第7話

  「く……」


  いつまで経っても、タレスの身には何も起こらない。彼は情けなく閉ざしていた目を、ゆっくりと開けた。そして、驚愕する。

  彼の真横では、ちょうどアーテルが燃え尽きかけていたところだったのだ。


  「俺のことをどう思おうと構いません。だけど、俺たちを敵に仕立て上げて、近くに潜む本当の敵を見過ごしては、本末転倒です」


  アイルは静かに言う。


  「なんだと…… この小童が……!」


  タレスは目元のシワをさらに深くし、白っぽかった頬を紅潮させる。見下していた相手に命を救われ、さらには、反論の余地もない正論を吐かれたのだ。行き場のない怒りが込み上げてきたのだろう。

  顔には出さないが、これにはアイルもスカッとする。


  「いがみあっている暇なんてありません。アーテルはーー 敵はまだ残っています」


  「くっ……」


  「来るよ」


  隣にいたライラが告げる。しっかりと索敵してくれていたらしい。

 

  「化け物だ! 化け物が来たぞ!」


  同じタイミングで兵士が叫ぶ。


  「今は目の前の敵に集中しましょう」


  「……仕方ない。今だけは、貴様らと共闘してやる」


  苦々しげな顔をしながらも、タレスは了承する。正確には共闘ではなく、アイル達による救助なのだが、その言葉は彼のプライドが許さなかったのだろう。


  「あの人、嫌い」


  ボソリと、率直な感想を述べるライラ。もちろん、アイルも同じ想いだが、全てを否定する気にはなれなかった。


  「聖職者として、異端者から村を守ろうとしているんだろう。だから、あの人をあまり憎まないでやってくれ」


  「私たちは異端なの?」


  ライラの不安そうな声音が聞こえる。

  どうやら失言だったようだ。


  「……世間的にはな。だけど、実際はそんなことない。俺もお前も、他の人と同じ人間だ。お前のことは俺が一番よく知っている」


  目をパチパチとさせるライラ。


  「わ、私もアイルのこと一番よく……」


  勢いづいた出だしから一転、ライラの声は急にトーンダウンした。おそらく、アイルには長年一緒に暮らしてきたシエラがいることを思い出したのだろう。

  アイルはそれをすぐに察した。


  「半年間ずっと一緒に生活してたんだ。お前は俺のことを一番よく知ってる人間だ」


  「うん……!」


  無邪気な子供のような満面の笑み。このまま彼女の顔を見続けるのもやぶさかでないが、今はそれどころではない。

  十体ほどのアーテルが四方を囲んだ。一気にかたをつけにきたのか、あるいは、自棄になっただけか。後者であるのは明確だった。


  「俺は右のをやる、ライラは左を頼む」


  「うん」


  「あ、しくじったらカバーを頼んでいいか?」


  「うん」


  迅速でスマートな作戦会議を終わらせると、アイルは屋根から飛び降り、兵士とアーテルとの間に入った。


  「五体か。一発でやり切れるか……?」


  アイルは夢幻魔法の基本を頭の中でおさらいする。

 まずは余計なことの一切を、頭から排斥する。そして、起こしたい事象だけを頭に浮かべる。留意するのは、実物をできるだけ如実に形作ることだ。温度、色、形、規模、構造等、詳細な知識がないと発動には至らない。これにより、型が完成した。

 後は、身体に流れる"力"を一点に集め、体外へと放出するだけ。


  「グギァァァァァァァァ!」

 

  アーテルのおどろおどろしい鳴き声が響く。

  インフェルノに全身を包まれ、あっという間にアーテルの群れは塵になっていった。しかし。


  「やはり、量が多いと精度が下がるな……」


    一体だけ、アーテルを取りこぼしてしまう。それは片腕だけを消失しながらも、勢いを落とさずこちらに突進してくる。だが、一体だけでは脅威になり得ない。

  落ち着いた様子で、再びアイルは手をかざした。先ほどと同じ工程を瞬時に行う。


  「終わりだ」


  「グギギギ!」


  最後の一体も、こちらに到達することなく消えたいった。

  後ろを振り向くと、ライラと目が合う。彼女の後ろでは、アーテルだったものが転がっていた。


  「あー…… 見てたか?」


  「力のコントロールはできてる。でも、アイルには繊細さが足りない」


  ライラーー 師匠による総評。


  「はい……」


  アイルはがっくりと肩を落とした。まだまだ自分は未熟ということだ。


  「嘘だろ、あの量を瞬殺したってのか?」


  「この村一番のタレスさんが苦戦してた敵だぞ……?」


  兵士たちは異口同音に、アイルたちの魔法に驚きの声をあげる。


  「黒魔術の噂は本当だったのか。おぞましい……」


  「さすがは悪魔の使いだ……」


  一方で、明らかに怖がられているのも確か。やはり、どんな美挙を為そうが、彼らの心底にこびり付いた先入観を取り払うことは不可能だ。彼らの目は、アーテルを見ていた時のそれと同じだった。村を出て行く時のそれと同じだった。

