第2話 手記・葉月

拝啓

民生委員四辻美奈枝様

この前は愚痴めいた文を送ったりして済みませんでした。


緊急事態宣言が解除され、皆外ではマスクをしているものの外に出るようになり子供の笑い声が聞こえるようになったのは社会に血が通うようになってきた。という所でしょうか。


しかし、巷ではソーシャルディスタンスと云われる社会的距離ですか。一人一人が1メートル半離れている様は、何か馴れ合わない猫たちの集会を見ているようです。


私もマスクをしながら外出、通院が出来ます。(元々通院は続けていたのですがね)


都心では汗が吹き出るくらいの暑さですが緑化政策のお陰で木々の多い公園に囲まれたこの武蔵野の団地では快適に過ごしております。


四辻様にこの団地をご紹介頂いた事は大変嬉しく思っております。


私が団地に来た理由、四年前に急性腎不全を患い週に二回の透析で命を繋ぐ身になり、


腎臓移植という治療方法も提案されましたが「どうせ老い先短いんだから」と子供達は提供を拒否しました。

平たく言えばそれをきっかけに縁を切られたのです。


ここに来るまでは武蔵野がバス二区間で透析医院に通える便利な所だとは知りませんでした。


「子供の頃は山と森ばかりの場所だったのになあ…」

と復員した親父はよく言ってました。


私なりに調べてみますと町から市へ昇格するために昭和二十二年あたりから急速に開発し、警察署や簡易裁判所、武蔵野区検察庁、税務署などの官公署を誘致したのだそうで。


人口の増加は都市の発展に繋がる、とさらに市営や都営の団地を建て、緑の森が団地の森に様変わりした様子が市政史には詳しく書かれていて実に興味深かったです。


しかし、人口増加による発展とは昭和四十年代から昭和の終わりぐらいまでの事。


今では

「コロナウイルス感染者は200人台を突破しました。若い人々はくれぐれも気をつけて行動なさって下さい」


とテレビで元アナウンサーの知事さんがおっしゃる度に…


この社会には人口も若い人もそんなにいたのか?


と思うくらい、団地からも若い人が居なくなっておりますのにねえ。


私事ですが時々お料理を届けて下さる元小料理屋のタエさんのその後が気になります。


「タエさんは浴びるように酒を飲まなきゃ生きていけない人なんだ」


とは康夫さんから聞かされておりましたが、ベランダの下の階から飛び降りようとなさっていた所を慌てて110番通報し、お巡りさんに止められて事なきを得ましたが入院先の施設で不便していないか心配です。


それと、

これは令和になって一番辛い出来事だったのですが…


私の将棋仲間の康夫さんが先日自宅で亡くなりました。


三日と空けずに将棋を差しに来ていた彼が四日たっても来ないので何か胸騒ぎがして彼の部屋の呼び鈴を押し、反応がないので自治会長さんに鍵を開けて貰ったら、布団の中で彼はこと切れていました。


エアコンを付けぬまま深酒をして眠ってしまい、夜間熱中症が原因だということです。


彼は酔いの心地よさの中で逝ったのか、それとも水を求めても体が動かない乾きのまま逝ったのか。


今年75になりますがまだ死んだ経験の無いこの身には解らぬ事です。


彼には家族が居なかったので団地の住人達でお葬式をしました。


その帰り、


太古の昔は緑豊かな丘陵だった武蔵野に並び立つ団地群を遠目から見て…


まるで戦後経済復興という欲に取り憑かれて子を産み増やし、働いて働いて遂には人間性を失って枯れていく…


社会というものの墓標だ。


としか思えませんでした。


この頃終活という身辺整理をしております。


わずかな財は孫の結子ゆいこにあげます。


公正証書遺言なのでぬかりはありません。

葬式も安いので結構。


なあに墓は要りません、


だってつい棲家すみかと決めた大好きな武蔵野に、既に大きな墓石があるのですから。


このコロナ禍で人々も社会も大きく傷つきました。

まず損益を回収するために社会は動いていくでしょう。それは誰にも止められません。


罹患した方々をいちいち責めるのは愚だと思うのですが、

抑制が強すぎる分何倍にもなってやり返さなければ癒されないのが日本人の救いがたい特性なのです。


それでは四辻様、

今年の夏は酷暑だそうですからお体にお気をつけ下さい。


敬具


令和二年八月四日


古森昭二




























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団地物語 白浜 台与 @iyo-sirahama

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