第三章 告白されたら、そこから

第17話

 日本ではもう梅雨が明けて、エアコンが欠かせない毎日になっているんだろうけど、王都ソホロドは相変わらず蒸し暑さなんか皆無で、心地よい気候が続いている。

 最近は二人に日記を書いてきてもらっている。自分で文を考えて書くのは、そう簡単にはできない。それに辞書がないので、知らない単語を調べて書くこともできない。だから、簡単な短い文を書こう、わからない部分は後で俺が教えるから、わかる部分だけでいいから書こう、と言っている。


 今日の勉強も、まず日記を添削するところから。

 ナラカの日記を見せてもらう。


「――おかあさんがたくさんじゃがいもをかってきました。ぶたにくといっしょになべでりょうりしました。じゃがいものりょうりをたくさんたべました。でも、まだたくさんありますから、まいにちじゃがいものりょうりをたべます」


 ナラカは相変わらず漢字を使わない。初めのうちは漢字を使うメリットがわからなくて使っていなかったけど、今では単に難しくて覚えるのが大変だから使わない、というだけのようだ。

「じゃがいもかー。安売りしていたのかな。ナラカはじゃがいも、好き?」

「はい! すきです!」

 三食とも宮殿の食堂で食べている俺とは違って、ナラカが食堂を利用するのは昼だけだ。朝と夜は、家族と一緒に家で食べている。

「『かってきました』はいいね。『かいました』もいいけど、『かってきました』の方がいいです」

 褒められたナラカの顔がほころぶ。

「豚肉と一緒の料理は、どんな料理?」

「なべにぶたにくとじゃがいもをいれます。あと、みずと、しおと、たくさんとうがらしをいれます。それから、あつくします」

 肉じゃがっぽい料理なのかと思って聞いていたら、唐辛子を入れるのか。それも大量に。ナラカが辛い料理が平気なのは、家の料理がそうだからなのか?

 それはともかく。

「じゃあ、ここは『煮ます』がいいです」

 俺は「なべでりょうりしました」の部分を指差した。

「にます?」

「うん。『鍋で煮ました』です」

「はい。にます、にました……」

 いつものように呟きながら、「りょうりしました」の部分の下に、「にました」と書き込む。

「最後の『たべます』は……」

「『たべます』はだめですか?」

 ナラカは不安そうに僕を見つめ、答えを待っている。

「『たべたいです』かな?」

 とは言ったものの、ぴったりな表現がなかなかみつからない。

「ナラカは、毎日じゃがいもを食べたいですか?」

「あー、まいにち……まいにちじゃなくても、いいです」

 だったら、「食べたいです」は適切ではない。でも、「食べます」のままでも違和感が残る。何か、他のいい言い方があるはずだ。

 さらにナラカに質問してみる。

「でも、毎日食べますか?」

「はい。じゃがいもがたくさんありますから、まいにちたべます。おかあさんが、まいにちじゃがいものりょうりをつくります」

「お母さんは、毎日じゃがいもの料理を作ると言いましたか?」

「いっていません。でも、まいにちつくるとおもいます」

 だったら。

 俺はようやく、答えにたどり着いた。

「じゃあ、『たべます』より、『たべることになりそうです』がいいです」

「たべる……なんですか?」

「『たべることになりそうです』。『ことになります』は、私が決めたことじゃないです。でも、します」


 自分の意思ではなく、他人の意思や成り行きによって物事が決定された時に使うのが、「~ことになる」だ。この場合はじゃがいもを買ってきたのも料理するのもナラカのお母さんなので、「~ことになる」がいい。


 どう説明しようか……。例文を並べてみようか。

「例えば、『わたしは明日、キーチャと遊ぶことになりました』」

 ナラカは漢字が読めないからかな書きで例文を書き、「ことになりました」の部分に下線を引き、説明する。

「キーチャが、『明日遊びましょう』と言いました。わたしは明日遊びます。遊ぶことは、キーチャが決めました。わたしじゃないです。この時、『ことになる』を使います。『遊ぶことになりました』と言います」

