第25話
「どうぞ」
先に中に入ったマヤーリエが、残りの俺達を迎え入れる。
「いや、どうぞって、えっと……ここ? 本当に、ここ?」
「はい」
俺は、今理解したことに、驚くというより困惑した。
あのとてつもなく長い塀は、マヤーリエの家を囲む塀だったのだ。いや、家を囲むというのはちょっと違う。塀が囲っているのは広い庭であり、家はその広い庭の先にある。
庭には整然と花壇が並んでいて、区画ごとに同じ花や草が植えられていた。庭というより、畑のような印象を受ける。どれも決して華やかな花ではなく、また大きな実がなっているわけでもない。家業は薬屋だそうだから、きっと薬草が植えてあるのだろう。
それらの草花を眺めながら石畳の道を歩き、ようやく家にたどり着いた。マヤーリエがドアを開けるとカランカランとベルが鳴り、奥から若い男性が現れた。マヤーリエとその男性が、ヤヌウェル語で軽く会話を交わす。
「どうぞ、入ってください」
マヤーリエに続いて、俺達も中に入った。家の広さはかなりあるようだけど、玄関はごく普通の家だ。廊下も人ひとりがすれ違える程度で、特に広くはない。
何度も角を曲がり、広い客間に通された。家の奥の方にあるからか、窓はない。ただ壁や天井そのものが光っていて、とても明るい。部屋の中央に長いテーブルと椅子があるだけで、それ以外の家具や調度品はない。
数秒遅れて部屋の反対側にあるドアが開き、人が入ってきた。
「わたしの家族です」
マヤーリエがそう言っている間にも、ぞろぞろと部屋に入ってくる。杖をついたお年寄りもいれば、赤ちゃんを抱いた人もいる。大家族だ。その大家族がおしゃべりしながら入ってくるので、どんどん部屋が賑やかになっていく。
十人くらいが席に着いた中、一人だけが座らずに俺に近寄ってきた。
「お父さんです」
その男性が両手を伸ばし、握手を求めてきた。俺も両手を出し、それに応える。マヤーリエのお父さんの肌は赤、眼の色は黄色、髪の色はナラカの肌のような黄緑色だ。座っている人達も、半分以上は赤系統の肌だ。オレンジ色の肌のマヤーリエも含め、遺伝的な要素があるのだろう。
お父さんがヤヌウェル語で話しかけてきたのを、マヤーリエが訳す。
「いつも仲良くしてくれます。ありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。マヤーリエがいてくれて、本当に助かっています」
マヤーリエのお父さんが、俺の言葉を訳したマヤーリエに何かを言った。マヤーリエのはにかんだ顔からすると、きっと褒められたのだろう。
また、向こうのドアから人が何人か入ってきた。そして運んできたお茶とお菓子をテーブルに置くと、そのまま空いていた席に座った。この人達も家族のようだ。ただでさえ大家族だと思っていたのに、まだいたとは。
お菓子を勧められたので、食べてみる。餅のように柔らかく、そして伸びた。この世界に来てからこういう食感の食べ物は食べたことがなかったから、とても懐かしく感じる。朝ごはんを食べていなかったこともあって、すぐに二つ目に手が伸びた。
「おいしいですか? たくさん食べてください」
「ありがとう」
味はかすかに甘く、飽きが来ない。こういうお菓子があるんだったら、普段から食べたい。もっと早く知りたかった。
続けて、お茶を飲む。ほんのりと花の香りがしたのはよかったんだけど、味はだいぶ渋く、苦みもある。これは好みの味ではない、というか、飲みにくい。でも薬屋の家族が出すお茶だから、体にいい成分が入っているのかもしれない。
それにしても……賑やかだ。
マヤーリエは静かでおとなしい性格だ。日本語を覚えて積極的になったとはいえ、それはあくまでも引っ込み思案だった昔と比べてのことであり、特別明るかったり、自分から何かをしたりということはない。
それに対して、この家族はかなり明るい。会話が途切れない。家族同士だけじゃなく、俺にもどんどん話しかけてくる。俺と話したいという気持ちは熱いほど伝わってくるんだけど、何を言っているのかがさっぱりわからない。とにかく会話の量が多すぎて、マヤーリエの翻訳が全然間に合っていない状態だ。どうしてこの家族からマヤーリエのようなおとなしい人が生まれたのか、本当に謎だ。
「えっと、マヤーリエ、お父さんはわかったから、他の人を紹介して?」
「あっ、はい。あの、おじいさんと、おばあさんと、…………」
ここで判明したのは、マヤーリエは八人きょうだいの末っ子だということだ。玄関で会った男性は一番上のお兄さんで、もう結婚している。赤ちゃんを抱いているのが、奥さんだ。
「薬屋さんなんだよね? みんな、その薬屋で働いているの?」
「みんなじゃないです。いろいろな仕事をしています」
「そっか。マヤーリエもそうだもんね」
「はい。わたしは、わたしの家族と王族が仲良くするといいですから、宮殿で働いています」
