4、ディープストール

 ミーティングは、朝の十時から行われることになった。

 マレーネの移動は明後日の午後から、これが意思統一最後の機会だろう。現地についてしまえば、協会への選手登録や予選飛行で、それどころではなくなる。

 そういう事情を踏まえていたが、ミドリの足は異様な空気の中ですくんでいた。

 

「では、アヤサカ君。始めてくれ」


 開始を促すのは監督のモートだ。壁際に席を作り、事態を観察している。

 リーダーを含めたスタメンのプレイヤーは、意外な人物の登場に驚いていたが、今はこちらの示すプランに気を向けていた。


「次回のフライトプランですが、以前お話した通り『ガイウス・ヘアライン』を採用した中速域でのゲームメイクを提案します」


 ライルは口を開かない。監督の手前、行儀よくするつもりなのか、それとも前回のクラッドの言葉が、少しは効いたのだろうか。

 息を吐き、気持ちを整えると、ミドリはモニターにコース全域を映し出す。


「開放型コースのマレーネは、設計の素直さに比べ、現地の気象条件によって取れるラインが変動しやすい特性があります。『タチカゼ・ヘアライン』は、その性質を利用する高速型の軌道(ライン)ですが、天然のサーマルに依存するため――」


 そこまで言いかけて、もう一度ライルの顔を見る。その目は、全くこちらを信用していない、不吉な沈黙を浮かべているように見えた。

 それでも、言うべきは言いきらなくては。


「――失速やコースアウト、不時着と隣り合わせなピーキーさも持ち合わせています。加速性能の高い、シエルの主力の地力を生かすのであれば『ガイウス・ヘアライン』を選択するのが、理にかなっていると考えます」

「つまり、俺たちに足枷をつけて飛べ、と言いたいわけか」


 ライルの鈍い怒りが吐き出され、その言葉に反応したクラッドが、かたわらの先輩を睨みつける。

 それでも、今度ばかりは気圧されてばかりではない。


「マレーネにおける『ガイウス・ヘアライン』は、二種類あります。現地の気温と気象条件が変動しやすい時に使われる『カプト・ドラゴニス』、気象変動が少なく、気温が低い時に採用される『カウダ・ドラゴニス』です」


 空の哲人とも名指されたガイウス・フェルディナントは、あらゆるコースに対して柔軟に対応するヘアラインを設定したプレイヤーだ。

 個人の称賛を数多く集めたのがジョシュアなら、ブレイズそのものに偉大な足跡を残したのがガイウスだろう。

 だからこそ、自分がプランナーになった時、寝る間も惜しんで彼の理論を学び続けた。


「『カプト・ドラゴニス』は高度を取る軌道が多く、レース状況に応じて任意に加速を行えるようにマージンが取ってあります。ラップタイムの変動も、プラスマイナスで五十秒が許容範囲です」

