第22話
二日目も三日目も、俺達は海で遊んだ。プライベートビーチは誰も気にすることなく自由に遊べる一方、賑わいがなくて寂しい感じもした。ただ、王であるカガニスの身の安全を考えれば、混雑している一般のビーチに行くのは危険だ。それに、俺にも何かあるかもしれない。俺が襲われることを警戒して、ナラカやマヤーリエが気楽に遊べないようではいけない。だから、俺達はずっと一般のビーチに行くことはなかった。
でも、周りにある岩場や林には行った。ここも領主の私有地だから、安全には問題ない。岩場には貝が貼りついていて、簡単な道具を使って採ることができた。特にカガニスは、泳ぐ代わりに貝を採ることに夢中になっていた。林は日光を遮っているから、砂浜の暑さと比べるとだいぶ涼しい。そんな緑に覆われた空気を水着姿という開放的な姿で浴び、心地よい気持ちになることができた。
太陽がだんだん西に傾いてきている。楽しかった海水浴も、そろそろ終わりだ。明日の朝にはここを発ち、ソホロドに帰らなければならない。
ナラカはどうしてもカガニスを海に入れずには帰れないらしい。腕を引っ張り、海に連れ込もうとする。
ここに来てようやく折れたのか、何か不満を言いながら、カガニスは波打ち際に足を踏み入れた。一瞬躊躇して、さらに数歩進んだ。そして、大声でまた何か叫んでいる。
ナラカも何か言い、それ以上引っ張るのをやめた。俺の推測によれば、「海に入ったぞ! もういいだろ!」「しょうがないですね」ってところだ。
マヤーリエも加わり、夕焼けに照らされた海のごく浅い場所で、三人で水を掛け合っている。なんて無邪気なんだ。高校生の気分にまで戻ることはできても、さすがにあそこまでは、俺は戻れない。
俺とレイミンの二人が、砂浜に残っている。
「アケヤ」
レイミンが俺の手を握る。
「あちらへ、いきます」
林の中へ、俺を誘おうとしている。
「う、うん」
レイミンに手を引かれるままに、俺は砂浜から離れ、林の中に入って行った。
海にいる三人の姿は、完全に見えなくなった。今ここにいるのは、俺とレイミンの二人だけだ。
レイミンは、一体何がしたいんだ?
よくあるパターン的には、「告白」だ。
でも、まさか、そんなことがあるはずがない。レイミンは王族だぞ? でも、日本語を覚える必要のないレイミンがどうして日本語を覚えようと思った? 私的に俺と話すためじゃないのか? だったら、あるはずがないなんてことは、ないのか?
「アケヤ」
ものすごく思いつめた表情で、レイミンが俺を見る。
「アケヤ、あの……」
軽く斜めに下を向き、エメラルドグリーンの眼が俺を視線から外した。
「だいじな、はなしです」
雰囲気的にも、本当に告白っぽくなってきた。いやいや、ない。よく考え直せ。ないに決まっている。ないに決まっているのに、告白されたらどう言葉を返そうかとか、脳が勝手にシミュレーションを始めようとしている。何をやっているんだ、俺は。
「モイスは」
うん、モイスが、…………モイス? この状況で、兄の話?
レイミンの顔が、また真っすぐ俺に向いた。
「モイスは、おうになりたいです。カガニスは、しにます」
「……………………なんだって?」
くだらない妄想を膨らませていた俺の頭が、一気に覚めた。
「まえは、モイスは、いいひとでした。いまは、わるいひとです。どうしてですか! どうしてモイスはわるいひとになりましたか! わかりません!」
「レイミン、落ち着いて」
震えるレイミンの肩を抱き、一呼吸置く。
「いつから、モイスは、悪くなりましたか?」
「……にがつまえです」
これは二月ではなく、二ヶ月前という意味だ。初級の学習者がよくやる間違いだ。
ワーンガーを見るために神殿の地下に行った時、モイスも俺に同行した。あれは二ヶ月以上前のことだ。その時はまだ、モイスに異常はなかったということになる。実際、あの時モイスは俺の今後の生活を保証してくれていたし、カガニスともごく普通に会話をしていた。異常がある人には、全然見えなかった。あれから一体、何があったのだろうか。
「アケヤも、あぶないです。ワーンガーをおこしたいときは、アケヤはしにます。ワーンガーをおこしたくないときは、ちいさいへやにいます……いますに、します」
要するに、俺を監禁しておくってことだ。俺はただいればいいのだから、たとえ劣悪な環境に置いたとしても死なせない限り問題ない、と考えているんだ。
それに、いざとなったら、俺を殺してワーンガーを目覚めさせるつもりだ。レイミンが言う「しにます」は、殺すということだろう。「殺す」という単語をまだ覚えていなくて「しにます」を代用で使ったということだ。
狂っている。
ワーンガーが目覚めたら、ソホロドは破壊されてしまうだろう。そこまでしてでもカガニスを殺し、王位を簒奪したいのか? そもそも、ワーンガーが目覚めたら、自分の身だって危険なはずなのに。