なるほど。豪商ともなれば、そういう繋がりにも気を使わなければならないのか。
と、思ったけど。
その薬屋が実際どのくらいの規模なのか、俺はまだ知らない。これだけの広い家を持っているんだから相当大きいんだとは思うけど、ちょっと想像がつかない。
「お店は、どこにあるの? やっぱりお店も大きいの?」
「お店もここです。一つの建物の中に、お店と家があります」
「あ、そうなんだ」
「お店を見ますか?」
「うん、見たいな」
想像がつかないから、実際に見せてもらおう。
マヤーリエのお父さんが案内してくれることになり、ついて行く……。
「ナラカ! レイミン! 一緒に行こうよ」
「あー、はい、いきます」
二人とも、マヤーリエの家族と会話に夢中になっていて、俺が部屋から出ていくのに気づいていなかった。お互い言語が違っているのにどうして平気で会話ができるのか、本当に不思議だ。
また、何度も廊下を曲がる。
「なんか、複雑な構造の家だね」
「こうぞう?」
「あー、複雑に作ってある家だね、ってこと」
「はい。泥棒が来たら、道がわからなくなります」
「なるほど……」
これだけ大きな家なら高価なものもたくさんあるだろうし、そういう仕掛けも必要ってことなのか。
やっと家のスペースを抜け、薬屋の裏側に出た。
「うわー……壮観、だねえ」
「そうかん? 『そうかん』は何ですか?」
「それを見て、すごいなーって思うくらい、とても大きいことだよ」
「はい、あの、漢字は」
「えっと、後で教えるね」
壁に、そして背中合わせに。まるで図書館の本棚のように、薬箪笥が立ち並んでいる。小さい引き出しが何十個もあるこの箪笥を、実際に生で見るのはこれが初めてだ。それが、こんなにたくさんあるなんて。中には、とても貴重な薬や、素人が持つのは危険な薬だってあるだろう。泥棒対策が必要なのも、十分理解できる。ひょっとしたら、マヤーリエの戦闘能力も、そういう不届き者と戦うためのものなのかもしれない。
言葉を忘れ、しばらく眺め続ける。特に薬に興味があるわけではないけど、圧倒され、心が揺さぶられる。
「すごいです!」
首を左右に振りながら、ナラカが駆けずり回っている。
「あけていいですか?」
「あっ、開けないでください」
「そうですか……」
駆けずり回っていた足が止まり、しゅんとなる。
「なまえがヴァーセごなら、あけなくてもいいです……」
引き出し一つひとつに名札が貼ってあるけど、それはもちろんヤヌウェル語だ。
「名前だけわかったって、しょうがないでしょ」
「しょうがないじゃないです!」
「アケヤ、ナラカは、くすりをとてもしっています」
「え? そうなの?」
「はい。ナラカは、びょうきのくすりも、まほうのくすりも、とてもしっています」
レイミンがそう言うなら、本当にそうなのだろう。
でも、ナラカが薬に詳しいだなんて、意外だな。
「まほうも、とてもしっています」
「えっ、でも、ナラカは魔法は使えないよ?」
「まほうのちからがないですから、つかえません」
魔法に詳しいけど、魔法の力がない? どういうことだろう。
「アケヤ、生まれた時に魔法の力がある人は、魔法が使えます。生まれた時に魔法の力がない人は、魔法が使えません」
「そっか、魔法の能力は生まれつきなんだね」
マヤーリエの説明で、納得した。
「ナラカは魔法の力がないですから、紙に魔法を書いて使います」
「えっ、あの札って、ナラカが自分で書いてるの?」
「はい」
知らなかった……。ナラカが札を使いこなせるのも不思議だったけど、札自体もナラカが自分で作っていたなんて。
「あの、魔法の薬の水に紙を入れて、紙の中に薬を入れます」
「うん、『染み込ませます』だね」
「しみ……?」
「染み込ませます」
「しみこ、ませ、ます」
「うん。紙に薬を染み込ませます」
「はい。しみこ、ませ、えー……しみこませる薬を知らないと、紙を札にできません。あと、書く時のインクも、薬を知らないと、魔法ができません」
「それで、ナラカは薬に詳しいんだね」
「はい」
とぼとぼ歩きながら、ナラカが戻ってきた。
「二階に行きますか? ここは病気の薬ですが、二階は魔法の薬です」
「いきます!」
マヤーリエのお父さんが案内役なのに、それより先に階段を駆け上がっていってしまった。
急いで追いかけていく。
二階もやはり、薬箪笥がたくさん並んでいた。その他には戸棚もある。木の扉なので、中は見えない。
「……あけて、いいですか?」
薬箪笥の端っこの引き出しを指差し、おそるおそる、ナラカが聞く。
マヤーリエはお父さんと話している。
「お父さんが開けます」
「ありがとうございます! じゃあ、これ! つぎはこれ! つぎのつぎはこれ!」
ナラカは途端に元気になった。お願いに全く遠慮がない。端から順に全部開けさせるつもりだ。
マヤーリエのお父さんが、上の角の引き出しを開けた。
中には……石?