「……つまり『カプト』であれば、ピーキーな『タチカゼ・ヘアライン』に頼らなくてもいいと?」

「『タチカゼ・ヘアライン』は、『カプト・ドラゴニス』の発展形です。とはいえ、コーナーの処理では『カプト』の方が、揚力のロスが少なくなっています」


 速度を重視して安定性を捨てるか、速度を抑えて全体のロスを消すか。

 どちらを取るかは、チームごとにゆだねられるだろう。


「先日、ライルさんは言ってましたね『他の全チームがタチカゼを使ってきたら?』と」

「……ああ」

「その解答がこれです。同じヘアラインを採択するチームが増えれば、本来の軌道は渋滞し、歪みを生じる。でも『カプト・ドラゴニス』なら、その問題も解決です」


 こちらの発言に、スタッフの中から少なくない感嘆が聞こえる。クラッドは笑顔で親指を立て、隣に座るコノリーもどこか嬉しげだ。

 リーダーも手元の資料を確認し、軽く頷いてた。

 だが、


「それが、お前の成果とやらか」

「……え?」

「1023年、アメノトリフネの優勝年だ。その時のマレーネの状況を出してくれ」


 静かに、それでも絞り出すようないら立ちの声。

 ライルの指示で、モニターに1023年のマレーネGPについての情報が表示された。

 一週間前の気象予報、七十パーセントで快晴、日中の平均気温は二十九度。

 レース当日は雲量が多いものの、コース上の上昇気流は活発で、大荒れの予想を立てる者が多かったようだ。

 まるで、次のレースと同じ状況だ。


「その時のうちの成績は気にしなくていい。問題は上位成績の三チーム、ロックバード、アイケイロス、そしてリンドブルームのヘアラインだ」

「え……これって!?」


 その三チームが選択していたのは『カウダ・ドラゴニス』。

 そんな中、ほぼ唯一『タチカゼ・ヘアライン』を選択していたのが、他のチームをマレーネで抜き去った、アメノトリフネだった。


「気温上昇でサーマルが強くなる、なんてのは素人でも思いつく。問題は現場でそれが信用に足るものになるかだ。そのボーダーは三十度以上とされるが、理由が分かるか?」

「……それは、その……」

「スポットだ。ジェットスポットの熱で、現場の気温は十度以上、気温よりも高くなる。天然のサーマルってのは、その副産物なんだよ」


 ライスの顔は怒りを通り越し、呆れと失望に塗りたくられていく。

 立ち上がり、こちらの手からモニターのリモコンを取り去ると、過去三十年分にさかのぼった、マレーネGPのデータを表示した。


「マレーネは中距離開放型のコースで、季節柄、高温になりやすい。だが、GP前後の気象状態や気圧配置で、サーマルの信用度が大幅に変動する」

「……だからこそ、『ガイウス・ヘアライン』が」

「この際だからはっきり言ってやる。ヘアラインなんかにこだわってるうちは、素人だ」


 同時に、ライル自身が考案して来たらしい、新たなフライトプランが提示される。

 限りなく『タチカゼ・ヘアライン』に近かったが、一部のライン取りが極めてサーマルに頼った形式に変更されていた。

 

「温故知新、大いに結構。だが、俺の欲しいのはそんな陳腐なゲームメイクじゃない。そもそもガイウスなんて、半世紀前のプレイヤーだぞ。いつまで爺ちゃん子でいる気だ」

「……確かに、これがすごいラインなのは分かります。でも、これじゃ……」

「ペグラは付いてこれない。だからどうした」


 突然投げ出された罵倒に、さすがのペグラも顔色を変える。その態度を一切無視して、ライルは自説を続けた。


「来期には使い物になる新人が仕上がってくる。いや、現状でもゲームメイクをしているのは俺とクラッドだ。ペグラのフライトはあくまで中継ぎ。だが、こいつの代わりに飛べる奴を入れれば、勝率は上がる」

「おい……いい加減にしろよ!」


 椅子を蹴るように立ち上がったクラッドに、ライルは挑発的な笑いを向けた。


「お前だって、ペグラのフライトに不満たらたらで、何かと言えば噛みついてたろうが。今更点数稼いで、いい子ちゃん気取りか?」

「そんなんじゃねえよ! だけどテメエ、リーダーがどんな気持ちで」

「二流の自分が一流を押し上げれば、ちょっとは歴史に名を残せる、とでも考えたんだろうな。違うか?」


 その時、初めてミドリは、ペグラが感情に歪むのを見た。

 羞恥と悔悟で、食いしばるような顔へ。


「そんな安いヒロイズムに俺を巻き込むな。むしろ、自分の才能を恥じることもない奴に支えられるなんて、不愉快の極みだ」

「…………っ」

「いくら何でも、言いすぎだぞ、アンタ」

「おいクラッド。お前にも大概、あきれ果ててんだぞ?」


 一度火がついた怒りは、とどまることなく犠牲を求めて荒れ狂う。

 虚を突かれたクラッドに、彼は容赦ない火焔を浴びせた。


「素人同然のプランナーにほだされて、青春映画みたいに乳繰り合ったあげく、お前の夢を応援してやるとかなんとか、大方そんなことをほざいた口だろ?」

「う……っ、そ、それが、なんだってんだよ」

「お前は、向こう三十年のコースデータさえ加味しない奴に、命を預ける気かって聞いてんだよ、ああ!?」


 本来なら自分が浴びてしかるべき叱責を、クラッドは真っ向から受けていた。何かを言うために口を開くが、いつもの勢いは完全に消えてしまっていた。


「俺がここに入って四年だ。最初の年は良いさ、寄せ集めの俺たちと、状況が美味い具合に嚙み合った結果だ。だが二年経ち、三年経って、四年目の今年になってまで、まだこんな調子か!?」


