第15話

  タレスの背中から飛び出した、七本の黒い触手が意思を持ったようにうねる。


  「何なんだそれ。具現化魔法? 召喚術か?」


  「さあ、早く殺してみろ! 貴様の黒魔術で!」


  タレスは有無を言わせなかった。

  真っ黒な触手が伸び、ありとあらゆる方向からアイルを狙う。

  変則的な動きを交えることで、彼に狙いを定めさせない魂胆だろう。


  「こんなものじゃ意味がないって、わからないのか!」


  その程度アイルにとっては子供騙しに過ぎなかった。触手の先がどれだけ動いていても、本体であるタレスはその場で静観を決め込んでいるのだ。ならば、本体に近い根本辺りを焼けばいいだけ。


  「馬鹿め! それだけだと思ったか!」


  タレスはがなり立てる。 

  彼は残りの一本の腕ーー 自分の本物の腕を伸ばした。


  「天罰覿面! これで終わりだ!」


  タレスは高らかに勝利を宣言する。

  上空の雲間が青く光る。その光源から、筋がアイルに向かって降ってきた。前方からは七本の黒い棘。


  「さっきから言ってるだろーー」


  彼は真っ直ぐタレスを見やる。天から降る罰など、気に止める必要はなかった。

  所詮は雷。頭上のどこかに魔法を放ち、打ち消せば良いだけだ。


 「そんなものじゃ、意味がないって!」


 アイルの周囲の地面から、黒い炎が噴き出す。それはドーム状に彼に覆いかぶさった。

  数百万を超える電圧は、黒い灼熱へと消えていく。


  「なに……!?」


  「終わりだ」


  アイルは冷酷にそう言うと、インフェルノを放った。

  地獄の業火が、触手の根本を焼き切る。


  「ぐあぁぁぁぁあ!」


  まるで自分の四肢が切断でもされたように、タレスは喚く。

  ぼとっ、という気味の悪い音を立て、全ての触手が地面に落ちた。


  「もう諦めろ。あなたは嫌いだが、殺したくはない」


  「ふっ。慈悲を与えたつもりか? 悪魔のくせに、ふざけた真似を……」


  タレスは千鳥足でこちらに向かってくる。


  「…… 悪魔はお前の方だ」


  「ふざけた事を…… さっさと殺せ……」


  小さく枯れた声が聞こえる。その瞳に力はなく、一気に老け込んだように見えた。これでは攻撃などできまい。


  「そんな事を言っている場合じゃないだろ」


  アイルはローブに隠れたタレスの左腕を見る。途端に胸が痛んだ。


  「腕は大丈夫なのか? とにかく早く治療をしないと」


  「大丈夫。もう治っているから……」


  そう言いながら、なおもタレスは歩み寄ってくる。


  「治ってる? どういうことーー」


  タレスとの距離が残り数歩ほどになった時。ローブの隙間から、何かがチラリと光る。それはちょうど、タレスの右手辺り。

  アイルはようやく気づいた。しかし、それは少し遅すぎたようだ。


  「馬鹿め! 油断しおったな!」


  タレスは右腕を大きく振り上げる。彼の手が握っていたのは、刃渡り二、三センチの小刀。

  儀式か何かで使う、殺傷力の低いものだ。だが、首元を狙うとなれば話は別である。


  「死ねぇぇぇぇ!」

 

  ほぼゼロ距離。これなら即座にインフェルノを発動できる。だが、それではタレスが確実に死ぬ。

  アイルは咄嗟に腕を前に出した。


  「くっ!」


  腕に激痛が走る。

  強力な魔法をものともしなかったアイルは、小さな刃物の侵入を容易に許してしまう。

 

  「このっ!」


  痛みをこらえ、アイルはタレスの腹を強く蹴り飛ばした。


  「ぐうっ!」


  情けない声をあげ、タレスは地面に倒れこむ。


  「はあはあ…… どうだ? 痛いか? ああ?」


  「お前……!」


  「だから殺せと言っただろ? そうしなかったお前が悪い」


  「さっきから何を言ってるんだ……!」


  「それだけじゃない。お前が私を見逃せば、村に戻りリビエール家のクソ共を殺す。男は粉々にして、女の方はどうするかな……」


  タレスが醜い笑みを向ける。

  その瞬間、アイルの心の中で、張り詰めていた何かがプツリと切れた。


  「もういい……」


 込み上げる怒りは、いつしか冷たく鋭い何かへ変わっていた。それは彼から慈悲の心一時的に隠し、盲目にさせる。今彼に見えているのは、醜く卑小な害虫のごとき存在。

  アイルは手を伸ばす。

 

