4.Verification

 あくる日の朝。早々と朝食を済ませた私とムッシュは、馬車に揺られて事件のあった邸宅を訪れた。着いた頃には昼を回っており、途中馬車の中で、私たちはムッシュが使用人に用意させたサンドイッチを頬張った。

 その日のムッシュはとても静かで、昼食時ちゅうしょくどきとそれ以外に何度かは言葉を交わしたものの、ほとんどは口を結んでいた。特に事件のことについては、訊いてはいけないような気持ちにさせるのであった。

 ムッシュは現場に着くとまず、入口を素通りしてカンガーリュ夫人の遺体が発見された庭に向かった。彼は用心深く庭を見ていたが、私には何をしているのか皆目見当もつかなかった。ふと空を見上げた私の目に、四階の窓が映った。あそこがカンガーリュ嬢の遺体が見つかった部屋だろうかと思うと急に悪寒がし、私はぶるっと身震いして視線を落とした。

 私の額を汗がつたう。今日も日差しが強く暑い。私はすぐそこに生えている立派な木の下に入り、ムッシュの捜索が終わるのを待った。ムッシュは最後にその木も念入りに調べてから、ようやく邸宅の入口へと向かった。

 入口の脇には番小屋のようなものがあり、ガラスの引き戸に“守衛詰所”と表示があった。私がさてどうするのかと見ていると、ムッシュは臆する風もなく呼び鈴を鳴らし、しばらくにこやかに何か喋っていたかと思うと、私を振り向いていった。

「さあ、行こう」

 私は目を丸くしたが、ムッシュは当然のように邸内に入っていく。慌てて追いかけながら守衛を見ると、彼は私にまるで敬意があるかのようにしっかりと敬礼した。私は不思議な面持ちで軽く会釈をすると、鍵の壊された扉を開けた。

「ムッシュ。一体どうするつもりかとは思っていたが、まさかこんな正攻法ですんなり入れるとは思っていなかったよ。一体どんな手を使ったんだい?」

 ムッシュは振り返ると事もなげに言った。

「警視庁の総監と知り合いなんだよ。何度か彼らの手におえない事件を僕が見てやったことがあってね。守衛の彼とも会うのは二回目さ。懐かしいな……。立派になったもんだ」

 目をぱちくりさせる私を見ることもなく、ムッシュは階段を上がっていく。この男がそんなコネを持っていたとはにわかには信じられないが、これでは信じないわけにもいかない。私は慌てて後に続いた。

 ムッシュは四階の例の部屋の前までやってくると、まず扉をよく観察した。私には単に破壊された扉にしか見えなかったが、ムッシュはそれを念入りに調べていた。

 部屋に入ると、中は荒らされたままだった。ムッシュほどではないものの、私も部屋の中を念入りに見回してみるが、新聞記事の通りだという感想の他にさしたる結論は導き出せなかった。ムッシュはと言えばとても念入りに部屋の中を見て周っている。

 ふと窓の外に目を向けたが、庭の木は見えなかった。先ほど見上げていた窓が、この惨劇があった部屋の窓ではなかったのだとわかり、なぜだか少し私は安堵した。

「やはり、僕の思った通りだったよ」

 ムッシュの嬉しそうな声に、私は思慮の世界から引き戻された。隣の部屋から戻って来たムッシュが微笑んでいる。

「思った通りとはどういういことだい?」

「犯人の逃走経路さ」

 私は思わず目を見開く。

「つまり、君は犯人がどうやって逃げたかわかったというのかい?」

「ああ。それでは、昨晩の答えあわせといこうか」

 得意げに微笑むムッシュに、私は勢い込んで頷いて見せた。

「さて――。

 私も自分の目で念入りに捜索してみたが、少なくともこの部屋には秘密の抜け穴なんてものはどこにも見当たらなかったということをまず断っておこう。つまり、犯人は誰の目にも明らかな経路からこの部屋を出たということだ。

 それでは、その誰の目にも明らかな経路について一つずつ検証していこうか。昨晩君に示した通り、この部屋にある外へと繋がる経路は全部で三つ。扉、窓、そして煙突だ。

 まず、真っ先に疑うべきは扉だろう。そこで僕は扉を確認してみたが、この扉は一般邸宅によくあるような、内側からしか鍵の開け閉めの出来ないタイプのものであった。そして、特別な仕掛けを施す余地も、その痕跡も見当たらなかった。隣の部屋の扉も同様だ。あと考えられるとすれば突入時に犯人が先頭に立ち鍵が閉まっていると嘘をついた可能性だが、新聞の記事を信じるならば、突入時の状況から見てその可能性は極めて低いだろう。不特定多数の野次馬から十名前後がついて来たのだし、この部屋の鍵は開けるのにはかなり手間取ったようだからね。鍵は本当にかかっていたと考えて先に進もう。