 ああ、そうか。

 このヒトはずっと、苛立ちながら周りを見てきたんだ。

 リーダーが何らかの理由で、自分の実力を殺してきたことも、わたしとクラッドの個人的な付き合いも、フロントサイドがぬるい体制を続けてきたことも。

 すべて知った上で、自分が何もかも牽引しなければと、あがいてきたんだ。


「俺はここに、プロのレースチームを期待してきたんだ! いつかそうなるだろうと、飛び続けてきた! それは悪いことか!? わがままな事か!?」

「そこまでだ、ライル」


 まるで鉄の仮面でも被ったような、監督の顔があった。その表情に向き合っても、青いドラゴンは赫怒を止めようとしなかった。


「俺はアンタの方針に興味はない。ここでの扱いには、満足しているさ。でもな」

「そこまでだと、言ったんだぞ」

「フロントサイドの仕事が重要だって言うなら『余計な雑音』ぐらい、綺麗にシャットアウトしてくれ! アンタならできるはずだろうが!?」


 凶暴な熱が、ほんのわずかだけ、監督の仮面を揺るがせた。

 それでも、彼は恐ろしいほどの自制心で、決定を告げた。


「ライル・ディオス。君はマレーネには出場させない」

「………………は?」

「次回は代わりにコノリーを入れたチーム編成とする」


 状況が全く変わった。スタッフたちがどよめき、ライルを含めたプレイヤーたちが、呆然と監督を見つめる。

 だが、その捕捉を入れたのは、別の人間だった。


「これはチューナーであり、チームドクターである私の判断です。ライルの健康状態は、次のレースにとって懸念材料であると」

「……ああ。とうとう、ヤブ医者が本性を現したか」


 憎悪に塗れた笑顔で、ライルは白衣の男を凝視する。マッシモは監督以上の冷淡な表情で、それを一身に浴びていた。


「理由はなんだい? アンタよりも有能なドクターがお墨付きを出したカルテに、難癖をつける根拠は?」

「ブレイズの最高出場回数、それが定められた事件を、知っていますね?」

「……ジョシュア・マイクロフトの、墜落死亡事故だろ」


 ためらいなく、相手の地雷原に歩き出した白衣のチューナーは、ライルの目の前に立って、根拠となる言葉を告げていく。


「全レースへの連続出場禁止、最低でも二試合に一度の完全休養。貴方はこれまで、このラインを踏み越えないまま、現在のルールにおける『最高出場回数』をこなしてきた」

「そうさせたのは、チームの事情だろうが! 俺たちが勝つためには、使える奴が出来る限り出場するしかない!」

「それを、四年です。どんな頑強なプレイヤーでも限界はある。なにより、貴方は去年から三度の事故を経験してきた」


 浅黒い手が伸ばされるのを、怯えたようにライルがかわす。その動きに確信を得たように、マッシモは声を強めた。


「ドクターストップです。私にはそれを通告する権限がある」

「ない! 俺はアンタを、チューナーとは認めていない!」

「ドクターの意見は正しい。いや、私が正しいと判断した。だからこそ、許可する」


 その時初めて、ライルの顔が崩れた。

 周囲を見渡して、その中に自分の言葉に従うものを探そうとする。

 だが、そんな存在はいない。

 リーダーのペグラは顔を背けていた。

 言い争っていたはずのクラッドは、悔し気に歯噛みをしている。

 監督は辛そうだったが、意思を翻そうとする気配も見せない。

 マッシモは表情を浮かべず、黙って成り行きを見守っていた。

 そしてミドリにとって、この結末はあまりにも、寂しすぎた。


(監督は、ライルの癇癪を引っ張り出して、この状況を飲ませようとしたの?)


 ライルの功績が、その傲慢な態度で打ち消されるタイミングを創り出して。

 確かに、こうすればライルの出場停止は可能だろう。でも、彼自身の気持ちは、余計にチームから離れてしまう。


「ライル、君の意見は正しい。私たちはあまりにも、ワークスチームとして不完全だ。君への負担だけを積み増し、それを改善してこなかった」

「……う」

「監督として、不明を恥じるばかりだ。他のプレイヤーにも、不満や不安を抱かせ」

「違う! そういう事じゃないんだよ! どうして分かってくれないんだ!」


 ライルの顔は、悲嘆で歪んでいた。


「どうして、お前らはそうなんだ!? もっと上を目指せるのに立ち止まって、安全とかチームの和とか、そんなことばかり気にかけて! 飛びたくないのか!? もっと早く、もっと高く!」

