第13話

 目を開ける。

  視界は未だ深く暗い緑色に覆われていた。


  「あれ……」


  しかし、先ほどまであった浮遊感は消えていた。背中からは冷んやりと固い感触が、対照に、前面は温かい何かを感じた。アイルは顔だけを動かし、ゆっくり辺りを見回す。

  目に入ったのは、横に伸びる大量の木の幹。


  「森の中……? 俺は地面に着いたのか?」


  アイルはようやく自分のいる場所を把握した。しかし、腑に落ちないことが。


  「どこも、痛くない……」


  アイルは試しに腕を伸ばして左右に回してみる。すると驚くことに、怪我どころか、衣服にすら傷一つついていない。数十メートルの高さから落ちたのだ。普通、そんなことはあり得ない。


  「何が起きたんだ……?」


  彼はとりあえず身体を起こそうとする。


  「ん……?」


  何かがつっかえて、身体が容易に上がらない。アイルはハッとした。


  「ら、ライラ!」

 

  アイルの身体の上にぐったりと倒れ込んでいたライラ。

  目立った外傷は見えない。彼はすぐさま彼女を地面に下ろし、それから呼吸の確認をする。


  「よかった、生きてる……!」


  身体の奥底から、今までに感じたことのない無上の喜びが湧き上がってくる。思わず抱きしめたくなるが、ギリギリでアイルは自制した。

  小さな寝息のような呼吸だ。気を失ってるいるのだろう。

  ふと気になって、彼は上を向いた。しかし、隙間なく埋められた木の葉のせいで、崖上の様子は窺い知れない。この際、下手人のことなどどうでもよかった。


  「待ってろ、すぐに王都に戻るからな」


  アイルはライラを背負う。

  壁面に沿ってしばらく進むと、木々が無くなり、開けた場所に出た。地面は草むらから、ゴツゴツとした岩肌に変わる。さらに、奥の方では崖が途絶え、視界を横切るように小川が流れている。あれなら、後は川沿いに歩けばいずれ王都の方へ戻れるはずだ。


  「大丈夫、もう少しだ」


  アイルは背中に乗るライラに言う。未だ彼女は目を覚まさない。


  「グァァァ!」


  突如として響く咆哮。


  「なんだ?」


  アイルは上空を見上げた。遠くの方から、四つの巨大な何かが飛来してくる。


  「竜種……!?」


  アイルは仰天した。

  岩石でできたかのような大きな身体。凶悪なアギトに、太陽を覆い隠すほど巨大な翼。細かい学名まではわかないが、それは紛うことなき竜種であった。

  竜牙の欠片や、鉱石のように美しい竜鱗はお守りやアクセサリー等によく使われ、アイルもそれなら見たことはある。しかし、生きた個体を見るのは初めてだ。


  「王都からそこまで離れていないのに…… なんでこんなところに」


  竜種は人里離れた洞窟などに住み着き、縄張り内で狩りをするが普通だ。それも、大型の竜種は単独で行動するのが通常で、群れで狩りをすることはまずない。全てが異常だった。

  四体の竜種は、真っ直ぐアイルの方へ向かってくる。


  「しかも、狙いは俺なのか。わざわざ遠くから。どうなってるんだ?」


  大した食料になるわけでもなく、しかも、魔法を使える人間を襲うなんて。魔物の中でも知性の高い竜種がそんなことをするわけがない。もはや理解の範疇を超えていた。


  「理由はわからんが…… 悪いな、俺はお前らに構っている暇はない」


  今の最優先事項はライラの治療をしてもらうこと。その障害物になるものは、早々に取り除かなければならない。

 アイルは周囲を確認する。さすがに他に人はいない。

  竜種の一体が口を大きく広げ、一気に下降する。


  「意外と速いな」

 

  鎧のように硬質な皮膚を持つ竜種が、まさに砲丸のように飛んでくる。ライラを背負ったこの状況で、避けるには間に合わない。

  なので、アイルは逃げようとはせず、片手を竜種の方へと向けた。

 

  「すまない。悪く思わないでくれ」


  黒い炎が一瞬で竜種を呑み込む。


  「グァァァァァァァァァ!」


  竜種は、もがき苦しんだかと思うと、耳をつんざくような断末魔をあげる。そして、その巨体はアイルのすぐ横に落下した。激しい風圧がこちらまで届き、地面が小さく揺れる。


  「出力を下げすぎたか…… せめて楽に終わらせてやりたかったが」


  アイルは痛々しげに、焦げた竜種を見る。

  夢幻魔法はその"力"の調整が難しく、ほんの少し調整を誤っただけで、魔法の威力は大きく変わる。半年練習に没頭した彼でも、その微細なコントロールは未だに苦手分野だ。

 

