第6話 夏の終わりの思い出
風呂から上がって、冷蔵庫から瓶を取り出す。とある映えスポットと話題の青い池のように、透き通った空色の瓶。蓋を開けると、瓶の中の透明なビー玉が沈み中の液体が溢れ出す。
俺はそれに急いで口つけて、飲む。スッキリ甘く、ピリッとした炭酸が喉を潤す。爽やかな刺激が、風呂上がりの体に染み渡る。
ベランダで風に当たる。ひんやりした風が心地良い。蝉の鳴き声がBGMのようだ。セピア色の街にヒグラシの鳴き声が満ちる。ヒグラシの鳴き声、ラムネ、夏の終わり。夏休みに出会ったあの子を思い出す。
10年前、俺が小学校五年生の頃。俺は田舎の婆ちゃん家に1週間ほど泊まっていた。
夏休みの自由研究だけまだ終わっていなくて、婆ちゃん家の周りの生き物を調べて写真を撮り、婆ちゃんからその生き物の特徴を教えてもらっていた。
ニホンザル、野良猫、ハクビシン、タヌキなどの哺乳類やキジを始めとした野鳥、虫などを調べていた。
俺は生き物ウォッチングの休憩がてら徒歩五分ほどの駄菓子屋に向かった。黒い屋根瓦に、木の外壁。赤と青のタバコのマークが付いた、だがしや佐藤と書かれた看板。昔ながらの駄菓子屋だったが、今は更地になっている。
俺は、そこに売っているキンキンに冷えたラムネを求めて向かったが、先客がいた。
つばの広いカンカン帽を被っていて、腰まで届く絹のようなさらさらの黒髪に、膝丈の白いワンピースから伸びる細い手足もまた白く、背丈は俺より少し高い、お嬢様みたいな少女がラムネの瓶を握っていた。
少女は、首を傾げながら鈴を転がすような声で俺に話しかけた。
「これ、どうやって開けるの?」
俺は、貸してみ、とラムネ瓶を開けた。
瓶を開けて、ビー玉が沈み、幾多の小さな気泡が見た目に涼しげだ。
「……きれい。ありがとね」
「おう」
俺の返事は、ヒグラシの鳴き声にかき消された。
少女はうっとりと目を細め、可憐に微笑んだ。黒曜石のようなつぶらな瞳、薄桃色の唇は柔らかそうで。同じ小学校の女子生徒とは違った雰囲気の儚げな美少女に、俺は一目惚れしてしまった。
「俺、トシキ。君の名前は?」
「私はカナ。よろしく、トシキ」
それから俺は、婆ちゃん家にいる間は駄菓子屋によく行くことにした。ハーフパンツのポケットには、100円玉を入れて。駄菓子屋に行くと、昨日と同じくカナが駄菓子屋の前に立っていた。
「よう」
「こんにちは」
カナは、木製の桶に入っているラムネを見つめている。
「ラムネ、気に入ったのか?」
「うん」
氷水の中に浮かぶラムネは、太陽の光に照らされて眩しく見えた。
カナはラムネを俺の前に差し出して、「開けて」と言った。しょうがないなと思いつつも、カナに頼られることが嬉しくて、俺はラムネの蓋を開けた。
「ありがと」
カナは両手でラムネを受け取り、口をつける。白い喉が上下している。
「美味しい」
そう言った直後、カナは俺にラムネを差し出した。
「飲む?」
水色の丸い飲み口が俺の目の前に突き付けられ、どぎまぎした。カナの、桃色の柔らかな唇が触れていたという事に、どうしようもなく心臓が高鳴る。
「の、飲むよ」
つい受け取ってしまった。そのラムネは、いつもよりもずっと甘く、喉に張り付いていた。カナは、カメラを指差し小首を傾げていた。
「昨日もカメラ持ってたよね。写真好き?」
「それもあるけど、夏休みの自由研究で婆ちゃん家周りの生き物を調べてるんだ」
「ばあちゃんち?」
「そう、婆ちゃん家。虫とか魚とか鳥とか動物とか写真に撮ってるんだ」
「トシキんちはダメなの?」
「俺の家は周りに自然が無いから。後クソ暑いし。婆ちゃん家は涼しいから涼みながら宿題進めてんだ」
「そうなの。ね、よかったら私も協力しようか?いい所、教えるよ」
カナの申し出に、俺は「いいのか!?」と身を乗り出した。
「うん、いいよ」
早速行こ!とカナは俺の手を引いて走る。カナの小さな手は冷たかった。その足は見た目とは裏腹に速く、俺は少しよろけてしまいながらもついていった。