「……ライル、気持ちは分かるが」

「『誰もが俺のようには飛べない』!? そんな言葉、ハイスクールで聞き飽きた! なんでまたプロのチームで、そんなおためごかしを聞かされなきゃならない!」


 そのフラストレーションは、彼を取り巻いたすべての世界へのものだった。

 多分もう、ずっと昔から、ライル・ディオスは嫌いだったのだろう。

 空へ向かう自分を、妨げる世界のすべてが。


「新しいチームを、可能性のあるチームを作るんだろう!? だから、俺はここに来たんだよ! うっとおしい歴史のリンドブルームも、金が全てのアイケイロスも、バカが意地を張り合うドラッヘも、全部蹴ってだ! その果てがこれか! 俺を悪者にして、最後には締め出しを喰らわせるのかよ!」


 その場にいる誰もが、口をつぐむしかなかった。

 痛烈な批判は、ライルという存在におぶさって浮かれていた者たちを、打ちのめすのに十分な威力があった。

 ただ、一人を除いて。


「マッシモ先生、ライルさんの出場回数は、次のマレーネで限度なんですよね?」


 誰も気づかなかったラインから滑り込んだのは、一羽の燕(スワロー)だった。

 コノリーは穏やかに微笑み、驚く白衣の男へ質問を繰り返す。


「最高出場回数はマレーネのスターティングメンバーで限度、間違いないですよね」

「あ……ああ。確かに」

「それなら、休養はその後でも、問題ないじゃないですか」


 誰もが、その小柄な選手を驚きで見つめていた。それまで歯牙にかけていなかった、ライルでさえも。


「最終GPのセファータはともかく、うちのチームは長距離のメルカルートを度外視して来た。だとすれば、ライルさんのフライトはあと一回。リザーバー枠でセファータを飛ぶとしても二回です」

