第3話

 今度はどこへ連れて行かれるのかと思ったら。

 着いた先は、食堂だった。さっきのオレンジ肌のメイドの子は、食事の時間を知らせに来てくれていたみたいだ。

 いろいろありすぎて忘れていたけど、俺は朝の出勤途中に異世界に召喚されたんだった。これから昼食を食べるのだと思うと、急におなかが空いてきた。

 それにしても。

 この世界の人達は、本当に色とりどりだ。

 広い食堂で、何百人もの人達が食事をしている。それでも、同じ色の人は一人としていない。肌の色と髪の色は同じでも眼の色は違ったり、一見同じに見えても少し色合いが明るかったり、くすんでいたりする。

 この世界では眼や髪だけでなく肌の色もなんでもありなのだ、というのは理解している。それでも、色見本を偏りなくばら撒いたようなこの光景には驚かされる。

 でも、そんなことを思っているのは俺だけだ。この世界の人達にとっては、色は違っていて当たり前だ。似たような色の人同士で集まって席に着いている、ということもない。

 さらに、役職の違いも関係なさそうだ。役人も兵士も一緒になって食事している。いい身なりをした貴族と簡素な服を着た使用人が、肩を並べて同じ料理を食べている。男女も年齢も、関係ないようだ。

 俺もナラカと二人で、同じ料理を食べた。食材や味は地球にあるものと大体同じだ。クセもなく、おいしい料理だ。他の人達はどんな料理を食べているのかと思って見渡してみると、みんな同じ料理を食べていた。どうやらメニューはあらかじめ決められているみたいだ。

 ナラカは食事の間も「これ、それ、あれ……」と何度も繰り返し呟いていた。この世界の言葉を何一つ知らない俺にとって、日本語を覚えようとしてくれるナラカの存在が、本当にありがたい。

 ところで、ナラカはどういう立場の人なのだろうか。親しいメイドはいるようだけど、ナラカ自身はメイドではなさそうだ。俺が召喚された場にいたくらいだから、神殿に関係する役職に就いているのだろうか。そういえば不思議な札を使っていたな。ひょっとして、俺を召喚したあの二人組のように、ナラカも魔術師なのだろうか。

 とりあえず、今のところのナラカは、「俺の面倒を見てくれる人」だ。それ以外はいくら詮索してもわからない。気にしないことにしよう。変に探って、関係をこじらせてしまっても困る。


 食事が終わり、ナラカは俺を街へ連れ出した。

 宮殿の正門から伸びる大通りが、とにかく広い。

 もしこの世界に信号機があったら、と考えてみる。青になった瞬間に走って渡り始めても、赤になるまでに渡り切ることが果たして可能だろうか。そんな想像ができてしまうくらい、この道路は広い。

 大通りは馬車用、荷車用、歩行者用と通る場所が分かれていて、全体に石畳が敷き詰められている。最も外側である歩行者用道路のさらに外側には、石やレンガ造りの建物が隙間なく並んでいた。どれも五階ほどの高さがあるものの、道路が広すぎるのでそれほど圧迫感は受けない。そして、これらの建物は、ほとんどが店だ。上はどうなっているのかはわからないけど、一階が店ではない建物を見かけることは、かなり珍しい。

 また、露店も多い。歩道の中央には露店が背中合わせにずらりと並んでいて、歩道を二本に分けている。

 それでも十分に広い歩道を、ナラカと手を繋いで歩く。

 いい天気だ。日本はまだ桜の季節だけど、この国ではもう夏のようだ。でも湿気はないし、着せられた服が薄着ということもあって、気持ちがいい爽やかな暑さだ。

 ここでもナラカは、通じるはずのない何かを俺に話し続けていた。きっとしゃべること自体が好きなのだろう。そうでなければ、返事も理解もされない話を続けることはないだろうし。

 街の人々も、やはり色とりどりだ。歩道を歩く人、荷車を引く人、露店で商売をしている人。誰を見ても、同じ色の人を見ることはない。

 ここで買い物すれば生活の全てが揃うんじゃないか、と思わせるほど、露店は数も種類も豊富だ。野菜や果物、肉、魚といった食材はもちろん、その場ですぐに食べられる物も売っている。食べ物以外にも服やアクセサリー、食器、掃除道具、文房具など、とにかくいろんな物がある。それに露店といっても結構な大きさで、一つの店の中でもかなりの量と種類がある。こうなってくると、ない物を探す方が難しそうだ。また、建物の中にある店はどちらかというと高級な店で、露店は庶民よりの店、といった雰囲気も感じられる。

 八百屋の露店の前で立ち止まる。形や大きさに多少の違いはあるものの、日本の八百屋と大して変わりはない。ただ、値札の文字が全くわからない。この世界で暮らすのであれば、ナラカに日本語を教えるだけでなく、俺もここの言葉を覚えなければ。

