第29話
アイルたちが氷晶の薔薇に加入してから早五日。
彼らは一日一つというペースで上級の依頼をこなし、陰の立役者として、確実にこのギルドに貢献していた。それでも、烈風焔刃との差は中々縮まらないようだ。
その烈風焔刃だが、エフスロスの拠点を壊滅した日以降大した情報が入らず、なんとももどかしい日々が続いている。
「いつもご苦労様。今日は二人ともお休みの日だから、自由に行動して構わないわ」
早朝、いつものように今日の依頼を聞きに行くと、ソフィアに急にそんな事を言われる。それなら昨日の内に言ってくれればよかったのにと思うが、それを口に出すわけにはいかない。
因みに、ライラは朝にめっぽう弱いという理由から、部屋で寝かせている。
「わかりました。ソフィアさんは、何か予定が?」
「私? 私は今日も依頼よ」
「今日もって…… それじゃあ、あなたはいつ休むんですか?」
「薔薇園の子たちの未来がかかってるのに、私が休むわけにはいかないから」
ソフィアは小さく口角を上げた。
思い返してみると、ここ数日、依頼から帰っても彼女が不在という事が多かった。「贖罪のため」という彼女の言葉が蘇る。やはり、彼女は自分の名声などはどうでもよく、真に子供たちの安寧を願っているのだろう。指導者というより慈母のような人だ。
だが、今の彼女はどこか儚げで、少し風が吹けば消えてしまうのではないかという危うさが感じ取れた。
「あなたたちの方は、今日何かしたいことはないの?」
「そうですね…… 少し調べたい事があって、王都にある大図書館に行ってみようかと」
「もっと羽目を外してもいいのに。アイルは勉強熱心なのね。いってらっしゃい」
何か言うべきか迷ったが、頭でそれがまとまらず、結局アイルはそのまま部屋を後にした。
長い廊下を歩いていると、前方からこちらに向かってくる人影が見えた。すぐに、それがこのギルドで一番苦手な人間だと気づく。
「おはようございます」
一応このギルドの副リーダーということもあり、アイルは立ち止まって敬語で挨拶をする。しかし、当のレナードはというと、鼻を鳴らしそのまま立ち去ってしまった。
彼とは一生仲良くなれない。そう確信したが、別にそれの方が好都合ではないかと思い直す。
「今日の依頼は?」
部屋に戻ると、未だ頭まで布団にくるまったライラが、欠伸の混じった声で聞いてくる。アイルは、すぐ隣にある自分のベッドに腰掛けた。
「今日は休みだそうだ」
それを聞いて、ライラは布団から顔を覗かせる。
「そうなんだ。…… えっと、どこか行くの?」
アイルの後方に設置されている窓からの朝日が眩しいらしく、彼女はしきりに目をパチパチとさせる。彼が少しずれれば光を遮ってやれるが、そうすると彼女はいつ起き上がるかわからない。彼はそのまま話を続けることにした。
「ちょっと、大図書館にな」
「大図書館…… ?」
「ああ。かなり規模が大きいらしいから、夢幻魔法の事やアーテルに関する書籍もあるはずだ。それを見れば記憶を取り戻すキッカケになるかもしれない」
現状どちらに関する書籍も、なぜか一般には出回っていない。本にするだけの情報量が無いのか、はたまた別の理由か。だが、さすがに国の運営する図書館になら、何かしら見つかるという期待があった。
「目は覚めたか?」
「まだ眠ーー」
「だめだ。早く準備をするぞ」
布団の端を掴み、中に潜り込もうとするライラをどうにか阻止する。抵抗は無意味と悟ったのか、不承不承といった感じで、ようやくライラは起き上がった。
目的の大図書館は、氷晶の薔薇の拠点からそう遠くはなかった。
城か何かと見間違うほど大きな建造物で、左右には大きさが非対称の尖塔。建物の中央のやや上の壁面には、花弁か何かを象ったガラスが埋め込まれ荘厳な雰囲気を際立たせている。
「この建物全体が図書館なのか……」
「立派な教会みたいだね」
「そうだな。一体いくらかけてこんな建物を建てたのやら……」
ライラに続き、感想を述べるアイル。ふと、視線を感じ横を向くと、彼女は物言いたげにこちらを見ていた。
「な、なんだ?」
「なんか、アイルは現実主義」
「そうなのか…… ?」
褒められているか分からず、アイルは曖昧に反応した。
