11、終わらない夢

 薄暗い連絡通路を抜けて外に出ると、観客席はすでに強い夏の光に熱され、むっとするような空気を作り出していた。

「暑いねー」

 被っていた帽子を取ると、テッドはそれを使ってぱたぱたと顔をあおいだ。

「うん。ほんとだね」

 形だけの同意を口にして、アルトは目の前に広がるサーキットに目を向ける。白い砂と無数

にそそり立つストライプのポール。そして、銀色のジェットスポット。そのすべてを食い入るように見つめるこちらを横目で見やり、友人は苦笑を浮かべた。

「今からそんなに緊張してたら、レース見る前に疲れちゃうよ?」

「わ、わかってる……よぉ」

 頷くと、大きく深呼吸して青い仔竜は手にしていたチケットに記された自分たちの席を探すことに意識を向けた。

 アルトがラグーンレースで勝った一年後、ブレイズの世界を騒がせる事件が起こった。

 ライル・ディオスの電撃的復帰。ただし、一切どこのチームにも所属せず、プライベートで

の参加という異例の事態。

 レース直前にテレビのインタビュー番組に出ていたライルは、以前よりも少し痩せて見えた

ものの、弱ったところなど少しも見せない、力強い表情で質問に答えていた。

『重度のパイロフォビアに罹っておられたそうですが、レースに対する不安は?』

『ないとはいえない。だが、無様に即リタイアなんてことはないと約束するよ』

『四年のブランクは、ブレイズのプレイヤーにとって決して軽くないハンデだと思いますが……なぜ復帰をお考えに?』

『俺が必ず復帰するって、信じてくれる仔がいたんだ。だからさ』

 その一言に、アルトは心底どきっとさせられた。もしかしたら自分のことを言っていたのかもしれない――さすがに仔供っぽい勝手な想像とは思ったが、それでも嬉しかった。

 そして今、彼はこのマレーネサーキットで復帰後最初のレースに挑もうとしている。自分にとってもっとも因縁深く、避けてしまいたいはずの過去を作り出した場所へ。

 人ごみを抜けてようやく自分たちの席を探し終えると、先に座っていた赤い仔竜がじろりとこちらをにらみつけた。

「おせーぞ」

「うるさいなぁ。レース始まる前にトイレぐらい行くだろ」

「ダメだな、ファンとしての態度がなってない。そんなん気合で我慢しろ」

 不機嫌そうな顔でにらみつけるダンに、二人は半笑いで応えるしかなかった。あの勝負から一年経っても、アルトに対する態度はあまり変わっていない。ただ、以前よりも話す時間が増え、飛行の授業でもなにかと張り合う関係になっていた。

「そんなこと言って、今日ここに来れてるのは誰のおかげなんだっけ?」

「……少なくともお前じゃないだろ。あのデブのおっさんがチケットと旅券送ってくれたからじゃねーか」

 注目の試合ということで、発売と同時にチケット完売となった今回のレース。生での観戦を諦めていたところに、あの手紙は届いた。

 間を開けながらも時折届く、ファルスからの便りが。


『アルトへ


 返事が遅れてすまない。ちょっと今忙しいもんでな、なかなか時間が取れないんだ。

 ニュースで見たけど、ライル復帰だってな。

 おめでとう、っていうのもおかしいけど、よかったな。

 きっと、お前の気持ち、通じたんだと思うぜ。

  

 そのごほうびってわけじゃないけど、試合のチケットと旅券を送るよ。

 お前とテッド、それからあの赤いライバル君の分が入ってる。

 俺は、ちょっと用事が忙しくて一緒に見に行けないが、楽しんできてくれ。


 それじゃ、短いけれどここら辺で。

                                 ファルス


 追伸 アルト、ほんとにありがとうな』


 金網の向こうに広がるサーキットを見つめながら、アルトは思い浮かべていた。

 最初に会ったときから別れるまでの、ファルスと過ごした日のことを。そして、自分は飛べ

るようになり、今こうしてライルが再びサーキットに戻ってきた。彼の存在がなかったら、ライルはともかく、自分がここにいることはなかったろう。

 今頃、彼はどこにいるんだろう。相変わらずあの大きな体で食べ物にぱくついているんだろうか。ファルスの色々な表情が思い出されて、アルトはそっと目を伏せた。

 そんな切ない追憶を、強烈なブレイズセレモニーの爆音が打ち砕いた。真紅の火柱を上げるジェットスポットに向かってダンが短く悪態をつく。

「ちょっとはライルに気を使うとか、ねーのかよ」

「でも、本人はあんまり気にしてないみたいだよ?」

 テッドの指差した巨大な液晶画面には、コースで上がる咆哮と火炎を、じっと見つめる藍色の顔が映し出されている。真剣だがおびえは全く感じない視線、それはいつもライルがレースのたびに見せていた表情そのものだった。

「……そんなこと、分かってるっつーの」

「そんなこといって、ホントはめちゃくちゃ心配なんでしょ?」

「うっせー! 大体お前なんでそんなに冷静なんだよ!?」

『スタート三十秒前』

 スピーカーのアナウンスに、アルトはきゅっと口を結んだ。口げんかをしていた二人も表情を硬くして、スタートポートを映す液晶画面に視線を集中する。

 次々と身構えていくドラゴンたち。

 その中でライルはそっと胸に手を当てていた。

 祈るような表情でその場所を優しく撫でると、フェイスガードを下ろし、身構える。

 五秒前、シグナルがオールレッドへ。

「がんばれ……」

 灯った光が端から消え、思わず椅子から立ち上がる。

「がんばれ、ライル」

 その声を合図にするように、ドラゴンたちが一斉にポートからコースへ向かって躍り出た。

 画面の中の姿がまっしぐらにホームストレートに向かってくる。全身で大気を切り裂き、誰よりも先に勝利を手に入れるために。

 その姿は、初めて彼を見たときを思い出させた。

 地面に縛られ、あざけられた自分を励まし続けてくれた翼。一度は手折られながらも、再び舞い上がる藍色の翼。

『お前の気持ち、通じたんだと思うぜ』

 優しい、太ったドラゴンの言葉を、アルトは信じたいと思った。

 そして彼が、誰よりも速く、どこまでも飛んでいけるようにと、強く願う。

 自分が、空を掴み取れたように。

 風を撒いてドラゴンたちは目の前を横切る。力強い疾風が仔竜の少し大人びた顔を撫で、黒い髪をざっとかき乱した。

「がんばれ、ライルぅっ!」

 吹き荒れる風と吼え猛るジェットスポットの音に負けないよう、アルトが声を張り上げる。

 その声援は空を貫き、世界を吹き渡る風に乗った。


 その風ははるか彼方、セドナの片隅にある小さな部屋に忍び込んだ。

 壁に貼られたブレイズのポスターを揺らし、開かれたまま床に投げ出された雑誌の端をめくる。そして、パソコンのモニターの傍らに置かれたポートレートにそっと触れ、去っていく。

 嬉しそうに笑う青い仔竜と、その肩を抱く太った藍色のドラゴン。はにかみながら、その前に座り、輝くメダルを掲げている少年。

 二度と還ることのない遠い情景を刻んだ写真は、全てを見守るように、優しく輝いていた。


                                      

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