  「ふふふ」


  タレスはそれを恍惚とした表情で眺めていた。まるでこの時を待ち望んでいたかのようだ。


 「消えろ」


  "力"が止めどなく溢れだしてくる。


  「アイル! だめ!」


  ライラが呼ぶ声。

  アイルはハッとする。

  だが、既に"力"は凝縮され、魔法へと姿を変えるところだ。止めようがない。彼は咄嗟に魔法発動の座標を遠くへずらした。

  次の瞬間、音が消え、光が消えた。彼の目に映ったのは、天高く昇るおどろおどろしい黒だった。

  周りは光を失ったかのように、暗くなる。その幻想的で恐怖に満ちた光景は十数秒に渡って続いた。


  「あれが、俺の魔法なのか……?」


  アイルは呆然と呟く。

  黒い光が消えたあと、そこに広がっていたのは死だ。数百はあった木々はその名残すら残らず跡形もなく消え、地面にはぽっかりと大きな穴が穿たれていた。


  「これが禁術…… 悪魔の力……」


  今まで知らなかったし、考えたこともなかったのだ。これが夢幻魔法が禁術と言われる所以なのか。

  「国を滅ぼしかねない悪魔」。タレスの言葉が重くのしかかる。彼が言っていたことは正しかったのかもしれない。


  「うっ……!」


  突如、頭と心臓に耐えがたい痛みが襲った。身体中から汗が吹き出してくる。

  アイルはその場でうずくまる。


  「アイル!」


  痛切な叫びを上げながら、ライラがアイルの隣に駆け寄る。


  「はあはあ…… ライラ。俺は一体…… 何を……」


  聞きたいことが山積していたが、酷い激痛により思考がぼやける。


  「とりあえず、今はここから離れよ? 誰かがここにくる前に。 ……立てそう?」


  「も、もう少し待ってくれ…… それより、ライラは大丈夫なのか?」


  「私は大丈夫。アイルは自分の心配をして」


  少しすると、痛みはだいぶ薄れていった。


  「……行けそうだ」

 

  アイルはライラに優しく手を引かれ、なんとか立ち上がる。そして、川の方へと歩き始めた。小刀で刺された腕の痛みは残り、まだ本調子からは程遠いが、なんとか王都までたどり着けそうだ。


  「ライラ、ちょっと待ってくれ」

 

  ライラの手をするりと抜け出し、ふいにアイルは川とは反対側へ向かう。


  「アイル? どこに行くの……?」


  切ないライラの声を背中に受け、よっぽど引き返したくなるが、そうもいかない。


  「う…… ああ……」


  苦しげな息遣い。まさに、虫の息だ。

  アイルはしばらくの間、うつ伏せに倒れたタレスをただ見下ろしていた。ほんのさっきまで、本気で命を奪おうとした不倶戴天の敵。しかし、不思議なことに、先ほど感じた刃のように無機質で冷たい感情は湧いてこない。

 

  「誰か……」


  タレスは助けを求めるように、右腕をしきりに動かしている。

  どんなに醜悪な生き物でも、命の灯火が消える寸前、弱々しくもがく姿は眺める者の同情を誘う。それは今の彼にも当てはまることであった。

  アイルの彼を見る目からは、侮蔑の色が薄れていった。彼はその場に屈むと、タレスの老いぼれた身体を肩に担いだ。


  「だ、誰だ……」


  「王都まで連れて行ってあげます」


  「貴様…… どうして……」


  掠れた力のない声から、微かな驚きが伝わってきた。


  「確かに俺は一度あなたを殺そうとしました。でも…… あなたと違って、俺はまだ悪魔じゃありません」


  後半、アイルは自信なさげに言った。ライラが呼び止めてくれなければ、彼は悪魔のささやきに屈していたかもしれない。

  タレスは何も言わず、ただ苦しげにうめくばかりだった。


  「アイル、その人は……」


  いつのまにかアイルの側まで来ていたライラ。


  「わかってる。この人は崖の上でお前を、他の奴を傷つけた。だけど、まだ終わっていない。わからないことがあるんだ。それを聞くまでは、この人を死なせるわけにはいかない」


  「アイルがそう言うのなら……」


  不承不承といった感じで、ライラも賛成してくれた。


  「上の奴ら…… ライネスとダインも無事だといいが……」


  「大丈夫だよ。二人とも、私と同じで少量の電流で気絶させられただけだから。もう、目を覚ましてるかも」


  「そうなのか」


  ライラの言葉を聞いて、アイルは安心した。タレスの殺しの対象はあくまでアイルであり、他の人間には一応配慮したらしい。

  ライネス達には自力で帰ってもらうことにしよう。

  そうして、アイル達は川辺まで移動する。あとはこの流れに沿って歩くだけだ。

  その途中だった。ふいに、どこからか視線を感じた。アイルは立ち止まり、周りを見る。

  しかし、特に何も見つからない。


  「どうしたの、アイル?」


  ライラが尋ねる。

  もしかしたら、アイルの気のせいかもしれない。色々なことがあって気が滅入っているのだろう。彼はそう考えることにした。

 

  「いや、なんでもない。急ごう」


  アイルは再び歩き始めた。早くどこかで休みたかった。

 

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