第18話

 病的なまでに、透き通った青白い肌。とはいえ実際には病気などではない。日本人にとってはそう思える肌の色も、この世界では他と変わりない、単なる肌の色の一つにすぎない。眼の色はエメラルドグリーン、背中を覆う長い髪の色はベージュだ。

 突然ドアが開いたからだろう。その人も驚いて、ビクッと体を震わせた。

 一応、見覚えのない人ではない。モイスの妹、レイミンだ。兄と同様、背が高い。

「あ、あの、えーと、何か、用事?」

 と言っても、通じるはずがない。

 それでも、レイミンが小さな声で何かを言った。

 すると、ナラカが即座に反応した。飛び跳ねるように立ち上がってこちらに来ると、レイミンの手を引いて部屋の中に入れた。

「アケヤ、レイミンもにほんごをべんきょうしたいです!」

「え、そうなの!?」

 驚いた。

 この国に、自ら進んで他の言語を覚えたいと思う人がいるなんて。

 しかも、普段会っている人ならともかく、特に俺と接点があるわけでもないのに。

「まあ、とにかく、座ってよ」

 空いている椅子に案内して、座ってもらう。

「ちょっと待ってて。今、添削の途中だからさ。そうだ、キーチャにお菓子でも持って来てもらおうか」

 ナラカが通訳する。

「あー、おか、おかめ……?」

 言いよどんで、急いでノートをめくった。

「……あー、おかまいなく!」

「そっか、じゃ、すぐ終わらせるから」

 俺は急いでマヤーリエの添削を終わらせることにした。

「『まだ』の次がないですね」

「ここは、わかりません。『取ります』?」

 わからない部分は書かなくてもいいと言ってあるから、空欄でも問題ない。

 「まだ」、「取ります」、そして、文脈的には。

「『収穫します』かな?」

 レモンを持っているふりをして、その上で指をはさみに見立てて切る動作をする。

「はい、そうです」

 俺は紙に「収穫しゅうかくします」とふりがな付きで書いた。最初は画数が多い漢字に泣きそうになっていたマヤーリエだけど、今ではそんな様子は全く見せない。

「まだ、収穫……」

 この後に続く言葉を、マヤーリエに促す。

「収穫しません」

「うーん、『収穫できません』です」

 まだ花の段階ということは、実はついていない。収穫は不可能だから、「まだ収穫できません」だ。「まだ収穫しません」なら、実はついていて収穫は可能だけど、今収穫するかどうかを判断した結果収穫しない、という状況が考えられる。

 詳しい説明をしてもいいけど、今は急いでいるから省く。

 マヤーリエが書き込んだのを見て、レイミンの顔を見る。

「えーと……レイミンは、どうして日本語を覚えたいの?」

「アケヤとはなしたいからです!」

 通訳することなく、ナラカが答えた。

 さっきマヤーリエに教えていた間に二人で小声で話していたから、そこで出た話なのだろう。

 きっと本当のところは、伝説の英雄グスタシオに憧れがあるのだろう。それで俺とグスタシオを重ね合わせて、グスタシオと話したいという気持ちを俺に反映させている、といった感じなのだと思う。そうでなければ、わざわざ俺のところに来るはずがない。

 とにかく、日本語を話せる人が増えるのは、とても助かる。

 ただ、同時に困ったことも生まれた。

 今の俺は、ナラカとマヤーリエのレベルに合わせて日本語を教えている。そこに、全くの初心者であるレイミンが加わるのだ。

 どう教えたら、いいだろうか。

 このまま教えていってもレイミンにはわからないし、かと言ってレイミンに合わせたら、ナラカとマヤーリエにとっては今さら学ぶ部分ではなく、ただ退屈なだけだ。

 ここはやはり、ナラカの力を借りるしかないか。

「ナラカ、レイミンがわからない時は、ナラカがヴァーセ語で教えてほしい」

「はい、わかりました」

 レイミンが簡単な日本語を覚えるまでは、そうするしかないだろう。

「じゃあ、外に行こうか」

 とりあえず、今日は部屋の中で教えるのではなく、外に出て自然な会話の中から初級のフレーズや中級のフレーズを抜き出して教えることにした。今後はレイミンが日本語を覚えるスピードを見ながら、いい方法を探っていければと思う。


「レイミン、これはふくです」

「…………? ナラカ、g# -\#k >[ }j\r^f」

「これ r'-_$? .d }&+、ふく }k.%\ j)i=# f!.x……」

 俺が教えなくても、ナラカが積極的にレイミンに日本語を教えている。自分が最初そうだったように、「これは〇〇です」を繰り返し言っている。ただ、俺がナラカに教えた時とは違って、レイミンはナラカからヴァーセ語で教えてもらうことができる。全く何もわからないうちは、その方が学習しやすいだろう。

