第57話

 とある巨大な屋敷の手前にある、木の陰にアイルは身を潜めていた。高い塀で仕切られたこの場所は、その周りを森に囲まれていて、近くに建物は存在しない。屋敷の大きさは、白翼の剣本部と同じくらいだろう。気取ったデザインを全面に出しているところが、さすがは元々子爵のために誂えられた住居という感じだ。

 

 「そろそろか」


 アイルは一人呟くと、身体強化を発動した。正門の前には二人の守衛が辺りに目を光らせている。派手にやらなければ。

 この作戦は約一時間前、応接間で決定されたことだ。


 「それで、あんたの奥さんが捕まってるのは、その地下室にある牢獄」


 リンシアが一通りの説明を終える。


 「牢獄って、そんな施設があるのか」


 アイルが疑問を呈する。


 「元はどこかの子爵の騎士が、周辺地域で捕まえた罪人を一時的に留めておくための場所だったみたいなの。まあ、貴族様もそこに寝泊まりするわけだから、外観は立派なお屋敷って感じなんだけどね。最近は離れた場所に新しいのが建ったらしくて、空き家だったところを、烈風焔刃が買い取ったって話」

 

 「それはまた大胆な事を」


 「まあ、定期的に税さえ納めていれば、あんな辺境の地を訪れて来る奴なんていないからね。まさか、悪党の住処になってるなんて誰も思わないわよ」


 やはり、これの発案者もウィリアムだそうだ。彼の情報収集能力と行動力はもはや敬服に値する。


 「それで、まずどうやって攻めるかだが、やはり少数精鋭で行くべきだろう」


 そう宣告したのはダミオンだ。

 そもそも、リンシアという証人がいるにも関わらず、なぜ騎士に掛け合わないのか。それは、相手の潜伏場所が元子爵の屋敷ということもあり、騎士の中にも共謀者がいるのではないかという推測によるものが第一。

 そして、もう一つ。騎士がリンシアたちの訴えを受理したとして、とても明日までにそれが履行されると思えなかったからだ。氷晶の薔薇解体の期日は明日。その前に烈風焔刃の悪事を暴けなければ、解体の道は免れない。


 「私もそれは賛成。どこで烈風焔刃の使いが見張ってるか、わかったもんじゃないし。あんまり大勢で行くと道中見つかって、レイリーに知らせが行っちゃうかもしれない」


 「変装して行くのは?」


 ライラがピンと手を挙げながら発言する。


 「それはたぶん無理ね。屋敷内は皆顔見知りだし、特に牢屋の前は警備が厳重だった気がする。中にはかなりの数の人がいるから、バレたら終わりよ。最悪、奥さんを盾にされるかもしれない」


 「くそ、卑怯な奴らめ……」


 ダミオンは憎々しげに机を睨んだ。

 それから何個か案を出し合ったが、どれも脆弱な点が見つかり会議は中々進展せずにいた。


 「それじゃあ、俺が陽動するっていうのはどうですか?」


 一座の視線が集まる。


 「陽動…… って、なに? あんた、どうするつもりなの?」


 リンシアにそう聞かれ、陽動の意味を喋々と話し始めたら大いに叱られたのは今でも不服だ。

 最初、アイルの案に賛成の者はいなかった。無論、アイルの身を案じてのことだ。だが、結局それ以外に方法が見つからなかったため、このかなり手荒な方法が可決された。

 アイルは息を整え、前傾姿勢になる。そして、一気に加速した。

 守衛の一人がこちらに気づく。


 「なんだ貴様はーー うおっ!」


 腹に強烈な一撃を受け、守衛は苦痛の表情のまま屋敷の壁へと飛んでいった。

 

 「なっ! 侵入者だ!」

 

 遅れて、もう一人が手をかざす。そこから魔法陣が煌々と灯った。この反応の速さ。かなり徹底して訓練されるらしい。だが、この距離であれば。

 アイルは一瞬で間合いを詰めると、ギリギリでその腕を捻り上げる。直後、空に向かって巨大な火球が打ち上がった。守衛が慌てて振り解こうとするところを、アイルは最初の守衛と同じ場所へと吹き飛ばす。