俺達は色々な生き物ウォッチングをしに、森の中に入った。森に流れる川からマイナスイオンを感じながら、ある存在を待ち伏せしていた。そのある存在とは――
「あそこあそこ、カワセミいるよ」
カナが指を差す方を見ると、木漏れ日を受けて瑠璃色に輝くカワセミが、苔の生えた岩の上に止まっていた。身を乗り出して水中の獲物を狙う小さなハンターのシャッターチャンスを狙う。カナが、ぽそりと耳元でささやく。
「ボタン押して」
カナの声にびっくりして、ボタンを押してしまった。俺はうっかり写真を撮ってしまった。
「あぁ!何するんだよ。フィルム貴重なんだぞ」
俺が使っていたものはポラロイドで、撮影後すぐに写真が出るタイプだ。カメラから現像された写真が出てきた。その写真を見ると、瑠璃色の翼を力強く広げて、水飛沫を上げて水面に飛び込む躍動感のある画が撮れていた。
「すげぇ。こんな迫力ある写真、初めて撮れたかも」
「うん、キレイに撮れてる。良かったね」
「あぁ、ありがとう!」
「どういたしまして」
カナはそう言うと、おもむろに川に入り始めた。
「え、ちょ、何やってるんだよ!」
「トシキもおいで、冷たくて気持ちいいよ」
パシャパシャと音を立ててはしゃぐ姿は、さっきまでの不思議な雰囲気とはうってかわって年相応の無邪気な姿だった。
俺はカメラとペンを置いて、彼女の元へ走った。川の水は冷たく、夏の蒸し暑さを忘れてしまいそうだった。カナとの距離が1メートル弱の近さになったところで、足を滑らせて転んでしまった。その勢いで、カナも一緒に倒れた。
「うわぁっ!?」
「きゃぁ!」
濡れた服が水を吸って、重くて気持ち悪かった。俺はカナの上から退こうと身を起こし、目の前のカナの姿に固まる。
「ごめん、大丈……」
「大丈夫よ。どうしたの、トシキ」
白いワンピースが体に張り付いて、彼女の体つきがあらわになる。膨らみかけの乳房とその桃色の蕾も、小さなへそも、透けたワンピース越しに見える。その扇情的な姿に心臓が高鳴り、身体中の血液が熱くなった気がした。
「じろじろ見ちゃって。いやらしい」
俺に押し倒されているカナは、両手で胸を抑えて、上目遣いでこちらを見上げながら年に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべる。
彼女と目を合わせられず、視線を落ち着き無く泳がせていると小さな洞窟があった。
「あ、洞窟」
俺達は、そこに入った。
洞窟内は暗く、カビ臭かった。俺達は身に纏っているものを脱いでいった。カナはワンピースの前ボタンを外し、脱ぐと生まれたままの姿になった。二人の服は固く絞って、干している。
俺は、悶々としていた。狭い空間で、全裸の男女が二人きり。隣のカナを今にも襲ってしまいそうだった。ムラムラと沸き立つ自身の中の獣を抑えつけていると、俺の右手にひんやりとした触感。俺の手と同じくらいの大きさの手が、重なって撫でられているような感じ。すべすべとした手の平に撫でられ、指の間を細い指が通って俺の指と絡まった。
俺の耳に生温かい吐息がかかる。カナは内緒話をするように、声を潜めて囁いた。
「イケナイこと、しないの?」
その一言で俺の理性はぷつりと切れた。僅かに差す光が、彼女の顔を照らす。黒い瞳は俺をまっすぐ見つめ、唇は弧を描いている。
暗闇で視界の悪い中、手探りでカナの体じゅうをまさぐる。体はどこもかしこも柔らかい。首の下にある僅かな膨らみは、さっき濡れてしまったときに見えたそれなのだろう。
カナのすべすべとした小さな手が、俺の体じゅうを撫で回している。
狭い洞窟の中で、互いの息遣いとヒグラシの鳴き声だけが響いていた。
初めての射精で妙にすっきりした頭で、服は乾いただろうか、カメラは大丈夫かと考える。カナにまさぐられた体の熱はまだ冷めない。怠さの残る体を起こして服を取りに行く。
「服、乾いてる」
乾いた服からは、夏の日射しをたっぷりと受けた匂いがした。
「干したての服を着るのもいいね」
カナは、一回転してワンピースの裾をふわりと揺らした。
