第2話

  馬車に揺られて小一時間。

  隣で馬を操っていたヘイゼルは、林道の半ばで馬車を止めた。未だ、周りに村らしきものは見えない。人通りのない、暗く静かな道だった。


  「ここから西へ、しばらく歩けば小さな村に着く」


  ヘイゼルが言った。


  「本当は村の中まで連れていってやりたいが…… もし、そこでお前の魔法適性がバレたら…… その、色々まずい」


  歯切れの悪い口ぶりだが、アイルはヘイゼルの言わんとしていることがわかっていた。

  黒魔術の適性者は即刻死刑。そんな人間を連れてきたとなれば、ヘイゼルは間違いなく疑われるだろう。


  「わかっています」


  「……すまない」


  ヘイゼルは頭を下げた。その痛々しい姿に、アイルは思わず目を逸らす。


  「これで全部だ。食料が一週間分、金貨が十枚。怪我をした時のために、薬草なんかも入っている」


  アイルの前には、かなりの量の積荷が降ろされていた。一人で運ぶには中々骨が折れそうだ。

  金貨は一枚で、それなりに上等な剣を一本買える価値がある。十枚あれば、しばらくは生活できるだろう。


  「私は父親失格だ」


  馬車に乗り込んだヘイゼルは、手綱を持ったままの手を顔に当て、独り言のようにつぶやく。


  「そんなことないです。 血の繋がってない俺にここまでしてくれたのは、ヘイゼルさんとシエラくらいですから。ヘイゼルさんに拾われて、本当に嬉しかったです」


  アイルは努めて笑顔を作る。だが、側から見ればそんなチンケな仮面、いとも簡単に見破られるだろう。


  「アイル……」


  案の定、こちらを向いたヘイゼルは何かを悟ったようだ。


  「シエラをちゃんと説得できれば良かったんですけどね。すみません、最後に面倒ごとを押し付けてしまって」


  「……人思いなのは昔から変わらないな」


  郷愁を感じたようにそう言うと、ヘイゼルはアイルを見つめた。


  「お前のような人間が不幸になっていいはずないのに…… 私のせいで……」


  「そんな…… ヘイゼルさんは何も悪くないですよ」


  「身勝手な願いだが…… アイル、どうか幸せになってくれ」


  その言葉を最後に、ヘイゼルは馬車を走らせる。アイルはその姿が見えなくなるまで、その場で立ち尽くしていた。


  「この先、俺が幸せになんてなれるわけないですよ……」


  先ほどまでは、誰にも気取られぬよう気丈に振る舞っていたが、アイルもまだ子供だ。不意に襲ってきた孤独感や疎外感に耐えられるはずもない。

  なぜ、今までろくに魔法も使えなかった、自分が禁術の適性者なのか。なぜ、自分だけこんな目に合わなければいけないのか。

  胸の辺りがきつく締め付けられるように痛み、気づけば、涙が頬を伝っていた。


  「俺はこれからどうすれば……」


  色々な事が立て続けに起こり、頭の整理が追いついていない。唯一わかっていることは、アイルは家族に、故郷に見放されたという残酷な事実だけ。


  「……」


  ようやく、荷物を抱え歩き始めたのは、それから三十分後のことだ。

  目指すは近くにあるはずの村。そこで新たな生活を始めなければならない。できるだろうか。この世界では、魔法を使えない人間など存在しない。少なくとも、アイルはそう習っていた。

  彼の目はどこか虚ろで、足取りは重い。


  「魔物……?」


  林道を進んでいると、茂みを隔てた向こう側で、何かを引きずるような音がしたのだ。魔物にしては、動きが鈍いような。


  「誰かいるのか……?」


  アイルは荷物を降ろすと、恐る恐る茂みをかき分けた。


  「おい、大丈夫か!?」


  アイルは驚愕した。

  そこに倒れていたのは銀髪の少女だった。年は同じくらいだろうか。ボロボロの、薄い布を巻いただけのような格好。そこから覗く手脚には、痛々しい切り傷が散見される。さらに、呼吸は浅く、素人目にも彼女が危険だとわかる。


  「いや……」


  アイルの存在に気づいたのか、喘ぎに混じって、少女の蚊の鳴くような声が聞こえてきた。しかし、あまりに小さい声で、内容までは聞き取れない。


  「何があったんだ!? 魔物にやられたのか!?」


  「私は絶対……」


  「ま、待ってろ、今助けるから!」


  アイルは道中に置いてきた荷物から薬草と水を取り出すと、大急ぎで少女の元へ戻った。


  「こな…… で」


  少女はアイルの姿を見ると、また、何かを口にした。相変わらず、何を言っているかはわからない。


  「薬草を持ってきた! これで、もうーー」


  「来ないで……!」


  突然、少女は大声で叫ぶ。

  今度は何を言っているかはっきりと聞こえた。しかし、どうやら歓迎されていないらしい。


  「待て待て! 俺はお前を助けたいだけだ!」


  「いや! 近づかないで!」


  「そんなこと言ってられないだろ! このまま、こんな森の中にいたら危険だ! 怪我も酷いじゃないか!」


  有無を言わせず、アイルは少女の元へ駆け寄ろうとする。


  「いやぁぁぁぁぁ!」


  狂ったように少女は声をあげた。

  すると、突然二人の間に現れたのは、墨のように黒い魔法陣。その輝きは、まるで周囲の光を奪い、暗く染め上げていくようだった。


  「なんだ……?」


  魔法陣からゆっくりと何かが出てくる。黒く邪悪な何かが。


  「う、嘘だろ……」


  アイルは恐怖のあまり動けなくなっていた。

  彼の見上げる先にいるのは、周りの木々よりも大きい悪魔のような生き物だった。

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