第12話

  「妖精の翼片は大体、崖の側面に自生している。白く発光しているから、あればすぐわかるはずだ」


  ダインはそう言うと、崖から顔を出し、左右を見回した。さすがはベテランの初級依頼ハンターだ。知識はかなりあるらしい。

  彼の話では、妖精の翼片はあらゆる傷を塞ぐことができるものらしい。しかし、この世には回復魔法が存在するので、そこまで価値は高くないとのこと。だが、今でも一定の需要があるのは事実だ。

  アイル達もダインに倣い、間隔をあけて懸崖から下を覗いてみた。


  「高い……」


  ライラは怖気付いてしまったらしく、頭を引っ込めてしまう。


  「無理するなよ? 落ちたら大変だ」


  「う、うん……」


  垂直に伸びる岩壁のはるか下には、深緑の樹海が広がっている。枝や葉がクッションになっても、転落すれば命はないだろう。

  それからしばらく探索を続け。


  「あ! ありましたよ〜!」


  アイル達が声の方を見てみると、ライネスは崖の縁で、飛び跳ねながら手を振っていた。命知らずにもほどがある。

  三人はすぐに彼の方へと集まった。


  「おお、あれだ! 妖精の翼片に間違いない!」


  ダインは嬉々とした表情で叫ぶ。

  皆の視点が集まる方に、淡く光る白い植物が生えていた。その神秘的な感じは、確かに名前の通りだ。

  しかし、それは崖の中間地点にあり、手を伸ばすだけでは到底届かない。


  「でもあれ、一体どうやって取るんですか?」


  アイルが質問する。


  「これだよ」


  ダインは手のひらを上に向けた。何もないはずのそこから、ゆっくりと何かが形作られていく。


  「おぉ、具現化魔法で一体何を…… え?」


  ライネスの感嘆は、最終的に呆れへと姿を変えた。


  「ロープ…… ですか?」


  彼の手に乗ったのは、何重にも巻かれた、本当に何の変哲もないロープだ。


  「そうだ。これで、誰か一人があそこまで降りる」


  「えっと、誰かっていうのは?」


  そう聞くアイルは、嫌な予感がしていた。


  「俺はロープを作ってやった。お前ら三人のうち誰かが降りるに決まっているだろ?」


  ダインは、腹が立つほど悪い笑みを浮かべた。


  「だから手ぶらで…… なるほど、賢いですね」


  ライネスは納得したように言う。


  「文句でもあるのか? これがなきゃ、あの薬草を取る方法なんてなかっただろうが」


  険悪なムードが訪れる。

  そこへ、自ら進み出たのはアイルだった。


  「わかりました。俺が行きます」


  「アイルが……?」


  ライラは気遣わしげな目を向ける。


  「大丈夫。ロープの上り下りくらい楽勝だ」


  妖精の翼片を取りに行く人間が決まると、ダインはさっさとロープを近くの木にくくりつけ、崖の下へと垂らした。葉の位置まで、たっぷり十メートル以上。

 

  「助かります、アイルさん。僕、運動神経ゼロなので、どうしようかと思ってたんですよ……」


  ライネスが申し訳なさそうに頭を下げるが、さっきの件もあり、なんだか胡散臭く見えた。


  「いえ。それよりも、ロープが解けないようにお願いします」


  「本当に大丈夫?」


  「ライラは心配性だな。見たところロープも頑丈そうだし、落ちるなんてことはない」


  そう言って、アイルは自然にライラに近づく。


  「一応ライネスを見張っててくれ。奴が変な動きを見せたら、すぐに伝えるんだ。いいな?」


  「…… うん、わかった。気をつけてね?」


  アイルは頷き、崖の縁まで進むと、足元に垂れていたロープを手繰り寄せた。降りる前に一度下を覗き込んだが、あまりの高さに目が眩んだ。

  二度と下を向かないと決め、ロープを握り、崖に背を向ける。そして、ゆっくりとライラ達の姿が崖に隠れていった。


  「い、意外と怖いな……」


  一人呟くが、返ってくるのは風が吹き抜ける音だけ。上で何が起こっているのかは、一切わからない。

  それからわずか一分。アイルはロープの末端近くまで到着した。


  「これか」


  目の前には、四枚の葉をつけた妖精の翼片が。名前とその見た目から、むしり取ってしまうのは少々憚られたが、これも生活のためだ。アイルは片手を離し、それを採取すると、素早くポケットに入れた。