  「グァァァァァ!」


  けたたましい雄叫びが聞こえ、アイルは視線を再び上に戻した。

  三体の竜種は、アイルを囲むようにして浮遊していた。その口元からはオレンジ色の輝きが漏れ出している。おそらく炎の属性魔法だ。

  魔物の体内にもマナは存在していて、一部の魔物はそれを用い、魔法のと同じ現象を発生させることも可能だ。知性の高い竜種ともなれば、そこらの魔術師よりも強力なものを使えるだろう。

  しかし、竜種の知性が高いからこそ、アイルは疑問が浮かんでいた。


  「仲間が一瞬でやられたのに。勝ち目がないとわかってて、なぜそこまで俺を殺すことに固執するんだ! 今なら見逃してやるから、さっさと逃げてくれ!」


  半ば訴えかけるように言うアイル。

 自衛のためとはいえ、生き物を殺して気分が良いわけがない。できれば、これ以上命を殺めることはしたくなかった。


  「グルル……」


  しかし、竜種といえど、位置づけ的には魔物と同じ。人語を解することはない。それらは威嚇するように唸りながら、口内に着々と炎を蓄えていく。


  「説得できるわけないか…… それなら……」


  その頰が目一杯膨らむと、三体の竜種は一気に口を開いた。


  「グアァァァァァァ!」


 三方向から吐き出される高温のブレス。掠めただけでも、あっという間に皮膚がただれるだろう。

  しかし、それはアイルの元へ届くことはない。その進行方向上には黒い炎が立ちはだかっていたからだ。

 

  「それだけか?」


  高威力の魔法によって、竜種の炎を打ち消したのだ。単なる壁を建てることもできただろうが、慣れてる想像物の方がより早く顕現させられる。

  アイルに一切の怪我を負わせることなく、ついに竜種は炎のブレスを吐き切った。かなりのマナを消費したらしく、竜種の呼吸が乱れているのがわかる。


  「これで力の差がわかっただろう。さっさと消えてくれ」


  頭の良い竜種なら、自分の攻撃が通用しないと理解すれば、尻尾を巻いて逃げるはず。これがアイルの算段だった。しかし、すぐにそれは希望的観測に過ぎなかったとわかる。


  「グルルルル……」


  苦しげに息をしていた竜種は、再びブレスの準備を始めたのだ。


  「あいつら、どうしてそこまで……」


  アイルは唖然とする。

  何が竜種をそこまで駆り立てるのか、彼には全く分からなかった。その異常なまでの執念に、彼は狂気を感じ取った。

 

  「あいつらのマナが切れるまで待つか……?」


  だが、すぐにアイルは「いや」と首を横に振った。竜種のマナがいつ切れるかわからない。それまでライラを放置する気にはなれなかった。


  「せめて、さっきの竜種みたいに、苦しまないよう逝かせてやる」


  そう宣言して、アイルが手をかざした時だった。

  晴天だった空が、突如として分厚い灰色の雲に覆われる。しかも、雲はアイルと竜種の上空にしかできていない。その周りは相変わらずの青空だ。


  「何が…… ?」


  アイルが困惑していると、雲が光った。

  そしてーー


  「グァァァァァァァァァ!」


  三体の竜種の元へ稲光が降り注いだ。

  翼の動きを止めたそれらは、全てが地面に墜落する。しかし、即死には至らず、それらは身体をピクピクとさせながら、小さく高い鳴き声を上げた。聞いているだけで心が痛くなる。

 あれが自然現象なはずがない。


  「魔法……!? 誰だ!」


  アイルは視線を周りに向ける。

  川の方だった。黒いローブで全身を覆った何者かが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


  「お前、さっきの……!」


  それはアイル達が崖から落下している最中、崖の上から手を振っていた人間だった。

  よく見れば、左腕に被さっている布は明らかに凹んでいる。インフェルノを直に受けて、腕を消失したのだろう。


  「誰なんだお前は! ライネスなのか? それともダインか? お前がライラを突き飛ばしたのか!?」


  再び訪れた罪の意識を振り払うように、アイルはまくし立てる。

  しかし、ローブ姿は何も答えず、ゆったりとした歩調でさらに近づいてくる。


  「止まれ! 」


  アイルは手をかざした。

  相手が誰であれ、殺したくはないため、これはただの脅しである。

  それが功を奏したのか、ローブ姿は足を止めた。距離としては四、五メートルほど。

  そこまで来てようやくわかった。その身長はおそらくアイルよりも高い。この時点でライネスの線はなくなる。


  「ダイン…… なのか?」


  「悪魔め……」


  低くしわがれた声が、セリフに反して愉快そうに言う。そして、ローブ姿はゆっくりと、顔を覆っていた布をめくった。


  「そんな、どうして……」


  その顔に、アイルは言葉を失った。

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