「そうだ、カメラ」
俺はカメラを取りに行った。その瞬間、多くの視線を受けている気がした。暑いはずなのに寒気がして冷や汗が流れる。振り返ると、カナに「何してるの、カメラ取ってきなよ」と言われた。気のせいだろうとカメラを取りに茂みに向かった。
カメラは無傷で、写真も無事だった。ほっと一息つくのもつかの間、すぐにカナの元に向かった。
「カメラ無事だった!」
「良かったね。あ、そうだ。二人の写真撮ろうよ」
カナの提案に、俺はもちろんOKした。タイマーを設定して、急ぎ足でカナの元に走って二人でピースをする。写真は、二人ともいい笑顔でよく撮れたと思う。写真の下にメッセージを書きたいとカナが言うので、持っていた油性ペンを渡した。
「ずっと友達だよ♡カナ&トシキっと」
「ちょ、それ友達というか……」
俺がモゴモゴと口ごもると、カナは黒髪をかきあげて言った。
「え?別にいいじゃない。友達以上の事もしたんだしさ」
「そりゃそうだけど」
「ダメなの?」
カナが悲しげに瞳を揺らす。その表情に罪悪感を感じて言葉が詰まる。結果、俺はがっくりと首を下げて「そゆことにしよう」と折れた。
日の暮れた帰り道、俺はカワセミの写真とツーショットを交互に見てニヤけていた。
その翌日も変わらず駄菓子屋に通って、カナとラムネを飲んでから生物観察をしていた。カナは自然のことなら何でも知ってるんじゃないのかと思うほどに詳しかった。森の中で飲める水が流れている場所を案内してくれたり、おやつになる木の実をどこからか持ってきてくれた。俺はありがとうと言って、物知りなカナを褒めた。
「色々知ってて凄いな。自然の神様みたいだ」
「トシキが何にも知らなすぎるの!森や山に何の知識も無く入るほうが怖いわよ」
彼女は頬をリンゴのように赤く染めて、そっぽを向く。照れ隠しのように説教をしている姿がなんともいじらしい。
確かに、婆ちゃんには「山や森は危険だよ」と言われている。俺が家に帰る度、心配そうな顔をしていたことを思い出した。
黒髪が風になびいて、白い肌が落陽に照らされている。まるで映画のワンシーンのように。俺はこっそりとその横顔を撮った。
カナは俺の視線に気がついたのか、こっちを向いて、首を傾げる。
「ん?どしたの?」
「や、なんでもないよ」
咄嗟に嘘をついた。ただ、絵画のように美しかったから、この瞬間を残しておきたくて、シャッターを押したのだ。
茜色の空を飛ぶカラスをぼんやりと見つめていると、カナが俺の顔を覗きこんだ。
「ねぇ、もうすぐ帰るの?」
「ん?そうだな。もう夕方だし」
「そうじゃないの。夏休みももうすぐ終わるからトシキの家に帰るんじゃないかなって」
「あぁ、そっか。遊べるのは明日までだよ。明後日電車で朝イチの便に乗って帰るんだ」
「そうなんだ。自由研究はどう?」
「おかげでいいのが出来た。宿題は全部終わったよ」
「よかった。ね、また明日も遊べない?駄菓子屋でお菓子食べたり水遊びしたり。……それから、イケないことしたり」
最後の一言は、俺の耳元で声を潜めて囁かれた。耳に当たる吐息と、あの時の事を思い出させる内容に、俺の全身が熱くなってカナから仰け反った。
「やだぁ、赤くなっちゃって。エッチ」
クスクスとこっちを見て笑うカナに、俺は少しむくれながら「からかうなよ」と言った。
「ごめんごめん。さよなら。また明日ね。」
「ん、さよなら。また明日」
俺はカナに手を振って家路に帰った。その日の晩は、カナとのイケない事を思い出してあまり寝付けずにいた。
そして次の日。実家に帰る前日で、カナと遊べるのもこれが最後だ。俺は駄菓子屋に足を運ぶと、やはりカナがいた。
「やっほー、トシキ」
「よう。今日はどこ行く?公園とかさ」
「公園!いいね。そこ行こうか」
まだ蒸し暑いが、盆以前に比べると多少ましになった気候の中歩いていると、至るところでセミのコーラス。
「セミの鳴き声でより暑く感じるよ」
「でも、成虫まで成長した半数以下のセミ達は命を繋げようとみな必死なんだよね」