 次に煙突だ。のぞいて見て貰えれば明白だが、あの狭さではネズミくらいしか通ることは出来ないだろう。犯人がネズミだというのも面白い見解だが……これだけのことをネズミがやってのけるのは不可能だろうな。となると……」

 ムッシュは私の目を見つめて言いよどんだ。私は促されるように最後の可能性を口にする。

「窓から逃げたと言うのかい?」

 肯定するムッシュに私は疑問をぶつける。

「しかし、記事によれば窓も鍵がかかっていたということになるが」

 ムッシュはやれやれと言う風に微笑んだ。私は少しムッとなる。

「言ったろう。捜査に見落としがあったと。それも仕方のないような見落としだ。

 新聞の記事を読んでいて、僕はある表現が引っかかった。もちろん記者も真相に気づいていたわけではないだろうからね、単なる偶然だろうが。新聞には窓について、確かこう書かれていたと思う。“二つある部屋の窓は全て内側から釘で固定されていた”。

 来てみたまえ」

 そう言うとムッシュは、部屋の窓に向かって歩いていった。私も後に続く。

「まずは窓の左隅を見て欲しい」

 ムッシュに言われるがままに窓の左隅を見てみると、窓枠に釘が差し込まれていた。恐らく錐か何かで窓枠に穴を空け、頑丈そうなこの釘を打ち込んだのだろう。

「二部屋とも全ての窓はこの窓と同じように釘で固定されていた」

 ムッシュの話を聞きながらふと私は、窓の外に見える男性と目があった。見れば周りにも何人か人がいて、こちらを見上げている。

「丸二日も経っているのに、まだ野次馬がいるね」

 ムッシュに言われて私は顔を上げる。

「物好きなヤツラだな。私たちも人のことは言えないが……」

「彼らはただの興味本位さ。事件を解く力もその気もない。ミス・コアーラのことだって……。まあ、その話はよそう。今でさえこの有様だ。悲鳴で野次馬が集まった当時、表通りに面したこの部屋の窓の外にはもっとたくさんの見物人がいただろうね」

 ムッシュはそう言うと窓を離れ、隣の部屋へ移動しようと言った。

 部屋を移った私の目に最初に映ったのは、立派な木だった。もちろん部屋の中にそんな木が生えているわけがない。私の目に映ったのは、窓の外に見える庭の木だった。先ほど影を借りて涼んだあの木であろう。つまり、私が先刻見上げて身震いしたのは、この部屋の窓だったのである。

 窓の外を見下ろすと、表通りとは打って変わって人通りはなかった。ムッシュと共に立ち去った時と変わらない静けさがそこにあった。

「さて、答え合わせの続きだ。さっきも言ったように、犯人がこの両部屋のどちらかにいた時、惨劇があったあちらの部屋の窓の外には大勢の野次馬が集まっていたことだろう。と考えると、犯人が逃げたのはこちらの部屋の窓であると考えるのが妥当だね」

 そこで私は、まだムッシュの推理が途中だったことを思い出す。

「だが、こちらの部屋の窓も釘で固定されていたんだろう?」

「ああ、そうだとも。試しにそこの窓を上げてみて欲しい」

 ムッシュにそう言われ、私はベッドが横付けされた窓を、すなわち裏庭の木に面した窓を上に引いてみた。ムッシュにもっと強くと言われ、私はさらに力を込めてみるが、そういう問題ではないように思えた。

「無理だよ、ムッシュ。君が言った通りこの窓にも釘が刺さっているし、力強く引き上げたところで開かないよ」

「そう思うかい?」

 ムッシュはそう言ってほほ笑むと、窓の左下をしばし触ってから窓を離れ、もう一度試してみるように言った。ベッドに隠れて窓の下は見えなかったが、大方釘をどけたのだろう。近づいて見れば思った通りだった。