「……だが、ネグラスタの負傷が」

「カルテは問題なし、そうなんでしょう、先生?」


 マッシモは首を振り、自分の意志を曲げないように、強く声を上げた。


「だが、負傷は問題なくとも、体の疲労がある」

「それなら前半をリーダーが、中盤の追い上げをクラッド、ラストをライルさんで構築しましょうよ。そして」


 なんでもないという顔で、彼は地獄を告げた。


「ライルさんまでに成績が上がらなかったら、ボクがラストを飛びます。そうすれば、ライルさんの翼を温存できます」

「コノリー……君は……」

「それに、次のマレーネでポールが取れれば、ライルさんは『シルフィード』です。みんなも、それを期待してたんじゃないですか?」


 それは誰もが思い描きながら、決して口にしない言葉だった。

 エレメントタイトル制は、今や有名無実となった称号で、チーム優勝のポイントには計上されない。

 だが、個人優勝者を出すことは当然、レースに貢献することになるし、何よりその名誉をブレイズ関係者は誰もが欲しがっていた。


「ボクは、ライルさんに比べるのも失礼な二流ですけど、こういう形で貢献するぐらいの気持ちはあります」

「コノリー! お前まだ!」

「それとも、ボクの提案も、安っぽいヒロイズムですか? ライルさん」


 青いドラゴンはコノリーを見つめ、それからゆっくりと首を振った。それから、ぎこちないながらも、右手を差し出した。


「……ネグラスタは、すまなかった」

「いいんですよ、気にしていませんから」


 それが明確な、ゲームチェンジャーになった。

 監督とマッシモはかすかに青ざめていたが、何も言わなかった。クラッドはその光景に打ちのめされ、ペグラは完全に虚脱している。

 いったい、わたしは何を見せられているの。

 ミドリの頭の中で、そんな思いがぐるぐると渦巻いていく。

 彼の意見は極めて理知的で、すべてが収まるべき場所に収まっている、はずなのに。

 屈託なく笑うコノリーの顔が、とても恐ろしく見えた。



 ドアをノックすると、ボクは返事を待たずに中に入った。

 監督室では、監督とチューナーがソファーに座り、前の席を示してくる。


「……あれは、どういうつもりなのかね」


 錆びついた声が、監督の喉から漏れた。叱責のつもりなのか、それともボクに対してあきれ果てているんだろうか。

 そんなこと、どうでもいいけど。


「本当にすみません。でも、あのままじゃライルさんが、ボクたちに悪感情を持ってしまうじゃないですか」

「……それも含めて、ああするべきだと思ったからだよ。私たちは、彼に頼り過ぎた」

「そうですね」


 その目に憐れみのようなものを浮かべて、チューナーがボクを見る。たぶん、監督と示し合わせて、あの茶番を仕組んだんだろうな。

 きっとミドリさんに、相談もなしに。


「だが、あの提案では、君が敗戦処理の存在になってしまう。いや、今までそういう位置づけにしてしまった、我々が」

「ブレイズのチームは、勝つために存在しているんですよ? そのために割を食うプレイヤーがいるなんて、どこでもあることじゃないですか」

「そうしないために、私は」

「みんなで今までのことを悔いて、仲良く悪い成績を取ろう。そう言いたいんですか?」


 ああ、ここだけは彼の気持ちを心底、理解できる。

 この人たちは――。


「――あなたたちは、いつまでアマチュア気分なんですか。そんな気持ちで監督を、チューナーをしてきたんですか?」

「だが、これ以上ライル中心のゲームメイクを続ければ、チームはいずれ破綻する!」

「してますよ、もう」


 ボクは笑った。

 本当に、何にも分かっていないんだな。


「そんな大層なことを言うなら、どうしてネグラスタの後、すぐにライルに謹慎か出場停止を告げなかったんですか」

「それは……」

「今の今になって、チューナー権限でドクターストップとか、それなら一年前の時点で無理にでも、先生の監督下に置けたはずでしょう?」


 分かってる。一つ一つの判断は、間違いでも何でもない。

 外部のチューナーや病院へ協力を要請することも、事故でけがをした選手に、穏便に当たることも。

 なにより、チーム一番の勝ち星を稼いでるドラゴンを、下げられないことも。

 でも、


「ライルが壊れかけるまで、見向きもしなかったくせに! ボクのことなんて、持て余し続けてきたくせに! 状況が悪くなって、あわててボクを拾い上げるつもりですか!?」

「そうじゃない! 君のこともきちんと考えて」

「その上、頼りきりのエースを降ろして、空いた席(おこぼれ)で活躍しろだって!? バカにするのも大概にしろ!」


 もう、何もかもがどうでもいい。

 こみ上げた感情を、洗いざらいぶちまけていく。


「何が、君には君に飛び方があるだ! その言葉を無視したライルがシルフィードに迫ってるのに、ボクは未だに一勝も上げてない! あなたの言うことに従ったボクが、バカみたいじゃないか!」

「コノリー君……」

「そんな顔するなら、今すぐボクをマリウスにしてくれよ! ワンシーズンでも、たった一回のフライトだっていいから!」


 ほらみろ、ボクの言った通りだ。

 こんなチーム、とっくの昔に破綻してた。一人のプレイヤーが傾いただけで、現場もフロントもこのざまで。

 なんで、ボクは。


「なんでボクは、こんなチームに来たんだ」


 バカだった、このチームなら何かできることがあると。

 ライルというプレイヤーが開き、変わっていくここでなら、ボクのようなスワローにもなにか、あるんじゃないかと。

 そんなものは、なにもなかった。


「こんな思いをするなら、アイケイロスの二軍で塩漬けになってた方が、ましだ」


 たぶん、業界の中でも最低の侮蔑を、ボクは吐きだしていた。監督もチューナーも、何も言わずにこちらを見つめていた。

 言い訳する気力もないのか、ボクのことなど、どうでもいいのか。

 

「……分かったよ」

「なにが、分かったんですか」

「君の怒りも憤りも、私たちに否定も拒否する権利はない」

「そんな殊勝なこと言って、勝手に分かった気にならないでくださいよ!」


 もう何も聞きたくない。この人たちがどんな気持ちでいるかなんて、心底どうでもよかった。一切合切が遅すぎて、賞味期限切れのバースデーケーキみたいに不快だ。


「ボクに、済まないなんて思うくらいなら、勝ってください」

「……次のマレーネで、かね」

「それだけじゃない! 次のレースも、次のシーズンも! 全部、ライルで勝つんだ!」


 二人の顔は、真っ暗な闇の中に蹴り落されたような、ひどい表情をしていた。

 どうやらボクの考えていることが、ようやく分かったらしい。


「あいつは憧れてるんでしょう、ジョシュアに。だったらやらせればいい! 飛んで飛んで飛び続けて! あの天才と同じ場所まで、飛ばしてやればいいんだ!」

「コノリー!」

「そのためなら、ボクも飛びますよ」


 こんなに愉快な気分になったのは、久しぶりだった。

 思う通りにラインを選んで、誰もいない空を飛ぶ時のような。

 きっとボクなんかには、未来永劫に理解できない、天才とやらのヘアラインを飛ぶような心地を。


「ライルが伝説になって、燃え尽きて死ぬまで」

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