第八章 - Ⅱ

「もしもし、竹谷です」

『タカト! 悪い一生のお願い聞いてくれるか? 実は今、何故かお客さんがたくさん来ててな。店にとっちゃこれほど嬉しいことはないんだが、いかんせん人手が足りない。今日だけでもシフト入れないか?』

 僕の返事を聞く前に、まくしたてるように話す店長。彼がここまで取り乱すなんて余程の事態だ。同時に、昨日凶刃に倒れたミオリのことを思い出して、胸がちくりと痛む。一緒にバイトした仲間であるミオリも、今はいない。

 傍らのクレインに視線を投げた。彼女にも電話は聞こえていた様子で、こくりと一度だけ頷く。行ってきなさいと言われているようだった。普段ならば気乗りしない僕も、今日くらいはと息をつく。

「分かりました。すぐ行きますね」

『お、お? いつものお前なら嫌がると思ったんだけどな、まあいい、頼んだぞ!』

 通話が切れる。クレインに視線を向けると、彼女は自分の荷物を持ち部屋を出ようとする段階だった。

「とりあえずミオリの家に荷物を置いてから行きましょう。何かあると危険だから、私も行くわ。いいわね?」

 僕も彼女に倣い準備を終えると、頷く。クレインがいてくれれば心強い。

 ミオリ邸に荷物を置いた僕たちは、ホノカに事情を説明するとバイト先のカフェへと向かった。


「おータカト! 待ってたぞ!」

 店に入る前に外で待機していた店長に呼び止められる。彼は僕の傍らのクレインに視線を向けながら、驚いたような表情を見せる。

「おぉ? また別の女の子か? しかも飛び切りの美人だな……お前、周りに可愛い子をはべらせすぎじゃないか」

 豪快に笑う店長の陰で、気まずそうな顔をするクレイン。この前のササコ先輩に加え、ミオリの件もあるし、ディカリアとの邂逅も目撃されている。店長の指摘はストレート過ぎではあるものの、あながち間違いではないと思ってしまう自分も確かにいた。

 肯定するのも否定するのも違う気がして、僕はとりあえず笑って誤魔化すことにした。

「あはは……それより、店は大丈夫なんですか?」

「おおそうだった、とにかく中に入ってくれ。そっちの彼女はカウンター席が辛うじて空いてるから、座ってもらっててくれ。俺は接客があるから、サポート頼んだぞ!」

 バタバタと忙しない様子の店長。これはただごとではなさそうだ。

「よく分からないけれど、カウンターに座っていればいいのね。もし何かあったら、すぐに私に知らせて。それにしても、ようやく接客をしているタカトが見られるわ」

「そんなに面白いものでもないと思うけど、僕でよければいくらでも見ていってよ」

「ふふ、了解」

 僕とクレインがベルを鳴らしつつ店内へ入ると、店の外までは到達していないものの店内で待たされている客の数がかなり多かった。ファミリー層がほとんどで、だからこそカウンターも空いていたのだろう。従業員だと伝えながらようやくフロアまで進む。

「うわ……」

 見たことのない位の大繁盛だ。僕の知っているスタッフのほとんどが出勤していて、知らない人もいる。まずはクレインを、と手頃なスタッフへ声をかけようとした。

「すみませーん、えっと、この方をカウンターまでお願いしま――」

 瞬間、思わず目を疑う。開いた口が塞がらない。冷房のよく効いた店内のはずなのに、どうしてか額に汗が浮き上がる。

 頭の中の疑問符が消えないばかりか、その数をどんどん増やしている。

 それもそのはずだ。「彼女」が、ここにいれば――。


「いらっしゃいませ。クレイン、食料さん」


「ヒメノ? あなた、どうしてここに?」

 掛ける言葉が見つからない僕の代わりに、傍らのクレインが口を開いた。ヒメノはミオリ邸の自室から出てこなかったはずだ。それに、彼女が纏っているのは間違いなくカフェの制服。ミオリの物と同じタイプだ。

 いつものように、ヒメノは顔色ひとつ変えず、眉毛を一ミリも動かさずに答える。

「話せば長くなりますが、今はこういう状況ですので、後ほどお伝えします。クレインはこちらの席へ、食料さんは早く着替えて接客に回ってください。ただでさえ人手が足りないので」

 言うなり、クレインをカウンター席へ誘導するヒメノ。僕はというと、未だに状況を飲み込めていないが、彼女の言葉も最もだと思っていた。今はこの客たちを捌ききらなければというある種の使命感。着替えを手早く済ませ、ホールへ移る。

 そこからはあっという間に時間が過ぎていった。普段は呑気に豆を挽いているだけの店長も動員して、接客に当たる。

 その中でも一際輝いていたのはヒメノだった。かつてのミオリよりも、効率的にてきぱきと働き、接客も料理もどちらも入れる。ミス等は当然なく、むしろミスをしたスタッフのフォローまでこなす。彼女がここにいる理由はとても気になるが、僕も集中していたため、あまり考える余裕はなかった。

 そして。ようやく山場を越えたところで、客足がいつもより少しだけ多いくらいまでに減った。

「ありがとうございましたー……はぁ、大変だった」

「タカト済まねえな、でもおかげでこの店始まって以来の売り上げだ。バイト代弾むから勘弁してくれ。それとヒメノちゃん、本当に世話になったな。ところで、タカトとヒメノちゃんって知り合いなのか?」

 店長がヒメノのことを知っているとすると、情報操作の影響か? 不意に湧き上がる仮説。店長は、まるでヒメノが最初から店のスタッフだったように接していた。何かがおかしい、と首を捻る間もなく、ヒメノは説明を始めた。

「食料さ……いえ、「タカトさん」とは同じ高校に通っていまして。特段親しいわけでもないのですが、会えば挨拶するくらいの仲だと私は思っております」

 ヒメノに名前で呼ばれるのは初めてだ。ずっと「食料さん」で通ってきたので、慣れないこともあってか自然と鼓動が早くなる。

「そーかそーか、君ら、息もピッタリだったしな。まあ、ちょっと休憩入れよ。また追って指示をするから」

「ありがとうございます。では、休憩に入らせていただきます。行きましょう、タカトさん」

「え、あ、うん」

 手を引かれるまま、更衣室へと導かれた。そこで、ヒメノから手を解放される。僕は制服のネクタイを少しだけ緩めながら、ようやく彼女に話しかけた。

「ヒメノ……教えてもらってもいいかな? どうして、君が――」

「簡単なことです。今日はミオリのシフトが入っていたので、その代わりです。そのついでに、コレを使ってお店の宣伝をしておきました。どうやら想定以上の結果になってしまったようですが」

 スカートのポケットから明るいピンク色のスマートフォンを取り出すヒメノ。インターネットで宣伝するだけで、こんなに効果があるとは正直驚きだ。でも、今回の主題はそこではない。

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