第四章 招待されたら、そこで
第24話
久しぶりにすっかり慣れたはずの自分のベッドで寝たというのに、目覚めが悪い。
カガニスが襲われたこと、モイスがおかしくなってしまったことが、どうしても頭から離れない。それでちゃんと眠ることができなかった。俺だっていつまた襲われるかわからないし、解決できるものなら早く解決したい。
なかなか起きる気にならず、ずっとベッドでもぞもぞしていたところに、チリンチリンというベルの音と、コンコンコンというノックの音。
ドアが、少しだけ開く。
「おはようございます、アケヤ」
マヤーリエは普段と変わらずちゃんと起きて働いている。俺も起きなくては。
あくびをしながら、ベッドから出た。でも、まだ食事をする気にはなれなかった。
「ごめん、マヤーリエ。今日は朝ごはんは食べないよ」
「はい、わかりました。……あの、今日、わたしの家に行きませんか?」
「マヤーリエの家?」
毎朝自分の家から通ってくるナラカとは違い、マヤーリエは住み込みで働いている。マヤーリエの家がどこにあるのか、どんな家なのか、俺は知らない。
「はい。わたしの家族がアケヤに会いたいです」
「そうなんだ。いいよ、行こう。ところで、マヤーリエの家族って、どんな人?」
「薬を売っています」
「薬屋さんなんだ。知らなかったな」
考えてみれば、俺はマヤーリエのことを知らなすぎる。どうしてこの宮殿でメイドをしているのかも、どうして長針で戦う能力を持っているのかも、知らない。
「それと、マヤーリエ。マヤーリエの家族が俺に会いたいって言ったけど、『会いたいです』じゃなくて、『会いたがっています』がいいです」
「会いたがって、います?」
「うん。『たいです』は、自分だけ。自分の気持ちです。だから、『わたしは会いたいです』は、いいです。でも、自分じゃない人は、『たいです』は使いません。『たがります』を使います。『食べたがります』とか、『遊びたがります』とか」
「はい」
「『会いたがります』の気持ちが続いていますから、『会いたがっています』です」
「わかりました。わたしの家族が、アケヤに会いたがっています」
「うん、いいね」
「いつ行きますか? わたしはいつでもいいです」
「今日の仕事は?」
「キーチャがいますから、大丈夫です」
これは、仕事をキーチャに押し付けるということではなく、キーチャがマヤーリエの仕事を他のメイドにうまく割り振ってくれるということだ。マヤーリエは仕事を減らして日本語の勉強をしているけど、それも影にこういう計らいがあってのことだ。
「じゃあ、これからナラカとレイミンが来たら、みんなで行こう」
「はい、わかりました。キーチャに伝えてきます」
マヤーリエが部屋を出ていく。
お互いの言っていることが全然わからないのに、用件を伝えられるなんて不思議だ。まあでも、キーチャとマヤーリエとの間なら、俺の名前が出ればキーチャはわかってくれるだろうけど。
四人が揃ったので、マヤーリエの家に行くことにした。
マヤーリエは私服に着替えていた。薄い黄色のワンピースだ。俺は初めて私服のマヤーリエを見た。こんな可愛い服を持っているなら、もっと着ればいいのに。ちゃんと、太ももの長針は隠せる丈だし。
「アケヤ、こっちです」
「ああ、そっちなんだ。ごめんごめん」
宮殿の出口へ向かう廊下が、いつもと違う方向だ。つい習慣で歩いてしまっていた俺を、マヤーリエが呼び戻す。
不思議なのは、ナラカもレイミンも、ごく自然にマヤーリエと同じ方向に行ったことだ。
「どうして俺だけ?」
「マヤーリエのうちはこっちです!」
「ナラカはマヤーリエの家を知っているの?」
「はい! とてもゆうめいです!」
「そうなの?」
「はい!」
ナラカがそう言うだけでなく、レイミンもうなずいている。間違いないようだ。でも、有名ってどういうことだろう?
