第3話

  「召喚術!? しかも、あんなでかいやつを……」


  魔法を使えないアイルでも、その種類と巧拙くらいならわかる。

  無属性魔法の一つ、召喚術。擬似的な生物を創りあげるもので、炎や水のような属性魔法と比べ、適性者が少なく難易度も高いのだ。ましてや、これほど巨大な生物。とても子供が扱えるような魔法ではない。魔法を使用するのに消費する、体内のマナも尋常ではないだろう。

  黒い悪魔は、その血のように赤い目でアイルを射すくめる。


  「殺して!」


  「まっ、待ってくれ……! 俺は本当に助けようとしただけだ!」


  アイルは身の潔白を必死に訴える。


  「早く!」


  なぜか分からないが、少女はパニックを起こしているようだった。もはやアイルの言葉など届いていない。

  黒い悪魔は大木のような腕を伸ばし、アイルの小さな身体をすくい上げた。


  「ぐっ……」


  異常な握力で首から下が圧迫される。必死にもがこうとするが、もはや指一本も動かす余地もない。骨から嫌な軋みがあがり、徐々に痛みが増していく。


  「ああぁぁぁぁ! やめてくれ……!」


  できることは、少女に懇願することだけ。

  だが、真下からこちらを見る彼女の目は、未だに恐怖と怒りに満ちているようだった。

  ここで、死ぬのか。

  そう思うと、身体から自然に力が抜けてくる。

  思い返すと、彼の人生は理不尽の連続だった。

  物心つく前に親に捨てられ、魔法の才能はゼロ。挙げ句の果て、禁術の適性者だと、悪魔の使いだとののしられ、村を追い出された。

  もはや、こんな世界に何の未練もーー


  「シエラ……」


  ふと、口をついて出たのは同い年である義姉の名だ。

  面倒見がよく、アイルは小さい頃から世話を焼かれることが多かった。本当の家族であるかのように接してくれた。それは今日も変わらず、彼女は一緒についてこようとさえしたのだ。


  (俺が死んだら、あいつはどう思うだろう)


  浮かんできたのは、シエラが泣き崩れる光景。

 それだけではない。ヘイゼルが身を削る思いで、アイルを逃してくれたのだ。その命をこんな簡単に投げ打っていいわけがない。


  「だめだ、そんなの…… !」


  アイルの表情が変わる。そこには生への強い執着が表出していた。


  「俺は…… こんなところで死にたくない! 幸せにならなきゃいけないんだ…… !」


  力の奔流が血液のように全身を巡っていく感じがする。いや、錯覚などてはない。


  「なんだ、これ……?」


  アイルの身体からは、黒いオーラのようなものが溢れていた。


  「もしかして、これが黒魔術なのか?」


  こんな現象、魔法以外に考えられない。アイルは意図せず、黒魔術を発動させていたのだ。何が契機になったのかはわからない。

  だが、アイルは決定的な欠陥に気づいた。


  「待て! これ、どうやって使えばいいんだ!」


  試行錯誤を繰り返すが、悪魔の手を抜け出せるような魔法は発動しない。魔法など使えたことがないため、発動の仕方がわからないのだ。

  再び絶望感が漂う。


  「この感じ…… あなた、まさか…… デフテロ……」


  真下から少女の声が聞こえる。

  すると、瞬く間に黒い悪魔の姿が霧散した。

  アイルはそのまま地面へと落下する。


  「いって!」


  なんとか受け身をとったが、二メートル以上の高さから落ちたのだ。かなり痛い。


  「どうなってるんだ? ってーー」


  少女は目を閉じ、ぐったりと倒れ込んでいた。


  「だ、大丈夫か……?」


  このままでは危ない。そう思ったアイルだが、意思に反し脚が動かない。

  それもそうだ。理由はわからないが、少女は彼を殺そうとした人なのだ。いや、わからないからこそ、得体の知れない恐怖が彼の前進を止めているのだろう。目を覚ましたら、また襲われるかもしれない。


  「逃げた方が……」


  腰が引け、その場から動けなくなるアイル。

  しかし、どうしても逃げ出すという選択肢にたどり着かない。

  ここで放置すれば彼女は死んでしまうかもしれない。助けを呼ぼうにも、時間がかかる。

  頭の中で渦巻く様々な考えは、やがて、一人の人物像へと収斂していった。

  自分自身だ。

  アイルは少女の姿を、哀れな自分と重ねていた。


  「見捨てるわけにはいかない……」


  恐怖は確かに残っている。しかし、不思議と、身体をがんじがらめにしていた緊張は解けていた。


  「あれ、ここは……?」


  「気がついたか?」


  「あなたは……」


  少女は半身を起こすと、ぽかんとした顔で、アイルを眺める。彼は一瞬身構えるが、攻撃してくる様子もない。覚えていないのだろうか。

  しかし、自分の身体に巻かれた包帯を見て、何があったかようやく思い至ったようま。


  「あ、あの…… さっきは、私……」


  少女はバツが悪そうに視線をさまよわせ、口をつぐんだ。先ほどのような敵意が見えない。むしろ、怯えているように映った。


  「怪我は大丈夫そうか?」


  「え……? はい……」


  少女はこくりと頷いた。


  「あの」


  「なんだ?」


  「あなたもあの魔法を使えるんですか?」


  「黒魔術か。いや、確かに適性はあるらしいんだが、使い方がよくーー ん?」


  アイルは少女の発言に引っかかりを覚えた。


  「 "あなたも"って、君も黒魔術を使えるのか?」


  「はい」


  「ということは、さっきのあれも黒魔術だっていうのか?」


  「はい」


  単調に返事を繰り返す少女。しかし、嘘はついているようには見えない。思い起こしてみれば、確かに、あのおどろおどろしい生き物は普通の召喚術でないように思える。

  アイルは生唾を飲んだ。


  「な、なあ…… その…… 黒魔術の使い方、教えもらうことってできるか?」


  「……はい」


  一筋の光明が差した気がした。

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