見ていても仕方ないので、とりあえずアイルたちは中に入ることに。入り口で、入場料として銀貨一枚を要求されて少し驚いたが、これはさして痛手にはならない。こちらは金貨を十枚も所持しているのだ。
「わあ……」
ライラが思わず吐息を漏らす。
真ん中には受付と読書ができるちょっとした空間が存在し、入り口付近を除く周りの壁は、本がびっしりと詰まった七、八段ある本棚で埋まっていた。吹き抜け構造となっていて、細い通路が一周しているだけの二階部分にも、同じ要領で本棚が続いているのがわかる。本の総数は数千冊、いや、もしかすると一万を超えるのではないか。
「これは目的の本を探すのだけでも一苦労だな……」
アイルは開始前から心が折れそうになっていた。だが、これはライラのためであり、自分のためでもあるのだ。早々に投げ出すわけにはいかない。
彼らは二手に分かれて本を探すことにした。本は、歴史書や芸術書、魔法学などに分類されており、彼は魔法学の列を調べる。そこには基礎的なマナに関する書籍から、魔法の種類ごとに体系化された使用方法に関連するものも。
聳え立つ本の壁を上から下へ眺めていき、ようやくそれらしいタイトルの背表紙が見えてくる。
「禁術…… この辺か?」
アイルは試しにその内の一冊を取り出してみた。
『禁術とは、その危険性から、世界で共通の法律(アリスフィア法)により、使用が禁止または制限される魔法の総称である』
これは誰もが知っている常識だ。当然ではあるが、アリスフィア法というのはこの国の王国法よりも強い権限を持つ。
さらにページをめくる。
『禁術は、アリスフィア法に基づき、さらに三段階に分類されており、一部の禁術は、一定の役職(騎士等)または特定の状況に限り、限定的な使用が認められる場合がある。また、いかなる地位の人間も、三段階の最上位、神殺に当たる禁術は、適性がある時点で極刑の対象になる』
「神殺……」
分類があるのは知っていたが、神殺という単語は初めて聞いた気がする。
彼は視線をページの下部に落とした。
『なお、神殺に分類される禁術は、現段階で黒魔術のみが挙げられている』
「黒魔術ーー 夢幻魔法が神殺か…… この本なら……」
アイルは胸を高鳴らせ、ペラペラとページをめくっていく。しかし、膨らんだ期待は水泡が割れるように消失した。
驚くべきことに、続く百ページほどの中には、夢幻魔法に関する貢は一切なかったのだ。
それからアイルは他の書物も手に取り、中を確認してみたが、どれも夢幻魔法の情報だけ頑なに語ろうとはしない。それはまるで、夢幻魔法の記述だけを意図的に避けているようで、得体の知れない気味の悪さを覚えた。小一時間費やして、収穫はゼロ。
失意の中、中央のスペースに戻ると、しょんぼりとした顔のライラはいた。
「どうだった?」
結果は大方予想できたが、一応聞いてみる。
「歴史書とか生態学の本とか色々見たけど、夢幻魔法の本も、アーテルについての本もなかった」
「俺の方も同じだ。禁術についつの本はあったが、肝心の夢幻魔法については全く触れていなかった」
「夢幻魔法の本があるか、ここの人に聞いてみる?」
ライラに聞かれ、アイルは受付の方をちらりと見た。受付の近くには、重厚な鎧をみにまとった警備兵と思しき姿がある。
「いや、変に目をつけられたくないから、それはやめておこう」
「わかった」
アイルたちは大図書館を出ることにした。
「どうして、夢幻魔法の本が全然ないんだろう……」
「断言はできないが、もしかすると、情報が統制されているのかもしれない」
「危険な魔法だから…… ?」
ライラはどことなく不安そうな表情をする。改めて、夢幻魔法が忌避されていることを目の当たりにすれば、誰でもそうなるだろう。
ていのいい言葉で彼女を安心させた方がいいのだろうが、危険性については否定することはできない。
「本の中で、夢幻魔法は神殺に分類されていると書いてあった。使いようによっては、確かに危険な魔法になり得ると思う」
それについては、タレスとの戦いで、激情のままに夢幻魔法を放ったアイルがよく知っている。あの黒く禍々しい力の奔流は、規制されて然るべきなのかもしれない。ただ、見つけ次第死刑というのは、さすがに納得できなかった。
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