「ムッシュ。釘を抜いたら開くに決まって……、あれ?」

 私は素っ頓狂な声を上げてしまった。釘がないというのに窓があかないのだ。今度は力を込めて引き上げてみる。しかし、窓は先ほどと同じように全く開く気配がない。

「開かないだろう? 当然さ。よく見てみるがいい」

 そう言われて窓の周りをよく見てみると、なるほどわかりづらいがバネの仕掛けがあるようだった。それを押して窓を引き上げてみると、今度は簡単に窓が開いた。生暖かい風が汗に濡れた体に涼しい。

「でも、これが何だって言うんだいムッシュ」

 そう言って振り向く私に、ムッシュは手の中の物を見せた。

「これは……」

 それは引き抜かれた釘だった。しかし、健全な釘ではない。その釘には先端がなかった。途中で折れていたのだ。見たところ錆びて折れてしまったという風であった。

「それではこれを戻して、もう一度窓を開けてみよう。君はそのベッドにでも乗って、よく見ていてくれたまえ」

 ベッドの上に乗ることには抵抗があったが、私はムッシュに言われた通り注意深くその作業を見つめた。

 ムッシュはまず折れた釘をもとのように戻し、バネの仕掛けを押して窓を上げた。当然の如く窓は開いたが、注目すべきは釘であった。釘の頭は窓の枠に乗っかったままになっている。

「そしてこれを戻すと……」

 そう言いながらムッシュが窓を閉めると、釘は元通りになった。釘が折れていることを知らなければ、窓が固定されているように見えるだろう。

「もうわかるね? 警察はこの釘と動かない窓という情報から、窓は全て内側から閉まっていたと判断してしまったんだ。これでこの部屋は密室でなかったという事が証明された」

 私は思わず言葉を失って、ムッシュの顔を静かに見つめた。

「……すごいな君は。これを、君はあの記事を読んだだけで見抜いてしまったというのかい?」

「いいや。あの新聞記事からでは見抜くことまでは出来ないさ。ただ、高い可能性の一つとして考えていただけにすぎない。昨日の時点ではまだ単なる妄想にすぎなかったからね。僕はそれを口にしたくなかったのさ。しかし、確認してみれば大方僕の予想通りだったというわけだけれどね」

「いや、十分すごいじゃないか。僕には皆目見当もつかなかったことだよ」

 ムッシュは先ほどの特に何でもないという風な言葉とは裏腹に、得意そうに微笑んで歩き出した。

「さあ、もう帰ろう。一つ用事が出来てしまったし、早くしないと帰りが遅くなってしまう」

「用事? もう帰るのかい?」

 驚いて訊き返した私に、ムッシュは当然のように言ってよこす。

「ああ。犯人の物証も見つけたし、これ以上長居は無用だ。さっさと用事を済ませて帰ろうじゃないか」

 私はその言葉に驚愕した。

「犯人の物証? つまりもう君は、犯人がわかったというのかい?」

「ああ。やはり、とてもつまらない真相だった。これではカンガーリュ夫人もミス・コアーラも報われない……」

「どういうことだい? 教えてくれムッシュ」

「言ったろう? 用事が一つできてしまった。遅くとも明日の夕刊には間に合わせたい。話の続きは夕食のおかずに加えようじゃないか。晩酌のつまみでもいいだろう。なに、答え合わせの時まではまだ時間がある」

 そう言うとムッシュはもう、これ以上の追及は許さないという風だったので、私は大人しく後に続いた。

 ムッシュは道すがら、ボロボロの白衣に縫い付けた内ポケットから一輪ずつ、暖炉と裏庭にそれぞれ花を供え手を合わせて現場を後にした。その際、ムッシュは守衛の男に何か頼みごとをしていたようだったが、夫人だとかスケッチだとかいう単語が聞こえたものの、詳しい内容はさっぱりわからなかった。

 帰り道、ムッシュは新聞社によった。何をしてきたのかと尋ねると、遺失物に関する記事の掲載を依頼したのだとだけ教えてくれたが、それ以上は語ってくれなかった。大方、事件現場で発見した犯人の物証と関係があるのだろうと予想したが、こちらに関してもそれ以上はさっぱりわからなかった。