  「よし、早く戻ろう」


  崖の上の方から、ドサッという何か重いものが地面に落ちたような音がする。


  「今の音は?」


  アイルは上にも届くくらい、大きな声を出す。しかし、返事はない。


  「どうしてここにいるの……!?」


  代わりに聞こえてきたのは、ライラの切羽詰まった声だ。


   「止まって!」


  次の瞬間、ライラの鋭い声で警告する。それは、アイルが彼女に初めて出会った時の、声色に似ていた。


  「ライラ! どうした! 何が起こってるんだ!」


  アイルは勢いよくロープを上りながら叫ぶ。


  「それ以上近づいたら、本当に……!」


  ライラのその言葉が、アイルに最悪の事態を想起させた。

  やはり、ライネスがアイルの事を知っていて。それとも、ダインが何かしたのだろうか。

  不安が膨らんでいくにつれ、ロープを登る速度も上がっていく。なんと焦れったいことだろう。この時ほど、空を飛びたいと思ったことはない。

  残り二メートルほど。


  「私は警告したから……! ごめんなさいーー」


  「まさか、夢幻魔法を…… 待てライラ! 魔法はだめだ!」


  無我夢中でそう叫ぶ。

  するとーー


  「なっ……」


  崖の上が眩しく光った。

  直後、崖上から何かが飛んできて、弧を描くようにアイルの頭上を通過する。揺らめく銀色の髪。それがライラのであると彼はすぐに気づいた。


  「ライラ!」

 

  アイルはロープから片手を離し、脚と腕を力の限り伸ばす。だが、ギリギリのところでライラに届かない。

 

  「くそっ!」


  何一つ先の考えなどない。ライラを助けたいという一心が、アイルを突き動かした。

  彼は残っていたもう一本の手を離し、岩壁を蹴り上げた。そして、どうにか彼女の上に回り、胴体に腕を回す。ほんの一瞬だけ生まれる安堵感。しかし、それは、下から吹き上げる強風ですぐにかき消された。


  「くっ……! ライラ! 大丈夫か!?」


  呼んでみるが、返答はない。よく見れば、ライラは目を閉ざしている。


  「まずい、このままじゃ……! 」


  アイルは軽いパニック状態に陥っていた。

  無慈悲にも、眼前にみるみる迫ってくる緑色の地面。アイルにできることといえば、身体を返して、自分が下敷きになることくらいだ。

 いや、そんなことにはならない。


 「そうだ…… ! ロープだ!」

 

 アイルは咄嗟に頭にロープの形状を浮かべる。先にフックがあれば、どこかに引っ掛けられるはず。ロープならさっきまで握っていたから、なんとなくは形になる。飛ぶ事ができれば早いのだが、そんな複雑な事象想像できない。

 彼の手からは、真っ黒な光が長く伸びていく。


 「よし…… ! なんとかできた!」

 

  あとはどこかに引っかけるだけ。そうして、視点が空へと移った時だった。


  「なんだ…… ?」


  崖の上から顔を覗かせる人影に気づいた。それは黒いローブのようなもので顔の半分が隠れているため、誰であるかまでは識別できない。それは、「行ってらっしゃい」とでも言うように、アイルに向けて大きく手を振った。


  「あいつがライラを……!」


  心の奥底から、沸々と煮えたぎってくる憤怒。


 「だめだ、今はロープを…… !」


  アイルはロープの形を浮かび上がらせながらも、他のより強い想像が脳内を占拠していたのに気付かない。手元の黒いロープが明滅し始める。

 そして、消えた。


  「え…… ?」


  燃えた。腕のあたりが黒々と。

  人影は燃えた腕を懸命に振り、そして、崖の向こうへと消えていった。


  「違う、俺はロープを出そうと……」


  強い後悔と無力感が襲う。今まで他人を傷つけたことなどないのに、自分は何をしているのだろう。いや、燃やす気などなかった。

  死んでしまっただろうか。もし、生きていても、腕が残っていることはないだろう。

 もうロープを出しても届かない。

  燃え尽きた炎のような心中で、アイルは目を閉じ、ライラを強く抱きしめた。


 

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