4、変化の先触れ
「アルト! いい加減起きなさい!」
緩慢な動作で顔を上げると、その動作に合わせてモニターが思い出したように起動しはじめた。開けられた窓から差し込む強い夏の日差しに、思わず目を細める。
「いつまで寝てるの!? テッド君がきてるわよ!」
「んー……あがってもらってぇ……」
どうやら勉強机にうつぶせになったまま眠ってしまったらしい。その周りには散乱したブレイズのカードや雑誌、フィギュアがでたらめにぶちまけられている。
「おはよ……って、どうしたの、これ」
「あれ? うん……っと?」
その時、何気なく触れた雑誌の中身に、仔竜の寝不足の頭は一気に覚醒した。
『まさかの失墜、ライル炎上!
今期最大の悪夢の舞台となった、マレーネ・サーキット。十二周目の第八ポールで悲劇は起こった……』
カラー写真付きの見開きページ。そこにはスポットの吹き出し口に張られた防護柵を突き破って、飲み込まれていくライルの姿があった。
両手で顔を覆い、何度もこすって意識を取り戻すと、アルトは改めてテッドを見た。
「ごめん。昨日色々やっててさ」
こちらのしていた事を察したのか、少年は何も聞かずに引き起こしてくれた。
「早く準備してね。もう十時になるから」
「うそっ!?」
大急ぎで全ての身仕度を整えると、テッドと一緒に外へ出た。
「もー、なんで母さん起こしてくれなかったんだよ!」
「僕が来るまで何度も呼んだってさ」
バターを塗った厚切りパンを口に押し込んで、仔竜は不平らしいうめきを洩らした。
「なにか言った?」
「……先生、怒ってるだろうなあって」
「当たり前だよ。無断で休んだんだもん」
いつもの道を通って横断歩道を渡ると、二人は示し合わせたように坂を駆けだした。
「とにかく急ごう! 遅刻したら余計怒られるよ!」
「分かってる!」
だが、たどり着いた学校で待っていたのは、怒鳴り声ではなく静かな説教だった。
「最初は誰だってうまくできないものだ。それをお前は、一時の感情にまかせて、うまくなるための貴重な時間を浪費したんだぞ」
「……すみません……」
「だいたい、この講習を受けるということは、自分の飛行の能力に不安があるのが当たり前なことで……」
他の生徒たちは準備運動を終え、滑走練習に移っている。中には練習用ポートへ移って飛行の訓練に入っている仔さえいた。
「……どこを見てる! ちゃんと話を聞かんか!」
「は、はいっ!」
「とにかくだ、今後は体調の不良以外、休まずに来る。それが……」
(もう……勘弁してよぉ)
飛行の練習を前にして、アルトの気力はすでに限界に達し始めていた。
「やっぱり、だめだ」
やつれ切った表情で、アルトはぼやいた。
「ぜんぜん飛べなかったよ」
「練習サボったんだし、仕方ないんじゃない?」
テッドの言葉に、仔竜はやおらと顔を上げた。
「そんなこといったって、滑走はちゃんとできるんだよ! なのにぜんぜん飛べないんだ!」
「うーん」
説教は元より、練習の時間も最悪だった。時間を延長して指導が行なわれたものの、結果は以前とまったく変わらなかった。
「テッドぉ、僕のやり方って、やっぱり変なのかなぁ」
「んー……」
坂を下っていくお互いの間にしばらく沈黙が漂う。やがて少年は、崖の彼方を飛び回る竜便を示した。
「どうかなぁ、走ってる姿は他のみんなと変わらないと思うんだけどね」
困ったように笑うテッドに、ため息がさらに深まった。
「とにかく、こうなったら君の悪いところが分かるまで、練習を続けるしかないよ」
「そうだね……」
「市立運動場のポートって、申し込みしなくても使えるかな?」
「たぶんね……え?」
驚いた顔のアルトに、テッドはあきれ顔で応じた。
「もしかして、明日からなんて考えてた?」
「いや……その……」
「大会まで、あと一月半だよ? 分かってるよね?」
「うぅ……」
渋る仔竜に、少年は切り札を突き付けた。
「ライルのためにも、がんばらないと。そうでしょ?」
言い訳も許されず、アルトは引きずられるように目的地へ歩いていくことになった。
市立運動場といっても、セドナ市のものはかなり規模が大きい。
施設内には陸上競技用の円形グラウンドや競泳のプール、屋内競技用の体育館、そして飛翔競技用のポートが併設されている。もっとも、アルトにとっては関係の無い施設だ。学校の授業で一回来たきりで、その後は足を踏み入れていない。
「大丈夫、予約いらないって。ただ、他の仔もいっぱい来てるから、迷惑かけないようにだってさ」
「じゃあ帰ろう」
思わず前のめりに倒れそうになるテッドに、アルトは弱々しくほほえんだ。