白い筋が入った、ざらざらした青い石が、いくつも入っている。
「あー、はい、わかりました。こおりのまほうです。とてもつめたくなります。れいぞうこをつくるのにひつようです」
隣の引き出しには、紙の小袋に入った黒い粉。
「はい、わかりました。オチェッケやまのつちです。ひがたくさんでます。これはいいつちです。よくもえます」
ナラカの説明からすると、火薬のように思える。魔法に使うイメージではない。オチェッケ山がどこにあるかは知らないけど、ソホロドの近くに山はないから、かなり遠い場所のものだということがわかる。
次々と開けられていく引き出しの中身を、ナラカはすぐに言い当て、用途を説明した。魔法の薬とは、どうやら地球で言う化学薬品に当たるものらしい。ただ、この世界は魔法と科学が明確に分けられていないからか、全部「魔法の薬」ということになっているようだ。少なくとも、日本の薬局のイメージからは遠い。
あまりにもナラカの知識が豊富なので、マヤーリエのお父さんが舌を巻いている。お父さんも楽しくなってきたのか、引き出しを開ける手がだんだんリズミカルになってきた。
「あー、アケヤ、みてください! これは、まほうじんをかくときにつかういしです。アマンキメツィとサンカロンギは、これをつかいました」
乳白色をした、四角い石。確かにチョークっぽい。
「はい。キネはよく来ます」
キネはアマンキメツィの家で働いている、ヤヌウェル語を話す女の子だ。
「そうですか! ほかになにをかいましたか?」
マヤーリエがお父さんに聞く。誰が何を買ったかなんて、そんな顧客のプライベートな情報を簡単に教えてくれるはずがないと思うけど。
お父さんが、階段を下りていく。
「少し待ってください。ナラカはとても薬を詳しくて楽しいですから、教えます」
「はい! ヴァスヒューダでいちばんいいまじゅつしですから、なにをかったかしりたいです!」
ナラカは歩き回って薬箪笥を眺めている。じっと落ち着いていることができないようだ。
「マヤーリエ、『薬を詳しい』は、『薬に詳しい』がいいよ」
「あっ、はい」
「それと、さっきの『壮観』の漢字は――」
教えようとしたところで、階段の音。お父さんが戻ってきた。何か、大きくて分厚い本のようなものを脇に抱えている。
お父さんが、それを開いた。ヤヌウェル語の文字の横に、数字が書いてある。全て手書きの文字だ。ということは、これは本ではない。
「アケヤ、これは日本語でなんですか?」
「えっ、と……」
「買った人と、薬と、数と、あと何月何日が、書いてあります」
「あ、これは『帳簿』です」
「ちょうぼ」
「うん」
まさか、帳簿を見せてくれるとは……。もっとも、何が書いてあるかは、全く読めないけど。
「なにをかいましたか! おしえてください!」
お父さんが、帳簿を見ながら箪笥の引き出しを開けた。
「あー、これですか!」
さらに、別の引き出しを二ヶ所開けた。
「一番最近はこの三つです」
「そのまえは、なにをかいましたか?」
また、お父さんが引き出しを何ヶ所か開ける。
「そのまえは」
ナラカが催促するのと、お父さんが引き出しを開けるのが、何度も繰り返された。そして、
「……………………」
さっきまでの激しい催促が嘘のように止まり、急に考え込んでしまった。うつむいて、ヴァーセ語でぶつぶつ呟いている。さらに、ぽかんと口を開けて斜め上を向いていたり、何もない空間で手をごちゃごちゃ動かしたりもしている。
「ナ、ナラカ、どうしたの一体」
心配になって声を掛けてみたけど、ナラカの耳には届いていないようだ。
しばらくして、ようやくナラカの口からまともな言葉が出た。
「あー、あの、そのまえは、きいろとみどりのへびのあたまと、かたくてちいさくてまるくてくろいたねと、カンゴポやまのきの……ねっこ? を、かいませんでしたか? たぶん、すこしじゃないです。たくさんかったとおもいます」
マヤーリエの翻訳を聞いている間に、お父さんの表情がみるみる変わっていく。
「びっくりしました。どうしてわかりましたか?」
自分の言葉が翻訳されている間に、お父さんは引き出しを開けた。引き出しには本当に蛇の頭が入っていて、見た瞬間ちょっとビクッとしてしまった。さらに、種も木の根も、ナラカの言った通りだった。
「…………これからくすりをいいますから、よういしてください。たくさんあります。そのくすりをつかって、あたらしいくすりをつくります」
そして、俺の目を真っすぐ見つめた。
「あたらしいくすりで、モイスのこころをなおします」
レイミンに顔を振ったナラカが、ニコリと笑った。
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