第24話

 氷晶の薔薇の拠点を後にしたアイルたちは、早速依頼に記された場所へと向かった。初心者の肩書きでは受けることのできない、正真正銘の上級の依頼だ。そして、彼の要望通り周りに他のメンバーはおらず、今は二人だけで行動している。木々に囲まれた細道のため、通行人の姿もない。


  「すまない、ライラ。ギルドには入らないと決めていたのに」


  「私は大丈夫だよ。それに、みんな歓迎してくれて、嬉しかった……」


  「そうだな……」


 アイルは胸に手を当てがった。さっきの正体不明の感情は、嬉しいという単純なものではなかった気がする。


 「でも、あんまり深入りし過ぎちゃだめだぞ? 魔法ことがバレたら、きっとあの人たちも俺たちを恐がるに違いない」


 「うん」とライラが頷く。


 「だって、ソフィアさんに襲われるのいやだから……」


 アイルは小さく笑う。


  「それに、アイルはあの人が気になってるんでしょ?」


  アイルはギクリとする。あの人とは、当然リンシアのことだ。


  「いや、気になってるというか…… ライラに嘘をつくわけにはいかないな」


  アイルは観念したようにため息をついた。


  「リンシアは昔とは随分変わっていた。今のあいつが、ノエルが言ってた不正行為に加担するとは思えないんだ。何か嫌々やらされてるんじゃないかって…… 直接聞ける感じてもなかったし」


  確固たる判断材料がない以上、これはアイルの憶測に過ぎない。だが、嫌な胸騒ぎが、それに妙な真実味を帯びさせていた。


  「アイルは友達思いだね」


  ライラのセリフには何の含みもなく、ただ純粋にアイルを褒めているようだった。だが、その屈託のない微笑みが、逆に彼にもどかしさを抱かせる。


  「どうなんだろうな」


  彼もなぜここまでリンシアに執心しているのかわかっていない。昔から、自分が仲間意識を持った相手に、献身的になる気質はあった。しかし、まさか前途にそびえるリスクに目をつむってまで、ギルドに入ってしまうとは。


  「…… でも、安心してくれ。本来の目的を忘れたわけじゃない。ライラの記憶を取り戻して見せる。絶対にだ」


  これだけは毅然として宣言するアイル。

 

  「んー、私は今のままでも……」


  何か言いかけて、ライラは首を振った。


  「ありがとう、アイル」


  「やめてくれ。なんだか恥ずかしい…… 約束したんだから、それを果たすのは当然だ」

 

  しばらくすると、目標地点が見えてきた。

 

  「あの洞窟か……」


  「そうみたい。どうする?」


 「とりあえず入り口まで近づいてみよう」


  「わかった」


  岩壁に穿たれていたのは、高さ二、三メートルほどの大穴。ここなら、何か巨大生物が潜んでいてもおかしくない。

  アイルの脳裏にはソフィアとの会話が浮かんでいた。


  「記念すべき初依頼だけど、難易度が未知数な依頼なの。依頼はここから離れた村の村長から。夜中の見回りをしていた五人の村人が何かに襲われて、怪我をしてたって」


  「何か?」


  「ええ、正体は不明。襲われた時、彼らの持っていた松明の火が消されて、しっかりと視認できなかったみたい。でも、翼が生えていて、かなり大型だったらしいわ。それは、方角的に近くの洞窟に飛んで行ったらしいの」


  「それはいつ頃の話なんですか?」


  「ええと…… 襲われたのは一昨日の話。依頼が出された昨日までには、新たな被害は出てないようね。でも、少なくとも、敵は低級の魔物などではないことは確か。あなたたちは、その洞窟の近辺を捜索をして。達成条件は、村の安全の確保よ。魔物が見つからなくても、周りが安全と判断できればそれで大丈夫」


 要は、先行して魔物に襲われないか確かめて欲しいという依頼だ。

  アイル達は、とりあえず洞窟に近づいてみる。中は十分に光が届いていなく、かなり暗い。耳をすましてみるが、聞こえてくるのは小さな風の音だけ。 

  アイルは頷くと、村から借りてきた松明に火をつけた。インフェルノで代用できないかと一時考えたが、あれは逆に周囲を暗くしてしまうので、使い物にならない。


  「俺が前を歩く」


  「うん」


  洞窟はかなり奥まで続いているようだった。炎が照らせるのはほんの数メートル先で、それ以降は全くの闇。ゴツゴツとした硬い地面を靴底が触れるたびに、乾いた音が深くまで反響していく。


  「何もいないね」


  ライラが声を抑えて呟く。


  「ああ。それに何の音もしないな。とても大型の魔物が潜んでいるとは思えない。前に読んだ書物では、魔物が住まう痕跡として、糞や体毛、臭いなんかが挙げられてたが、それもないようだし」


 魔法を使えないと悟ったのは六歳の時だったが、その頃から熱心に書物を読み漁ってたのを思い出す。それは半ば自分の劣等感を紛らわせるためにしていたことだが、案外それが今に生きることも多い。


  「戻る?」


  「…… いや。しっかり調べておかないと、後々魔物がいたとわかったらーー」


  話の途中、突如目に入ったものに、アイルは息を飲んだ。


  「どうしたの?」


  「静かに」


 アイルは目の前の突起した岩の方に向け、松明を近づけた。岩の側面には、赤い何かがべったりとこびり着き、火の明かりを鈍く反射していた。


  「血だ……」


  ほとんど固まっているが、このどす黒い赤は血で間違いない。 さらに腕を伸ばすと、奥の方に赤黒い斑点がちらほら。それは、横穴の方に続いていた。


  「すごい出血。魔物のものかな…… ?」


  「人間を捕食したという話はなかったから、多分そうかもしれない」


  アイルはライラと目を合わせる。


  「行こう」


   血の跡を追い、横穴へと入る。そこは先ほど通った道よりも幾分狭く、血痕は天井にまで付着していた。魔物にとって、ギリギリの高さだったのだろう。やはり、かなり大型の魔物らしい。


