希望の宝珠

 シードは自分が殴り殺したハゲタカ狼を唖然とした表情で見下ろしていた。

「こ、これを俺がやったっていうのかよ……」

「そうよ、シード。こいつはあんたが倒したのよ。まぎれもないあんた自身の力でね」


 俺は一体何者なんだ。シードはじっと自分の手を見つめた。格闘技でもやっていたのか。軍隊にでもいたのか。いや、この怪力はそんなものでは説明できないような気がする。しかし考え込んでも自分が何者だったのか、その記憶は蘇ってこなかった。


 シードの物思いはグルルルルという唸り声で中断された。声のした方を見るとクローディアが拘束した山猫狼が逃れようと暴れているところだった。

「シード、この際だから魔法を解除してみようと思うんだけど、構わないわね?」

 クローディアの言葉にシードは黙って頷いた。自分自身もおのれの力がどんなものか確かめてみたい。そんな気持ちがシードの中に湧いていた。

 山猫狼の体に絡みついていたツタが一瞬光り、だらりとほどける。拘束の解けた山猫狼はシードに向かって駆け出した。シードは野球のバッターのように両手で杖を持ち身構えた。

 二つの頭が大口を開けシードを噛み砕こうとする。しかしシードはその瞬間を待っていた。横なぎに杖を振り抜き、狼の頭をジャストミートし、そのまま山猫の頭をも殴り抜けた。血と脳漿が飛び散る。魔獣の頭はどちらも完全に破壊されていた。頭を失ったまま山猫狼は前足での打撃を繰り出してきたが、あえなくシードにかわされ力突きた。


「……これ、俺がやったんだよな?」

「ええ、あなたが杖でこいつらを殴り殺したのよ」

「森の賢者ってすごい腕力の持ち主だったのか?」

「……兄さんはそれなりに武器をとっても戦えたけど、敵の頭を一撃で吹っ飛ばすなんてことはできなかったわ。というか熟練の戦士でもあんなことが出来る奴は滅多にいないと思う。……あんた一体何者なの?」

 それはこちらが聞きたい、とシードは思った。自分のいた世界にも戦闘を職業とする者、軍人だとか格闘家といった人々がいる。けれど自分がそういった職についていたかというとどうもそうではなかったはずだ。

 記憶を取り戻せばこの怪力の理由もわかるのだろうか。いずれにせよシードは自分のことについて何も覚えていなかった。


「……兄さんはあんたのこのパワーを目当てに呼び出したのかしら。だとしたら少しは希望があるのかも……。とにかく神殿に行きましょう。そこで六賢者に何があったか説明するわ」


 シードはクローディアの後について歩きだしたが、改めて自分の倒した魔獣の方を見てしまう。圧倒的な暴力で蹂躙された死骸。それをやったのは間違いなく自分なのだ。俺は一体何者なんだろう。そう呟いたが答える者はもちろんいなかった。


 クローディアの後について三十分ほど歩くと白く丸い屋根が見えてきた。ドーム状の屋根を持つ大きなかまくらのような建物。クローディアが振り向いて「ここが森の神殿よ」と教えてくれる。

 ドームの高さはそれほどでもなく二階建ての建物くらいだが、広さは離れて見てもそれなりのものであることがわかる。

 学校の体育館くらいはあるな、と中途半端にかつて暮らしていた世界の情報が頭をもたげる。世界のことは覚えていても自分自身が何者だったかはやはり何も思い出せない。

 神殿に近づくと、建物の周囲は小さな湖に囲まれていることにシードは気付いた。ふと思いついて湖に向かってシードは駆け出した。


「誰だよコイツ……」

 水面に顔を映してシードは苦笑いを浮かべた。そこに映っていたのは浅黒い肌をしたきりっとした顔。その上には爆発した鳥の巣のような天然パーマの赤い髪が乗っかっている。顔はひと昔前のイケメンって感じだけどこのコントで爆発に巻き込まれたマッドサイエンティストみたいな髪の毛はどうにかならんかな、と他人事のようにシードは思う。しかしそこに映っているのはまぎれもなく自分自身の顔なのだ。