「え!?結構うじゃうじゃ湧いてくると思った」
「セミは卵を樹の中に埋めて、そこから地面に埋まって数年成長を待っているの。そしてサナギになってやがて成虫になる。ここまで立派な成虫になる以前に、死ぬセミは少なくない。他の虫や生き物に食べられちゃったり、キノコ生えたり、脱皮に失敗したりね。そんなだから、まともな成虫になって繁殖できるセミは思うよりも少ないんだ」
俺は、カナがつらつらと語るセミの事について関心を持った。脱け殻集めにしか印象が無かった俺は、カナによって語られるセミの生態が新鮮で神聖なものに感じた。
そうしてカナの話を聞いているうちに、公園に着いた。
「公園だ!」
滑り台に、ジャングルジムに、ブランコに鉄棒、シーソーにタコ焼きのドーム。色とりどりの遊具は多少メッキが剥がれて赤茶けた錆が浮き出ている。
俺と年の変わらない子供達が何人かいて、様々な遊具で遊んでいた。遊具はほとんど使われている。どうしようか悩んでいると、滑り台を降りたばかりの背丈が同じくらいの男の子が俺達の元にやってきた。
「君、公園で遊ばないの?」
「え、俺達二人……ってあれ?」
周りを見回すが、カナの姿が無い。まるで最初からいなかったかのようにぽつりといなくなっていた。
「カナ!?どこに行ったんだろう」
「カナって誰?」
「この辺で知り合った子なんだ。腰まで長い黒髪の女の子。白いワンピース着てるんだけど」
「そんな子いたっけな?ここは知っての通りの田舎だけど、そんな子は知らないよ」
「えっ」
少年は、不思議なものをみるような目で俺を見ていた。どういうことなのだろうか、と悩んでいたが、カナは元々神出鬼没で不思議な子だ。きっとフラッとどこかに寄ったに違いない。
「多分、カナはどっかに寄ったのかな?フラフラ歩いてる事多いし!」
俺自身に言い聞かせるように、目の前の少年に言った。
「そうなの?」
少年は半信半疑でこちらを見るが、まぁいいやと特に何も触れることも無かった。俺は公園を後にしてカナを探した。
「カナ?どこにいるんだよ、おーい」
「私がどうかしたの?」
背後から声をかけられて、俺はうわっ、と情けない声を上げて飛び退いた。
「カ、カナ!?どこ行ってたんだよ。急にいなくなってさ」
カナは少し目を逸らして俺の質問をはぐらかした。だが、気まずさというよりは触れてはいけないような雰囲気だった。
「ちょっと、ね。それよりも川行かない?公園は暑いし」
「あ、あぁ。まだまだ暑いし川行こう川」
近くにある川は浅く俺の膝ほどの水位だ。
腰をかけるのにちょうどいい高さの岩に座って、爪先を冷やしていた。
「あー気持ちいい」
「……今日で、お別れだね」
カナの声は川のせせらぎに溶けてしまった。でも、言いたい事は何となく分かる。
「またいつか、会えるかな?」
俺は、カナとまた会える事を期待していた。遠くを見つめている彼女の表情は見えない。
「きっと会えると思う」
「きっとか」
「だって、私達はずっと一緒に繋がってる運命なんだから。なんてね」
カナが突拍子も無く恥ずかしい台詞を吐いたので俺はつい笑ってしまった。
「あはは、なんだよそれ。母ちゃんが見てた昔のドラマかよ」
「今のでしんみりしなくなったでしょ」
「まあな。ありがと」
「あぁ、なんだか冷えちゃった」
カナは白い足を水面から出して、体を縮こまらせた。大きな黒い瞳を細めて、何かを期待しているようだ。ごくりと唾を飲んだ喉が、やけに大きく聞こえた。
「川から上がろうか」
俺達は川から出て、足の水気を手持ちのタオルで拭き取った。この川は以前遊んだ森の中の川だ。前と同じ場所、近くには日暮の鳴き声が響く小さな洞窟。
カナの細く小さな手を引いて、二人そこに入った。
洞窟内で、互いの体を密着させて荒い息を整えていた。俺もカナも、体の熱はまだ冷めないのか顔は赤かった。以前とは比べものにならない、未知の感覚を掘り起こされた。尻の異物感がまだ残っている。
