第16話

  王都への道は思った以上にきついものだった。あの夢幻魔法を使ってから酷い倦怠感が付きまとっていた。刺された腕の痛みを鈍くするほどに。

  やっとの思いで王都へ到着する頃には、日が西の空へと傾いていた。その間、幸運にも他の誰とも鉢合わせになることはなかった。街の様子も、特に慌ただしい様子は見受けられない。天空に届くほどの黒い柱だったから、王都で目撃されてるかもしれないと心配だったが、どうやら取り越し苦労だったようだ。

  一番の問題であった、タレスをどうするか。これは常識的に考えて、衛兵に突き出すのが最善だろう。だが、あえてアイルは彼を医療施設へと運んだ。


  「何があったんですか!?」


  驚く施設の女に、「依頼の途中で魔物に襲われました」とアイルは適当な嘘をでっちあげた。状況が状況なだけに、特に追求することもなく、女はタレスを奥の部屋へと運ばれていった。

  それから十分ほど。


  「タレスさんの容態は?」


  戻ってきた女に、アイルは聞く。


  「結論から言いますと、とりあえず命に別状はありません。二、三日療養すれば、元通りの生活に戻れます」

 

  女の言葉に、アイルは素直に喜ぶべきか迷った。そんな彼の様子を見て、女は怪訝そうに眉をひそめたので、彼は一つ咳払いをする。


  「良かったです。酷い怪我だったので、どうなるかと……」

 

  「いえ、衰弱していた原因は怪我というより、マナを限界まで酷使したことです」


  女の意外なセリフを聞いて、アイルの頭に疑問符が浮かぶ。


  「それってどういうことですか? タレスさんの腕は……」


  「腕ですか? ここへ来た時には、タレス様の腕の傷は完璧に塞がっていましたよ? あれは昔に負ったものではなかったのですか?」


  「え?」


  アイルは何か聞き間違いをしたのかと思った。


  「怪我といえば、背中に局所的に軽い火傷を負っていたくらいですが、これも重傷とはいえないですし……」

 

  「いや、でも……」


  そんなはずはない。

  崖から落下する時、アイルはタレスの腕を燃やした。それから、再び彼が現れるまで一時間もかかっていないはず。その間に、回復魔法をかけられたということだ。

  タレス自身がそんな魔法を使えたというのか。 それとも他に誰か……

 

  「大丈夫ですか?」


  女はアイルの顔を覗き込んでいた。

 

  「は、はい……」


  扉を開けると、ベッドに横になっていたタレスが、ギョッとしたように半身を起こした。


  「き、貴様ら…… 何をしに来たんだ……?」


  タレスは警戒するように目を細める。


  「聞きたいことがあるだけです。ただ、答えようによっては、少し方針を変えるかもしれないですが」


  アイルの脅し文句に、タレスは目に見えて怯えた様子になる。半狂乱だった先ほどの彼とは大違いだ。

  後ろの扉が閉まり、今この部屋にいるのはアイル、ライラ、タレスの三人だけ。逃げ場のない取り調べ室の完成だ。


  「まず聞いておきたいのは、あなたがさっき言った言葉の真意です」


  「言葉……?」


  「村へ戻った後リビエール家のみんなを襲うと、そう言いましたよね? あれは本気でそう言ったんですか? それとも、俺を逆上させるため?」


  アイルはこの質問によって、タレスの今後を決めようとしていた。無論、彼をこの場で殺すような真似はしないが。


  「な、何の話だ……?」


  タレスは訳がわからないという顔をする。しかし、アイルの目には惚けているようにしか映らない。また苛立ちが積もる。


  「何のって…… 追い詰められたあなたが、俺にそう言ったんでしょう?」


  「ま、待ってくれ! 本当に覚えていないんだ! 貴様の言ってることも、何もかも!」


  「この期に及んで、そんな嘘が通用するとでも思ってるんですか?」


  「信じくれ! 私は本当に何も知らないんだ! 気づいたら身体がぐったりしていて、腕がなくなっていたんだぞ!? 教えてほしいのはこっちの方だ!」


  まるで自分が被害者とでも言いたげに振る舞うタレス。


  「いい加減にーー」


  「アイル」


  後ろから服の袖を引っ張られ、アイルは一歩踏み出そうとした足を止める。


  「……悪い」


  また、激情の赴くままに行動するところだった。自責の念に苛まれ、アイルは幾分冷静になる。


  「それで、覚えてないとは、どういうことですか?」


  「じ、実は、昨日の夜、床についてからの記憶がないんだ……」


  「記憶がない?」


  「そうだ。目が覚めたと思ったら貴様の肩に乗せられていた。それ以前のことは、何も覚えていない。魔物に襲われたと聞いたが、私は王都に向かった覚えもないんだ」


  タレスは真っ直ぐアイルの目を見る。


  「それじゃあ、あなたが俺を殺そうとしたことも、背中に生えたアーテルの触手のようなものも覚えていないと?」


  「あの化け物の触手が私に……? ど、どういうことなんだ?」


  タレスの元々白い肌から血の気が引いていき、死人のような顔になる。どうやら演技ではなさそうだ。


  「ライラ、どう思う?」


  アイルは首だけライラの方へと傾ける。


  「この人が嘘をついてるようには見えないよ。何か魔法で操られてたとか?」


  「操られる…… 精神支配術なら、感情のコントロールをしたりできるのは知っているが…… 人を操れるほどの魔法があるのか? 」


  色々な教本を読み漁ってきたアイルだが、そんな高度な魔法は聞いたことがない。そもそも、魔法の対象が相手の脳というだけで難易度が上がるのだ。そんなことをできる人間がいるのか、甚だ疑問だ。


  「凄い魔法師なら、もしかすると……」


  ライラのそのセリフからも、確信はないとわかる。

  アイルはしばらく考え込んだ。


  「わかりました。とりあえず、あなたの言うことを信じます」


  「そ、そうか……」


  タレスは大きなため息をつく。まるで猛獣の追跡を振り切ったような感じだ。


  「ですが、一つ約束してください。絶対にリビエール家には近づかないと。もし、あの家族に何かあれば……」


  「わ、わかった! 神に誓って近づかない!」


  詰問を終えたアイル達は、さっさとタレスの部屋を後にした。とりあえず一つの問題は解決した。しかし、代わりに浮上した、より厄介な問題。


  「精神支配術か……」


  「まだそうと決まったわけじゃないよ」


  「だが、もしそうなら、誰かが俺を狙ってる可能性もある。夢幻魔法の事がバレてなきゃいいが……」


  立ち込める不穏な空気。

  それを破ったのは、間の抜けた小さな地鳴りのような音だった。


  「き、聞こえた…… ?」


  ライラがお腹を抑えながら言う。どうやら彼女の腹が鳴ったらしい。彼女の頬は真っ赤に染まっていた。


 「聞こえてないと言ったら嘘になるな」


 「むう……」


  「とりあえず、妖精の翼片を届けに行って依頼料をもらおう。ご飯くらい食べれるはずだ」

 


 

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