 レイミンにどう教えようか、ついて来られるだろうかという心配は、杞憂に終わりそうだ。


 二人の会話をBGMにしながら、街を歩く。

 まだまだ行ったことがない場所もあるけれど、ソホロドの街の光景はすっかり見慣れたものとなった。

 見慣れるということは、つまり、なんとなく飽きも感じるわけで。

 季節感が、ない。

 もし日本なら、毎日同じ場所を通るにしても、季節によって違いがある。店で売っているものや、街路樹や、歩く人の服装などが、視覚的に季節の移り変わりを感じさせて、同じ場所を違ったものに見せてくれる。

 それが、この街には、ない。

 暮らしやすいいい気候ではあるんだけれど、代わり映えしない、単調な気候がずっと続いているとも言える。

 いつも通るクレープ屋で、四人それぞれ好きなクレープを買う。この世界へ来たばかりの頃と違って、今は王族から小遣いが出ているから、お金に困ることはない。

 歩きながら、ナラカに聞いてみる。

「ソホロドには、暑い時や、寒い時は、ないの?」

「あー、あついところにいったときは、あついです」

「えーと、そうじゃなくて」

 なんだか通じていないので、同じ質問を違う言い方にして言ってみる。

「ソホロドは、毎日、同じ天気ですか? この月は暑いとか、あの月は寒いとか、ありますか?」

「……? ありません」

 答えたナラカが戸惑っているのが、はっきり伝わってきた。

 俺にとってはごく普通の質問だったけど、ナラカにとっては不思議な質問だったようだ。

 つまり。

 ソホロドには、季節がない。それが当たり前だから、ナラカは俺の質問がよく理解できなかったんだ。

 でも、ナラカは気になることを言っていた。

「ヴァスヒューダには、暑いところと、寒いところがありますか?」

「はい、あります」

 今度はすぐに返事が帰ってきた。

 どうやらこの世界の暑さ寒さは、時期ではなく、場所だけで決まるようだ。

 そういえば、ナラカやマヤーリエから春夏秋冬の話題が出ることは、全然なかった。自然と、俺から話すこともなかったし。

 該当するものがないのだから、今後も四季に関係する日本語を教えることはないだろう。もし言うことがあるとしたら、俺がいた世界について聞かれた時くらいだ。

「ナラカは、暑いところに行ったことはある?」

「はい! ベーンにいったことがあります」

「ベーンはどんなところ?」

「うみがあります!」

「海かー。いいなー。ベーンはここから遠いの?」

「そうですね、ばしゃで1にちかかります」

「うーん、それは遠いね」

 最初はちょっと行ってみたくなったけど、そう簡単に行ける場所ではなさそうだ。

「マヤーリエは?」

「わたしは行ったことがないです」

「そっかー。じゃあ、レイミンは?」

 ナラカが訳してレイミンに伝える。しかし、ナラカはなかなかレイミンの答えを日本語に直してくれない。

 そのうち、ナラカはレイミンの耳元で囁き始めた。

「わたしも」

「わ、た……$- ]}a{% (#x># ]=w#\\f?」

「わたしも」

「わた……しも?」

 ナラカの囁きを、レイミンが復唱する。

「ベーンに」

「ベーン、に」

「いった」

「いた」

「ことが」

「ことう、が」

「あります」

「あれます」

「そうなんだ、レイミンもベーンに行ったことがあるんだね」

 ナラカの囁きは全部聞こえたけど、あくまでもレイミンが言ったことへの反応として、会話を返した。

「俺もベーンに行ってみたいよ。マヤーリエも行ってみたい?」

「はい、行ってみたいです。わたしは海を見たことがないです」

「じゃあ、行こうか!」

「はい!」

「あの、アケヤ、でも……」

「何? ナラカ」

「アケヤは、ソホロドにいなければなりません。ワーンガーがおきます」

「あっ…………」

 言われてから、初めて気づいた。そんな制約があるなんて、考えたこともなかった。

 俺は、ソホロドから離れられない。

 隣の街へ行くくらいなら、もしかしたらまだ大丈夫かもしれない。でも、馬車で一日かかるような場所となると、ワーンガーを眠らせたままにしておく効果が、効かなくなってしまうかもしれない。

 戦わなくていい、何もしなくていいと思っていたけど、言われていたのは「いるだけでいい」だ。俺はこの街に、いなければならないんだ。

 ソホロドは暮らしやすくていい街だ。何も不満はない。

 でも、この街から出られない……きっと、一生、この街から出られないのだろう。そう思うと……。

「そっか、じゃあ、しょうがないな。……ちょっと、あっちに行ってみようか」

 クレープを食べ終わった俺は、わざとらしく大げさに腕を振って歩き、角を曲がった。

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