 俺はさらに「レストランではたらくことになりました」と例文を書いた。

「『レストランで働くことになりました』。わたしは働きたいです。レストランの人が、『このレストランで働いてもいいです』と言いました。レストランの人が決めましたから、わたしはレストランで働きます。この時、『ことになる』を使います。『働くことになりました』と言います」

 ナラカはうなずいている。わかってきたようだ。

「ナラカのお母さんが、たくさんじゃがいもを買いました。ナラカは毎日食べなくてもいいです。でも、お母さんが毎日じゃがいもの料理を作ると思いますから、ナラカは毎日じゃがいもの料理を食べることになり……そうです」

「そうです! あー、『ことになりました』じゃないです。『ことになりそうです』です」

「どうして『そうです』と言いますか?」

「おかあさんが、じゃがいものりょうりをつくるかどうか、まだわかりません」

「うん、いいね!」


 この場合の「~そうです」は、何かの情報を元に未来に起こることを予測する時に使う。「お母さんが毎日じゃがいもの料理を作る」というのはナラカが思ったことに過ぎず、ナラカのお母さんが実際に料理するのかどうかは未確定だ。だから断定的な表現ではなく、「~そうです」がいい。


 この「~そうです」はもう教えてあったから、ナラカは理解できた。「~そうです」を使う理由もちゃんと説明できたし、完璧だ。

「あ……そうだ」

 俺はまた一つ、例文を思いついてしまった。

「俺がヴァスヒューダに来たから、ナラカは日本語を勉強することになりました」

「わたしはにほんごをべんきょうしたいです!」

 同じテーブルにいる相手に話しているのだとは思えないほど大きな声で、ナラカは即座に叫んだ。

「さいしょは、アケヤのことばがわかりませんでした。アケヤはわたしににほんごをおしえたいとおもいました。でも、わたしはアケヤのきもちがわかりませんでした。わたしはさいしょに『これ』といいました。そのとき、わたしはアケヤのきもちがわかりました。わたしはアケヤのことばをしりたいとおもいました。ヴァスヒューダのひとは、しらないことばをしりたいとおもいません。しらないひとにことばをおしえたいとおもいません。だから、ふしぎなきもちでした。……あー、あの!」

「う、うん」

 ナラカがこんなに熱く、長く一気に語ったことはなかったから、圧倒されてしまった。相槌を打つのが精一杯だった。

「わたしは、わたしのきもちがあって、にほんごをべんきょうしたいですから、『べんきょうすることになりました』じゃないです! わたしは、アケヤとたくさんはなしたいです!」

「そっか、そうだね、ありがとう、ナラカ」

 俺は自分が困ったから勝手に日本語を教えると決めて教え始めたのに、それに応えるだけでなく自ら進んで日本語を覚えようと努力するナラカには、本当に感謝するしかない。

 そして、俺が感謝すべきなのは、ナラカだけではない。

「じゃあ、今度は、マヤーリエの日記を読もうか」

 マヤーリエにも、本当に感謝している。

「はい」

 少し待ちくたびれたマヤーリエが、日記帳を開いた。


「庭にれもんがあります。木にかわいいの花があります。まだ」


 マヤーリエは、ナラカとは違って積極的に漢字を使っている。

 日本人は漢字を書く時に正方形サイズで書こうとするけど、非漢字圏の人にはその感覚がなく、一文字ごとのサイズがばらばらだったり、ものすごくバランスが悪い、各部分が飛び散ったような漢字を書いたりする人もいる。でもマヤーリエは正方形サイズの手描き絵文字アイコンの感覚からなのか、漢字のサイズは案外揃っている。最初に「鼻」を書いた時のようなバランスの悪い漢字は、今はもう書かない。