「来たばっかりでなに言ってるんだよ!」
「だって、僕の練習、絶対迷惑かけるよ」
「それなら迷惑だって言われるまで、練習できるでしょ」
暴言ともとれる豪快な台詞に、仔竜は目を白黒させた。
「テッドって、意外に大胆」
「そんなことより、早く練習にいこう」
受け付けで教えてもらったとおり、大人用のポートに隠れるようにして子供用のポートは建っていた。防風林に囲まれた空間に、緑の芝生が敷かれた地面。監視役のドラゴンの見守る中で仔竜たちが気持ち良さそうに飛びかっている。
下層部へと続く階段を昇り始めたアルトは、ふと後を振り返った。
「……どうして、君がついてくるんだよ」
「君の飛び方を見るために」
素っ気なく、テッドは言葉を返した。
「大丈夫。ポートから落ちたりするようなことはしないから」
「そうじゃなくて!」
二人の脇を通り過ぎる仔供たちが、好奇の視線を投げていく。慌てて声のトーンを下げるとアルトは相手の耳元に口を寄せた。
「飛び方を見るなら、外からでもいいだろ」
「飛ぶ瞬間を見てみたいんだ。もしかしたら、そこに答えがあるかもしれない」
「…………」
返す言葉もなく、テッドを従えたまま下層の飛翔口へと入る。その場にいた係のドラゴンが少年に不審の目を向けた。
「君、ここはドラゴン用の……」
「大丈夫です。僕は見てるだけですから」
この大胆さは一体どこから出てくるんだろう。心の中で半分泣きそうになりながら、アルトはしみじみと、付き合いのいい友人を恨んだ。
「ほら、早くして。とにかくやってみないと始まらないよ!」
テッドの言葉に、半ばやけくそになった仔竜は外へと飛び出した。
「うわぁーっ!!」
派手な音を立ててマットに抱き留められたところに、テッドの声が降ってくる。
「だいじょうぶー?」
「う、うん!」
「じゃあ、早く昇ってきて! もう一度見せてもらいたいんだ!」
ポートのあちこちから沸き起こる笑い声。恥ずかしさで角の先まで火照っている気がする。
誰にも顔を合わせないように下を向きながら、アルトは何を言われても、この場所から一瞬でも早く離れることを決心していた。
「もう絶対っ、あんなの嫌だからね!」
体中を熱くしながら、仔竜は憤りを振りまいた。
「ごめん……僕も考えが無さすぎた」
「ないとかあるとかじゃないよ! 学校の友達に笑われても嫌なのに、今度は街中の笑い者になっちゃうじゃないか!」
すっかり沈み込んだテッドを、通りすがりのおばさんが気遣わしげに見やっていく。
街中を喧嘩しながら歩いていればやはり注目の的になる。アルトはようやく声のトーンを普通に戻した。
「練習に付き合ってくれるのはうれしいけど、僕の気持ちも考えてよね」
「うん……」
それから二人は無言のまま、あてもなく大通りを歩いた。
昼下がりの太陽に全ての影が際立ち、吹き渡る風に乗って暑気が通り過ぎる。
「誰かの目を気にしないで、練習できるところってないかな」
「学校のポートは午後は誰も使わないけど。先生たちも帰っちゃうからなぁ」
「海岸通りの運動公園はどうかな?」
嫌そうに顔をしかめて、仔竜は右手を振った。
「あそこがラグーンレースに出る竜の練習場になってるって、知ってるでしょ? 絶対ダンも来てるに決まってるよ」
「でも、誰か飛び方のうまい竜に教われるかも」
「教わるっていったって、さあ」
先生や他の大人も、言っている事は変わらない。姿勢と翼の開き、そして練習。
その上、飛べるもの達は、どうして自分がそういう感覚をつかめていないのか、いつも当惑していた。
たぶん、彼らもよく分かっていないのだ。自分たちは飛べなかったことがないから、飛ぶのに必要な何かがどういうものか、説明することができない。
技術や理論ではない何か、神秘的なもの。
仔竜にとって、それはまさにミステリーだった。
「アルト?」
「あ……ごめん。何か言った?」
「ランディング・ポートの公園はどうかなって、思ったんだけど」
たしかに、あそこの施設には普段使われていないものや、ほとんど誰も立ち入らない場所がある。
「でも、練習に使えそうな遊具とかには、誰かいると思うよ」
「夕方になったらみんな帰るだろうから、その時を狙っていけば?」
「う~ん……」
山からの風が夏の暑さと一緒に太陽を水平線の彼方へと押しやってくころ、アルトたちは公園のはずれにある遊具が置かれた場所にやってきていた。
ほぼ中央に作られた木製の滑り台。登り口にあたる部分は櫓になっていて、一番上の部分が屋根のない飛翔口のような形状をしている。高さはアルトの背丈と同じくらい、学校のポートの下層よりも低い。
「練習できそう?」