  「ライラ、魔法の準備をしておいてくれ」


  空気が擦れるような小さな声音でアイルが伝える。


  「うん」


  ライラは少し緊張している様子だ。

  いくら禁術と呼ばれる夢幻魔法でも、敵を発見してから魔法の発動に移行するまで、少しのラグが生じる。視界の効かない場所でいきなり奇襲をかけられれば、その一瞬の隙で勝敗が決まることもある。

  さらに進んでいくと、今度は、縦横一気に開けた空間に出た。松明の乏しい明かりだけでは、全体が見通せないほどだ。ここなら何か棲みついていてもおかしくない。しかし。

 

  「静かだな」


  「そうだね」


  大型の魔物がいるのなら、息遣いやら多少の身動ぐ音でわかると思ったが、そんな気配はない。時より、どこかから雫が垂れる音がするだけだ。


  「…… 奥まで行ってみよう」


  アイルは意を決して、広い空間を真っ直ぐに突っ切る。地面には、ところどころに乾いた血が付着していた。しかし、呆気ないことに、前方に見えてきたのは行き止まりを示す岩の壁。

  そこから壁沿いにぐるりと一周してみるが、結局何もなかった。わかったのは、ここはドーム状になっているらしいということ。

 

  「おかしいな。血は確かにこっち側に続いていたのに」


  「もう、どこかに逃げちゃったんじゃない?」


  楽観的な、しかし、一番可能性のある考えだ。


  「そうかもな…… とりあえず戻るか……」


  アイル達は来た道を戻り始める。しかし、そのちょうど中間地点に差し掛かった時。


  「ん…… ?」


 突然、ピタっと肩に何かが降ってきた。それは服にじんわりと滲み、仄かな温もりが肌に伝わる。アイルはギョッとして肩を見た。布地に広がっていたのは赤い染み。まさか、とアイルは上を見る。

  炎は相変わらず、灰色の天井を照らすだけ。いや、よく見ると二つの小さな球体が光っている。それは月の満ち欠けの如く、不可思議な点滅の仕方を繰り返していた。


  「ライラ! 上だ!」


  アイルが叫ぶのとほぼ同時に、真上の天井の方から岩が削れるような音がした。大小の岩が降り注いで来る中、巨大な何かのシルエットが見えてくる。


  「グァァァァァ!!」


  聞いたことのある、凶悪な雄叫び。


  「まさか、竜種…… !?」


  咄嗟に、アイルは上に向かい手をかざした。あの大きさなら、インフェルノを当てるのは容易い。

  しかし、寸前でアイルはそれを中断し、イメージを炎から身体の強化に転換する。


  「ライラ!」


  アイルはライラを抱き抱え、その場から大きく飛び退った。直後、地響きが洞窟内に広がる。

 

  「大丈夫か?」


  「うん、平気……」


  さっきまでアイルたちがいた場所は、瓦礫やらが大量に降り注いでいた。何も考えずインフェルノの放っていたら、その後逃げる暇はなかっただろう。


  「あの竜種、この前俺を襲ってきたやつだ」

 

  その色と形、そして、傷だらけの身体。それは、タレスの雷により瀕死状態に追いやられた竜種の一体だった。


  「まさか、まだ生きてたとは……」


  「でも、もうボロボロ……」


  着地した竜種だったが、すぐに身体をよろめかせ、地面へと這いつくばってしまう。おそらく、最後の力を振り絞り、奇襲を行なったのだろう。


  「グルル……」


  竜種はなおも威嚇するように喉を鳴らすが、それ以上何の動きも見せない。


  「もう、襲ってくる余力はないようだ」


  「この竜種が村人を襲ったのかな…… ?」


  「翼の生えた大型の魔物なんて、そうはいないはずだ。それに、俺もこの竜種の群れに襲われた。こいつで間違いないだろう」


  「どうするの?」


  ライラに聞かれ、アイルは押し黙ってしまう。

  彼は再び竜種の方を見た。さすがは魔物の頂点に君臨するだけある。その瞳には、まだ力強い光が残っていた。

  だが、弱っているのは事実。動けない敵にとどめを刺すのは、さすがに心が痛い。


  「…… かなり衰弱してるが、体を休めれば動き回れるようになるかもしれない。また他の村人が襲われる前に蹴りをつけないとな」


  「私が代わる…… ?」


  「いや、大丈夫だ」


  ライラから追撃が来る前に、アイルは竜種の方に手を向けた。しかし、中々心が決まらない。

  先ほど、竜種の正体を知る前に、さっさとインフェルノを放っておけば良かったと強く後悔する。


  「グルルル……!」


  突然、竜種が勢いよく頭をもたげた。


  「なっ…… !こいつ、俺たちを油断させて…… !」


  竜種の知性の高さを失念していた。アイルは魔法の発動を急ぐ。


  「待ってアイル!」


  「どうした!」


  「あの竜種、私たちを襲う気じゃないよ」


  「なんだって?」


  確かに、竜種は何もしてこない。


  「私たちの後ろの方を見てるみたい……」


  後ろの方、つまり、この空間に続く狭い一本道の方だ。

  そして、ようやく気づく。一定の速いリズムで聞こえてくる、低い地鳴りのような音。

 

  「何の音…… ?」


  「わからない…… だが、これは足音か…… ?」


 

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