「どうしたのシード、自分の顔なんてまじまじと見つめちゃって」

「いや、俺は今まで自分がどんな顔をしていたかも知らないんだよ」

 あ……とクローディアが気まずそうに口元に手を当てる。気にしなくていいよ、とシードは肩をすくめた。

「しかし兄妹なのに案外顔が似てないもんだな」

「うん……、私は父さん似でシードは母さん似だもの。もっとも両親ともだいぶ前に亡くなっているけどね」

「両親のどちらかが先代の森の賢者だったのか」

「うん、父さんが先代の森の賢者だったの。そして森の宝珠が兄さんを次の森の賢者にシードを選んだのよ」

「森の宝珠?それは一体……」

「神殿に入ればすぐわかるわ」

 そう言ってクローディアは小さな橋を渡って神殿の入口をくぐってしまった。シードもその後を追って神殿の中に入る。


 神殿に入って最初に目に入ったのは広間の中央にある子供の頭ほどもある大きな丸い宝石だった。装飾を施した金細工で飾り付けられ、周囲を尖った杭状の柵で囲まれている。

「これが森の宝珠って奴か」

「そうよ。この宝珠には代々の賢者によって邪神封印のための魔力が込められているの。そしてこれと同じような宝珠が他の六賢者の神殿にもあるの」

「でも他の賢者たちが皆殺しにされたってことは、他の宝珠は壊されたりしてるんじゃないのか?」

「……それを今から確かめるの。シード、奥の間に行くわよ」

 二人は広間の奥にある大扉を開いた。その先の部屋には七つの小さな、野球のボールほどの大きさの宝珠が台座に飾られ円状に並べられていた。

 七つの宝珠は一つの宝珠、緑色に輝く宝珠を除いてすべて光を失っていた。緑色の宝珠は先の部屋であった森の宝珠のミニチュアのようだとシードは思う。

「この七つの宝珠は現在の七賢者がどんな状態にあるかを示しているの」

「……この森の宝珠以外真っ暗になってるってことは……」

「他の六賢者はすでに亡くなっているということね」

「そうか……」

 シードは落胆した。残りの賢者が死んでいるということは邪神とやらの復活はもう時間の問題だろう。自分一人が

「でも、希望はあるわ。七賢者の宝珠はどれもまだ壊れてはいない」

「……どういうことだ」

「七賢者の宝珠が真っ暗になっているのは賢者の『不在』を意味してるの。つまり賢者の血を引く者はまだ生き残っているということよ」

「ということは賢者の子供とか兄弟なんかが賢者の地位を引き継げば賢者は復活するということなのか」

「その通りよ。とはいえ前の賢者と比べれば年齢や才能の問題で力がだいぶ劣るケースが多いだろうけど……、賢者の血を引く者がいる限り邪神の封印が解けてしまうことはないはずよ」

「そうか……でも賢者の親族だって他の六賢者を殺したヤツに狙われるんじゃないのか」

「だからその賢者候補を守らなきゃいけない。私たちがいる『迷いの森』から一番近いのは闇の賢者がいるツキオロチの里よ。まずは闇の賢者候補と出会ってその人を保護しなきゃならない」

「賢者を復活させれば希望はあるのか」

「賭けるしかない。七賢者の復活とあんたの持つ謎の力に」

 シードとクローディアは少しの間、睨み合う形になった。そして目を逸らしたのはシードの方だった。


「わかったよ。クローディア。俺は自分が何者なのかわからないし、この世界のこともまったくわからない。けれど、俺がやらなきゃいけないことがあるなら覚悟を決めるよ」

「うん、私たちは運命共同体よシード。早速旅の支度をしなくちゃいけないけど、まずは森の宝珠を持ち運びできるようにしないと」

 二人は森の宝珠が安置されている先の間に戻った。

「本来なら宝珠の管理は兄さん……、シードの仕事なんだけど今のシードじゃ魔法はろくに使えないみたいだから」

 クローディアは宝珠に向かって呪文を唱えた。するとみるみるうちに宝珠は小さくなり姿を変え葉っぱの文様が刻まれ大きな緑色の宝石がついたブレスレットに姿を変えた。

「これで森の宝珠は持ち運びできるようになったわ。もっとも今のシードではあまり宝珠の恩恵を受けられないだろうけど……」

 自信が萎えるようなことを言うなよと思いながらシードは賢者のブレスレットを左手に装着した。しかし、ブレスレットが光るとか魔力が上がったと感じるといった変化は感じられない。

 そして神殿から出るなりクローディアはシードに絡み草の魔法を使ってみろと命令する。

「賢者のブレスレットを身に着けたんなら前よりはだいぶマシになっているはず……」

 そんな期待を込めて近くにある木に向かって絡み草の使ってみたが、先ほど練習した時と同様、草がぶわっと動いてわさわさと木に向かっていったが、絡みつくには至らない。

「やっぱり魔法に関してはてんでダメみたいねえ」

 クローディアはあからさまにため息をついた。

「れ、練習したらいずれ魔法くらい使えるようになるかもだろ」

「ま、魔法は使えなくてもあのバカ力があればなんとかなるでしょ。今日は旅の支度をして睡眠を取ったらさっさと寝て明日の朝出発するわよ」

 

 そしてシードとクローディアは次の日の朝になると闇の賢者の候補がいる地、ツキオロチの里に向かって旅立った。

 賢者の親族さえ生き残っていれば希望はあると信じながら。しかし二人が旅立った後、森の神殿にある宝珠の一つ、光の賢者の宝珠が砕け散ったことをこの時のシードたちは知る由もなかった。

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