 火球は空高くで瞬時に膨張し、爆発音を轟かせて消えていった。


 「こんな派手な演出するつもりはなかったんだが……」


 当初の作戦では、建物内で騒ぎを起こしたかったのだが仕方ない。

 爆発が合図となって、正面ドアから複数の敵が雪崩のように飛び出してくる。


 「このガキ! ここがどこかわかってんのか!」


 「もちろんです。レイリーに会いに来たんですけど。大人しく投降するなら、今のうちだと。そう伝えてください」


 「なんだと? 何言ってんだこいつ?」


 「知るかよ! 調子に乗るな、クソガキが!」


 一人の男が有無を言わさず、魔法陣から大量の瓦礫を掃射する。

 交渉決裂。端から話が通じる相手とは思っていなかったが。

  

 「そうですか、わかりました」


 アイルは澄ました顔で答えると、サイドステップで軽く無数の瓦礫を避ける。そのまま、突進してまずは一人。そう思った最中、彼は真横から何かが向かってくるのを捉えた。

 すぐに後ろに飛び退く。すると、その何かが勢いよく地面を穿った。


 「悪党集団のくせに、しっかりとした連携……」


 玄関前の男を残し、敵は二手に分かれて陣形を整えていた。


 「ふっ! エフスロスを侮りすぎたな!」


 左手にいた敵が威勢よく叫ぶ。

 左右の二人の手前にはそれぞれ大きな魔法陣が出現する。そこから同時に太く長い水の柱がうねりを上げがら伸びて行く。その勢いたるや、まるで滝が天に向かって落ちていると錯覚するようだった。水流は上空で静止すると、先頭部分がゆっくりと鎌首をもたげてこちらを向く。凶悪な竜の顔面だ。


 「どうだ! ビビって声も出ねえだろ!」


 皆、したり顔でアイルを見る。

 なるほど、これはかなり上位の魔法だ。


 「とっとと死にやがれ!」


 「悪いですけど、そんなことに時間をかけてる暇はないので」


 アイルは対の竜など歯牙にもかけず、最初の敵を狙う。


 「お、おい! なんで俺!? 今はあの竜と戦う流れだろうが!」


 慌てて手をかざしてきた男の腹を、アイルは軽く蹴り飛ばした。男は一直線に突き進み、そのまま高価そうな玄関扉を無残にぶち破る。この損害分は誰が持つことになるのか。一瞬ヒヤリとするが、それは後で考えることにした。

 アイルはその男の後に続く。


 「待て! こら、逃げるんじゃねえ!」


 後ろからガヤが聞こえるなか、アイルはようやく中に入る。彼の任務は、あくまでダミオンたちが妻を奪還するまでの陽動。外で目立っていては、彼らが侵入する機会がなくなる。それに、彼にはもう一つ重要な目的があった。

 玄関を抜けると、正面には重厚な木の階段が伸びていて、その奥に真っ白な両扉が構えている。アイルはその扉を睨んだ。

 あそこにレイリーがいる。アイルは直感した。

 巨大なシャンデリアの下、彼は二階に急いだ。吹き抜け構造となっている階上の廊下にはまだ十人以上の敵がいる。


 「奴を殺せ! レイリーさんのお手を煩わせるな!」


 野太い声を合図に、敵の全員が魔法を構える。


 「まだこんなにいるのか……」

 

 少々厄介だ。

 さらに、玄関扉の方から、重い衝突音が響き渡る。驚いて振り返ると、扉の枠より一回り大きい透き通った竜が、頭をねじ込んでいるところだった。枠の周りを囲む岩の壁が、嫌な軋みを上げる。

 

