に私たちを攻撃するつもりじゃないみたい」
「あの人、一体何のつもりで……」
屋根から、先ほどダミオンがいたところを見下ろす。彼は相も変わらず、そこにいた。ただし、彼の目の前には銀色の鎧を纏った、すなわちサンクトゥス王国の騎士が対峙していた。
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