 なす、きゅうり、トマト、とうもろこし……主に、夏の野菜が並んでいる。

 さらに並んでいた、白くて太く、長い野菜。

「あ、大根もあるんだ」

 大根の旬は冬だ。日本のスーパーならほとんどの野菜が一年中手に入るけど、この世界でもそうなのだろうか。あまり、そんなイメージはないけど……。魔法の力で季節に関係なく育てられたり、しているのだろうか。

 思わず、大根を手に取った。

 一瞬話を止めたナラカが、また話し出す。大根が好きなのか、大根を食べたいのか、とでも聞いているのだろうか。

 大根は別に好きでも嫌いでもないけど、せっかくだから利用させてもらおうか。

「だいこん」

 持っている大根を指差す。

 ナラカは話を止めた。

「これは だいこん です」

 俺はゆっくり丁寧に、はっきりした発音を心がけて言った。

「……これ!」

 ナラカの目が輝く。

「うん。だいこん。『これは だいこん です』」

「これ…………」

「これは」

「これ……は」

 俺が言った言葉を、ナラカが復唱する。

「だいこん」

「だいこん」

「です」

「です」

「これは だいこん です」

「これは だこん、……です?」

 ちょっと発音が良くなかったけど、ナラカが日本語の文を言ったのはこれが初めてだ。それを考えれば、十分に言えている。

 俺は店頭に並んでいるきゅうりの前に立ち、指差した。

「きゅうり」

「きゅり?」

「うん。きゅうり。『これは きゅうり です』」

「これは きゅり です」

 日本語の発音の特徴であるモーラが、うまく取れていない。きっとこの国の言語は、音節が発音の長さの最小単位という感覚なのだろう。

 今教えたいのは文法だから、発音については注意しない。

 俺は次々と野菜のそばに立って指差し、「これは 〇〇 です」という文を繰り返した。ナラカも俺の隣で指差し、復唱を繰り返す。初めて「これ」を教えた時は、物は必ず手に持っていたけど、こうすることで手に持っていなくても「自分の近くにある物」を「これ」と言うのだとわかってくれるはずだ。

 そして、

「これは…………」

 初めて見る野菜だ。多分、ねぎなんだと思う。緑の部分は日本のねぎと同じだけど、その先の白い部分が紫色で、しかも三本に分かれている。

 紫キャベツなら知っているけど、紫ねぎなんて知らない。

 いや待てよ? そもそも、これはねぎなのか……?

「これは! これは!」

 ナラカが次の文を待っている。

 もう少し先でもいいかと思っていたけど、ちょうどいいタイミングだし、ここで使ってしまおうか。

「これは なん ですか?」

「なん! これは なん です!」

「違う違う。これは『なん』じゃない」

 さっきまでとは反応が違ったので、ナラカは戸惑っている。

 俺はもう一度、「これは だいこん です」からやり直してみた。そして紫色のねぎらしき野菜を指差した後、大げさに困った表情を作り、大げさに首をひねってみせた。

「これは なん ですか?」

 一つだけではわかりにくい。野菜の隣にある、果物の売り場へ行った。そして、「これは もも です」「これは すいか です」などと言った後、こぶし大で一面イボだらけの赤い果物を指差し、大げさな動作とともに「これは なん ですか?」と言ってみせた。

 今度は一人二役だ。

 また、野菜売り場に戻った。

 俺は大根を指差し、「これは なん ですか?」と空間に向かって言った。そして体の位置と向きを変え、「これは だいこん です」と、さっき質問した自分がいた空間に向かって答えた。

 同じように、「これは なん ですか?」「これは きゅうり です」と続けていく。

 戸惑っていたナラカの顔が、だんだん晴れてきた。

 これなら大丈夫かな。

 俺はあの紫色のねぎらしき野菜を指差す。

「これは なん ですか?」

 今度は空間ではなく、ナラカに向かって言った。

 ナラカは得意げに答えた。

「これは :`=j@ です!」

 短いけれども日本人の耳には聞き取りづらい発音の単語で、ナラカは答えた。

「うん、いいね!」

 発音が難しくて復唱できないのを、笑顔でごまかす。でもナラカも笑顔で返してくれたから、これでいい。

「アケヤ! これは なん です」

 今度はナラカの方から俺に聞いてきた。でも、答える前にちゃんと直さなくては。

「なん ですか」

「あー、なん ですか! これは なん ですか?」

 正しく言い直したナラカは、黄色い粒が揃った野菜を指差している。

「これは とうもろこし です」

「とう? …………??」

「とうもろこし」

「とう、も、こしゅ?」

 さすがに、ちょっと長い名前だったか。言えなかったのも無理もない。


 ふと気がつくと、八百屋の店主が不思議そうに俺達二人を見ていた。

 ちょっと気まずくなって、俺達はそそくさとこの場を去った。

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