 「こらぁ! 敵前逃亡なんて、許さねえからな!」


 外でさっきの男が叫んでいる。

 竜は頭を引っ込める。そして、もう一度、勢いよく扉に頭突きをした。ついに岩壁もろとも扉が完全に破壊される。修復代はあっち持ちで間違いない。

 ようやく屋内に侵入できた竜は、するりと身体を滑り込ませ、高い天井まで首を伸ばしていく。途中で大きなシャンデリアにぶつかり、それが地面へと落下した。キラキラと光る結晶が地面に散らばる。


 「おい、何やってんだあいつ…… これじゃあ、レイリーさんに殺されるぞ……」


 「ああ、もう終わりだ…… あいつ絶対許さねえ……」


 二階にいた敵の顔が青ざめていくのがわかる。


 「くそ! とにかく迎え撃て! とりあえず、あのガキは必ず殺せ!」


 何種類もの属性魔法がアイルを四方から襲う。

 アイルは階段から手すりへ、そして反対側へと、疾風迅雷の如き動きでその尽くを回避していく。前からは絶え間ない五彩の魔法の雨。そして、少しでもスピードを緩めれば、後方からの厳しい鉄砲水に飲まれてしまう。

 階段の中腹辺りで、アイルは一気に斜め上に飛んだ。


 「邪魔だ!」


 「うがっ!」


 先ほど同様、正面の敵を閉じの方に向かい蹴り飛ばす。しかし、予想に反して扉はびくともしない。

 アイルは扉の前で着地する。


 「終わりだ! 死ねええええ!」


 水竜使いの男だ。

 激流の音か竜の唸りか判別つかぬ、低く恐ろしい音が迫る。振り返ると、竜の開いた口はすぐそこだ。

 左右の敵もいつでも発射できるよう、こちらに手を向ける。


 「やれ!」


 その声で、両側の魔法が発動した。お互いに被弾しないよう、アイルの足元を狙っている。

 逃げ場は失われたかのように思われた。


 「なに!?」


 「あいつ、飛んだぞ!」


 敵たちの声が下から聞こえる。すんでのところで、アイルは天井すれすれのところまで飛び上がったのだ。

 多種の魔法は、真下で一点に集約すると爆散した。巨大な水の竜は方向転換できず、扉を食い破っていく。だが、途中でその動きが止まったかと思うと、竜はただの水に変わった。大量の水が、廊下に溢れて、階段の方は渓流のような様相に変貌する。


 「うわぁぁぁ!」


 敵たちはなすすべなく流されていく。

 敵が綺麗に片付く頃、アイルは地面に足をつけた。目の前の扉は見事に破壊されている。

 中は舞踏会でも開けそうなほどだだっ広い部屋だった。その真ん中に細長いテーブルが縦に伸び、いくつもの椅子が並んでいる。しかし、水竜が侵したような痕跡は一切見当たらない。そして、部屋の一番奥、玉座を思わせる荘厳な椅子にレイリーはいた。彼はアイルを見てもなお泰然自若として、立つそぶりすらない。


 「レイリー!」


 「はあ…… まったく、こんなに荒らしやがって。ここ結構気に入ってたんだけどな」


 いくつもの足音が騒がしく近づいてくる。


 「も、申し訳ありません! すぐにこの男を排除して、それからーー」


 敵が急に黙り込んだかと思うと、刃物を振るうような、空気が切れる音が耳に届く。顔の辺りを生暖かい微風が撫でた。


 「もういいわ。お前ら全員いらねぇ」


 周りの敵たちから赤い血潮が吹き出す。彼らはたんの絡んだような不鮮明な声を絞り出すと、そのままバタリバタリと倒れていった。身体はぴくりとも動かない。遠目では死んだかまでは判断できない。

 アイルは奥に座るレイリーに視線を戻した。顔色一つ変わっていない。


 「お前、何を……」


 「なんだビビってやがるのか? こいつらは俺の部下。どう扱おうが、俺の勝手だ。それに、使えねえゴミが視界をうろちょろしてたら、お前だって気に食わないだろ?」


 あれは本当に、アイルの知っているレイリーなのだろうか。確かに彼には暴力的な側面があった。だが、何の躊躇もなく他人を殺そうとするなんて、村にいた頃では考えられない。外面だけ残して、中身は醜悪な魔物にでも侵食されてしまったのではないか。