「えーと…………レモンか。レモンだね」

「はい」

 一瞬、「にれもんが」でひとかたまりに見えてしまって、なんだろうと考えてしまった。

「レモンは、カタカナで書きます」

「どうしてですか?」

「うーーーん、それは……」

 外来語だから、と言ってしまえばそれで終わりだけど、これでわかってくれるのは地球の人間だ。異世界でそのまま説明していいのだろうか。

 とりあえず、そのまま言ってみようか。

「日本では、外国のものを書く時、カタカナで書きます」

「がいこくのもの?」

「うん。外国は、日本じゃない国です。昔、日本にはレモンがなかったです。外国のものでしたから、カタカナで書きます」

「ヴァスヒューダにれもんがあります。がいこくのものじゃないです」

「うーーーん……」

 困った。どうしよう。異世界の人にとっては、地球の事情なんて本当にどうでもいいことだしな。

「マヤーリエ、アケヤがカタカナでかくといいましたから、カタカナでかきます」

「……はい」

 ナラカに言われて、マヤーリエは「れもん」の下に「レモン」と書いた。

「ちゃんと説明できなくてごめんね」

「大丈夫です」


 いくら日本語教師といえども、日本語の説明に詰まってしまうことはある。学習者が知っている日本語の単語の数が少なかったり、日本自体についての知識が少なかったりすると、その狭い範囲内だけで説明しなければならず、思うような説明がなかなかできなくなるのだ。

 そんな時、学習者が「このことは今はわからなくても、学習を進めていればいずれわかるだろう」という気持ちで妥協してくれると、本当に助かる。


「このレモンは、レモンの木ですか? 食べるレモンじゃないですか?」

 庭にレモンの実だけが置いてあるわけがないし、全体の内容からもレモンの木であることはわかっているけど、一応確認を取るのと、話の流れを作りやすいのとで、聞いてみる。

「レモンの木です」

「『レモン』だけ書くと、食べるレモンだと思いますから、ここは『レモンの木』がいいです」

「はい」

 今度は素直に返事をして、さっき書き込んだカタカナの「レモン」の横に「の木」と書き足した。

「あっ、『木に』は『レモンの木に』がいいですか?」

「うーん、そうだね、『レモンの木に』の方がいいかな……。あと、『この木に』もいいです」

「わかりました」

 マヤーリエは「木に」の前に「レモンの」「この」を書き加えた。

「その次の『かわいいの花』はよくないです」

「『かわいいはな』です!」

 急にナラカが割り込んできて、正しい言い方に修正した。

「あっ」

「そうだね、『の』は、いりません」

「はい、わかります、わかりました」

 そう言いながら、「の」に打ち消し線を引く。

 これはうっかりミスだろう。ナラカに指摘されて、すぐに気づいたようだし。

「でも、ナラカは『花』が読めないから、俺が言った後に言ったんでしょ?」

「あー、…………はい、そうです」

 マヤーリエばかりがバツが悪い状況は作りたくなかったから、あえて指摘してみた。

「俺、レモンの花を見たことがないんだけど、かわいい花なんだね」

「はい。かわいいです。白いの花、あっ、白い花です」

「へー。レモンは黄色いのに、花は白いんだ。知らなかった。教えてくれてありがとう」

「…………」

 マヤーリエは下を向いてもじもじしている。

「『花があります』は、『花が咲いています』がいいです」

「さいて?」

「えーと、咲きます」

 紙に「きます」とふりがな付きで書く。

「花が、こう、こうなります」

 俺は手を握って合わせ、柔らかく開いた。

「花が、咲きます」

「さきます」

「うん、で、咲きます、」

 俺はもう一回、同じ動作をした。そして両手を開いたと同時に、

「咲きました、」

 と言った。そのまま、両手を開いた状態を維持する。

「今は? 今は、『咲いています』です」

 動作が完了した状態が継続されていることを表す「~ています」の説明をする。でも、これは前に教えたことがあるから、復習だ。

「立ちます」

 椅子を後ろにずらし、立ち上がる。

「立ちました」

 しばらく、そのまま動かずにいる。

「立っています」

 マヤーリエも、ナラカもうなずいている。

 じゃあ、次は……。

 ドアの前に立つ。

「開けます」

 ドアノブを掴み、ひねる。

「開けました」

 ドアを開けた。

 その瞬間。

「うわあああぁっ!」

 思いっきりのけぞりながら、大きな声で叫んでしまった。


 ドアの向こうに、見慣れない女の人が立っていた。

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