二人遊びをして、満足そうにしているカナの表情は、赤く上下した頬に、唇もうっすら赤く血色が良くなって艶々していて、自分よりも年上みたいな妖艶さを醸し出していた。
太陽が山に沈みかけてきた頃に、もう一度駄菓子屋に寄った。あの時と同じように、ラムネを買った。カナは、慣れた手つきでラムネの蓋を開けた。沈むビー玉と、勢い良く生まれる水泡。見慣れたはずなのにカナがやると絵画のように見える。
「喉に染み渡るなぁ」
「毎日飲んでも何でか飽きないね」
「だな」
「……」
「……」
俺達はすっかり黙りこくっていた。空を飛んでいるカラスがはよ帰れと言わんばかりに鳴いている。カラスに続いてヒグラシが鳴く。一匹、二匹と立て続けに鳴いている。最近よくヒグラシが鳴くが、今日は耳の奥まで染み渡るように聴こえる。
そのヒグラシの鳴き声は、カナといると良く聴こえる。カナと別れたら、それはピタリと止むのだ。まるで、カナと別れたらその時間だけが切り離されたように。
「さよなら、トシキ」
「いつか、また会おう」
カナはそう言って、駄菓子屋を離れた。俺はしみじみとおもいでの余韻に浸っていた。
そんな所に駄菓子屋のおばちゃんが話しかけてきた。
「おやトシキちゃん、いらっしゃい。どうしたの?元気無いけど」
「あ、おばちゃん。ここで会った友達とお別れしたんだよ」
「あら、お友達?」
「かんかん帽を被ってて白いワンピースを着た女の子。ラムネをよく買ってたんだけど」
おばちゃんは一瞬訝しげな顔で、首を傾げながら俺に衝撃的な情報を伝えた。
「あら、そうなの?しかし変ねぇ、ここ1週間で店に着てくれた子供はトシキちゃんだけよ」
「えっ!?いやでも、ここ1週間ほぼ毎日会ってたんだよ?本当だよ?」
「うーん……一応店の前にも監視カメラがあるけどチェックしてみる?」
俺は、カナと出会った事を嘘だと思いたくなかった。だが、公園で他の同年代の男の子に出会ったと同時に突如姿を消したことや年に似合わない自然に関しての知識の深さやその表現が、なんとなく引っ掛かっていた。
俺は、好奇心半分、疑い半分で監視カメラを見せてもらう事にした。
「お願いします」
店の正面と店内の監視カメラには、二つとも俺の姿だけが映っていた。俺一人だけが楽しそうに談笑している姿があった。店内では俺がラムネを2本買っていたのが見える。ここ1週間の間、ずっとこんな感じだった。
「うそ、だろ」
俺は足に力が入らず、床に崩れ落ちた。翌日、俺は朝の電車に力無く揺られて家に帰った。その数日は脱け殻のようになっていて、新学期に慌てて残りの日記を埋めた。
そんな事があって10年、毎年カナの事を思い出す。あの時出会ったカナの背丈をゆうに越えていたが、彼女の事はまるで昨日の事のように思い出す。一緒に撮った写真を見るのが怖くてここ10年は見ていなかったが、今改めて見てみよう。お菓子の缶に入れていた彼女の写真。それを取り出してみると、目を疑う光景が写っていた。
俺とカナのツーショットには、カナの代わりに俺の頭よりも巨大なセミが俺の隣に写っていた。写真の経年劣化で映像や文字がぼやけているだろうと思っていたが、劣化はしていなかった。赤黒く錆のような文字でこう書かれていた。
『ずっと一緒だよ カナ トシキ』
ずっと友達だよと赤い油性ペンで書かれていたはずだが、内容も変わっている上に、まるで血文字のように赤黒く鉄臭いものになっていた。
慌てて他の写真も確認する。こっそり隠し撮りしたカナの写真には水気を失った肌色の皮と、そこから体を出した女がカメラに向かって睨んでいる。その目は、セミの脱け殻の穴のような空洞だった。
体の下には裂けた肉らしきものや赤い血が飛び散っていた。
その写真にも、赤黒い文字がつづられていた。
「ハ ナ サ ナ イ」
俺の耳には、ヒグラシの鳴き声がこびりついて離れない。煩いくらいに頭の中で響いていた。
怪奇・蟲物語 海宙麺 @rijiri894
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