「わたしは、モイスのこころは、すぐになおるとおもいました。なおりたいとおもいました。でも、なおりませんから、アケヤにいいたいとおもいました。ヴァスヒューダのひとは、モイスをいいひとだとおもいますから、わたしがいいますは、ききません」
モイスがおかしくなった時期と、レイミンが俺の部屋に来た時期。そして、今のレイミンの言葉。そこから、ある答えが導き出されるのは、自然だった。
「それを俺に伝えるために、日本語を?」
小さく、レイミンの頭が、上下に動いた。
あまりにも切ない。切なすぎる。こんな大きな心配を、不安を、憂いを、誰に言うこともできず、ずっと一人で抱えていたなんて。浮かれて勘違いしていたついさっきまでの俺を、思い切りぶん殴ってやりたい。
ベーンに来てからずっとカガニスと一緒にいたのも、言葉の問題だけではなく、一人にさせては危険だという思いからだ。カガニスがナラカやマヤーリエと一緒に遊ぶのを見て、初めてレイミンはカガニスから離れた。レイミンが俺と二人きりになれる機会は、そうあるものではない。ソホロドで二人きりになることは難しいし、仮になれても怪しまれてしまう。だから、今しかなかったんだ。
「大変だったね。教えてくれてありがとう。俺は、レイミンの味方だよ」
返事はない。レイミンの日本語の力では、ちょっと伝わらなかったようだ。
改めて、ゆっくり言い直す。
「レイミン、わたしのこころと、レイミンのこころは、おなじです」
「……はい」
「いま、レイミンがいったことは、だれにも、いいません」
下手に動いて、モイスを刺激するのは得策ではない。しばらくは静観した方がいいだろう。
「じゃあ、海に戻ろうか」
いつまでも二人っきりでこんなところにいたら、怪しまれてしまう。この話はひとまず終わりだ。
気がつけば、空が暗い。ついさっきまで、空はオレンジ色だったはずなのに。
いくら林の中とはいえ、日光が届かないほどではない。レイミンと話しているうちに、日が暮れてしまったのだろうか? それにしても、急すぎる。
嫌な、予感がする。
「レイミン! 海へ!」
走って林を抜け、砂浜に出ると。
影だ。
俺を襲ったあの影の魔物が、砂浜の至るところに出没している。
「ナラカ!」
「アケヤ! あぶないです! にげてください!」
ナラカは札で、マヤーリエは長針で、必死にカガニスを守っている。
「くそっ!」
助けに行きたい。でも、俺には戦う力がない。
だからと言って、逃げたくもない。
「レイミン! 館に戻ろう! 助けを呼んでくるんだ」
館には領主の私兵がいる。言葉は通じないけど、それくらいなんとでもなる。
館はそんなに離れている場所ではない。全力で走れば、一分もかからない。
それなのに。
館に着くと、夕日が西の空をオレンジに染めていた。いつもと変わりない、普通の空だ。
それでも必死に、異常を訴える。呼吸を乱し、海の方向を指差して大声で叫ぶ俺達を見て、使用人も何かが起きたと感じたようだ。手でついて来るよう示すと、使用人の一人が俺について来た。本当は兵を呼びたいんだけど、そこまでは伝わらない。
危ないのでレイミンはそのまま館にいさせ、海への道を使用人と二人で引き返す。使用人は急に空が暗くなったことに驚き、そして魔物と戦うナラカ達を見てさらに驚いた。
急いで館に戻り、使用人が他の使用人達に事態を広めた。情報はすぐに伝わり、一瞬にして領主自らが兵をまとめて海へ走った。
おかげで、魔物を退散させることができた。ナラカ達も怪我を負うことはなく、無事だった。
領主はしきりにカガニスに謝っている。俺だけではなくカガニスにも領主の言葉はわからないけど、カガニスはそれに気にすることはなく、また襲われたことも気にしていないかのように、領主に言葉を返していた。
「アケヤ、ありがとうございます! アケヤがてつだってくれたから、だいじょうぶでした」
ナラカはそう言ってくれたけど、俺は何もできなかった。他人の力を借りただけだ。
俺はやっぱり、ただいるだけの存在なんだ。それ以上は、何もできない。
ソホロドに帰ったら、俺も何か覚えてみようか。魔法は無理だと思うけど、せめて護身術くらいならなんとかなるかもしれないし。いつまでもナラカやマヤーリエに頼ってばかりじゃいられない。
それにしても……。
これは、モイスの仕業なのか?
レイミンがカガニスから離れた途端に襲ってきたのは、モイスの仕業だと考えるにはもっともだ。妹のレイミンを戦闘に巻き込むことはできないからだ。
でも、俺がソホロドの街の中で襲われた時は、モイスはまだ正常だったはずだ。俺を襲ってくるはずがない。
それに、今回襲われたのはカガニスだ。俺じゃない。
ということは、俺がソホロドで襲われたのと、今日の出来事は、全然関連がない話なのか?
そもそも、モイスはこんな魔物を操る能力を持っているのだろうか。ソホロドにいるはずのモイスが、ベーンにいるカガニスを襲うことができるのだろうか。
謎ばかりだ。
とにかく今は、無事だったことを良しとしよう。
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