第10話 婚約者襲来

「アスティーナ!」


 屋敷に大声が響いた。


 サミアル・ディープレア、今はお父様と呼ぶべき人は言っていた。


『今からはアスティーナ・ディープレアを名乗れ、元の名前を絡めたい場合はアスティーナ・ミハル・ディープレアとするように。ミドルネームは親密な関係者のみに呼ばせる事を許可すると事にしなさい。また事故によって記憶混濁中としておくから多少の誤魔化しはできるだろう』


 そして過去にあった、記憶混濁例を挙げられた。


『ある事故で昏睡状態に陥った公爵令嬢が居たが、他の世界の者の魂が公爵令嬢に入ってしまった。最初は新しい人格の記憶しかなかったが、次第に元の人格と記憶が混ざっていったと言う話が有名だ。なのでこの世界に無いような事をでっち上げて他の世界からの転生した事にすれば全く疑われない』


 あまり異世界の事は言いたくなかったけど、この場を乗り切る為なら仕方がない。


 アスティーナが記憶喪失になったという演技の為に、異世界の事をでっち上げる演技をしなくてはならない、という事だ。異世界の話は別に真実でも構わないだろうからさほどハードルは高くない。



 今はアスティーナの自室、寝間着を来てベッドで寝ている振りをしている。

 その婚約者の声はこの部屋まで届いてきたので酷く緊張してきた。



「アスティーナ!」



 部屋のドアを勢いよく開ける婚約者。

 …この人の名前なんだっけ?


 ステルス?ストイック?なんかそんな名前だ。なんだっけ、えーと…。


「アスティーナ!起きて!僕だよ!」


 肩を力強く掴み、ゆっさゆっさと揺らす。それはもう遠慮なんてない。

 それで、この人の名前は…。


「あの…誰ですか?」


 思いっきりシーツで体を包み、怖がったフリで言ってあげた。


 名前は結局、思い出せなかった。いや、記憶喪失なんだからこれでいい。きっと大丈夫、だよね?

 事前に聞いて居た話では相手の年齢は18歳らしい。赤茶色の短髪で手足が長くて背が先輩よりは低そうな印象、少し先輩に似ている。きっとこの人もモテる側の人間だ。さっさと別の人を見つけてくれれば良いのに…。


「なんてことだ!私はステイク・ドルトニアだよ!子爵家の三男で君の婚約者だ!」


「あの…警察を呼びますよ、そうだスマホ、私のスマホを何処にやったんですか、まさか盗んだんじゃ……」


「え?警察?スマホ?ってなんだい?」


「警察は貴方みたいな誘拐する悪い人を捕まえる組織です!スマホはどこからでも警察に通報できる機械です!」


「ま、まさか!あなたは異世界転生者!?」


 はい、その通りです。なんという寸劇。


「ここは異世界…なんですか?」


「そうです、ここはバニザジールシア大陸のアレスティルニア王国ですよ、貴女は何処から来たなんて名前ですか?」


「私は芦原水遥、日本という国に居ました」


「成程、そうなのですね。驚くかもしれませんが貴女はアスティーナ・ディープレアという女性に転生しました。いずれアスティーナとしての記憶は戻ると思いますが貴女は貴女ですから安心してください。伯爵家の長女ですから生活に困る事もありません、暫く安静にすると良いでしょう」


 なんだか思っていたよりも常識人なのかもしれない。婚約者とはいえ女性の部屋にノックも無しに入ってくるのはどうかと思うけど、そういう仲だったのかもしれないと思った。そう考えると、気の毒な人なのかもしれない、うっかりそういう風に同情してしまった。


「は、はあ…」


「それにしても、父から貴女が死んだかもしれないと聞いて、僕は、僕は…」


 そう言いながらすすり泣きを始めた婚約者がどんどん気の毒になってゆく。

 同じ境遇にあったら、私だって泣いてしまう。


 泣きながら、私の肩を掴んでいた手の力は緩んだと思うと私を包み込んでしまった。抱きしめられた私はすすり泣く人を突き飛ばす気になれずに暫く固まっていた。

 なんだか、幼い子どもをあやすような気分になり、相手の背中に手をまわしてトントンと叩いてあげた。


「あ…すみません」


 婚約者は抱き合った姿勢のまま謝ってくるが、相手の口元に私の耳があった。


 耳元で囁かれ、さらに息が吹きかかったせいか全身に何かが突き抜ける。悪寒とも思えなくもないその感覚は激しくて今までに体験した事のない感覚だった。


「ちょっと離れて…」


「しばらくこうしていてはダメですか?」


 耳に向かって囁くようにしゃべるなー!と叫びそうになる。ぞわぞわして鼓動が早くなる、口内は唾液が大量に出てくるし、股間までなんか変な感じだ。まさかと思うけどこれが女として感じていると言う事なのか!?


 そういえばアスティーナの年齢を聞いていなかった。少なくともこの体は13歳なんだから手加減してほしい。アスティーナが大人の関係を持っていたらどうしようかと焦った。


 突き飛ばそうとしても力の差がありすぎてどうにもならない、婚約者という立場のせいか使用人は誰も入ってこない。私がアスティーナとは別人というのは使用人で知っている者が居ない。村長さんや一緒にきたメイドさん2人も帰ってしまった。


 唐突に不安になった。


 私がどうなったところで義父である伯爵が守ってくれるかは怪しい。助けてくれるのは事情を知っているイルティーナちゃんくらいかもしれない。だが、年下の子に助けてもらう訳にもいかないから自分の身は自分で守らなければいけないのだ。


 そう、もう手段を選んでいる場合ではない。


 私が本当に繋がりたいのは男であても女でもあっても先輩だけだ!

 その、この婚約者がその気があるとは思わない、抱き着いたのもきっと辛かっただけで耳を刺激してきたのはたまたまだった、そういう事にしよう。

 だとしたらこの状態から変に感じている事を知られるわけにはいかない。

 このままじゃエロい声を出しそうになると直感した私は行動に出た。


 頭を婚約者の離れる様に傾けてからの~横頭突き!


 ゴッ!という音と共に婚約者が目のあたりを抑えている。私も痛くて少し涙が出る程だった。相手は不意を突かれてさらに痛かったに違いない。

 そして拘束が解けたので、改めて半分剥がされていたシーツを一気に自分にまきつけてから訴えた。


「あの…男性に慣れていないので、あまり抱き着かれたら死んでしまいます」


 自分で言ってて死ぬ訳がないだろと冷静にツッコミを入れそうになった。

 婚約者は私の涙目で真っ赤な顔をして怯えていると勘違いして、また後日来ると言って出て行った。


 この場はどうにかなったと、安心したがやはり気になる。


 緊張しながらも自分のデリケートゾーンに手を当てると、とんでもなく濡れている。お漏らしではないかと疑ったが、排泄器官が無いのを思い出した。同人誌だったら『ふふ、体は正直だな』とかいって本番に突入するようなレベルだ。


 やっぱり私は淫らな人間なのかもしれない。


 先輩に合わせる顔が無いと泣きそうになった。

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