いつもは正門から大通りに出ているけど、今日は裏門からだ。ここは初めて通る。あの巨大な大通りに繋がる正門と比べるとどうしても見劣りしてしまうものの、裏門と呼ぶにはかなり大きくて立派な門だ。
正面の大通りよりややこじんまりした、それでも普通の道路と比べればかなり広い大通りが、真っすぐ伸びている。馬車用、荷車用、歩行者用の三つのレーンに分かれているのは、正面の大通りと同じだ。
ただ、そこから一つ、角を曲がると。
正面にはない、雑然とした街並みが現れた。これまで通り広い道もあれば、馬車どころか荷車すら通れるかどうかわからないほどの細い道もある。曲がり角の角度もバラバラだ。立ち並ぶ建物も高かったり低かったり、新しかったり古かったり。素材も石やレンガだけじゃなく土だったり木だったりで、統一感がまったくない。
そして、聞こえてくる言葉も。
正面の街は、さまざまな言語があるとはいえ、ヴァーセ語があって、他の言語もある、という感じだった。それがここでは、ヴァーセ語は雑多な言語の一つにすぎないようだ。使われている比率が、特に多いとは感じない。むしろ探さなければ見つけられないくらいだ。
今通っている道はそこそこ広く、片側だけ露店が並んでいる。俺達が歩いている側は露店どころか建物もなく、ただ高い塀が立っているだけだ。何もないから、こちら側を歩いている人は少ない。
「あの……」
切り出しにくそうにしながらも、レイミンが話し出す。
「モイスは、わたしたちがベーンでたたかったのを、しりませんでした」
「なんだって?」
知らなかった? あの事件にモイスは無関係だったってことか?
俺だけでなく、ナラカもマヤーリエも驚いている。
レイミンはヴァーセ語でナラカと話し出した。そして、
「だいじなことですから、レイミンがにほんごをまちがえたらいけないですから、わたしがはなします」
「うん、頼む」
ここから先は、ナラカを通して話を聞くことになった。
「きのう、レイミンはうちにかえって、どうしてカガニスをころそうとしたのか、カガニスをころすのはやめてほしいとモイスにいいました。でも、モイスはどうしてレイミンがそういったのか、わかりませんでした。ですから、レイミンはベーンのできごとをいいました。モイスはしらなかったので、とてもびっくりしました」
これは、本当なのか?
王が襲撃されたという、最上級の重大事件だ。ベーンの領主が、王都に報告しないはずがない。馬車で一日かかる道も、馬に乗って走ればもっと短時間で着く。俺達がソホロドに帰ってきた頃には、とっくにモイスの元に知らせが届いていたはずだ。
「モイスは、レイミンがけがをしなかったかとか、こわくなかったかとか、とてもしんぱいしました。ぜったいにレイミンがあぶない……あー……あぶないめにあうことが、ないようにするといいました」
肩掛けカバンの中にあるノートを見て確認しながら、ナラカが伝える。
「ちょっと信じられないな。モイスは、知らないふりをして、レイミンにそう言ったんじゃないの?」
本当にそうなのだとしても、念には念を入れて確認したい。
「レイミン、モイスは、本当に知りませんでしたか? 知っているのに、知らないとうそを言ったんじゃないですか?」
俺が言ったことを、さらにナラカがヴァーセ語に訳して伝えた。
レイミンは日本語で返した。
「モイスはほんとうをいいました。わたしはいもうとですから、わかります」
「そうか……レイミンがそこまで言うなら、本当にモイスは知らなかったみたいだね」
信用するしかない。今回の件、モイスは無関係だ。
だとしたら、怪しいのはアマンキメツィとサンカロンギだ。でも、全く知らない第三者に襲われた可能性もあるし、決めつけることはできない。そもそも、証拠が何もない。
それにしても。
この話をしていた間、俺達はずっと塀に沿って歩いていた。雑然とした街並みの中で、一枚の塀がやたらと長く続いているのは、ちょっと異様だ。
「ところで、マヤーリエの家は、まだなの?」
「ここですよ」
ナラカがニコリと笑う。
「ここ? ここって?」
「ここです」
ナラカの手が、塀をポンポンと叩いた。
「…………は?」
「アケヤ、着きました」
今度はマヤーリエ自身が、俺に教えてくれた。
長い長い塀が途切れ、大きな鉄の門扉が現れた。
マヤーリエがポケットから鍵を取り出し、門扉の鍵穴に差し込む。ガチャリと音がして、門扉はギイと軋みながら開いた。
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