「……このくらい低かったらマットもいらないし、下も砂だから大丈夫だと思う」
階段を上りきると、赤い光が顔に当たった。林の向こうに沈んでいく夕日が眩しくて、思わず目を細める。
「それじゃ、行くよ!」
「うん!」
いつも通り心の中で手順を復唱し、大きく翼を広げて体を押し出す。
「うわぁっ!!」
あいかわらず、落下は一瞬だった。
地面に胸や腹が打ち付けられ、強い痛みにアルトの息が止まる。
「だ、大丈夫!?」
「ぐっ、げほっ、ごはっ」
引き起こしてもらいながら、仔竜は目をつぶって呼吸が楽になるのを待った。
「い、いつもはマットがあるから気にならなかったけど、これはちょっと辛いかも」
「……やっぱり、ちゃんとした施設で練習したほうがいいんじゃない?」
テッドの言葉にアルトは首を横に振った。痛いのはもちろん嫌だ。だが、笑われるのは痛いことより、もっと嫌だった。自分のことを、全部否定されてしまうようなあの感覚は味わいたくない。
青い仔竜は、再び起き上がった。
「今度はうまく着地するよ。心配しないで」
心配そうな少年に手を振ると、アルトは再び櫓に上った。
「うっ、うわぁっっ」
「アルトっ!?」
やがて、遊具の近くに立っていた電灯に光がともった。
真夏の宵のおぼろな空に、白々とした星がその数を増やしていく。
「もう、そろそろ帰ろう」
三十回目の落下のあと、テッドは切り出した。
「遅くなると、家でも心配するよ」
「レースまで、あと一ヵ月しかないんだ」
服の前についた砂をはたき落としながら滑り台の階段に足を掛ける。
「テッドはもう帰っていいよ。僕はもう少しやっていく」
「じゃあ、僕も待ってる」
言いながら、テッドが首筋の辺りを掻いているのが見えた。自分の周りでもさっきから蚊がうるさく飛び回っている。
あと少しやったら終わりにしよう。そう思いながら、アルトが櫓に上った時だった。
「おい! そんなところで何やってんだ」
「お、おじさん?」
声の方を見ると片手に大きな袋を抱えたファルスが、こちらを眺めていた。
「おじさんこそ、こんなところに何しにきたの?」
「家に帰るんだよ。こっちを通ったほうが近道なんでな」
袋からホットドッグを取り出して口に放り込むと、太ったドラゴンは不思議そうな顔でこちらに歩み寄った。
「どうしたんだその格好、砂まみれじゃないか」
「う……うん……」
「滑り台で遊んでるってわけでもないし……って、まさかお前」
驚きに見開かれたファルスの目から、そっと視線を外す。
「飛ぶ練習してたのか?」
「……うん」
「やっぱりなぁ……あいつもおんなじ事してたし。そうじゃないかと思ったよ」
「冷やかしなら、やめてもらえますか」
かばうように立ちふさがるテッドに、ファルスは片手を上げて降参を示した。
「そんなつもりはないさ。だけど、なんだってこんなこと始めたんだ?」
「……ダンと、勝負するんだ」
「なにぃ?」
記憶を掘り起こすように首を傾げ、彼はたるんだ頬の肉を掻いた。
「たしかそいつ、クラスで一番飛ぶのがうまい奴だろ?」
「うん」
「今から練習して、勝負になるのか?」
「そんなこと、やってみなくちゃ分からないよ!」
こちらの勢いに押されたのか、ファルスは軽く後に下がって肩をすくめてみせた。
「そうかもしれないが、お前のやり方じゃ、まず無理だな」
「ど、どうしてさ!」
「ちょっと、飛んでみせてくれないか?」
探るように、アルトは相手の顔色をうかがった。太ったドラゴンは無言のまま、袋からホットドッグを取り出しては、頬張り続けている。
仕方なく、仔竜は同じように櫓から飛び降りてみせた。
「……これで、どう?」
「お前、滑走得意だったりする?」
いきなりの問いかけに驚きながらアルトが頷くと、ファルスはニヤッと笑った。
「お前の飛べない理由、心当たりがある」
その言葉が耳に届いて理解されるまで、数秒間を要した。
「え、ええ~っっ!?」
「どういうことですか!?」
驚く子供達をいなすように、指が左右に振られる。
「結構珍しいケースとは聞いていたけど、まさかまたお目にかかるなんてな」
「あっ、じゃあ僕、その、だって、あれ!?」
「落ち着け」
おもむろに仔竜の口へと、数本のホットドッグが押し込まれる。
「うぐっ」
「とにかく、それ食ったら今日は帰れ。続きは明日だ」
ようやく塊を飲み下したとき、丸い背中は宵闇へと消えていこうとしていた。
「おじさん!」
「明日、あの臨時着陸場で待ってる。学校の練習が終わったら来いよ」
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