 こうして家に着いた頃にはもう辺りも暗かったが、私はその後すぐに夕飯の席で、待ちわびたムッシュの話を聞くことができたのである。

「君はまだ犯人の正体がわからないのかい?」

 ムッシュは唐突にそう切り出した。

「当然だとも。やっと教えて貰えるのかい?」

「いいや。それはもう少し待ってほしい。そのかわりにヒントだけあげよう」

 私はいささかうんざりしたが、仕方がないので何なのかと催促した。

「うん。まずは新聞の記事からわかる犯人の特徴だ。

 一つ目に、あれだけ残虐な事件を行える者だということだ。精神については置いておくとしても、カンガーリュ夫人をあのように殺害して、ミス・コアーラを煙突に押し込めるだけの腕力があったことがうかがえる。私が調べた限りでも特別な細工は見当たらなかったからね。単独犯にしろ複数犯にしろ、それなりの力は必要だったわけだ」

「つまり女性の犯行ではないということかい? いや、複数犯の可能性もあるんだから、一人以上の男がやったと考えた方がいいのか……」

 ムッシュは無表情で私を見つめ、ふぅんと言った。

「まあ、そうとってくれても構わない」

 要領を得ないムッシュの返答に私は焦らされるが、これはヒントなのだから仕方がないだろう。ムッシュは続ける。

「次に、部屋の中は酷く荒らされ物色されていたが、金貨を始め多くの物品はそのままだったという点からだ。犯人は単なる泥棒ではなかったが、部屋中を荒らしたということがわかる」

「泥棒の犯行に見せかけるため、なら金貨をそのままにしておくはずがないし……。君が最初に言った通り、何か目的の物を探していたのか、それとも不都合なものでもあったのか……」

 思案する私にムッシュは微笑みをよこす。

「色々な可能性を思案するのは大切だが、難しく考えすぎるのもよくない。必ずしも真実は難解なものでなくてはならないということはないんだ。人は常々そう思いたがるものだがね」

 ムッシュの言葉に私は増々わからなくなってしまったが、そんなことなどお構いなしにムッシュは続ける。

「最後に一番大きな特徴だ。犯人のものと思われる声が二つ、聞かれているね。

 一つは野太いフランス人男性と思しき声で、“こら”だとか“でや”だとか“もう、だめ”と言っているのが聞こえたということで大体証言が一致している。たしなめるようだったという証言もあったね。

 問題なのはもう一つの声だ。甲高い声ともざらついた声とも言われるこの声は、証言がまるで一定しない」

「そうだね。それは私も気になっていたんだが……」

 私は外国語に詳しいわけではないので、その辺りは正直お手上げだと思っていた。

「一つ、証言に共通する部分があることは気づいているかな?」

「共通する部分?」

 私は顔をしかめる。甲高い、ということだろうか? しかし、ざらついた声という証言もあるし、話の流れからしてそんなことではないだろう。いずれにせよ、私には皆目見当もつかなかった。

「ああ。何語であるという主張はてんで共通していないが、みな自分が主張する言語について詳しくないんだ。そこが共通している。何と言っていたかも丸でわかっていない。つまり、誰もが聞いたことのない言葉だったということだ。それをみなが自分の限られた知識の中でどこかしらの言語に当てはめて証言したというわけさ」

「うーん……。つまり、ヨーロッパの人間ではないのかな? アジアだとか、アフリカだとか……」

 苦し紛れに私はそう答える。記憶が定かではないが、記事をまとめた際に、ヨーロッパ五大国の人間がいずれも自分の知る言語ではないと述べていた気がする。となれば、それ以外の地域の者の声だったと考えるのが妥当だろう。

「そうだね。その可能性は十分に検討すべきだろう。しかし、あの記事からは確証を得ることが出来ない。ここまでだ。となると、あの新聞記事からわかる犯人の手がかりはこの三つということになるだろう。異論はないかね?」

 ムッシュの言葉に私は無言で頷いた。

「うむ。次は逃走経路だ。これは昼間の現場検証で確定的になったわけだが、惨劇があった隣の部屋の窓ということになるね。つまり、犯人は四階の窓から外に出たということになる。しかし、四階の窓から飛び降りたのでは無事で済むはずがない。そんな高さから落ちれば、体は酷いことになるだろう。あちこちの骨が折れ砕け、見るも無残な死体になってしまうだろうね。しかし、梯子のような大掛かりな物を使ったとすれば、悲鳴で集まって来た野次馬に見つかってしまっただろう。現場にそんなものは残されていなかったわけだからね。梯子を使ったのだとすれば、当然犯人はそれを持って逃げたことになるんだからね。それになにより、もしも窓に梯子が掛っていれば、さすがの警察も窓をもっと念入りに調べただろう。

