第八章 - Ⅲ
「ミオリのこと、訊かれなかったの?」
「そこは、店長さんの記憶を少し弄らせていただきました。ミオリは……あの子は、この店のスタッフに記憶操作を施してはいませんでした。もちろん、食料さんも含めて」
自分が記憶の操作をされているなんて想像もつかなかった僕は、ミオリの今までの行動や言動を思い出しながら、ヒメノが紡ぐ事実を聞いた。ミオリの行動には不自然なところは一切ない。僕も、カフェのスタッフもミオリのことを純粋に人間として見ていた、そんな彼女の姿を偲ぶように俯く。
「そうなんだ」
「ええ。ですので、ミオリには悪いことをしたかもしれません。でも、ミオリの分の穴を開けるわけにはいきません。やむを得ず、こういった対応をさせていただきました。ご迷惑だったのなら申し訳ございません」
深々と頭を下げるヒメノ。迷惑だなんて微塵も思っていないばかりか、ミオリのことで要らない心配をしたかと感じた僕は首を横に振る。
「いやいやいや、大丈夫だよ。それより、訊きづらいんだけど……ミオリのことは、大丈夫なの?」
顔を上げるヒメノ。いつもの無表情ではない。眉を少しだけ寄せ、制服のスカートの裾を両手で掴む。
「大丈夫か、大丈夫ではないかと訊かれれば、後者です。仲間を失うのは初めての経験でしたので。私自身、混乱してしまっている節もあります。それでも、前を向かなければいけないと思ったのです。泣いてばかりでは、ミオリに笑われてしまいますから」
「ヒメノ……」
当然、辛かったはずだ。それでも、ヒメノは乗り越えようとしている。乗り越えて、ディカリアやヒドゥンの殲滅という任務を全うしようとしている。もう、全ての涙は流し終えてしまったのか。僕が彼女に掛けられる言葉は、思ったよりも少ないようだ。
「分かったよ、ヒメノ。でも無理はしないでね。君まで倒れられたらと思うと……」
「ご心配には及びません。これでも訓練は積んできている自負があります。食料さんを守りながら、ディカリアの殲滅を行うことなど造作もありません」
優先順位の中に僕の名前が出たことに、思わず疑問を覚えた。
「僕を、守る?」
「あ……ッ、お、おかしくはないはずです。あなたはあくまでも食料、ディカリアやヒドゥンを誘き寄せる生餌なのですから。食料さんがいないことには始まらないのです。だから、あなたを守るのも優先順位のひとつ、かと」
次第に言葉が弱々しくなっていく。彼女としても口に出すつもりではなかったようだ。
それでも、僕はヒメノの思考に変化が訪れていることを悟ると、本音でお礼を言うべきだと思った。
「ありがとう。僕も、出来る限りのことはするよ」
「お礼を言われるようなことは……とにかく、まだ仕事は終わっていませんので、今後のことはそれから話し合いましょう。ディカリアの連中が今夜、襲撃してきてもおかしくはないので。さあ、仕事に戻りますよ」
その瞬間、僕は初めて、今まで無表情が多かったヒメノの笑顔を見た。ミオリを失った事実は辛いが、それを乗り越えようとする彼女の姿。同じ仲間として、そんな彼女を支えていきたいと強く思った。
バイトを終えてクレインとヒメノと共に帰ると、ミオリ邸の玄関ではホノカが掃除をしながら待っていた。リビングに移動し事情を聞いて、ホノカも納得したように言う。
「姿が見えないと思ったら、ミオリのいない穴を埋めていたとはな」
「申し訳ございません。ホノカには話しておくべきでした。ただ、どうしても行かなければと衝動的になってしまいまして」
「謝る必要はない。無事にこうして集まれたんだ、今はそれを喜ぶべきだろうな」
隙を晒せばバイト中や休憩時間、移動中でさえもディカリアに襲われる可能性もあった。だが、今はこうして味方の執行兵たちと合流できている。先のミオリの件は確かにあるが、ホノカの言う通り素直に無事を喜ぶべきなのかもしれない。
「ヒメノ、ホノカ。ちょっといいかしら」
ソファに座り直しながら、クレインが口を開く。ふたりは、恐らくクレインが言おうとしていることを察しているからか、彼女の顔を見て頷くだけ。無論、僕もだ。
「今日の夜、こちらから動こうと思うの。奴らの尻尾を掴むために、ヒドゥン討伐も含めて捜索する。ここからは全員で動いた方がいいわね。向こうも数で押してくる可能性は十分にあるから」
クレインの声は普段よりも少しだけ低い。それだけ強い決意を抱いているということに他ならない。ヒメノとホノカも、当然と言うように声を上げる。
「ええ。私もそのつもりでした。仮にクレインとホノカが動かなくても、私単独でもディカリアの居場所を暴こうと。ただ、ヒドゥンが現れるリスクを加味しても、三人……いいえ、四人で行動した方がいいですね」
「ああ、そうだな。今日こそ奴らに、一太刀を浴びせたいものだ。そうと決まればまずは食事だな。それから、作戦も立てなければ」
「ありがとう、ふたりとも。タカト、あなたにも手伝ってもらうわ。いいわね?」
クレインの青い瞳が向けられる。透き通ったそれで見つめられてしまえば、断る理由なんかどこにもない。
「もちろん。ヒドゥンが出てきたら、それこそ僕の出番だと思うし」
「あら、言うようになったわね。でも期待してるわ。さ、ちょっと早いけど夕食の準備に入りましょうか。昨日は麺類だったから、今日は別のものが食べたいわ」
僕の家で共に食事を作った、昨日の出来事が思い起こされる。もうあの日には帰れない。けれど、新しく思い出を作っていくことはできる。脳裏に浮かぶミオリの笑顔。僕は、クレインたちと協力し必ずディカリアを倒すと胸に誓った。
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