 「まあ、こんな奴らのことはどうでもいい。それよりアイル、お前やっぱり隠してやがったのか、黒魔術のこと。いやぁ、前会った時は俺の思い過ごしだったと思ってたんだが…… こりゃあ、一本取られたわ」


 冗談っぽくそう言うレイリー。周りの状況とはかけ離れた、異質な雰囲気が漂う。

 

 「で、どうやってこの場所を知ったんだ?」


 「ただの勘だ」


 「まったく、お前は村にいた時からいつもつまんねえ冗談しか言わなかったよな。まあ、大方見当はついてる。リンシアだろ?」


 アイルはほんの一瞬固まった。


 「違う」


 「今更嘘なんて付かなくていい。あいつ、最近烈風焔刃を抜けたそうにしてたからな」


 レイリーの考えは確信に近いらしい。アイルは何も言い返せなかった。


 「そうなると、何のためにここへ? まさか、リンシアが泣きついてきたのか? 『もう嫌、助けて〜』ってな感じで」


 人を小馬鹿にしたような物真似に、アイルは嫌悪感を覚える。

 だが、幸いダミオンの存在には気付いていないようだ。


 「まったくお前もお人好しだよな。あいつはそうやってすぐに逃げ出す。それで自分ではなんの努力もしない。ほら、村にいた時だって、いつも俺の後ろで威張ってただけじゃねえか。で、お前がやられるのを愉しそうに眺めてた。仮にお前が俺を倒したとして、あいつはすぐに愛想尽かして他の奴の下につく。あいつはそういう人間だ。お前はなんでそんな奴を助けたいと思うんだ?」


 「違う。俺がここに来た理由は、今までお前が犯してきた罪を償わせるためだ」


 アイルはきっぱりと断言する。

 レイリーは目を細めしばらくアイルを見ていたが、いきなり肩を揺らして笑い始めた。


 「罪を償わせるねぇ?」


 「何がおかしい。自分で部下を戦闘不能にして…… 素直に捕まる気にでもなったのか?」


 「なあ、アイル。俺は今めちゃくちゃ愉快な気分なんだ。その理由がわかるか?」


 質問を全く関係のない質問で返される。


 「そんなこと知りたくもない」


 レイリーはふっと笑う。さっきと違い、そこには侮蔑の念が込められているようだった。


 「なんだよ、長い付き合いなんだからそのくらい察して欲しかったな。まあいいさ、仕方ねえから教えてやるよ。それはな……」


 アイルの前髪がなびく。微かな風が前方から吹いているのだと気付いた。

 彼はハッとした。その風は一瞬の内に暴風へと変わったのだ。手段を講じる前に、アイルは身体は浮き上がった。


 「く…… ぐぁっ!」

 

 荒れ狂う風により、アイルの身体は後方へと押し流される。レイリーの姿がどんどん遠のいていく。

 アイルは玄関付近の壁へと打ち付けられた。背中に鈍い痛みが走る。身体強化無しでは、おそらく骨が砕け散っていたに違いない。地面は先ほどの水竜のおかげで冷たく濡れている。

 二階の廊下に、いつのまにかレイリーの姿があった。


 「お前がわざわざ、俺に殺されに来てくれたからだよ!」


 屋敷内に充満する激しい風の奔流。それは目に見えない刃となって、厚い壁を、堅牢な柱を粗く切り刻んでいく。配置されていた壺やら椅子やらが勢いよく巻き上がる。屋敷はみるみる内に、破壊されていった。


 「俺に罪を償わせるって言ってたな…… ? やってみろよ! 昔みてえに俺が完膚なきまでにお前を潰してやる」


 「…… もう昔の俺とは違うんだ」


 アイルは立ち上がると、真っ直ぐレイリーを見据えた。

 彼を捕まえれば全てが丸く治まる。身体が熱くなるのを感じた。


 「今日ここで屈服するのはお前の方だ。みんなのためにも、お前が今まで働いた悪事、全て清算させる!」

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