 そこで思い出して欲しい。あの窓のそばには立派な木が生えていたね? 犯人は窓からあれに飛び移って逃走したと考えたらどうだろうか? いささか突飛ではあるが、あり得ない話ではないだろう。ロープを使ったのかもしれない。それならばもっと簡単になるだろう。付け加えると、あの窓の周りには外にも中にも特別な仕掛けやその跡はなかった。つまり、こういう単純な方法が用いられたとみるべきだろう。

 いずれにせよだ。犯人はとても身軽で度胸のある者だったということがわかるね。もちろん、真実を導き出す際には、根拠をあまり突出した能力に頼るべきではないだろうがね。事実は事実として受け入れなくてはならない。判断を誤れば、たちまち真実から遠ざかってしまう。さじ加減の難しい部分さ」

 私はムッシュの講釈を聞きながら、口元に手をあてがい考え込んだ。先ほどから、確かに情報は整理されているが、いっこうに犯人像が見えてこない。しかし、ムッシュの口ぶりからすると、昨日の晩には既に大方の予想はついていたということになる。いったい、ムッシュは何をもって犯人を推測したのだろうか。私の疑問を嘲笑うかのように、ムッシュは話をまとめた。

「さて、以上のことを踏まえた上で、つまり新聞の記事で明らかになった情報から、僕は一つの可能性を導き出した。無論、その時点ではそれはまだ単なる可能性の一つに過ぎず、妄想に違いなかったわけだがね。今日になって、窓の見落としと裏庭にあった木の存在が裏づけとなり、確証に至る材料になった。

 そして僕は、事件のあった部屋と裏庭を徹底的に探したのさ。最期の材料を、すなわち犯人の物証を得るためにね。もちろん、それが落ちていたのは偶然だ。しかし、あれだけ暴れ回ったんだ。一つくらい落ちていてもおかしくはないと僕は踏んだのさ。そして、僕は実際にそれを見つけることに成功した。そして真相を知る人物をおびき出すために、新聞社にあるものを発見したという記事の掲載を依頼したんだ。野太いフランス人男性と予想される人物をおびき出すためにね」

 これで話は終わりだという風に微笑んで私を見るムッシュに、私は尋ねた。

「それで、君が見つけた物証というのはいったいなんだったんだい?」

 私の言葉にムッシュは笑顔のまま首を振る。

「それを言ってしまったらチェックメイトだ。答えがわかってしまう。だからまだ、今は言わないでおくよ。どのみち君には、野太いフランス人男性との邂逅に付き合って貰うつもりだ。その前には犯人の正体を明かすつもりだ。それまで君も考えてみてくれたまえ。早ければ明日には連絡があることだろう。その前に、新聞で答えあわせとしようじゃないか。

 最後に一つだけ。窓の時と同じさ。真相が予想もしないものだった時、人は案外その真相に通じる材料を目の前にしても見過ごしてしまうものなのさ。今日、僕がそれを見つけるまでそれが部屋にあったということを知るすべがなかったということは、つまり誰もがそれを重要なものだとは考えずに見過ごしていたということになる。

 それでは、今日はもう疲れたからね。少し早いが、僕はそろそろ眠らせて貰うとするよ」

 ムッシュはそう言うと、私の返事も待たずにおやすみの一言を残して寝室へと引き上げてしまった。

 後に残された私はただ、得体の知れない真相に思いを馳せ、視線を宙に漂わせることしかできないでいたのだった。


     *


 私が見た長い長い夢の話を聞いている――それとも読んでいるのかな? ――貴方に問おう。貴方はここまでの話で、この悲惨な怪事件の犯人がわかっただろうか。

 もちろん真相の決定打となった物証についてはまだ述べていないのだから、貴方はまだ確証を得るための材料を持っていないに違いない。

 しかし、ムッシュは新聞の記事を読んだだけである程度の見当をつけていた。現場で得た数々の材料はそれを裏付けただけに過ぎない。つまりだ。一つの可能性の話とは言え――彼に言わせれば妄想であるが――、ムッシュが真相に辿り着くために必要だった材料自体はすでに揃っているということになる。それは、断言しよう。

 それだけではない。真相を知っているムッシュの発言はもちろん、私の語りさえも貴方にとっては判断の材料となることだろう。語りベタながら、突飛な結末に辿り着くための道筋はなんとか用意したつもりだ。

 この話はもうあと少しで事件の真相を口にする段階に至ってしまう。

 だから、その前に私は問うておきたいのだ。

 貴方には犯人の正体がわかっただろうか。

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