  ただ、危機は去った。シエラを救うことができたし、アイルにはもう思い残すこともない。


  「行こう、ライラ」


  「うん」


  アイルが一歩踏み出す。


  「待て」


  アイル達を呼び止めたのは、タレスだった。

 

  「貴様らがあの化け物を呼び寄せたのではないのか?」


  その鋭い言い方は、質問というより詰問。未だにタレスはアイルたちを疑っているようだ。


  「そんな事をしても、俺には何の利益もありませんよ。本当はここに戻って来たくなんてなかったですし」


  アイルは激情的にはならず、きっぱりと言い切る。


  「何を言うか。我々に恨みがあるだろう。貴様を追放したんだぞ?」


  「全くないと言えば嘘になります。でも、この村には俺の思い出があるんです。それを失うわけにはいきません」


  思い出と言っても、リビエール家の一員として過ごしたものだけだ。他の記憶は、正直消し去りたいものばかりである。


  「なぜ、奴らが村を襲撃する事を知っていた?」


  タレスはこちらの粗探しに夢中なようだ。


  「たまたま近くを通りかかった時に、火の手があがっているのが見えて」


  「余計な真似を……」


  忌々しそうにライラを睨みつけるタレス。彼女は無言のままアイルの後ろへと隠れた。


  「まあいい。確かに、今日は貴様らの力が役に立った」


  視線をアイルに戻したタレスは、横柄な態度を崩さず続ける。


  「だが、貴様が何をしようと、貴様が悪魔の使いであることに変わりはない。我々は貴様を絶対に認めはしないからな」


  「それで構いません。むしろ、その方が後ぐされもなく、スッキリしますから」


  「ふっ、さっさと出て行け。いずれ騎士様がこちらに到着なさる。今回も私が見逃してやる」


  「……行こう」


 アイルはライラの返事を待たずに踵を返した。そして、兵士たちの奇異の目に見送られ、早足でその場から離れる。

  別に、見返りが欲しくてこの村を救ったわけではない。ある程度村の人がどういう反応を示すかもわかっていたつもりだ。それでも、心のどこかで芽を出していた期待。それが無残にも踏みつけられたのだ。

  少ししてから、ライラが駆けてくる足音が後ろから聞こえてきた。


  「アイル……?」


  困り果てたような、心配するような声色でライラが名を呼ぶ。彼女に気を使わせてしまったらしい。


  「悪いな。面倒ごとに巻き込んで」


  アイルは作り笑いを浮かべる。


  「ううん」


  そこで会話が途切れる。なんとなく気まずい雰囲気が流れるが、気の利いた言葉が出てこない。

  何気なく辺りに目を向けると、村人たちが怪我人の救護やらで、忙しなく走り回っていた。


  「私はずっとアイルの味方だよ」


  虚をつかれ、アイルはその場で立ち止まる。

  ライラは、いつもの無感情そうな顔でこちらを覗いていた。しかし、その瞳には強い信念のようなものが宿っているように見える。

  胸がじわりと熱くなった。


  「……ありがとう、ライラ」


  もしかすると、アイルにとって、今が一番幸福な時なのかもしれない。

  しばらく歩くと、村の出口が見えてきた。奥の方は、村の灯りが届かず暗い闇が延々と広がっている。

  出口手前まで来て、アイルは突然足を止めた。なぜか、後ろ髪を引かれるような気持ちがしたのだ。


  「あの女の人が心配?」


  ライラの一言で、アイルはギクリとする。わだかまりの原因はまさにそれだと、彼は気づいたのだ。


  「まあ、少しだけな」


  どうにかアイルは平静を装う。


  「もう一度会いにいってみたら?」


  「いいや。駆けつけてくれた男を見ただろ? 多分、恋人か何かだ。あいつも今が幸せな時なのかもかもしれない。そこに俺が邪魔しに行く必要はない。それに、騎士がもうじき来るらしい。見つかったら大変だ」


  アイルは、シエラともう一人の男が抱擁を交わしていたところを目撃していた。

  ショックではあったが、それは仕方がないこと。彼が切に望んでいるのは、彼女の幸せだ。そう踏ん切りをつけていた。


  「……アイルは鈍感」


  ライラのいつも以上に小さな声。

 

  「ん? 今なんて?」

 

  「何も」


  素っ気ない声でそう言うと、ライラはアイルの前を歩いていく。

  彼も急いで後に続いた。途中で何度か聞いてみたが、結局、ライラが答えをくれることはなかった。

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