第4話

 「あ、あの……」


 小さな声が聞こえ、アイルは目を開ける。


 「ああ、おはよう」


 アイルの視界には、上から遠慮がちにこちらを覗き込む少女の顔が。


 「もう、お昼過ぎ、です……」


 少女に指摘され、アイルは窓の方を見やった。陽はだいぶ高くに昇っている。

 欠伸をすると、節々が痛む身体に鞭を打って起き上がる。


 「そんなに寝てたのか。悪い、いつもはこんなんじゃないんだが、ちょっと疲れてて」


 「大丈夫、です」


 昨日少女が目を覚ましてから、アイルたちはようやく近隣の村に到着した。そこで、とりあえず目についた宿に泊まることになったのだ。

 幸い、お金は十分あったから、宿代に困ることはなかった。これなら二人分の部屋を取っても、何週間は持つ計算だったのだが、少女はアイルとの同室を希望した。一人は怖いというのが理由だ。

 しかし、ここは王都から離れた寒村。二人部屋などはないと言われ、結局狭い一人部屋に二人が泊まるということに。当然ベッドは一人分しかなく、少女の反対を押し切り、アイルは床で寝ていたのだ。年の近そうな女性と同じ部屋というのに、どぎまぎしたが、それでも心身の疲労から泥のように眠っていた。


 「あの、昨日は治療してくれて、ありがとう、です」


 少女はペコリと頭を下げた。


 「気にしないでくれ。誰でもできたことだ。回復魔法を使えれば、もっとすぐ終わったんだがな」


 アイルは自嘲気味に笑う。

 ここでも魔法のない不便さを痛感する。とは言っても、前提としてその種類の適性がなければ、魔法は使えないのだ。


 「それで、黒魔術のことだけど」


 「夢幻魔法」


 「え?」


 「本当の名前、夢幻魔法って言うの、です」


 毎回不自然なタイミングで敬語を付け足すのに違和感を覚える。だが、今はそれよりも重大なことが目の前に転がっていた。


 「初めて知った。教本とかでは、黒魔術としか載ってなかったから。なんだか凄い名前だな。でも、そっちの方が良い響きだ」


 少女は小さく微笑んだ。


 「それで、その夢幻魔法なんだけど、適性者は意外といるものなのか? ここ数百年、適性者はゼロだって聞いていたんだが」


 もしかしたら、皆素性を隠して細々と生活を送っているのかもしれない。そんな淡い期待があった。


 「わからない、です……」


 「そうなのか。じゃあ、君は…… って、そういえば名前も聞いてなかった…… 俺はアイル。君は?」


 「わからない、です」


 「わからないって…… 自分の名前をか?」


 少女は小さく頷く。嫌な予感がした。


 「それって、もしかして…… 記憶が無いのか?」


 また力のない頷き。

 アイルは数回瞬きを繰り返す。寝起きの気怠さは既に吹き飛んでいた。昨日はそんな気配を全く見せなかったから、今まで知らなかった。


 「記憶喪失ってことか…… 何か覚えてることは?」

 

 「夢幻魔法のことくらい、です」


 「そんな……」


 アイルは困り果てた。

 夢幻魔法の扱い方を教えてもらったら、そこで別れるとばかり思っていたが。ただでさえ自分自身のことでてんてこまいの状態だというのに。どうやら、事態はかなり深刻らしい。


 「どうするか…… とりあえず君の家を探すのが先決か。でも、何の記憶も無いんじゃな……」


 「いいの、です。私、戻る場所なんてないから」


 予想を裏切る反応に、アイルは目を剥いた。


 「え? でも、それは記憶がないからそう思ってるだけじゃーー」


 「ううん。記憶が無くても、なんとなくわかる、です。私に居場所なんてない。だから、昨日あんなところにいたって」


 なぜそんなことが言い切れるのか、と聞くのはなんだか野暮な気がした。少女の言葉には、何か反論の余地がないような重みがあった。まるで、それが真実であるような気さえしてくる。


 「アイルも、居場所が無いの、です?」

 

 昨夜は宿に着くまで、アイルの生い立ちについて執拗に聞かれたのを思い出す。


 「ああ…… 昨日話した通り、俺は村から追放されたんだ」


 「じゃあ、アイルも私と一緒、です」


 アイルは一瞬固まった。


 「そうかもな……」


 そう答えると、そぞろに親近感が湧いてくる。

 これからは自分の過去をひた隠し、孤独に生涯を過ごすのだと、半ば絶望していた矢先のこと。自分だけ疎外された世界。そこに迷い込んできた、否舞い降りてきた一人の少女。夢でも見ているのだろうか。


 「どうして泣いてるの、です?」


 少女に言われて、初めて目前の景色が揺らいでいることに心付いた。


 「なんだか嬉しくて、つい…… ごめんな、そっちは記憶がなくて不安だって時に……」


 「私もアイルに会えて、なんだか嬉しい、です」


 ライラの笑顔は、アイルにとって太陽の如く輝いて見えた。

 

 「それじゃあ、これからどうするかだな」


 「名前」

 

 「え、名前? ああ、確かに、記憶がいつ戻るかわからないし、それまで結構不便かもな……」


 「アイルに私の名前考えて欲しい、です」

 

 「俺がか!? な、なんで……」


 「だめ、です?」


 「いや、俺そういうセンスとかないしな……」


 アイルは目を逸らそうとするが、少女は首を傾け、常に彼の視界の中央に入ろうとしてくる。逃げ場はない。


 「わ、わかったよ。それなら俺が考えるけど、嫌なら言ってくれよ?」


 少女が期待に満ちた表情で頭を振るので、本気で良い名を考えなければ。

 だが、他人の命名など、子供を儲ける時ぐらいしか経験しないだろうに。いや、ヘイゼルがアイルという名を付けてくれた例外もあるか。それにしても、唐突過ぎる。やはり、少し期間を貰って、じっくり熟慮した方がいい。

 そう弱腰になっていたアイルだったが、ふと、何の前触れもなく一つの名が頭に浮かんだ。


 「ライラ…… っていうのはどうだ?」


 その名を口にすると、なぜだか懐かしい気持ちになった。そして、妙にしっくりくる。

 

 「……」

 

 少女は数秒の間、その単語を咀嚼するようにじっと固まっていた。それからパッと明るい笑みが現れた。


 「うん、いいと思う、です!」


 「よかった。あと、その妙な敬語。別に年も同じくらいだろうし、無理してつける必要ないぞ?」


 「わかった、です…… じゃなくて、わかった」


 アイルは苦笑した。この癖はしばらく抜けないだろう。


 「あの、じゃあ、夢幻魔法の使い方教えるね。名前考えてくれたお返し」


 「普通の魔法とはやっぱり違うのか? 今まで一度も使えたことがないんだ」


 「んー、ちょっと違うかもしれない、です。あ、また……」

 

 

 

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